政治はいま何を語るべきか【石破茂】【三浦瑠麗】

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『公研』2016年8年月号「対話」 ※肩書き等は掲載当時のものです。

石破茂・衆議院議員×三浦瑠麗・国際政治学者

参院選と東京都知事選挙──2つの大きな選挙を経過したにも関わらず、日本の政治には「行き詰まり感」が蔓延している気がしてならない。この背景には何があるのだろうか?

参院選の争点は何だったのか?

三浦 今日はこれからの日本のビジョンについて語ることができる方、それも安倍政権に対して半歩なり一歩なり離れた立場からもお話できる方ということで、石破先生をお相手にご指名させていただきました。

 今回の参院選は、アベノミクスを継続させるのか否かにテーマが設定されました。野党はアベノミクス失敗の根拠を具体的な数字で示そうとしましたが、その数字や解釈が間違っていたりするなど、容易に論破可能なお粗末さがあった。そんなこともあって、選挙戦を通じて議論が深まらなかった印象があります。

 まずは、今回の参院選の総括とアベノミクスの現在についてお聞きしたいと思います。

石破 今回の選挙では、青森から沖縄まで20数名の選挙の応援に行きました。私は応援の際、できるだけ候補者本人の話を聞くことにしているんです。街頭演説ですから細かな話にはなりませんが、今回の参院選では何が争点になっているのかよくわからないところがありました。

 「皆さん、民主党政権のあの悪夢のような時代を覚えていますか。あれをもう一度見たいですか」と言うと、「やっぱり民進党に任せるわけにはいかないな」と受け取られた方が多かったのだと思います。結局、「安定の自公」か「混乱の民共」かがテーマになってしまった。

 本当は消費税の引き上げを2年半先送りすることをどう考えるべきかが、一番重要なテーマだったはずです。ここには岡田克也代表の致命的な失敗がありました。党首討論で、消費税引き上げの先送りによって足りなくなるお金は「赤字国債の発行で賄う」と言い放ってしまった。こちらは当然、「皆さん、次世代にツケを残すことで社会保障の充実を図ろうとする民共に政権を任せることができますか?」と攻撃します。

 今回の選挙戦では、「じゃあ、自公はどうするんだ」と反撃されるところまで話が行かなかった。

 私自身は、2年半の先送りには疑問を持っていました。常に経済成長が国債金利を上回る状態にするというのは、容易なことではないと思ったからです。もちろん、引き上げ延期は決定されたわけですから、今後はその方向で努力していくしかありません。

 そのためには、2年半の間に金融緩和や財政出動以外の方策も考えねばなりません。私の地元鳥取も、従来は財政出動に頼ってきたところがあります。道路をつくり、橋を架けるといった公共事業と企業誘致で経済をもたせてきた。でも、いよいよその限界が見えてきて経済状況が悪化している。それは、公共事業や企業誘致に頼りすぎて、その他の潜在的な成長力を伸ばす努力を十分にしてこなかったからだと私は思っています。

 こうした今までの路線をどうやって変えていくのかが求められています。GDPの約7割を個人消費が占めていますが、その中で「もう欲しいものがない」なんていう言い方もなされています。それは、消費者が本当に欲しいと思えるものをつくっていない、というところもあるのではないかと私は思うんです。

 これからは同じ製品を安く大勢の人に向けて売るようなビジネスではなく、個人個人のニーズに合った商品が求められます。どうしたらその人が本当に喜んでくれるのかを究極まで考えるようなサービスや商品を提供することが重要です。潜在的な成長力を発揮してこなかった分野は、地方にこそたくさんあります。ここには、まだいくらでも延びる余地がある。こうした発想で成長力を引き上げていくべきだと思います。

 そのためには、今までの考え方を大きく転換していかなければなりません。それが、アベノミクスの三本目の矢の成長戦略、構造改革につながってくるのだと思います。

必要なのは規制緩和

三浦 そういった時に気になるのは、政治家の先生方のお話を聞いていると、どうも規制緩和と重点分野への支援とを頭の中で混同されているケースが多いことです。例えば、安倍総理は施政方針演説で成長戦略の一環として、重点的な分野、例えば筑波大学発のベンチャー企業、CYBERDYNE(サイバーダイン)のロボットスーツを紹介されていました。私もいい事業だと思います。こうした分野を促進することでサイバーダインは儲かるだろうし、グローバルに成長することができる。今出て来ようとしている分野を政府が支援することは、ある程度必要だと思います。

 その一方で、政治もしくは官が主導して声かけしていくことは、資本主義にあまりそぐわないのではないか。重点分野といっても、政府ができることはせいぜい障害を取り除くことぐらいでしかない。政治家の先生方の話を聞いていると、本当に経済の実情をわかった上でおっしゃっているのかなと感じることが多々あるんです。

石破 そこは官民それぞれが自らの分をわきまえ、なすべきことをやるということに尽きるでしょう。官や政治に商売がわかるはずがなく、お金儲けは我々の本来の仕事ではない。私も政務次官、副大臣、大臣と務めさせていただいてきましたが、役所は私のいた民間銀行とは180度違う組織文化だと思うことがよくありました。

 農林大臣の時にも、「政策というのは商品だ。まずは誰が何を求めているかというニーズを把握し、企画、設計し、広報、宣伝を考えて『売って』みるべきだ。売れなかったら、商品のあり方をもう一度見直す。当たり前のPDCAを考えよう」と言って、理解してもらうのに大変な時間がかかったこともありました。

 官は強制的に税金を徴収できるし債券も発行できますから、自分でお金を稼ぐというマインドが育たないのはある意味当たり前です。官にビジネスを考えろというのは、八百屋に行って「魚をくれ」と言うに等しいことだと思うんです。

 だから、官は環境整備に徹する。実際のビジネスは民間に任せる。今、私が懸念するのは、その肝心の民間に元気がないこと。「欲しい」と思ってもらえるようなものをつくろうというマインドが衰退してしまっている気がしています。日本人全体にそういうスピリットが乏しくなっている気がするんですね。

 銀行も国債で運用していれば損をしないので、民間の危ないところに貸すよりも国債を買ったほうが安全だ、と言って積極的に貸し出そうというインセンティブがない。

三浦 民間にはビジョンを持った方々が本来たくさんいるはずなのに、既存の企業は新しい商売をしようという意欲が萎えてしまっているところがある。他方で、起業するハードルは非常に高いのが日本社会の特徴です。

 政府はここのところ民間に対して、もっとお金を借りて設備投資に回せと呼び掛けてきたわけですが、本当にそれは政府がやることなのか。大企業はむしろお金が余っている状況です。プロの経営者であれば、儲かる事業には乗り出すはずですよね。新しいビジネスチャンスがあれば起業したい。必要なのは、やはり規制の緩和ではないかと思うんです。

石破 そのために国家戦略特区法をつくったわけで、すでに進んでいるところもあります。例えば、新潟市に農地法の特例で作った農家レストランがそうです。周りは見渡す限り田んぼで、その中に小じゃれたイタリアンレストランがあるんです。今まで農地の中には作れなかったので特例なのですが、行ってみたら、お客さんがたくさん来ているんです。

 また、離島や過疎地での診療は、これだけ精度が上がってきたら相当部分は画像診療でもいいんじゃないか。あるいはお薬も薬剤師さんの相対が基本ですが、それも画像で見ればある程度わかるのではないか。そうした規制緩和はこれから先いくらでも進むと思うんです。

三浦 本当ですか。

石破 はい。

三浦 日経新聞の一面に「農業に株式会社参入」といった記事が何度か掲載されましたよね。記事には「総理が指示を次々に出している」なんて書いてあるわけです。それを読むと、「おお、やるのか」と思いますが、その後の進展についてのフォローアップはない。頓挫している気がします。

 民主党政権時代の規制改革会議で、すでにメニューは出揃っていて、あとはそれを実行するだけのはずです。しかし、民主党政権下で変わったことは非常に少ない。看護師でなくとも、介護福祉士が吸引器を使って在宅介護で痰を吸引できるようになったのは画期的でしたが(喀痰吸引等制度)、そのぐらいしか進まなかったのであれば、あまりに遅々たる歩みだと思います。自民党政権にしても、本当にやる気があるのか疑わしい。

農業改革とTPP

石破 もちろんやる気はあります。株式会社に農地を所有させるという構想も、私が農林水産大臣だった時からある話です。反対する人は、「株式会社は利益のことしか考えていないし、株主の意向に従う。そんな法人に農業を任せられるか!」という、いささか感情論めいた話をされる。農業を産業として成長させるには利益を考えることこそが重要ですが、「株式会社は農業をやるふりをして農地を買うが、すぐに産業廃棄物の処分場にするんだ」と決めつけられてしまう。

 自作農主義あるいは耕作者主義というのは、ある意味で一種のイデオロギーに近いところがあります。しかしそれに固執しすぎて農業従事者がいなくなるほうが、日本の農業や農地に危機をもたらすのです。「私の仕事は農業です」と言える人を基幹的農業従事者と呼んでいますが、そうした人たちの20年前の平均年齢は約60歳でした。それが今は約67歳になった。この方々も不老不死ではありませんから、このままではいつの日か劇的に農業者がいなくなる日がやって来るということです。農業の最大の課題は、従事者がいなくなるということなんです。

三浦 担い手不足に対応するためにも、新規参入者を増やさなければなりません。自作農主義は、戦後当初に描いていた正義とはむしろ相反する結果を生んでいる印象があります。GHQの農地改革は大地主から農地をガサッと取り上げ、それを配分することで小作人を減らしたわけですが、今では新たな小作人が生まれているという状況があります。つまり、農業の株式会社化を構想するようなスピリットのある人たちが小作人をやっているんです。一方で、土地を持っている人が耕作もせずになぜか偉そうにしている。これは新たな地主階級の復活と言えるかもしれません。

 様々な反対にあったとおっしゃいましたが、確かに自民党の中の改革派は農業に対する考え方が進んでいます。地方の農業従事者たちのほうが遅れているのが現状でしょう。そうした方々を説得する外圧としてTPPは有効な手段でしたが、どうも先行きが不透明になってきていますね。

石破 農林大臣の時に「生産調整を見直そう」と言って袋叩きに遭ったことがありました。当時、「史上最低の農林水産大臣だ」と言われ、「農林水産大臣は一年で代わっても自民党農林族は永遠だ」なんていう名言まで残っているんです(笑)。

 私は「自給率至上主義をやめよう」ということも申し上げていました。北朝鮮やアフリカなどで餓死者を出しているような国の自給率は高いのです。自給率というのは、「その国で食べているものをどれだけその国で生産しているか」というだけの数字であって、国民が豊かで安全な食生活をしていることとはほとんど何の関係もないんです。

 ですから、当時は自民党内でも意見の揃わない場面はいくらでもありました。でも今では生産調整の見直しは、もはや既定路線です。

 株式会社による農業への参画も、これから本当にうまくいくという事例が出始めます。株式会社が社員として農業者を雇用し、きちんとした賃金体系あるいは就労条件のもとで勤めることができるように必ずなると思っています。

 TPPの話にしてもそうですが、同じ「ものづくり」である自動車が世界で売れて、なぜコメが売れないのか、と私は考えています。今から30年ほど前ですが、議員になった頃、私は当時先輩に「アジアの他国の人は日本のコメなんて食べないのだよ」と教わりました。粘り気の多い日本のお米は、アジアの他地域の人の口には合わないと言われていたのです。

 けれども、今や日本の米はアジアで大評判です。「日本のコメは一度食べたらやめられない、麻薬のようだ」とまで言われている。やっぱり、日本人が食べておいしいものは世界中の人もおいしいと思うんです。私は北京や上海に何度も出張していますが、おいしいコメを食べたことがない。果物もそうです。シンガポールでも見た目もきれいで味もおいしい果物って見たことがありません。

三浦 日本の桃や梨がそうですね。

石破 そう。鳥取の二十世紀梨もそうです。旧正月に日本の果物を親類縁者に振る舞うのが、今やアジアの富裕層のステータスになっていると聞きます。

 農業は、土と光と水と温度の産業です。この4つにバランスよく恵まれた国は滅多にありません。日本を凌駕する国はないんじゃないかな。だから日本の農産品は海外に出しても十分売れるはずです。でも今まではずっと、「なぜ世界に向けて売らなきゃいけないの? コメは政府が買ってくれるのに」という発想でいたのだと思います。

 海外のニーズを見誤っていたという点では、観光業も農業も構造的に似たところがある。今では日本を訪れる外国人観光客はたくさんいますが、ちょっと前までは世界に目を向けて外国人に来てもらおうという発想はほとんどなかったように思います。観光地や旅館・ホテル業者のほとんどは、「外国人が来なくてもJTBや近畿日本ツーリストなどがお客さんをバンバン送り込んでくれるもん」という考えでいたわけです。

 けれども、国内相手だけの商売では「いよいよダメだ」という話になって、TPPを使って外国のお客さんを呼ばなきゃならないという発想になった。本当はもっと早くそのことに気が付く必要があったんですが、「いよいよヤバイ」ということにならないとなかなか変わらないところがありますね。

「我々の地方から日本を変えていく」

三浦 TPPに関しては未だに反対意見も根強くありますね。

石破 私は日比谷の野外音楽堂で開かれたTPP反対集会を何度も訪れて、対話を重ねてきました。当時私は自民党の幹事長をやっていて、TPPの党の責任者は幹事長だったからです。農林部会長や政調会長だけに行ってもらうのではなく、党の責任者である私が直接行きたいと思いました。

 そこで繰り返し主張したのは、TPPに参加するしないに関わらず、農業の構造改革を進めて生産性を上げなければならない、ということでした。「このままでは日本の農業はダメになる。本当にそれでいいんですか?」という問い掛けです。

 それからTPPに参加しても、「米、牛肉、豚肉、砂糖などの関税を一気に取っ払うようなことはしません。そうして少しでも時間的な猶予のあるうちに、構造改革を進めるべきです」「農業を変えて、世界中に売って、所得を上げましょう」と訴えました。

 話が飛びますが、農業は就労条件もよくしていかなければなりません。昔のじいちゃん、ばあちゃん、かあちゃんの「3ちゃん農業」ではなく、女性が喜んで農業に参画するようでなければダメです。今、全国の農業高等学校では女子生徒が四割を超えています。それからピンクの軽トラがやたらと売れています。「かわいいー」とか言ってね。また、まだあまり普及していませんが、ポータブル・パウダールームというものもあるんです。農作業をした後は「きれいにお化粧してクラブに行こう」という時代なんですよ。

 私は「JAが諸悪の根源」論には立ちませんが、そうした意味ではJAの言っていることは、これからの農業者の意見を代表しているとは思えないところがあるんです。同じように、連合の主張が労働者の意見を代弁しているとは限らないし、経団連は本当に経営者の考え方を代表しているのでしょうか。我々もJA=農業者、連合=労働者、経団連=経営者と思っていたところがありました。でも、ここにはすでに乖離が生じていると思うんです。

 政治家は選挙区で有権者と直に話し合うことができます。そこでどれだけ真実を説くことができるか、が国会議員には問われます。

三浦 石破さんは、地元の鳥取に「改革」を売らなければならない立場におられるわけですよね。今自民党で力のある政治家は大抵地方の選挙区から選出されています。かつてから、改革勢力として頭角を現す政治家は、実は都会ではなく地方に安定地盤をもつ政治家であるケースがとても多かった。自民党にはそうした複合性があるように思います。

 つまり、田舎から票を得て、田舎に改革を売っているわけです。ここは行き詰まりはしないんでしょうか。

石破 そこには常に葛藤があります。うちの父親(石破二朗氏)は1958年から74年まで15年間鳥取の県知事を務めていました。当時、建設省の事務次官出身では全国で初めての県知事でした。高度経済成長の時代でしたし、道路は目に見えてよくなるし、小さな鳥取県なのに空港は2つもできるし、鳥取三洋電機やナショナルマイクロモータをはじめとした企業もいっぱい来て、鳥取県の県民所得は一気に上がりました。

 地元の人からは、「あの頃はよかったなあ」と言われるわけです。そのたびに、「では同じことがもう一度できると思いますか?」と問い掛けています。道路が通ったからといってその地域が必ずしもよくなるとは限りません。道路ができたからこそ、人がいなくなった地域はいっぱいありますよね。

 私は「我々の地方から日本を変えていかなきゃ」ということを言うんです。地方は人口減少が著しく将来を悲観する見方も多いですが、可能性を感じる数字もあります。例えば出生率を見ていくと全国トップは沖縄で2位が島根、3位が宮崎、4位が鳥取、5位が熊本です。ちなみに低い順から見ると1位は断トツで東京、次は京都で、北海道、宮城と続き大阪、埼玉、神奈川が同率で並んでいます。

 出生率の伸びに注目すると、全国で1番は島根で2番は鳥取です。それから、育児のあるなしによる有業率の差という指標があります。要するに育児をしながらでも働きやすいかということです。ここでも1番が島根、2番が鳥取です。最下位は神奈川、下から2番目は東京です。

 私が言いたいのは、出生率やその伸びが高くて、女性が働きやすい県がこれからの日本を引っ張りましょう、ということです。現実には地方ではどんどこ人口が減っています。それは若者たちが県外に出て行ってしまうからです。鳥取で言えば、18歳で高校を卒業して進学する人たちは、鳥取大学や鳥取環境大学だけに行きたいわけではないから、東京や大阪に出ていきます。ここは仕方がないところがある。でも、22歳で卒業後も東京などの都会に人口が集中する現象が起きています。

 地方は、彼らに地元に帰ってきてもらう努力をしなければならないんです。ところが、「倅や娘はもう帰ってこなくていいよ」なんて言っている。「あなた方がそんなことを言っているから、こんなことになるんです」という話なんです。

 農業、漁業、林業は必ず変わることができるはずです。その初期費用については国が支援してもいい。規制を緩和することもあっていいと思います。いま地方創生が劇的に進んでいるところには超過疎地が多いんです。だいたい反応は2つのパターンに分かれています。一つは行き着くところまで行ったがゆえに、「自分たちで真剣に考えなければ、この地域は本当になくなるぞ」という危機感を持った自治体。もう一つは何もせず、坂を滑り落ちるままの自治体です。

 もちろん私は地方選出の政治家であるがゆえに、「何とかして変えなきゃ」という意識をどの自治体にも強く持って欲しいと期待しています。

若者の将来に対する倫理観、想像力の欠如

石破 ところで三浦さんはどちらにお住まいですか。

三浦 東京の六本木です。

石破 いいところにいらっしゃいますね。港区の区議会議員を見たことがありますか。

三浦 ほとんど見ないですよね。

石破 そうでしょう。東京都議会議員を見たことはありますか。

三浦 ないですね。

石破 東京一区選出国会議員は見たことがありますか。

三浦 それは、あります。仕事が仕事ですからね。

石破 都会は政治と距離がありますよね。田舎だと国会議員とサシで話すのはわりと当たり前なんです。私は田中角栄さんに、「お前たち、いいか。歩いた家の数、握った手の数しか票は出んのだ」と叩き込まれました。だからちょっとでも余裕があれば、今週末でも、久しぶりに地元のお祭りをハシゴしようかなと思うんですね。一緒に歌って、踊って、飲む。「あいつは嫌なことを言うけど、俺と一緒に飲んだ。俺の手を握った」というのが、やはり大事だと思っています。

 フワッとした改革の風は、抵抗が多いとすぐにやむでしょう。熱にうなされたようにやる改革だと、あまりいい結果になりそうもない。けれども、地道に有権者一人ひとりと話をしながら進める改革は、成功する確率が高いと私は信じています。

 例えば、全国町村長大会には地方創生大臣として行ったりしますが、会場の垂れ幕には大きく「道州制、絶対反対」と掲げられています。しかしそこで、「基礎自治体は残ります。道州制は今の市町村を潰すという話では全くありませんし、単純に県を合併するわけでもありません。国と地方とのかたちを変えていくということです」という話をすると、「そんな話は初めて聞いた」と言われます。つまり、政治家の側が、もっと一生懸命に語っていかなければいけないんじゃないかと私はいつも思うのです。

三浦 先日、鳥取県知事の平井伸治さんと共演する機会があったんですが、その時にCCRC(Continuing Care Retirement Community=終身で過ごすことが可能な生活共同体)について伺いました。CCRCは、本格的な人口減少と高齢化を迎える日本社会に求められている構想だと思います。けれども、気になったのは若者の負担や労働力をどう考えるのかという視点です。官主導のCCRCでは、高齢者の介護保険や税金で食べていく街になってしまう。そこには、将来世代にツケを回す構造、そして若者が介護職にしか就けない世界があるのではないでしょうか。

 私自身、祖母の介護では下関の施設に一時期お世話になりました。その介護施設には介護福祉士の専門学校が隣接していたのですが、そこの学生が学校に入っていく前にたばこをパッと地面に投げ捨てて踏み消していました。その時の暗い顔つきが刻み込まれるように印象に残ったんです。その表情の未来のない感じにハッとさせられるところがあった。

 都市と地方とのギャップや、若者の将来の希望に関する倫理観や想像力が、大人たち、特に地方政治のボスたる村長(むらおさ)たちには足りていませんね。

石破 「ああ、嫌だなあ」と日々思っている人たちに介護されるとしたら、高齢者もとてもかわいそうなことになりますよね。しかし、私は介護職を選択する多くの若者がそうだとは思わないんです。思いやりがあって、人に喜んでもらう仕事に遣り甲斐を感じている人はたくさん残っていると思う。

 今年の5月にアメリカのワシントンで初めて米国のCCRCを見学しました。ワシントンDCのど真ん中から車で一時間走ったところにあります。これはすごいものでした。広大な敷地の中に、本当のコミュニティがある。そこでは3000人ぐらいの高齢者、下層ではないけれど富裕層でもない、普通の人たちが暮らしているんです。

 入居されている女性8人と話をしました。私が衝撃を受けたのは、「天国というのはここのことだ。毎日が忙しくて楽しい。私はあの世に召されることがあっても、必ずここへ帰ってくる」と言い切る方がおられたことです。そこにいる他の方々もそれを聞いて深く頷いていました。

 この施設には、朝からたくさんのプログラムがあって本当に忙しくしていました。それから皆さんボランティア活動に熱心なんです。70になっても80になっても図書館の司書を続けていたり、踊りを教えたり、オフィスワークをサポートしたり。スタッフもみんな楽しそうに働いていて、こんな世界があるんだと感心しました。今おっしゃった下関の例とはずいぶん違うわけです。

 日本で問題になるのは、CCRCに入る時の原資をどうするかです。ワシントンDCで聞いた限りでは、多くの人が今まで住んでいた家を売ったり貸したりして資金調達していました。けれども日本の場合は、中古住宅にはほとんど価格が付きません。15年経ったら少なくとも上物は価値がほぼゼロになる。一生懸命働いて手に入れた家がほとんど何の価値も生まないとなると、それをベースにした老後の暮らしをつくることができません。しかしこれは、政治の工夫で解決できる問題だと思うんです。

 私は、アメリカ人がすばらしくて日本人はダメだから違うのだ、とは思いません。むしろ、人のいい面を最大限に引き出していくための仕組みを国も考える必要がありますね。

女性の代表は女性を代表していない?

三浦 今の地方はもう少し集住させないと行政の余力がもたない。ところが、それを「おらがまち」が邪魔をしているところがある。増田寛也さんが日本創生会議の座長をしている頃に発表されたレポート「地方消滅」は、事実の分析としては正しいかもしれませんが、その政治的社会的意味合いについてはあまりにナイーブな議論がなされています。東大も関わっていますが、エリートたちによる机上の最適解の発想です。ここでとても気になるのは、地方の人口を減らさないために、若い女性を地方から「出さないようにしなければならない」という発想があることです。おそらく、別に悪気があっての発言ではないでしょう。だからこそ余計に罪は深い。まずもって目的が間違っている。地方創生は人のためにあるのであって、村のためではないからです。

 お役所の文書や政府の文書は、女性がどう感じるかという観点が欠如しています。それが若い世代や女性からすると、「いけすかない」という評価につながっていくわけです。

 石破先生が地方創生大臣になられてすぐの頃に出演された討論番組で、「若者も国民である。若者に何をしてくれるのかという発想ではなく、自分が参加する気持ちでやってなきゃいけない。地方には頑張ってほしい。若者も頑張れ」という声がけをされていました。前向きなメッセージですが、その声がけは今の自民党の体質やお役所の体質とセットになると高圧的に映る時もある。

 小さなことかもしれませんが、そうした一つひとつの失望を通じて、「私さえよければいい」という個人主義が広まっていってしまうと思うんですね。

石破 高圧的に聞こえたとすれば、それは直さなきゃいけないですね。でも、私は地方から女性を「出さない」ようになどとは思っていません。むしろ女性が「来てくれる」ようなまちにしたい、と考えています。そもそも「出さない」なんて無理です。

三浦 実態としてはそうですね。

石破 放っておいたら、どんどん出ていくのが現状ですから。私は、いろいろな価値観を生かすための努力をしてこなかったことが問題なのだと考えています。世の中の半分は女性なわけですから、議会でも役所でも女性の意見がきちんと反映されない国はいびつになるのが当たり前だと思っているんです。以前はクオーター制にはあまり賛成していませんでしたが、今はそこまでやらないとダメかもしれないと思っています。

 今平均初婚年齢が大体28から29歳で、女性の第一子出産年齢が30歳です。それで「仕事は頑張ってくれ」「子どもの面倒は見ろ」「おじいちゃん、おばあちゃんの介護もよろしく」と言われたら、何が女性活躍だという話だと私は思うんです。

三浦 本当にそう思いますね。

石破 私もいろいろな会議に出ますが、女性ばかりという会議はすごいです。ここぞとばかりにワーッと言われる。やはり本来、男女半々であるべきだと思います。そうでないとわからないことがたくさんある。

三浦 ただ、女性の中には男性の偉い人に重用されると、中身がすぐに男性になってしまう人が多いんですね。どうも御党にはそういう傾向があって、女性の代表として発言されている人たちの仰っていることが、私の思想と全然違うと感じることが多いんです。

石破 そうですか。

三浦 はい。違いますね。

石破 私なんかは三浦さんの言うことにかなり共感を持って聞いているんだけど

三浦 女性のほうが保守が多いですね、社会保守が。

石破 そういうものでしょうか。

三浦 総務大臣や前の政調会長にもお会いしていますけど

石破 女性ばかりの会議に行った時に言われたのは、男性が8割、女性が2割では「絶対にダメだ」ということでした。その割合だと男性に合うような発言をしてしまうと。だから、やはり半々にしてほしいと言われたんですね。北欧にしても昔から女性議員の数が多かったわけじゃない。やっぱりクオーター制やペアでの立候補などいろいろな手法をとって女性の参画を促してきたわけです。

 ところが最近では女性の側が、「私たち議員になりたいのになれない」という人よりも、「あんな仕事はやりたくないわ」という人が多くないですか。

三浦 そうですね。

石破 うちの娘たちも「間違ってもやりたくない」と言っています。見ていれば、絶対やるもんじゃないとわかっているでしょう。私だって親を見ていてやりたいとは思いませんでしたもの。それでも女性には積極的に参画してもらわなければなりません。

三浦 日本のママチャリ族の研究をしているアメリカの学者がいます。ママチャリ族というのは、自転車で行ける範囲内の生活圏で暮らしている主婦たちのことです。研究によれば、彼女たちは関心もその範囲内に留まっているのが特徴的だと。日本の主婦はなぜ政治や社会に関心がないのかという問題提起ですが、その背景には社会との結び付きが限られていることがあります。政治がそのような人々に訴えようとする時に、民度を低く見て発信するのか、あるいは基準を高く持つべきか。私はやはり、昨今出ている自民党の広報マンガのように民度を下げるような方向で社会に関心を持ってもらおうという発想はどうかと思います。

国民主権の根本

石破 今回の参院選から投票権が18歳に引き下げられました。先日、タレントの藤田ニコルさんが私のところへやってきたんですよ。「18歳選挙権って何ですか。ニコルにわかるように教えてちょうだい」というテレビ番組の企画です。それでまず、「主権者って何だろう?」ということを考えてもらいました。主権者は、少なくとも投票する時だけは、「自分が総理大臣になったらどうするか」を考えてもらわなければなりません。いろいろな政党の候補者の主張を聞いて、どれが本当だろうか、自分だったらどうするか、と考えて投票するのが本当の主権者だよ、という話をしました。「税金は安くします」「福祉も医療もタダ」「年金もいっぱい出します」という、できもしない主張に一票なんか入れちゃいけないよ、と言ったら、「わかった!」と言ってくれました(笑)。

 つまり、女性、男性を問わず、若い時から国民主権の根本をきちんと教えないといけない、ということだと思うんです。

 例えばドイツには2011年まで徴兵制がありましたよね。「徴兵制こそ究極のシビリアンコントロール(文民統制)だ」という言葉があります。私は防衛庁長官をやめてから防衛大臣になるまでの間、関心があって何度かドイツに行きました。キリスト教民主同盟であろうが緑の党であろうが、「徴兵制は必要だ」と言うわけです。理由を聞いたら「ナチスをつくらないためだ」と言っていたのがものすごく印象的でした。「軍人は制服を着た市民である」という概念を持つことが彼らにとっては一番大事なんだと。市民も実際に軍隊に入ってみて、良いところも悪いところも共有する。

 ちょっとやり過ぎかなとは思うんだけど、ドイツ軍には労働組合があるし、抗命権つまり「こんな命令には従えません!」といった権利もあります。それから文民統制の主体は、政府ではなくて議会ですね。だから、国防委員会には毎日、「上官からいじめに遭いました」とか「不当な差別に遭いました」といった抗議が山のように来るんですね。面倒ですが、文民統制というのはそういうことだろうと。日本では、「徴兵制=いつか来た道」というイメージしかないですけどね。

 それから西ドイツでは、当初自衛権について明文化されなかった一方、集団安全保障制度の加入は認めていました。いわば、個別的自衛権よりも集団的自衛権の行使を先に容認したとも言えるのではないでしょうか。日本でなされている議論とはある意味、真逆と言ってもいいですよね。

 私は言葉の定義をきちんとしないままで行われる議論は、ものすごく危ないと思っています。「集団的自衛権」にしても「専守防衛」にしても、それが正しく定義されているか明確にした上で議論しなければなりません。

 私のところにも、「9条の会」の方々が来られます。「憲法9条を変えるなどとは実にけしからん」とおっしゃるのですが、「そうですか。ところで憲法9条をここで暗唱してくださいませんか」と言うと、できる方はほとんどおられません。

三浦 そうですか。

石破 さらに「皆さんは米軍基地をどう思いますか」と聞くと、「撤退に決まっている」と言われます。しかし「日本は安保条約上の義務として米軍を置いているので、これについて良いとか悪いとか言う権利を持っていません。米軍を撤退させたいのであれば、集団的自衛権を認め、互いに守り合う権利義務に変えて、基地は要らないという交渉をすべきです」と言うと、「うるさ~い!」とか言われちゃって議論はたいてい終わります。

三浦 そこは、「うるさい」なんですか。

石破 ロジカルな話は進まないんです。

三浦 それは、右にも左にも両極に存在している孤立主義ですよね。戦前の日本が歩んだのと同じような道です。

 ちなみにお話のあったドイツでは、今日の国民が思っているよりもずっとナチスは軍も統制できていなかった。軍はむしろ当時のドイツでは理性的なほうだったんです。独裁を続けたいヒトラーにとっても軍は怖い存在だった。だからこそ徹底的に押さえつけ、軍から権力を奪ったという歴史を、戦後に都合よく無視しているところがありますね。軍ではなく自分たち大衆がナチスやヒトラーを生み出したことから眼を背けたいがために、軍に市民が介入し続けないと危険だ、という発想に立ったのでしょう。負担と責任の所在を一致させる、民主主義の基本の「キ」に戻って、徴兵制のあり方や良心的兵役拒否を考えてきたのだろうと思います。

 日本の場合は、徴兵した時も第二次大戦の最後の2年間ぐらいしか、みんなが行ったという経験はないですよね。血税という表現につられて、兵舎では生き血を絞られるという噂が出回ったりして、軍はあまりリアリティのある存在ではなかった。やはりここには、自分たちはお上からはちょっと離れていたい、お上はお上として勝手に支配していてほしいという日本人の意識が影響していると思うんです。

日米同盟が揺らぐ可能性について正面から議論すべき

三浦 石破さんは「義務」という言葉を共和主義者──もちろん天皇制を否定するという意味ではなく自立した市民の権利義務を重視する立場──としておっしゃっているのだと思うんです。ただし共和主義的な何かというのは、安定した統治を望む時には意味がありますが、何かを変えたい時にはもうちょっとポピュリズムも必要ではないかと思うんですが、どうでしょうか。

石破 私には過度にポピュリズム忌避症のところがあるんですよ。

三浦 嫌いなんですね。

石破 そうですね。ポピュリズムは右であれ、左であれ、必ず国を誤ると思っています。私は「この程度の国民には、この程度の政治家」という言葉が大嫌いです。国民に「政治を信じていますか?」と聞けば、信じている人は100人に1人もいないはずです。信じている人は政党関係者に決まっています(笑)。

 では、政党や政治家は国民を信じているのかと言えば、「これを言ったってどうせわからない、反対される」と思って語っていないことがたくさんあるのではないか。やはり私は政治には語る義務があり、それを放棄してはいけないのだと思っています。

 話が戻りますが、日本は学徒出陣まで大学生は戦場に行きませんでした。アメリカでは12月8日の真珠湾攻撃の直後、ケネディもジョンソンもレーガンも軍に志願しています。いい家の子であるとか、大学生であるとかいうことは関係なかった。対して、日本の大学生は、同じ年の若者が戦場に送られていても、少なくとも進んで行こうとする人は多くはなかったのではないか。そして、結果として学徒出陣で訓練も未熟なまま第一線に送り込まれて大勢が亡くなった。この事実に対して、我々はもう一度向き合うべきではないかと思います。徴兵制といいながらも、総力戦に赴く国民の間に明らかな差があったのではないか。この事実をどう考えるべきなのか。

 現代はグローバリズムが進展していて、アメリカにかつてのようなスーパーパワーがなくなろうとしています。そして、日米安保条約をよく読むと、アメリカはいつ日本から米軍を引き上げて出ていってもいいと書いてあるんです。

三浦 安保法制で参議院の審議に移った時に初めて、中国の脅威ということを政権が言うようになりました。ところが、衆議院の議論ではもちろんのこと、参議院でもアメリカが撤退するかもしれないという問題提起はなされませんでした。日米同盟が揺らぐ可能性について正面から議論しないのは、なぜなのでしょうか。実際にトランプが共和党の大統領候補に選出されたことを見れば、本当に根拠のある不安のはずですが。

石破 議論の根拠として、日米安保条約の条文をきちんと読んでいないからではないでしょうか。仮に本当に在日米軍が日本から撤退するとなれば、ある日突然慌てふためくことになるのでしょう。そうならないためには、日米同盟は合衆国にとっても大きなプラスがあるということを日本側からも常にきちんと説く必要があるし、むしろ思いやり予算のようなものを払って傭兵化するような現状は是正すべきではないでしょうか。

 仮に思いやり予算を削減して自衛隊を強化するとしたら何が持てるか。例えば私は自衛隊の輸送などロジスティックスの能力は足りていないと思っています。もちろん思いやり予算を全てやめろということではありませんが、日米同盟のバランスの上で何が真に有効かは常に考え、見直していくべきではないでしょうか。

 最初に防衛庁長官になった時に、「日本にはなぜ海兵隊がないんですか」と庁内で問いかけたことがありました。そのときは誰も明確には答えてくれませんでしたが、答えは簡単です。それはアメリカが担っていたからです。

 「島嶼部や領土を守り、海外での危難に遭遇した自国民を保護するのが海兵隊の任務であって、全部それをアメリカに任せているのはおかしくないか」と言っても、当時はとりあってもらえませんでした。今ようやく陸自に水陸機動団が編成されようとしていて、昔よりは議論が進みましたが、右も左も深くは考えずアメリカ頼みになっているところはあまり変わっていない気がします。

 中国の脅威についてもバランスを取って考える必要があります。中国は14の国と国境を接しているわけですから、日本と真剣にことを構える余裕があるとは思えません。しかし一方で、全面的な戦争には至らない規模の領土紛争を、国内の不平不満を払拭する手だてとして使う方向に傾くことは十分にあり得ます。

 私はむしろ北朝鮮の体制が崩壊した時のリスクをよく考えるべきだと思います。中韓との関係、核のリスク、難民など、備えるべき事態は複合的です。

三浦 私は外からしか自民党を見ていませんが、昔に遡ると決して自衛隊に対して優しくはなかったですよね。ここには、傲慢なまでのシビリアンコントロールの解釈の間違いがあるんですね。

石破 背広組による文官統制というものも容認してきました。

三浦 社会党があまりに非現実的なことを言うものだから、国会にきちんとしたシビリアンコントロールの能力が育たなかった。そうであるがゆえに、政府自民党がなぜか好きなように自衛隊に接していた。

 政治的に都合の悪い事実は、自衛隊員に言ってほしくないということもあって、週刊誌で有事法制の整備を促すなどの主張を展開した栗栖弘臣(統合幕僚会議議長)さんを更迭するなど、裏切りを重ねてきたわけです。最近でも、日本政府が中国の脅威をきちんと公にしていないという自衛隊の元空将の方が書いた記事が『JBプレス』に載りました。彼の指摘は正しいものと言えますが、現役が情報を退役した人に流す状況が行き過ぎると、シビリアンコントロール上問題があります。

 やはり「シビリアンコントロールについては自民党が一番わかっている」と開き直るよりも、野党も招き入れた形でもう少し情報を出しておかなければならないのではないか。政府が抱え込んだほうが確かに情報秘匿の観点からは安全ですが、政治と軍事の関係が不健全になっている気がします。

石破 その通りだと思います。日本では制服組が国会で答弁をしません。民主主義国家としては非常におかしなことですが、当の制服組も「我々自衛官は上手な言い回しができないから、政府に迷惑が掛かる」と考えている。

三浦 本当のことを言うと大変なことになる。

石破 しかし、民意を国会が反映している以上、制服組が国会で答弁しない国にきちんとしたシビリアンコントロールがあるとは言えないと思います。

安全保障の要とは?

石破 私は政治家が自衛隊を指揮するためは、根拠法令、関連条約、装備、運用のすべてを知らなければならないと思っています。国家の最大の実力組織を使うということが、どれほど重大な責任を伴うことなのかをよく知っていなければならないからです。

 シビリアンコントロールというのは、有権者に対して責任を負い得るという一点においてのみ、政治家たる文民がその主体たり得る。でも、そうであるがゆえに政治家自身も相当の専門性を持っていなければならないと思うのです。

三浦 防衛や外交に詳しい方で、民意と向き合う能力を持っている人が少ないと私は思います。気になるのは、アメリカとあまりにべったりで来ると、軍事や外交に詳しいことがすなわち、アメリカのプロと取引ができるという意味になってしまう。しかも、アメリカのプロと言っても単なるシンクタンクの研究員だったりするんですよね。日本はしょせんイギリスじゃないですから、大して機密もシェアしてくれない。そのようなある意味下っ端とやりとりをすることに長けていても国民はついてこない。

石破 そうでしょうね。

三浦 私はやはりリーダーには、在日米軍が日本から撤退する可能性についてきちんと語って欲しいと思います。普通に利己的に考えたら、アメリカはしばらくすると日本を防衛する必要性を感じなくなるかもしれません。そのことを正面から語っていただきたいと私は考えています。

石破 今の日米安全保障体制にすがりつきたい人たちはたくさんいるでしょう。けれども、アメリカにすがっていれば常に助けてくれるというわけではありません。

 安全保障の要は脅威とは何であるのかを見極めることです。脅威は、能力と意図の掛け算によって決まります。そして意図は瞬時にして変わります。独裁国家においては特にそうです。だとしたら今はゼロでも、すぐに脅威に変貌する可能性があるんです。そのためにも戦力分析だけはきちんとやっておかなければなりません。我が国に何ができて何ができないか、足らざる部分をどう補うか、ということです。

 もう一つ、兵器の発達によって「時間と距離の壁」がどんどん変化しています。ミサイルが届くところには、怖くて部隊は置いておけないという考え方もあります。では、安全な遠方に配備した部隊を、高速で輸送する手段をどう考えるのか。それから集団的自衛権はいったい何を達成するためにあるのか、といったそもそもの目的を共有する必要があるとも思っています。

 どうも論点がずれてしまって、「アメリカと一緒に世界の果てまで行って戦争する気か?」という、至極的外れな話になってしまっている。

三浦 世界の果てと言ってもいろいろありますよね。

石破 19世紀のイギリスの首相パーマストンは「我が英国にとって永遠の同盟もなければ、永遠の敵もない。あるのはただ一つ、永遠の英国の国益のみ」と言っていますが、まったくその通りだと思います。

 日本の国益に重要な影響を及ぼす関係がなければ、たとえ隣であっても脅威ではありませんし、それがあるのであれば、地球の裏側であってもそれは脅威です。

 自民党はこうしたことを本当はもっと丁寧に語りたいと思っています。しかしそれには、丁寧に語っても選挙に落ちないだけのサポートが必要です。私の選挙区には自衛隊の地方協力本部はありますが、いわゆる部隊は一つもありませんから、自衛隊員はほとんどいません。安全保障について語っても、票にもならないし金にもならない。

 けれども、外交や安全保障は地方の首長にはできないことです。やはり、国会議員がきちんと語らなければなりません。(終)

石破 茂・衆議院議員
いしば しげる:1957年鳥取県生まれ。慶應義塾大学法学部卒、三井銀行入行。86年衆議院議員初当選(以降10期連続当選)、防衛庁長官(第2次小泉内閣)、防衛大臣(福田内閣)、農林水産大臣(麻生内閣)、内閣府特命担当大臣(地方創生)、自民党政務調査会長、同幹事長などを歴任。
三浦 瑠麗・国際政治学者
みうら るり:1980年神奈川県生まれ。東京大学農学部卒、同法学政治学研究科修了(法学博士)。現在は東京大学政策ビジョン研究センター講師。株式会社山猫総合研究所代表。専門は国際政治学。著書に『日本に絶望している人のための政治入門』『シビリアンの戦争』など。
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