ドイツ・オランダに見る右翼ポピュリズム政党が躍進する社会の背景【板橋拓己】【作内由子】

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『公研』2025年10月号「対話」

世界各地で右翼ポピュリズム政党が躍進している。
ドイツ・オランダを事例を参考に、その背景を探る。

東京大学大学院法学政治学研究科教授
板橋拓己(画像左)

獨協大学法学部教授
作内由子(画像右)


いたばしたくみ:1978年栃木県出身。北海道大学大学院法学研究科博士後期課程修了。博士(法学)。専門はドイツ政治史。同大学法学研究科附属高等法政教育研究センター助教、成蹊大学法学部助教、同准教授、同教授を経て2022年4月より現職。 著書に『分断の克服 1989-1990』『アデナウアー』『黒いヨーロッパ』など。


さくうちゆうこ:1983年東京都生まれ。東京大学大学院 法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。専門はオランダの政党政治。千葉大学法政経学部助教、獨協大学法学部総合政策学科専任講師、同准教授など経て2025年より現職。共著に『民主主義の比較政治学』『アウトサイダー・ポリティクス──ポピュリズム時代の民主主義』など。


 

ポピュリズムは長期的な政治史・思想史の中で捉えることが大事

 作内 本日は「ドイツ・オランダに見る右翼ポピュリズム政党が躍進する社会の背景」といったテーマでお話ししていきます。板橋さんには長年お世話になって研究会でもずっとご一緒しておりますが、現代ヨーロッパについてじっくりお話しする機会はあまりなかったので、今日は楽しみにしてきました。

 最初に簡単に自己紹介させていただきます。私はヨーロッパの政治史を専門にしています。特にオランダの政党政治に関心があって、19世紀半ばの議会制が始まった時期から、現代に至るまで歴史的に勉強してきました。オランダ政治には政党の数がとにかく多いという特徴があります。それからイデオロギーや政党間の主張の幅がとても広いんです。つまり考え方のまったく違う政党が一つの国のなかに乱立しているわけですね。ですから議会制を成り立たせるために各政党がお互いに同じ議会のメンバーであり、その一部であることを受け入れて合意形成する必要があります。オランダは、政党間の意見の違いが大きいにもかかわらず議会制の維持に成功してきました。

 私の専らの関心は、政党が合意しても良いと思えるような状態はどうしたら成立するのかという点にあります。最近ではマクロ経済政策や政治運動にも関心を広げていますが、一番の根っこの部分はそこにあります。

 板橋 私はドイツ政治を専門に歴史研究をしてきましたが、2015年の難民危機あたりから現代政治を解説するような仕事が増えてきました。今日のテーマである右翼ポピュリズム政党についても関心はあったのですが、自分の専門外と思っていたところ、2017年にヤン=ヴェルナー・ミュラー(プリンストン大学教授)の『ポピュリズムとは何か』を翻訳したことをきっかけに、こうした機会に呼ばれることも増えていきました。

 ポピュリズムはスナップショットで見ることも重要ですが、長期的な政治史・思想史の中で捉えるのも大事だと思っています。それならば、歴史研究者にも物申せることはあるだろうと考えて、積極的に発言するようになりました。ドイツの右翼ポピュリズム政党と言えば「ドイツのための選択肢」(AfD)ですが、このAfDが日本の参政党とつながりがあるばかりに、最近はこの話題で話を聞かれることが多くなりました。

 作内さんが専門にされているオランダは、ヨーロッパの中では中小国であるがゆえに、非常に先鋭的なかたちで政治の問題が噴き出てくる印象があります。私が2002年にドイツに留学していたとき、オランダで極右ポピュリスト的な傾向のあるピム・フォルタインという政治家が殺害された事件がありましたが、彼などはかなり先駆的な存在だったのだと思います。

 オランダは非常にリベラルなのだけれども、歴史的に右翼ポピュリズム的な政党も存在していて、最近ではヘルト・ウィルダースの自由党ですよね。この政党を「極右ポピュリズム」と呼んでいいのかどうかはわかりませんが、既成政党とは成り立ちがまったく違います。2023年の総選挙ではこの自由党が第一党になって、連立政権に参加するまでに至っています。今はその連立政権は崩壊して、10月29日に総選挙が行われることになっています。

ドイツでは極右政党は存在できない

 作内 いま自由党を「極右」と呼んでいいのかわからないという話がありましたが、まずは呼び方の問題を整理したいと思います。ヨーロッパの右翼ポピュリズム政党の話をする際には、極右とはあまり呼ばなくなりました。以前には「急進右翼政党」と呼ばれることもありましたが、今は「右翼ポピュリスト政党」が多くなっています。極右と言うと、やはりナチを連想しますよね。人種主義を唱えて、なおかつ「議会制を崩壊させよう」といった反体制的で極端な主張をしている政党を極右と呼ぶことが多いわけです。ですから、今日も基本的には「右翼ポピュリズム政党」という呼び方で統一しようと思います。

 私は急進右翼政党から、右翼ポピュリズム政党に呼び方が変わっていったことにも注目すべきだろうと思います。米ジョージア大学のカス・ミュデは、排外主義的な主張を掲げる右翼ポピュリズム政党が人々を動員していく際のやり方やレトリックには特徴があることを指摘しています。右翼ポピュリストは、自分たち人民を一枚岩の存在として想定して、外国人などをそれとは別の敵として想定するといったレトリックを使っているという共通項を見出しています。彼の主張が比較政治学の世界で広まっていき、同時にポピュリズムという言葉が一般にも使われてくるようになった印象があります。

 こうした呼び方の問題は、ドイツではさらに大事な意味を持っていますよね。今AfDを考えるにしても歴史、端的に言えばナチのことを念頭に置かなければなりません。そうすると、AfDは極右ともおそらく違うんですよね。ドイツにおいてこうした政党が出てくる過程や背景を長期的に見て、どのようなことが言えるのでしょうか。

 板橋 日本の場合は、メディアによっても違いますよね。極右を使っている新聞もあるし、右派のところもある。極右は英語の「far right」の翻訳ですよね。今ご紹介されたミュデは、「extreme right」と「radical right」に区別していて、extreme rightは自由民主主義体制それ自体を否定する勢力で、これも日本語では「極右」と呼んでいいと思います。radical rightは選挙などの民主主義の仕組みは受け入れるのだけど、マイノリティの権利のようにリベラリズムに関わる側面を否定していく勢力だと区分しています。

 この区別はドイツにはしっくりくる定義です。ナチスを生んだ経験のあるドイツではそもそも極右は違法です。ドイツの憲法にあたる基本法では「自由で民主的な基本秩序」を侵害する政党は違憲であるという規定があって、これがいわゆる「闘う民主主義」の構成要素の一つになっています。つまりドイツでは極右とみなされると違憲になりますから存在できません。実際、冷戦下の1950年代に社会主義帝国党というネオナチ政党(および共産党)が違憲として解散させられています。

 いま話題になっているAfDは、実はすでにドイツの憲法擁護庁に「極右」と認定されています。以前からAfDは憲法擁護庁の監視対象となっており、党内の過激な組織が自主的な解散を強いられたこともありました。AfDの極右認定により、ドイツではAfDの政党禁止論が盛り上がっており、例えば中道左派の社会民主党(SPD)などは前向きです。ただ、国民の2割にあたる票を得ている政党を禁止するのが適切かというのが、今の論争の状況です。

AfD台頭の背景にはユーロ危機と難民危機がある

 作内 AfDはすでに存在自体が違憲だとされているわけですね。

 板橋 しばしば「ヴァイマル共和国の教訓」と呼ばれますが、ドイツでは政治制度のなかに、ナチを生んだ反省を踏まえた仕組みが多く残っています。

 ドイツにおける初期の極右政党は、ナチとの連続性が色濃くありました。禁止された社会主義帝国党はほぼナチですし、1960年代に勢力を伸ばしたドイツ国民民主党(NPD)もネオナチです。NPDは州議会でかなりの票を得ましたが、国会では議席を得られませんでした。ドイツには5パーセント阻止条項があって、得票率5パーセントに満たない政党は議席を得られないんですね。完全比例代表制だったヴァイマル共和国の時代は、小政党が乱立して国会が混乱したので、5パーセントというヨーロッパでは高い阻止条項を設定したわけです。

 NPDは1969年の連邦議会選挙で得票率4・3パーセントと善戦しますが、それでもハードルを越すことができずに以後退場していきます。80年代にも共和党という極右政党が出てきましたが、やはり5パーセントは超えられなかった。旧ファシズム国と比較すると、ファシズムの流れをくむイタリア社会運動は1968年のイタリア総選挙で4・5パーセントをとって、こちらは制度的な歯止めがないために議席を獲得しています。

 ですから、ドイツでもネオファシズム・ネオナチ系の政党は脈々と他国並みに続いていたわけです。ただし、今のAfDはその文脈とは違ったところから出てきた政党だと私は考えています。この政党の結党は2013年で、ヨーロッパのいわゆる右翼ポピュリズム政党の一群の中ではとても若くて、半世紀以上の歴史があるフランスの国民戦線(今の国民連合)とはまったく違うわけです。

 元々AfDは反ユーロ政党として誕生しています。2010年に欧州通貨危機が起きますが、ドイツのメルケル政権はユーロ救済に奔走します。それに反発するかたちで経済学者を中心に結党されたのが「ドイツのための選択肢」です。メルケルの口癖は「ユーロ救済以外に選択肢はない」でしたから、政党名からして反メルケルの立場を鮮明にしているわけです。

 急ごしらえの政党だったので、行き場を失っていた極右あるいは右派の人たちが結党時からずいぶん入り込み、どんどん力を付けていきます。決定的だったのは、2015年の難民危機です。ここで排外主義的な主張がドイツでも受け入れられやすくなり、AfDは票を得ていきます。これがAfD台頭の大まかな歴史です。

オランダの脱「柱状化」と「政治の優越」

 作内 オランダにもネオナチ的な政党はいるにはいますが、戦後はそこまで深刻に捉えられることはありませんでした。戦時中ナチに支配されていましたから、オランダ社会はナチへの信用は極めて低い。それでもまったく出てこなかったわけではなくて、議席はちょこちょこと取れています。板橋さんの説明にもあったように、ドイツは極右政党が出現できないように制度自体を組み立てて対策しています。けれどもオランダにはそうした仕組みは一切なくて、そもそも未だに憲法の中に政党という言葉が出てこないヨーロッパではとても珍しい国です。

 今のオランダの下院は150議席、事実上全国一区の比例代表制度で選出します。ですから全体の0・67パーセントの得票率で議席を獲得できてしまう制度になっています。正統カルヴァン派の伝統的な家族観を強調する小さな党があります(SGP)。おそらく今のオランダで一番古い政党です。カルヴィニズムに基づく彼らの主張は非常に保守的なのですが、それでも根強い支持者がいて議席を得ています。カルヴィニズムとナショナリズムが結びついている政党で、イスラーム教徒はもちろん歓迎しない排外主義政党でもあります。

 小さな政党でも議席を持てるこの仕組みのもとで、オランダの右翼政党が戦後どういった過程を経っているのか簡単に振り返ってみます。1950年代には「農民ポピュリズム政党」と言える政党が出てきて、1970年代にも少し議席を取りました。けれども、その後すぐに議席が取れなくなったので勢力を伸ばすことはありませんでした。

 なぜオランダでは右翼ポピュリズム政党が大きくならなかったのでしょうか? その背景を説明するのによく使われるのが、社会の特徴である「柱状化」がそうした政党の伸長を阻んでいた、という考え方です。イデオロギー別に社会が事実上分断されていて、各部分社会を一つの柱とみなします。そうした柱の集合によって構成されているのがオランダという国で、こうした社会構造を「柱状化」と呼びます。柱にはカルヴァン派、カトリック、社会主義、自由主義の四つがあります。数え方によって増減がありますが、大体はこの4本柱です。

 例えばカトリックの柱を見ると、彼らはその部分社会のなかでずっと生きることになる。誕生するとカトリック教会で洗礼を受けて、カトリックの学校に通い、大きくなるとカトリックの新聞を読む。働くようになってからはカトリックの労働組合に入って、カトリックの合唱団やサッカークラブなどの余暇団体に所属します。病気になったらカトリックの病院に行って、亡くなる時にはカトリックのお墓に入ります。

 板橋 生まれてから亡くなるまでカトリックの柱内で完結する生活をしていたわけですね。

 作内 もちろんカトリックの政党もあって、カトリックの柱の中にいる人たちはそこに投票します。必ずしも党の主張や政策に強く共感しているわけでもなかったりするのですが、アイデンティティと投票行動が一致していました。カトリック党は与党であることが多かったのですが、野党になっていたとしても彼らはそこに投票します。そのため新しい政党が出てきて、大きく支持を広げる余地がほとんどなかったわけです。

 けれども、その後オランダ社会の柱状化は二段階で解体していくことになり、それが右翼ポピュリスト政党を登場させる余地を生むことになります。第一段階は60年代にイデオロギーによる投票が大きく減ったことがあります。教会の権威が衰えてイデオロギーに基づいて投票する人が減ります。カトリックだからカトリック党に投票するという時代ではないよね、と人々は考えるようになったわけです。カルヴァン派でも同じ状況でした。社会主義も工場労働などが減って、サービス産業が発展してくると、労働組合の団結が次第に弱くなっていきます。

 しかし、元々あったそうした様々な組織は、イデオロギーの近い他の組織と合同していくかたちで残ります。例えば、今もあるオランダ労働組合運動連合は1976年にカトリック系労組と社民系労組が合同してできた組合です。そういう意味では、人々が利益団体を通じて政治動員がなされる余地がこの時期にはまだあったとも言えます。

 これがさらに変化するのが90年代です。この第二段階のキーワードは「政治の優越」になろうかと思います。官僚制や様々な団体の影響力を削いでいって、政治による決定を優先するようになります。人々と政治との紐帯を媒介していた様々な団体の政治的な影響力は下がっていき、政党と人々との結び付きも薄れていきます。そして市民と党を媒介する役割がメディアにシフトしていきます。

 「政治の優越」はこれまで団体などが調停を引き受けていた部分を政党政治がすべて引き受けることになるので、すべてを政治で決められるという意味では歓迎すべきことなのかもしれません。

責任転嫁できる「あいつら」の存在

 板橋 揉めそうな争点でも決断しやくなる。

 作内 そうです。しかし、結局のところ何でもかんでも好きに決められるわけではありませんよね。社会には対立がありますから何らかのかたちでそれを調停しなければなりませんが、政党政治がそれを引き受けることになります。けれども政党政治がそのすべてに対応することはムリですから、処理しきれない課題が積み上がっていって、結果として政治不信が高まる。

 さらには政党政治がうまく機能しなくなると、人々の発想も変わっていきます。「私たちは今これを求めています」という言い方をするのではなくて、「あいつらのせいで私たちはこれができないのだ」というロジックに転換していくことになる。そして、責任転嫁される「あいつら」は移民だったりするわけですよね。こうして、右翼ポピュリズム政党が支持を拡大していくことになります。

 板橋 政治が複雑になるとスケープゴートを見つけて攻撃するような手段に訴え易くなりますよね。日本でも最近では外国人が増えていますから、そこに矛先が向いたりする。

 移民はとても都合がいい典型的なスケープゴートになってしまうところがあって、本当は正しくないにしても、経済的には「彼らが我々の職を奪っているのだ」と標的にされ、社会・文化的には「彼らが我々の伝統を壊しているのだ」と糾弾されてしまう。ポピュリストから見れば、いろんな問題をまとめて押しつけられる実に都合のいいスケープゴートです。

 作内 オランダには「50プラス」という高齢者政党があります。年金の受給年齢の引き上げに反対する政党ですが、ここの支持者の一部が排外を掲げる自由党支持に移っていく傾向にありました。結局、「本来受けるべき福祉を移民が奪い取っているから、私たちは福祉の恩恵に与れない。だから移民を排除するのだ」という主張に変わっていくわけです。

 自分たちの要求を何らかのかたちで調停してもらえないような状況がありとあらゆる領域にあって、その不満が自由党を筆頭とした右翼ポピュリスト政党の支持を拡大させる源泉になっている。

GAL/TAN軸

 板橋 作内さんとは最近70年代から80年代のヨーロッパの政治変容について共同研究したことがあって、その研究成果を網谷龍介先生(津田塾大学教授)の編纂で『戦後民主主義の革新 ─ 1970~80年代ヨーロッパにおける政治変容の政治史的検討』という一冊の本にまとめたことがあります。

 この共同研究は、戦後ヨーロッパはリベラルデモクラシーを築いたと言われているが、実際は戦後直後はそれほどリベラルでも民主的でもなかったのではないかという問題意識が出発点にありました。では現代の自由民主主義の起点はいったいどこにあったのだろうか、という話になり70年代に焦点を当てることになったわけです。

 今の作内さんのお話しでも、オランダでも70年代以降、「柱」が崩れていったことが現代の政党政治が始まる一つの重要なポイントになっていました。柱状化は日本人にはちょっと想像しにくいのかもしれませんが、それぞれに異なる世界観を持つ人々の集合(柱)があって、柱ごとに政党を持っていました。そうした各政党が妥協を通じて政治を運営していたのが、「多極共存型民主政」と呼ばれる、戦後ヨーロッパの合意の政治の一つのかたちでした。

 有権者のアイデンティティに応じて政党が分かれているが、各政党が市場経済とリベラルデモクラシーの枠内である種コンセンサスの政治を行ってきました。そこに極右が活躍する余地はなかったのですが、70年代に入って柱状化が崩れてくると、先鋭的な政党が出てくることになる。

 オランダ以外でもスイス、オーストリア、ベルギーなどが多極共存型民主政の典型的な国ですが、これらの国々でも脱柱状化が進むとやはり右翼ポピュリズム的な傾向を持った政党が登場ないし復活してくる。スイス国民党や、オーストリアの強力な極右政党である自由党の台頭などは典型的な例です。

 「柱」の解体は、結局のところ個人主義化の進展を意味していますよね。そして既成政党でも、この個人化に対応できたところとできなかったところが分かれてくる。(西)ドイツの中道保守のキリスト教民主同盟(CDU)──いまの首相のメルツが所属する政党──は、うまく対応できた事例だと言えます。ここは一つの分岐点だったのだと思います。

 さらに重要なのは、個人主義化と並行して進んだ、70年代以降の争点の多様化です。戦後は経済的な対立軸が重視されてきましたが、この時期から経済には還元されない脱物質主義的な争点が新たに浮上してきます。アメリカの政治学者のロナルド・イングルハート(ミシガン大学教授)はこの現象を「静かなる革命」と呼びました。

 最近の政治学では、いわゆるGAL/TAN軸がよく使われるようになっていて、一般のメディアにも普及してきました。GALはGreen(環境)、Alternative(価値観の多様性)、Libertarian(自己決定)の略です。Alternativeは最初フェミニズムから始まりジェンダーなど多様な生き方を許容する立場の人たちを意味します。特に環境運動とフェミニズムの推進力は大きかったのだと思います。ドイツではそこから緑の党へ結実するような動きが出てきます。

 当然それに対する反動も出てきます。それがTAN軸でTraditional(伝統主義)、Authoritarian(権威主義)、Nationalist(国民主義ないし民族主義)です。伝統的な社会を強調し、権威的な価値をもう一度掲げ、国民の価値も強調するというイメージです。のちにイングルハートは、「右翼ポピュリズムは文化的バックラッシュだ」という言い方もしています。つまり70年代以降に進んだ文化や価値観の変容に対する反動として、右翼ポピュリズムが伸びているというわけです。

 作内 右翼ポピュリズムが吹き出したのは、GAL的な価値観の反動でもあると。

 板橋 さらに言えば、冷戦の終焉が欧州各国の内政にも影響を与えたことは間違いありません。ドイツは何と言っても東西に分かれていた国が統一されましたから、大きなインパクトがありました。そして、後段でお話しするように、旧東ドイツの地域でAfDが根付いている。

 イタリアの場合は、共産主義と戦うという保守政党のレゾンデートルの一つが消え失せたことで、政党システム自体が壊れてしまうことになった。そうした中で、行き場を失った保守が移民・難民といった争点に目を付けるようになった側面もあります。

 中・東欧は民主化していきますが、しっかりした組織をもつ政党がなかなか根付かない中で、オルバーン首相のハンガリーの「フィデス」あるいはポーランドの「法と公正」のような右翼ポピュリズム政党が一方で出てきます。

 作内 こうして見ていくと冷戦の終焉はやはりインパクトがあったことがわかりますね。

EUは「人民の敵」?

 板橋 それから決定的なのがEUの存在ですよね。ここは日本と比較して大きく違う点です。ポピュリストは国際機関やグローバル・エリートを「人民の敵」として攻撃しますが、ヨーロッパではブリュッセルのEU官僚が格好の標的となります。ポピュリズムは常に「われら人民」とは異なる外部の敵を必要としますが、EUはとてもわかりやすい敵として存在しているわけです。実際にEUは加盟国の主権を制限する強い権力体ですので、何でもかんでもEUで決められていくことには我慢がならない、「あいつらがダメだ」というレトリックをとることができる。ドイツでも、おそらくオランダでもそうだと思います。

 作内 ありますね。その点ではオランダのほうが影響は大きいのかもしれません。最近一番、問題になっているのは農業です。オランダは農業のとても盛んな国で、金額ベースではアメリカに次ぐ世界第2位の農産品輸出国です。いろいろな農業が盛んですが、畜産は特に大きな産業に成長しています。

 畜産が問題になっているのは、飼育している牛や豚たちの糞尿やゲップによって温室効果ガスである窒素酸化物を排出することです。EUはこの排出量を制限しなければならないと言っているので、畜産業の人たちと鋭く対立している。

 板橋 ドイツでも一昨年あたりから農業従事者がトラクターを繰り出して道路を封鎖する、EUないし政府の環境規制に抗議するデモが起きています。

 作内 オランダは日本と対照的ですけれども、農業の規模の拡大と合理化をずっと進めてきましたから、一つの農場で大量の牛や豚を抱えているんですね。その分たくさんの窒素酸化物が排出されています。それを今度はEUの基準に合わせるために、飼っている家畜の数を減らしましょうという話になるわけです。国策に従って無理やり増やさされてきたところに、今度は減らすことを求められている。それに対する補償も十分でなければ、畜産農家は当然強く不満を持つことになります。

 こうした背景から「農民市民運動」という新しい政党が出てきました。この政党はEUに対して懐疑的な立場を取っています。ただしEUから離脱すべきだという立場ではありません。畜産業者からすれば、EUから恩恵を得ていますから立ち位置は微妙なところがあります。

 農民市民運動に投票するような層は、ポピュリスト政党にもある程度つながりやすい傾向があります。先ほどの「高齢者の党」のケースと同じように、他の何かに責任を転嫁するほうに向かうわけです。

 オランダでは農業自体が社会のなかで広く浸透しているので、利益が拡散してしまっています。さらに拡大したい農家もいれば、それは限界だから有機農業や観光農業で食べていくべきだと考えている人もいます。なので今は、農民という一つの括りで何か共通の主張をするということ自体がほとんど不可能になっていて、曖昧なことしか言えなくなっている。そうすると何かが実現できるわけもないので、敵をつくって攻撃するという方向に行きやすくなるのだと思います。

 EUの温室効果ガス規制は、オランダ社会の至るところに影響を与えています。いま住宅が本当に足りていないことが大きな問題になっていますが、不足している一つの理由がEUの温室効果ガスの規制でした。この制限があるために住宅建設が滞っていたので、それもまたEU懐疑主義に結び付く。もちろん、移民が入ってくるために自分たちの住宅が不足しているという話にもなる。住宅不足はまさに他責的になりやすい課題ですから、右翼ポピュリズム政党が伸長する要素の一つになっているのだと思います。

 板橋 EUの存在がポピュリズムに影響を与えているという点で、もう一つ付け加えておきたいのは、EUが文化的なことにも口出しするようになったことですね。たとえば、近年ヨーロッパでの生活が大きく変わったことの一つに、EUの規制で公共施設や飲食店の中ではタバコが吸えなくなったことが挙げられます。外ではプカプカ吸っていますけどね。昔は大学では教授も教室でタバコを吸っていたりしましたが、今は教室でもレストランでもタバコを吸うのは厳禁です。

 つまりEUは強固な政治体になるにつれて、文化的な面にも口出しするようになってきた。私は「おせっかいなEU」と表現していますが、いまやEUは各国の歴史認識など、いろいろな点に口出しをするようになっているので、それに対する反発が高まっています。今では欧州議会選挙をやるたびに、逆に欧州懐疑主義政党が伸びるきっかけになるという皮肉な状況になっている。

旧東ドイツのコミュニティに根ざすAfD

 作内 先ほど「ドイツのための選択肢」は旧東ドイツで支持を拡大しているというお話がありましたが、その理由には何があるのでしょうか?

 板橋 AfDは今年2月の連邦議会選挙ではドイツ全体で20・8パーセントの得票率でしたが、旧東ドイツ地域では32パーセントです。旧西でも18パーセントぐらい取っていますから、西でもずいぶん支持を拡大しているのですが。24年には旧東で三つの州議会選挙がありましたが、そのうちチューリンゲン州では第一党になり、他の二つの州でも第二党になっています。

 1990年に東西ドイツが統一して35年経つわけですが、なぜ旧東ドイツ地域でAfDが強いのか。いろいろな説明がされていますが、依然として東西間の格差があることが大きいです。失業率や実質的な賃金などはずいぶん差が縮まったのですが、ステータスをめぐる格差は未だに大きいのが現状です。ドイツの大企業やエリートが就くような仕事には東の出身者が少なくて、西側出身の人ばかりになっている。本社の所在地を見てもだいたい旧西側に集中しています。そもそも旧東は労働者が多い社会主義国でしたから、資産の保有にもかなり格差があります。

 びっくりする数字としては、統一後30年に国が採ったアンケートによれば、旧東地域の住民の半数以上が自分たちを「二級市民」だと感じているという結果が出ています。AfDはこうした劣等感を煽り、利用することに成功しています。彼らの多くは西側出身なのですが。

 その背景には、旧東ドイツでは既成政党の怠慢もあり、政党政治がなかなか根付かなかったことがあります。もともと東ドイツ(ドイツ民主共和国)は社会主義統一党の独裁で、その後継政党として民主社会党(PDS)がありました。統一後しばらくはこの政党が旧東の代弁者でしたが、なかなかうまくいきませんでした。他方、もともと西側の政党であるキリスト教民主同盟や社会民主党は、東で組織化することをサボってきた。

 そうした中で、旧東側に浸透を図ったのが「ドイツのための選択肢」に連なっていく極右でした。いまや旧東の地方部では、事務所を構えている政党がAfDだけという町も多くなっているそうです。つまり地域社会をケアしてくれる政党としてAfDは存在感を増しているのです。そこはかなり自覚的にやっていて、地域の催しに出席するようなこまめな活動を怠らない。それからドイツの地域社会で重要な組織に消防団があります。日本の消防団と似ていますが、ドイツの組織率は日本の倍以上あり、青年部はとても充実しています。AfDはここにも浸透を図っています。また、ドイツのPTAにあたる「父母会」組織にもAfDは積極的に関わろうとしているようです。

 このようにAfDはすでに旧東ドイツ社会に根差し始めており、これからCDUやSPDが挽回していくことはかなり難しいのではないか。もちろん頑張らねばなりませんが、もう手遅れなのではないかと思わせるところがあります。AfDへの支持は今後も増減はするのでしょうが、岩盤の支持層を旧東で得てしまっている。根付き方という点では、おそらくポーランドやハンガリーでの右翼ポピュリズム政党と同等か、あるいはより深いかもしれない。

 作内 AfDは地域をケアする人材をどうやってリクルートしてくるのですか?

 板橋 このあたりの正確なデータや調査はとても少ないです。ただ、政治家レベルだと圧倒的に西出身の男性が多いのですが、草の根でAfDを支えているのは、年配の人が多いのではないかと思います。旧東では政治活動をやっている人たちが既成政党に所属していないことが多く、そういう中からAfD支持が拡大していきました。中には1989年の平和革命で頑張った人たちもいます。最近観たドキュンタリーでは、年配の男性が「自分は平和革命では街頭に出て政治活動をしていたが、既成政党にはもう期待できない。だからAfDの支部で頑張っている」と話していました。89年に街頭に出た人たちがAfD支持者となるのは多くはないとは思いますが、そういう人たちもいるということです。

 もう一つ、旧東ドイツは街頭で政治的なメッセージを発することを好む人たちが多いという特徴があります。代議制民主主義に対する不信があるときには、街頭に出て訴えるわけです。

 旧東ドイツのドレスデンから生まれた反イスラーム系移民・難民の社会運動として、ペギーダ(「西洋のイスラーム化に反対する愛国的ヨーロッパ人」の略称)という団体があります。彼らは「月曜散歩」として月曜日に街頭でデモをするのですが、これは89年の市民革命時に行われていたことの模倣ですね。

右翼ポピュリズム政党の支持者が孤独な人たちとは限らない?

 作内 最近の関心で言えば、旧東の若者へのSNSの影響はどうでしょうか?西に比べて強いのでしょうか?

 板橋 西に比べて強いかはわかりませんが、旧東の地方部は娯楽が少ないのでスマホばかり見ている若者やもう若者とは呼べないような人たちがたくさんいます。ドイツだと若者に一番影響力があるのはTikTokなんですよね。実は前回の選挙では東ドイツの社会主義統一党の後継政党である左翼党にも票が集まったのですが、これもSNSの影響が非常に大きかったと考えられています。

 作内 SNSは都合のいい部分しか見せないという問題が指摘されていますよね。見る側のほうとしても、そこにのめり込んでしまう要素があるのですかね。

 板橋 そうですね。私もAfDのTikTokばかり見てしまいます(笑)。

 作内 娯楽の少なさもあって、見続けてしまうと。聞いていて、とても興味深いと思ったのが地元の消防団やPTAなどにも入り込んでいるというお話です。

 よく言及されていますが、市民社会や人との繋がり、関わりがあると、右翼ポピュリズム政党には投票しにくいという説があります。つまり排外的な政党に入れるのは、社会から孤立している層ではないかという見方ですね。ヨーロッパの研究だと、そうした傾向が見られることが多いという話でした。一方でアメリカの研究だと、むしろそうした地域での活動に積極的に関わっている人たちのほうがトランプに投票しているという研究もあります。

 旧東ドイツにおけるAfDは、孤独な人たちに支持を広げているというより、社会との繋がりが濃い人たちのほうがAfDに投票しているのかもしれませんね。アメリカ型に近い印象を受けました。

村に一軒しかないパン屋がAfD支持者

 板橋 ここは政治学的にも重要な論点ですよね。戦前のドイツでなぜ人びとはナチを支持するようになったのかというテーマについては、今に至るまで長く議論が続いています。ドイツの社会心理学者エーリヒ・フロムの『自由からの逃走』が代表的な古典ですが、伝統的な社会が解体して個人主義化が進む中、「孤独な人たちがナチに走った」という言説はずっと前からありました。その一方で、シェリ・バーマン(米コロンビア大教授)のような政治学者は、活発な市民社会、濃密な各種組織・団体のネットワークこそが、ナチの急速な拡大を可能にしたと論じています。このようにナチについても2つの説があるわけですが、今の社会を見ていると、おそらくその両方なのだろうと私は考えるようになっています。

 この点で、社会学者の森千香子さん(同志社大学教授)が『世界』2024年9月号に寄稿された「『まともな人間の証』を求めて──フランス、農村の極右支持を読む」はとても勉強になりました。フランスの農村部の若者は国民連合(かつての国民戦線)支持者が多いのですが、トマ・ピケティたちは農村の人びとの孤独からそれを説明します。けれども、最新の研究によれば、農村における「つながり」や相互扶助のネットワークの強さが重要で、そこで極右への支持が「人間関係の潤滑油」として機能しているようです。一部の農村では、国民連合支持が「まともな人間の証」にすらなっていると。

 旧東ドイツでも似たようなことが起きています。ちょうどドイツの社会学者シュテッフェン・マウ(フンボルト大学教授)の『統一後のドイツ』の日本語訳が出版されたばかりですが、この本では旧東ドイツのコミュニティの中には、もうフェイストゥフェイスでAfDを批判すらできない地域が出てきていることが紹介されています。例えば、村に一軒しかないパン屋の主人がAfDの支持者だったりする社会だと、AfDに反対する声を上げることはとても難しくなってしまう。ライプツィヒのような大都市なら可能でも、地方だと反AfDは自分の人間関係すべてを壊しかねない。いろいろな地域で同じようなことが起きているのではないかな。

 人とのつながりこそが右翼ポピュリズムの票田になっているケースと、孤独な人が、例えばTikTokの世界にのめり込んでアルゴリズムでどんどんAfDの動画を供給されて支持者になってしまうようなケースと、おそらくその両方があるのだと思います。

 作内 民主主義のある種の場所の取り合いが起きているのかもしれません。党が主張に一貫性がないとか、事実無根のことを言っているといったマイナス要素より、どれだけコミュニティで汗をかいているのか、あるいはその場の空気のほうが、投票行動にとって重要な意味を持っている。

 板橋 そうなんですよね。「それは間違っています」とこまめに訂正していくことは大切なのですが、それが気楽にできない社会がすでに登場しています。そういう意味ではとても難しくなってきた。

太陽光パネルが故郷の美しい景観を損ねている

 作内 先ほどGAL/TAN軸という文化的な左右軸の話をしましたが、東京大学の中井遼さんがよく指摘されている通り、必ずしもそう単純に分かれているわけではありません。入れ子のようになっている側面もあるし、実際はもっと複雑です。オランダの右翼ポピュリスト政党の場合だと、もちろん反移民・反難民という点ではある程度は共通しています。ただ自己決定という点でいくと、例えばジェンダーについては他の国の右翼ポピュリスト政党と比べてかなりリベラル寄りだったりします。AfDもいわゆるTAN政党なのですか?

 板橋 難しいところですね。彼らのスローガンに「父、母、子ども」というものがあり、基本的には伝統的な家族観を打ち出しています。その一方で、共同党首で前回の選挙で首相候補だったアリス・ヴァイデルは同性愛者で、スリランカ出身の女性と事実婚関係にあります。

 AfDがジェンダー争点をもち出すときは、とても恣意的です。伝統的な家族観を掲げる一方で、イスラームを排撃したいときは、「女性や同性愛者の人権を侵害するイスラームは、西洋の民主主義や自由に適合しない、だから出ていけ」といった論法となるわけです。他の西欧諸国の右翼ポピュリズムにも見られますが、リベラリズムを反イスラームの論拠として利用する。このようにAfDは、ジェンダーに関しては二通りの使い方をしています。

 作内 環境についてはどうでしょうか?今の文化軸で言えば、左の争点になっていますが、実は昔は、環境争点は保守派の争点だったこともあります。ですから、環境争点は時代に拘束されていて、必ずしも立場が定まった問題ではないわけです。AfDのスタンスはいかがですか?

 板橋 環境争点は、ある意味でAfDという政党の根幹にあるのではないかと考えています。やはりドイツでは緑の党の存在がとても大きいわけです。ドイツの緑の党は国政与党の経験が複数回あり、ヨーロッパにある環境政党の中ではおそらく最強ですよね。こうしたなか、AfDは2016年に原則綱領というものを定めているのですが、すでにこの時点で反「環境保護政策」を打ち出しており、この点では現在まで一貫しています。AfDはつねにメルケルと緑の党を攻撃してきたわけですが、今はメルケルがいなくなりましたから、緑の党に矛先が向いています。特にSNSではとにかく緑の党を罵倒する。

 右翼ポピュリズム政党にとって、気候変動問題それ自体を否定することが一つの売りになっていますよね。AfDにも、そもそも気候変動などないという完全否定派から、気候変動は人為的なものではない、あるいは人為的な対応ではどうにもならないといった議論まで、さまざまな気候変動否定論があります。ドイツでは環境問題が争点になりやすいがゆえに、AfDもこうした議論を展開する。

 作内 夏の参院選で躍進した参政党の党員の方が、郷土の豊かな自然を守るためにジャンボタニシを稲作に用いることを提案していました。ジャンボタニシは外来種で日本固有の生態系を破壊する存在ですから、言っていることはかなりおかしいわけです。ただ、郷土の自然を守りたいという意識があることはわかります。AfDにも郷土愛的な側面があるのでしょうか?

 板橋 AfDのTikTok動画を見ていると、風力発電や太陽光発電は故郷の景観を破壊する存在だと強く批判しています。「我が祖国、我が故郷(ハイマート)」の美しい景色を台なしにしていると。日本でも太陽光パネルを敷き詰めたことで、山の景観を破壊してしまったという意見はよく聞かれますよね。
 参政党の場合はスピリチュアルな要素も感じます。

 作内 ヨーロッパだとスピリチュアルな人たちは緑の党に投票しているという研究があります。

 板橋 わかりますね。ヨガとか好きな人たちは、確かに緑の党を支持している感じがします。ミュンヘン大の学生寮に半年間だけ住んでいたことがあるのですが、その寮に住むドイツ人学生のほとんどが緑の党の支持者だったこともあり、何となく雰囲気はわかります。

 ドイツの緑の党は先ほどから出ているGAL/TAN軸のGALの典型といった感があります。アメリカの文脈で言えばいわゆる「ウォーク(woke)」に近いですし、日本で言えば──この言葉は好きではありませんが──「意識高い系」でしょうか。

 作内 オランダでは「民主66」が近いですね。経済的には右ですが、文化的にはGAL側です。
 オランダに緑の党ができたのは1990年代ですからかなりヨーロッパでは遅いほうです。

 板橋 冷戦終焉で行き場をなくした共産主義者が緑に向かった感じですか?

 作内 冷戦の終わりがどのぐらい影響しているのかはよくわかりませんが、そのタイミングで70年代から運動していた人たちと、共産党が結び付いてできたのが緑の党、厳密に言うとグリーンレフトです。

 板橋 オランダの緑の党には、リバタリアン的な要素もあるのですか?

 作内 リバタリアンにはならないですね。リバタリアンは民主66に近いですね。

 板橋 民主66はドイツだと自由民主党(FDP)に近いのですかね。そこまで企業べったりではないのだろうけど。

 作内 企業のほうを向いているのは、マルク・ルッテ元首相がかつて所属していた自由民主人民党ですね。

 板橋 そこも欧州議会ではリベラル系の会派に属していますね。

 作内 彼らは保守的な人たちではありますが、一応リベラルです。リベラル・コンサバティブと表現されることが多いですね。

 板橋 こうして見ていくと、やはりGAL/TAN軸できれいに分類できるわけではないですね。それに本日は立ち入れないのですが、リベラルという言葉の意味を定義することが本当に難しくなっている。ヨーロッパとアメリカでも意味が違いますし、日本でもリベラルという言葉には独特な色が付いてしまっていますよね

連立政権の組み方と防疫線

 板橋 それでは次に連立政権の組み方について少し考えてみたいと思います。オランダでは2023年の総選挙で第一党になった右翼ポピュリズム政党の自由党が連立政権入りしましたが、すぐに離脱しています。10月末にも総選挙が行われますが、自由党が連立政権に入るか否かに大きな注目が集まることは間違いない。

 作内 オランダでは、十分機能はしていないものの右翼ポピュリズム政権との連立は避けるべきだという動きがみられました。右翼ポピュリストとの連立を避ける既成政党の動きをヨーロッパでは一般に防火壁とか防疫線と呼んでいますが、ドイツでは防疫線はできているのでしょうか?

 板橋 微妙ですね。さすがにAfDがこれだけ巨大な存在になると、無視し続けるわけにはいかない状況です。州や国政レベルでは一応は防疫線が守られていますが、先ほどお話ししたように、地方政治の現場ではAfDの存在感がどんどん大きくなっています。左翼党系のシンクタンクの報告によると、すでに旧東ドイツ地域の地方議会のレベルでは採決の際にAfDと他党の協力は少なくなくなっている。もうAfDとの協力なしでは立ち行かなくなっているところがいくつかあるわけです。

 国政レベルでも、今年の連邦議会選挙の選挙戦では防火壁が事実上崩れることがありました。当時最大野党だったキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)は保守派のフリードリヒ・メルツ(現首相)を首相候補に立てて選挙戦を戦いました。メルツは言葉が軽い政治家で、以前にもAfDとの地方レベルでの協力を提案して、非難を浴びたらすぐに引っ込めたということもありました。

 そのメルツが、連邦議会選挙の3週間前に、移民規制の厳格化を求める動議を与党との調整なしに議会に提出し、よりによってAfDの賛同を得て可決させてしまいます。メルツはAfDと協力するつもりはないと口では言うのですが、もちろんAfDは動議に賛同するわけです。そしてその2日後には今度は移民流入制限法案を議会に提出し、またもやAfDの賛同を得ます。ただ、これにはさすがにCDU/CSUからも棄権や造反票が出て、法案は否決になりました。このように、実態としては防火壁にはもはや穴が開いているわけですよね。この一連の動きに怒った人たちがドイツ各地で反対デモを起こし、ベルリンでは16万人もの人が集まっています。

 メルツは首相になってから「AfDとは距離を置く。絶対に連立しない」と言っていますが、その言葉を完全に信用するわけにはいきませんよね。むしろメルツの策動によって社会の分断がいっそう進んでしまった印象があります。

 作内 前回の選挙ではAfDは第2党に躍進しましたが、もしかして連立できるのではないかという期待を有権者は持っていたのでしょうか?

 板橋 世論調査では、AfDの支持者の多くはCDU/CSUとの連立を支持しています。共同党首のヴァイデルもメルツにはずっと秋波を送っていて、「あなたが言っていることは我々が言ってきたことです」と主張していました。実際今のメルツ政権は、移民の規制を厳格化していますが、AfDはこれを「我々の勝利」だと言っています。

 作内 メルケルが頑張っていたときは、少なくとも連邦レベルでは防火壁は機能していたと見ることができるのでしょうか?

 板橋 連邦レベルではそうですが、地方レベルではそうだとは言い切れないところがあります。2018年末にメルケルはCDUの党首を辞任し、後任にアンネグレート・クランプ=カレンバウアーという女性が、党首選でメルツを破って選出されます。次期首相として期待されたわけです。けれども、2020年に旧東独のチューリンゲン州で、同州のCDUとAfDが提携するかたちでトーマス・ケメリヒ(FDP所属)という人物が州首相に選出されるという事件が起こります。これが大騒ぎになり、クランプ=カレンバウアーは責任を取って党首を辞任せざるを得なくなります。すでにメルケル時代から地方レベルによってはCDUがAfDと協力する誘惑に勝てず、中央も統制できなかったわけですね。

 メルケルはAfDに対しては基本的に無視するという戦略でした。しかし、もはや旧東ドイツ地域ではAfDを無視することはほぼ不可能です。3割以上の議席を占めているわけですから。旧東のCDUの人たちからは「もう防火壁戦略は難しい」という声がメルケル時代から上がっていました。メルツの発言も、そういう東の現状をふまえてはいるわけです。

「イシューオーナーシップ」によって票が動く

 作内 オランダはもう2002年の段階で右翼ポピュリスト政党のピム・フォルタイン・リストが政権に入ってしまったので、早々に防疫線を厳密に維持する状況ではなくなっています。政権与党のオランダ自由民主人民党は自由党とも2010年には閣外協力をうけています。短期間ではありましたが、2023年には連立政権入りしています。むしろ緑の党や社会党などの左派政党が政権には入っていません。

 2010年には自由党が閣外協力しますが、その後にすぐに政権崩壊して、その後ルッテ政権はずっと防疫線を政権レベルでは張ってきました。これ自体はある程度は自由党を抑え込む効果はあったのだと思います。けれども結局は、ルッテの後継者であるディラン・イェシルグズ=ゼゲリウスは2023年に自由党との連立を容認するような発言をしたために、それで一気に自由党が勢いを増して第一党になった一つのきっかけを与えることになります。

 オランダには自由党以外にも、民主主義フォーラムやJA21などの右翼ポピュリスト政党があります。議席数では一番大きい自由党に注目が集まりますが、これらの他の政党を足し合わせると、数はずっと増え続けています。この辺りの党の支持者は、自由党が勢いを増すと「これは行けるかもしれない」と判断したことで票が大きく動く。それで自由党が第1党になった印象があります。

 最近の投票行動に関する議論では「イシューオーナーシップ」という考え方がよく話題になります。まず有権者が投票先を決めるに際してポイントになる争点があって、それに対して一番詳しくて上手に対応できそうな党に投票することをイシューオーナーシップと言います。

 今のオランダでは移民問題においては自由党がイシューオーナーシップを完全に握っている状況です。2023年は移民問題が争点になったので、そこで自由党がまた一気に勢いを得たわけです。AfDは草の根の支持者がいるという話がありましたが、自由党の場合はそうした組織はありません。それでも固定票があって必ず自由党に入れる人が一定数います。移民が争点であり続ける限りは、そこにかさ増しされることがあるのでしょう。

 ですから環境や農業などの別の争点がもっと重要視される状況になれば、その分野に強い政党に票が大きく動く可能性にあります。

 オランダの場合は右翼ポピュリズム的な票田は確かに存在していますが、自由党の勢いだけを見ていてもダメで、他の争点によって票が動いていくわけです。

マクロ経済的な裏付けのない財政政策をする党が議会に大量進出

 板橋 いま日本でも連立協議や妥協のあり方が話題になっていますが、オランダでは自由党が入って何か変化はあったのでしょうか。正式に連立政権に入るときには、おそらくは連立協定を結ぶことになったわけですよね。

 作内 話を自由党に限るのであれば、よくわかりません。ただ新しい政党ができて政権に入った結果、2023年総選挙後はこれまでと異なる連立協議が行われるようになっています。オランダは政党数が多いので多数派形成が難しいわけですが、それでも何とか政権を組めていたのは、オランダ独自の仕組みが機能していたからだと見ることができます。

 どういうことかと言えば、各政党は選挙の際にすごく細かい数字の入った公約をつくります。国家機関である中央計画局は、その公約を元にマクロ経済予測を出します。そうすると「あなたの党の公約を実現するとGDPはこのぐらい上がります」「失業率はこれぐらい下がります」「人々の購買力はこのぐらい上がります」といった予測を出してくれます。そのマクロ経済予測を前提にして、各党が話し合って連合を組むのかどうか決めていったわけです。

 ところが2023年の選挙では「新しい社会契約」や「農民市民運動」などの新しい党が急に議席を伸ばして、政権に入ってきた。それまでは、ほとんどの党が選挙時のマクロ経済予測に参加していたのですが、議会の過半数がそれに参加していません。そうすると、土台としてその公約を使うことができなくなっている。合意形成してもあいまいな合意しか結び得ないので、細かいところですぐに揉めることになる。それで今回の連立政権はほとんど何も実現しないままに崩壊してしまいます。ここは連立のあり方、結び方が変わった点だろうと思います。

 新しい政党がなぜこのマクロ経済予測に参加しないのかと言えば、この予測でいい数字を出すためにはかなり財政支出を切り詰める必要があるのですが、彼らはもっと財政出動したいと考えている政党なのでいい結果は出ないから参加しないわけです。ですからマクロ経済的な裏付けのない財政政策をする党が議会に大量に進出していて、しかも政権に入ってくる。その一方で既成政党はどんどん力を失っています。それをポピュリズムと呼んでいいのかどうかはわかりませんが、オランダはそういう状況にあります。

 板橋 ドイツの連立政治については綿密な連立交渉と長大な連立協定というイメージがありますが、戦後の西ドイツの初代首相であるアデナウアーの時代には、口頭あるいはアデナウアーの書簡一つで連立が組まれていました。まとまった文書としての連立協定が登場するのが1961年。その後も定着はせず、断続的です。これは、政党間である程度のコンセンサスがあったことが大きいと思います。

 それが今では各政党間にコンセンサスがなくなっていますから、連立協定は100ページ以上あります。緑の党の台頭などもあり、妥協を要する争点が多くなってきたので、連立協定をしっかりと結ぶ必要があるわけです。前のショルツ政権の連立協定は177ページ、現在のメルツ政権は144ページあります。

 作内 それでもドイツの連立交渉はまだ短いですよね。オランダやベルギーでは1年かけて協議することもよくありますからね。

 板橋 2017年選挙後の第4次メルケル政権成立時が最長で、連立交渉に約半年かかりました、今回は特急でやって2カ月です。日本では、総選挙後30日以内に特別国会を召集して首相を選出しなければならないわけですから、考えてみればこれはかなり厳しい縛りですよね。

参政党の躍進をどう考えるか?

 板橋 最後に少しだけ日本の状況についても触れておこうと思います。ヨーロッパの保守政党との比較で言えば、自民党はいろいろな波を乗り越えてきたと言えるのかもしれません。戦後の高度経済成長を支え、70年代以降の都市化や個人化にともなう社会の変容の中でも、少なくとも一党優位体制は維持した。冷戦終焉後は野党に下野したけれども、連立を組むかたちで生き延び、間口の広い保守政党として存続している。

 他方で、グローバル化の中で日本でも中間層はやせ細ってきています。これは右翼ポピュリズムの養分になり得る点で、地方自治体の選挙ではすでにその傾向は明瞭です。少し前までは、「なぜ日本では右翼ポピュリズム政党や排外主義政党の台頭がないのか」と、外国の研究者からよくきかれました。自民党自体が右翼で排外的な要素があるからだとか、移民が少ないからだとか、いろいろな答え方はあるのでしょうけど、ともかくも自民党が右翼ポピュリズムの潜在的な支持層をうまく統合できていたという面はある。けれども、それもいよいよ効かなくなってきたというのを、ここ最近の選挙は示唆しているのではないかと思います。

 作内 夏の参院選では参政党が躍進しましたが、支持者の人たちが本当に排外主義的な人なのかどうかは、まだよくわからないと感じています。

 日本保守党については、外国人を争点と考えている有権者が支持者のほとんどではないかという印象を持っています。一方の参政党は、語り口はソフトでみんなに政治への参加を呼び掛ける本も出しています。私たちは「排外主義政党」のように呼んでいるけど、投票している人たちはもしかしたらそのつもりでは投票していないのかもしれない。それこそジャンボタニシ農法にシンパシーを感じて投票した人もいるのかもしれません。

 そう考えたときに、参政党は排外主義や移民争点のイシューオーナーシップを持っている政党だと認知されて、投票されて伸びている段階にはまだ行っていない気がします。そこはヨーロッパの状況とは違いますよね。いずれにせよ、この印象があっているかは投票行動論の研究結果を待つしかありません。

 それではこれからどうなるのか。今は有権者に広く政治参加を呼びかけている党ですが、これからはリーダー中心の組織構造になるかもしれないし、AfDのように地方に根を張っていく地方で勢いを持つようになるかもしれない。このあたりは支持者の傾向や党の組織構造の変化によって定まってくるのでしょうが、まだ未知数です。だからよくわからないのが現状ですが、ヨーロッパの事例を参照することで、進んでいる方向を確認することはできるのかなと思っています。(終)

 

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