パリオリンピックで考えた日本のGDPと国力【武内宏樹】

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『公研』2024年9月号「めいん・すとりいと」

 筆者は、コロナ禍前から毎年関西学院大学で行ってきたサザンメソジスト大学(SMU)のサマープログラムを、昨年夏ようやく再開することができ、今年も6月から7月にかけて8週間ほど日本に滞在した。円安もあって日本経済の地盤沈下を嘆く声、米国大統領選挙の行方を心配する声をいたるところで耳にした。一方、昨年コロナ禍後初めて日本を訪問したときと同様、GDPに現れる日本の「経済力」と国際政治における日本の「国力」に大きなギャップがあるのを強く感じた。

 帰国するとパリオリンピックが始まり、日本がメダルラッシュに沸いたのはまだ記憶に新しい。次回2028年のオリンピックはロサンゼルスでの開催であるが、前回米国でオリンピックが行われた1996年のアトランタ大会では日本の金メダルは柔道の3個だけで(今回の金メダルは20個)、惨敗と総括すべき結果だったことを覚えている人はどのくらいいるだろうか。

 今般円安の影響が声高に語られているが、アトランタオリンピックの開会式が行われた1996年7月19日の為替レートは1ドル108円、1996年の日本の名目GDPは米国に次ぐ世界第2位の4・9兆ドル(米国は8・1兆ドル)、ちなみに中国は8600億ドルで7位であった。日本経済は1990年代初頭に「バブル崩壊」を経験し、すでに「失われた十年」へ突入していたのであるが、当時はまだ「一時的な景気後退」という楽観論が大勢を占めていた。 一方、国際政治では、1990年に起きた湾岸戦争への対応が「日本だけ参加しなかった」という評価になったことが社会に衝撃を与え、日本の外交政策を見直す機運が高まった。総じていえば、バブルの余韻にひたりながら、経済も政治も「改革」をめざす動きが始まったのが1990年代と言えるであろう。

 それでは、この30年で日本の立ち位置はどう変わったか。「GDP世界2位」の地位は明け渡したが、世界での日本の影響力はむしろ大きくなったように思われる。米国が離脱したTPP(環太平洋パートナーシップ協定)をまとめ直した手腕は国際社会から高く評価されているし、日本がFOIP(自由で開かれたインド太平洋)という外交戦略を提唱すると、米国だけでなく欧州諸国までもが関わるようになってきた。日本の提案が世界を変えるというのは30年前には考えられなかったことである。

 地盤沈下が指摘される日本経済はどうか。数字だけ見ると惨憺たるありさまである。GDPは成長せず、生産性も低い。少子高齢化が急速に進み、労働力不足はますます深刻化する気配で、将来への見通しは暗い。政府は、出産や育児への給付金を増やすなど少子化対策を講じようとしているが、こういった対策は効果が出るには時間がかかるものである。そのため、将来的にも、外国からの移住者、すなわち移民の受け入れが不可欠であろう。外国人の受け入れは、伝統的な社会に波風を立てるので反対も多い。しかしながら、価値観の多様性が高まって、社会に波風が立つのは悪いことではないだろう。パリオリンピックでは、外国人や外国出身のコーチが日本の躍進を支えた。金メダルを獲得した女子槍投げの北口榛花選手のように海外を拠点にするアスリートも近年とみに増えている。

 異なる価値観の人と交わることは、自らのコミュニケーション能力を磨くことにつながる。一方、上から目線で「教えて」、無理やり「やらせる」指導では、盲目的にやっているふりをするかもしれないが、日々の鍛錬がそのまま血となり肉となるわけではなかろう。相手の言うことを傾聴し、考えや認識の違いを踏まえながら、相手にわかるように説明する。相手の可能性を引き出すようなコミュニケーションを取ることでパフォーマンスが高まる。パリオリンピックで活躍したのはそういう指導を受けたアスリートたちであった。

 このことは日本をより良い国にするにも必要なことである。SMUのサマープログラムに参加した学生たちは日本のファンになり、また来たいと言う。そのときは、キャリアを築き、定住する場として、日本を選んでくれることを期待したい。そういう人たちが「創造力」と「想像力」を発揮できるような制度を整えることが、日本経済の生産性を高めることに直結していると考える。サザンメソジスト大学(SMU)准教授

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