歴史の本を書くようになって意識し始めたことがある。日々生起する事象を解釈する際に、直接的な因果関係ばかりでなく、背後にある大きな流れを見ることだ。ミクロ、マクロ双方の視点の必要性である。

 近年の米国の政局についても、ドナルド・トランプ大統領の一挙手一投足に振り回されている感があるが、やはり大きな視点から見ることも必要だ。そうした思いの中で、出会った本が、サミュエル・ハンチントンが一九八一年に発表した『米国政治:約束された不調和』だ。

 残念ながら邦訳がないので、簡潔に要点を説明すると、ハンチントンは、米国政治が六〇年から七〇年の周期で大きな変動を経験していることに着目し、その理由を探求する。彼の言う変動とは、十八世紀後半の独立運動を出発点として、十九世紀前半のジャクソン時代、その世紀の終わりから二〇世紀初頭にかけての革新主義時代、そして一九六〇年代以降の公民権運動とベトナム戦争反対運動の時代をさし、確かに六〇年から七〇年の周期性を持つ。

 彼の分析の出発点は、米国の国民的アイデンティティーの特殊性だ。彼の見るところ、欧州諸国のアイデンティティーが歴史、文化、言語を共有することを通じ有機的に生成されるのに対し、米国のそれは自由、民主主義といった建国の精神に基づく理念的なものだ。

 国民が理念的な政治信条を持つことの問題は、理想と現実との間に常に乖離が存在することだ。この乖離への国民の不満が広範、かつ劇的に拡大するとき、ハンチントンの言うところの「信条的情熱」が噴出し、周期的な政治的変動が生まれる。米国の政治には『約束された不調和』が内在しているのだ。

 今から四〇年以上前に書かれた本が最近米国で注目されている理由は、本書において次の「信条的情熱」の発生時期が二〇二〇年代から三〇年代と予測され、これがトランプ主義の到来を予言したのではないかと言われているからだ。確かに、リーマン危機以降のポピュリズムの高まりを「信条的情熱」の覚醒と見立てることは可能だ。

 本書の仮説の適否は別として、一国の政治において、ある時期に受けいれられていたコンセンサスが何らかの理由で崩壊した後、混乱期を経て新たなコンセンサスが形成される過程が繰り返される、という見方は一定の説得力を持つ。問題は、新たなコンセンサスがどのような方向に向かうかだ。

 これまでの歴史同様、「信条的情熱」が現実を理想に近づけるための力として作用するのであれば、米国の政治は、短期的な混迷はあっても、建国の理念が指し示すガードレールに守られた軌道に戻っていくであろう。しかし、国民の政治的信条が理念的なものから、国家主義的なものに変化したり、国民が民主制度への信頼を失い、権威主義的な政治手法を選好する政治環境が醸成されれば、話は別だ。トランプ主義の台頭にそうした前兆を見る人もいるであろう。

 ハンチントンは、こうした危険について米国の政治的伝統の強靭性から言って、現実のものとなる可能性は少ないと論じているが、彼はトランプ主義の台頭を目の当たりにしたわけではない。今日の状況を見てどう判断するか興味深いところである。

 いずれにせよ、本書の教訓は、政治動向を理解するためには国民意識を吟味する必要があること、そして国民の意識は一国の歴史に根差したものであることであろう。米国政治の将来を占う上でも、こうしたマクロの視点を忘れてはなるまい。

前駐米大使

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