『公研』2025年9月号「issues of the day」

 2025年8月29日、タイのペートンタン・チナワット首相が失職した。憲法裁判所により政治倫理規定に違反したと裁定され、首相としての資格を失ったためである。タイ憲法裁判所は1997年憲法により創設された機関であるが、僅か30年足らずの歴史において失職させた首相はペートンタンで5人目となった。いずれもタックシン・チナワット元首相(在職:2001~06年)の政党から選出された首相であるという共通点を持っている。21世紀のタイ政治の対立軸の一つが、タックシン派と反タックシン派の対立であることを示している。しかし、今回のペートンタン首相の失職は、過去の事例とは異なり国内政治と国際関係が複雑に絡み合って起きたという特徴を持っている。以下、現在のタイ政治をめぐる対立軸について解説を試みる。

タイ─カンボジア国境紛争とペートンタン首相の罷免

 ペートンタン首相は、タックシン元首相の娘であり、2024年8月に閣僚人事をめぐって政治倫理規定違反との裁定を受けて失職したセーター・タウィーシン首相の後任として登場した。タイでは2人目の女性首相であり38歳と若いことから、当初から経験不足などを指摘されていたものの、支持率は悪くはなかった。国立開発行政研究所(NIDA)が実施した世論調査によると、2025年第1期は「首相として誰を支持するか」という問いに対して第1位となったのが現職のペートンタンであった(30・9%)。

 ところが5月末にタイ─カンボジア国境紛争が起き、6月中旬にはペートンタンとカンボジアのフン・セン元首相との会話を録音した音声クリップが流出した。音声クリップはフン・センの周辺から流出したとされるが、ペートンタンが国境地帯を管轄するタイ軍第2軍管区について「自分たちとは〝反対側〟にいる人たちだ」と述べたことが自国を裏切る行為だとしてタイ国民から激しく糾弾された。この結果、彼女に対する支持率は9・2%にまで急落した。

 両国軍の衝突はエスカレートしていき、タイ軍がF16戦闘機による空爆を実施する事態となった。議長国のマレーシア、米国、中国が仲介に乗り出して停戦合意となったものの、その後も両国間の戦闘は完全には収束していない。ペートンタンに対する不信感の高まりを受け、上院議員グループが首相の罷免を求めて憲法裁判所に提訴した。そして約2カ月間の審議を経て、憲法裁が有罪の判決を下した。

背景① 違法ビジネスをめぐる争い

 タイ─カンボジア国境問題は、急に発生した問題ではない。両国間の国境については、陸上のみならず海上についても歴史的経緯から境界線が不明確な場所が存在している。紙面の都合で詳細については割愛するが、国境未画定地帯については、カンボジア内戦終結後の1990年代から交渉が重ねられ、2000年に「陸上国境測量および確定に関する覚書」(MOU43)、2001年にはタックシン政権とフン・セン政権の間で「大陸棚重複領有権に関する覚書」(MOU44)が締結された。しかし、両覚書によって問題は終結したわけではなく、2014年クーデタにより誕生したプラユット政権(2014~23年)は国境問題には触れないようにしてきた。

 今回、タイ国民の間で関心事となったのは、「なぜフン・セン元首相が音声クリップを流出させたのか?」という点であった。タイ側で指摘されているのは、ペートンタン政権(実際にはタックシン)が推進していたカジノ合法化に対して、違法賭博から利益を得ていると噂されるフン・センが反発したことが原因だというものである。加えて、近年タイ─ミャンマー、タイ─カンボジア国境地帯で増加しているコールセンターについて、タイ当局が取締りを強化している点もフン・センの利益を損ねたと指摘する声がある。

背景② カンボジア国内政治の事情

 国際関係に加え、カンボジアの国内政治事情も背後に存在すると指摘されている。フン・センは、2023年に息子のフン・マネットに首相の座を譲ったが、フン・マネットの人気は低く政権が安定していないと噂されている。そのため新政権の権力基盤を固めるために、カンボジア国民の間でナショナリズムを煽ることを目的にタイとの対決姿勢を選んだとも指摘されている。フン・センは、タイ国内で出稼ぎをしていたカンボジア人数十万人に対して帰国命令を出し、30から40万人がカンボジアに戻ったと言われている。

背景③ タイ国内政治の事情

 しかし今回事態が悪化した背景には、タイ国内の政治状況も深く関係している。タイは軍事クーデタが幾度も起きたことで知られるが、21世紀に入ってからも2006年と2014年の2度クーデタが起きている。2006年クーデタから現在まで、タイ政治には複数の対立軸が存在しており衝突を繰り返している。

 一つ目の対立軸は、「タックシン派対反タックシン派」の争いである。

 2001年に登場したタックシン政権は、農村部住民などから絶大な人気を得た半面、政権の政策を利用して私腹を肥やしたと非難される。タックシン政権がクーデタにより打倒されて約20年が経過した現在でも、「タックシン=汚職」との批判が根強く、2024年8月のペートンタン政権誕生直後から反タックシンを訴えるデモが復活した。また2023年5月総選挙後に、タックシン一族の政党であるタイ貢献党が親軍政党と手を組んで連立政権を樹立したことに対して、かつてのタックシン支持者(通称:赤シャツ)の間から激しい批判が出た。これ以降に実施された反タックシンのデモは、従前からの反タックシン派と赤シャツの一部との共催になっている。

 二つ目は、「民主派と保守派」との対立である。民主派は反クーデタ、法の支配などを求め、西欧型の民意に基づく政治を求めている。これに対して保守派は、主に冷戦期以降に構築された王室、軍部、官僚を中心とするヒエラルキー型の社会構造を維持しようとする勢力を指す。

 かつてはタックシンや赤シャツは、民主派の中心的な存在であった。しかし、タイ貢献党が親軍政党と連立政権を樹立したことなどにより、現在は「タックシン=民主派勢力」とはみなされていない。

 2018年に登場した革新派政党(通称:オレンジ政党)は、反クーデタのみならず、タブーとされてきた王室改革、軍改革を唱えており、タイ社会の構造そのものを変革しようとしている。若者を中心として多くのタイ国民が支持をするようになり、2023年総選挙では第1党となった。保守派にとっては最も恐ろしい存在であり、特に王党派にとっては許容することができない勢力である。

 三つ目が、政治指導者間の政治権力闘争である。首相や主要閣僚の座をめぐって政党間の攻防が繰り返されている。2023年総選挙後はタイ貢献党が2人の首相(セーター、ペートンタン)を輩出したが、元陸軍司令官でありプラユット政権で副首相を務めたプラウィットが首相の座を狙っており、タックシンとの間で争ってきた。今回のタイ─カンボジア国境紛争についても、引き金の一つはプラウィットの政党によるMOU44への批判であった。MOU44によりタイの国土の一部が失われると主張し、タックシンとペートンタンは「国家を売る」と批判されるようになった。

 加えて、連立政権内でもタイ誇り党のアヌティンが、次期選挙を有利に進めるために内務大臣のポストを要求したことでタックシンを揉め、国境紛争の最中に連立政権から離脱した。アヌティンは「当初から首相になりたかった」と公言しており、最大野党である革新派の国民党との間で、①4カ月以内の総選挙実施、②憲法の全面改正などの条件と引き換えに、首相指名投票での協力を取り付け、9月5日に新首相に選出された。

 そして四つ目にして、タイ政治にとり最大の争点であるのが、王位継承問題である。2016年に即位した現国王のラーマ10世王は、既に73歳と高齢になっている。しかし、2025年9月の時点で皇太子が不在の状態であり、近いうちに国会の承認のもとで後継者を決定して、立太子の儀を実施する必要がある。加えて国王の長女が2022年に病で倒れ、長期で入院している状態でもある。現在タイ王室は権威を維持するうえで重大な過渡期に直面していると言えよう。

 タイでは民選の議会は存在するものの、王室を支えてきたのは陸軍を中心とする軍部である。2014年クーデタも、ラーマ9世王から10世王への王位継承を軍部が支えるために実施されたとの見方が存在する。今回のタイ─カンボジア国境紛争により、最も大きな利益を得たのは軍部であった。国民の間で「タイを守ることができるのは政治家ではなく、軍人だ」との感情が拡大しており、タイ側でもナショナリズムが高まっている。その結果、7月に実施された世論調査では、現在の首相候補者リストの中で、次期首相として第1位の人気となったのがプラユット元首相であった。タイ国民の間で再び軍部出身の首相を容認する空気が広がっている。

新政権発足するも混乱は続く

 アヌティンが国民党の協力を得て新首相に選出されたものの、タイ誇り党は69議席しか持っておらず、国民党も連立政権に参加しないために、少数与党政権となる。首相指名投票で負けたタイ貢献党は、両政党を憲法裁判所に提訴すると息巻いておりタイ政治の不安定な状況は変わらない。

 来年2月初旬には総選挙が実施されると予想されているが、その場合は国民党とタイ誇り党が議席を伸ばすとみられている。果たして保守派や民主派はどのような動きを見せるのか、カンボジアとの関係はどのように進むのか、来年初めに向けてタイ政治が動く可能性が高い。

筑波大学准教授

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