『公研』2020年7月号「めいん・すとりいと」
水島 治郎
ひとと話したい、自由になりたい、お友達がほしい、ひとりになりたい。そして何よりも……思い切り泣きたい!………でも、それができません。
2020年、新型コロナウィルスの感染が拡大する中、日本をはじめ各国で外出の自粛・制限が導入され、人々が家に閉じこもる毎日が始まった。ひとと会うことも、気ままに出歩くこともままならず、子どもたちは学校に通えず、不自由な日々が続いた。そのような中、「ひとと話したい、自由になりたい」と切実に願った人も多かったことと思う。
ただ、冒頭の引用は、現代の文章ではない。実はこの言葉は、1944年2月12日、アムステルダムの隠れ家で潜伏生活を送っていたアンネ・フランクが、日記に書き綴ったものである。周知のようにアンネは、ナチ・ドイツによりオランダが占領され、ユダヤ人迫害の進行していた1942年、家族とともに隠れ家に移り、そこで2年余りの潜伏生活を送った。そこで書き続けた日記が、後に家族・仲間で唯一生き延びた父、オットーによって出版され、世界的なベストセラーとなる。この『アンネの日記』には、潜伏生活の日常や悩み、葛藤などが率直に記されており、その意味では「ステイ・ホーム」の生活を描いた先駆的な作品とみることもできる。
もちろん、過酷なユダヤ人迫害のもとで強いられた潜伏生活と2020年のステイ・ホームは、同列に論じられるものではない。しかし、そもそも『アンネの日記』が多くの国で読まれ、世界中の少年少女たちにも強い感銘を与えてきたのは、そこに国や時代を超えて響く、普遍的なテーマが書かれていたからだと思う。だとすれば、私たちは彼女の日記を通し、「家に閉じこもる」生活の本質の一端を知ることができるのではないか。
アンネたちの隠れ家生活は、食べ物の買出しと貯蔵に始まる。米、缶詰、油、バターなどを買い込み、少しずつ消費していく。一日の過ごし方も計画的であり、仕事を割り振り、自学自習、作業、料理などを次々こなしていく。日課には柔軟体操もある。この間の私たちもまた、買出しをしては家にこもり、本を読んだり、体操をして心身の維持を図ってきたことを思い出す。
隠れ家の面々は、隔絶した生活を送ったわけではない。協力者のオランダ人たちから仕事を依頼され、内職に励むこともあった。また、通信教育を受けて英語やフランス語を学ぶことで、学校の授業内容を補っていた。いわば現代の私たちのようにテレワーク、リモート学習を日々実践していたと言える。
ただ、毎日を快適に送ることは難しい。同じ屋根の下で一日中顔を合わせるメンバーのあいだでは、感情のもつれが容易にいさかいに転じた。親子、きょうだい、ルームメイトとトラブルが生じ、気まずい時間が流れた。どうして家族は自分を理解してくれないのか、ため息をつくばかり。「ふと気がついてみると、もとの家に住んでたころの家族間の信頼とか調和、それがいまではすっかり消えてしまっています」(44年3月17日)。家で長時間過ごし、似たような思いをいだいた人もいたのではないだろうか。
それでも希望はあった。彼女は書く。「わたしは思うのです──いつかはすべてが正常に復し、いまのこういう惨害にも終止符が打たれて、平和な、静かな世界がもどってくるだろう、と」(44年7月15日)。しかしその3週間後、隠れ家が露見し、アンネたちは連行される。
ステイ・ホームは、いつかは終わる。ステイ・ホームをとりあえず後にした私たちは、「平和な、静かな世界」に向けたアンネの思いを、未来へと紡いでいくことができるのだろうか。
※引用は『アンネの日記 増補新訂版』(深町眞理子訳、文春文庫、2003年)による。千葉大学教授