政治の「再生産ストーリー」を超えて【待鳥聡史】【池内恵】

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『公研』2015年12月号「対話」 ※肩書き等は掲載当時のものです。

待鳥 聡史・京都大学大学院法学研究科教授×池内 恵・東京大学先端科学技術研究センター准教授

今夏の安保法制をめぐる議論はたいへんな盛り上がりを見せた。しかし、中身のある議論がなされたと言えるだろうか? 日本の政治環境を再検証し、民主主義のあるべき姿について考える。

「マジョリティ・ルール、マイノリティ・ライツ」

 池内 今夏の安保法制をめぐる議論を聞いていて、ふと思い出したことがあります。大学時代に、通学の電車の中でひたすらアメリカのラジオ番組を聞いていた時期があります。ちょうどクリントン政権が誕生した時期でしたが、私は海外の米軍基地で働く軍人さん向けの放送FEN(現在のAFN)のニュースを録音してウォークマンで持ち歩いて聞いていました。軍人さんには保守とリベラルの両方がいますから、FENでは両方から人気番組を見繕ってきて流していました。リベラル派向けには、穏健・上品なNPR(National Public Radio)の看板ニュース番組 “All Things Considered”を、一方、保守派向けには、タカ派で下品だが当時人気絶頂のパーソナリティだったラッシュ・リンボーのトーク・ショーが流されるので、両方を交互に聞いていたんです。

 民主党は一九九四年のクリントン政権最初の中間選挙で惨敗し、四十年ぶりに下院の多数党の地位を失います。上下両院で少数派の立場で政権運営を行うことになったクリントンを保守派はひどく叩いた。今のアメリカ議会の分極化の先駆けのような時期でした。そんな時、テーマはもう忘れてしまったのですが、クリントンが議論が分かれる解決がつかないような問題について、聴衆の質問に答えながら政策を説明している場面を聞いていました。ああでもないこうでもないと議論を重ねてもすっきりした結論は出ない。しかしクリントンは、当面の政策を示す。

 そこでクリントンはすらっと、「結局、民主主義の原則、マジョリティ・ルール、マイノリティ・ライツ(多数決で決める、少数派の権利を守る)なんだよね」と、さらっと言ったんです。すると、そこで聞いている方もみんなが納得している様子があったんですね。あんなに激しく議論をぶつけ合っていたのに、この一言ですっと収まった。この場面を聴いていて私は、「民主主義って、こういうことなんだ」と初めて学んだ気がしました。

 考えてみると、日本は民主主義が長く続いていることになっていますが、この肝心のことを、米軍放送にかじりついてこの場面を聞くまで教わっていなかったような気がします。日本には「マジョリティ・ルール、マイノリティ・ライツ」と言って、不満でもその場は収める、というような民主主義の原則が根付いていないのかもしれません。日本の公民教育でそれをきちんと教えていないのかもしれないし、あるいは欧米とは違う民主主義が存在しているのかもしれません。かつて日本の知識人は、日本にはまだ市民社会や人権意識が根付いていない、だから民主主義をやる前にも、まずそういった前提を育てないといけない、と考えたわけですが、彼らが言うようにそうした要素が日本にはまだ備わっていない段階にあるのかどうか。この夏の安保法制をめぐる議論を見ていて、私は過去に繰り返されてきたこの問題をまた問い直さなければならないのか、という疑問を抱きました。

待鳥聡史・京都大学教授

 待鳥 今のクリントンの話は、民主主義の政治にとって大事なことを示していますよね。それは民主主義のプロセスを維持するためには、「よき敗者」が必要であるということです。民主主義の下での政治は、納得行くまで議論を続けることと適切なタイミングで意思決定するという、相矛盾する二つの事柄を両立させる必要がありますから、どこかで議論を終えないといけない。そのためには、敗者の側が「私たちの負けだ。結果を受け入れる」と言えなければならないんです。アメリカの大統領選挙では、負けた側が勝った側に電話を掛けて祝福する象徴的な慣例がありますが、よき敗者の伝統はここから始まっているわけです。

 しかし、よき敗者であることはとても難しいんです。よき勝者は謙抑するということだからそれほど難しくない。けれども敗者は悔しいし、腹立たしいし、相手にいいようにやられてしまうのではないかという恐怖があるのが普通です。それでも負けたほうは、「大変だと思うけど、思い切ってやりなさいよ」と言えなければならない。民主主義を成り立たせる上ではここがすごく大事だと思いますね。

 日本にはよき敗者の伝統がないのかと言えば、その判断は難しいところがあります。日本では現実の政治の中で、狭い意味の政権交代だけではなくて広い意味の社会的権力の担い手の交代がほとんどなかった。自民党や自民党に連なる人たちが政治的権力、場合によっては経済的な権力や社会的な権力も含め、ずっと握ってきたわけです。

 自民党以外の政治勢力は、勝ち慣れていません。そうするとよき敗者にはなれないんです。なぜなら、よき敗者であるためには権力を握ってもいいことばかりではないし、権力を恣意的に使うこともそうはできないという意識を持つことが必要です。しかし、日本の非自民勢力にはそうした意識がありません。そうすると、権力を握っているほうに対して、一方的な羨望や恨みや警戒感が募ってしまうことになります。ただ、これが日本の文化的な要因によるものだと見なすことには躊躇しますね。政治の経緯の問題であって、それが日本の文化だというのは言い過ぎで、単に同じ結果が繰り返されてきたことによる帰結だと考えたほうがいいのかもしれません。

「非主流派」と「自民党業界」

池内恵・東京大学准教授

 池内 「文化」という言葉は、国際的には違った文脈で使われることが多いですよね。厳然として民族や宗教が異なる少数派が存在している国は世界中にいっぱいあって、そういう場合はマイノリティの権利を保障しなければならないという考え方があるし、それが選挙にも制度化されている場合もあります。

 アラブ世界の一部の国のように──近年ではイラクやエジプト──そうした制度が担保されずに民主主義を無理やり始めてしまうと、ある特定の民族集団や宗派集団、あるいはムスリム同胞団のような強力な運動団体などが常に多数派をとり続けることになります。そうすると常に負け続ける少数派は、制度そのものを壊すという方向に向かう可能性がある。それが国際社会における通常の意味での文化的な要因でのマイノリティです。

 でも、今の日本ではそれは明らかに当てはまらない。日本の場合は民族や宗派といった通常の意味でのマイノリティとは違う、何とも言えない少数派の文化ができている感じがするんです。むしろ「非主流派」と呼んだほうがいいのかもしれない。漠然とした体制の中にいるんだけれども、その体制の中で常に少数派のような振る舞いや言動をとることで自らの地位を維持する。多数派であると考える人やそれを代表する政党も、多数派としてのみ振る舞う。逆に少数派であると考える人は、あたかも自分がずっと少数派でいるかのような独特の振る舞いをしがちです。日本には、そうした多数派と少数派がそれぞれ自らを固定化する文化があるとは言えるかもしれません。

 待鳥 なるほど。戦後の日本政治は基本的にはずっと自民党政権が続いたので、自民党の周りにはいろいろな業界団体やセクターの人たちがいます。大手のメディアもいます。固定的な「勝ち組」集団による「自民党業界」が成立していると言えるかもしれません。このなかで相互に配慮したり優劣があったりはしたのですが、「業界」の外側との入れ替えは乏しかったわけです。つまり、自民党業界に入れていない人たちは「負け組」として固定化されてしまっていました。この人たちは、負け組なのだから勝ち組をずっと悪く言っておけばいいという態度をとりがちですし、実際気の毒な面も多々あった。しかし、いつまでもそういう態度をとり続けていては自分たちも民主主義体制の担い手であるという意識が育たないわけです。

 現在の政治情勢は安倍政権一強ですから、かつてのように勝ち組と負け組が画然と分かれていた時代が擬似的に蘇ってきている印象があります。けれども、それはあくまで擬似的な姿で現実は決してそうではない。小選挙区中心の選挙制度なので、権力の担い手はすぐ入れ替わり得るわけです。にもかかわらず、勝ち組と負け組が画然と分かれているような振る舞いが多いですね。

 勝っているほうは負けているほうのことを配慮しないし、負けているほうは文句ばかりを言う状態が続いている。負け組は自分たちが負けるという前提で動き続ける。それは実に不毛で、よき敗者が生まれてくる素地ができません。そうすると、今度立場が入れ替わった時にも、やはり非常に不毛な事態になってしまうのではないかと懸念します。今の自民党一強と言われる状態は、かつての高度経済成長を前提とした利益分配の政治をやっていた時代とは基盤からして全く違います。私は、そういう時代認識がもっと必要なのだと思いますけどね。

 池内 日本には国際社会におけるような文化的な少数派はほとんどいないと言えますが、ある種の表象文化としてはそうした存在が認められると思います。「非主流派」という言われ方をする集団です。自民党内にも非主流派のような存在があったし、社会党が社会党として機能していた時代は議会政治の中での非主流派という役割を演じてきたのだと思うんです。これは政党に限らず、日本ではある程度大きな組織一般に当てはまることなのかもしれません。

 仮に彼らの実態が本来の意味での社会的な少数派なのであれば、現実に存在している対立軸を反映している集団と言えるのかもしれません。例えば、階層的な格差や都市と地方といった対立軸です。そうした社会・経済政策による対処が必要な立場を非主流派の人たちが代表しているのであれば、理解できます。けれども、いま非主流派と言われている人たちは、そうした反映の度合いがだんだん低くなっているように思えます。つまり、もう社会的な弱者とは見なしにくい存在になっている。ところが政治をなりわいとする人たちは、いつまで経っても非主流派の存在を認めていて、メディアもそういう形で取り上げる。ここには何らかの仕組みがあるのだと思うんです。

固定された構図から紡ぎ出される同じ物語

 待鳥 固定された構図の中で同じ物語を再生産しようという話なのだと思います。まさに表象的な話で言うと、その物語は共作なんです。一緒になって紡がれているわけです。主流派(勝ち組)と非主流派(負け組)は固定された役割を分担して演じていて、その同じ役割を繰り返す。

 だから、議論の仕方がいつでも同じなんです。例えば今なら安倍政権のやること全てに対して、「右傾化していて危険だ」と見なそうとする態度がある。個別の具体的な対立軸や争点を検証するのではなくて、既存の役割通りの態度をとり続けてしまう。ひたすら同じロジックを繰り返すだけで、知的には思考停止に近い状態です。問題を個別に吟味していけば、この争点に関しては政権側のほうがいいことを言っていると認めざるを得ないこともあるだろうし、別の争点に関しては野党側のほうがいいことを言っているから取り入れるべきだというケースもあるかもしれない。けれども、そういう議論の仕方にはまずならない。

 大きな変革をめざすような政治運動であるのならば、このように争点を単純化する態度も必要になってくるのだと思います。つまり、多様な争点を全部一緒くたにするわけです。争点ごとにグループができてしまっては大きな集合にはなり得ない。だからグループ自体に色を付けてしまって、この色が付いているグループから出てくる話は全て似た性格を帯びているという方向性を強く打ち出すわけです。個別案件については少しずつ反対だという人たちも、大まかな方向性には賛同することができて、大きな動きをつくり出すことができる。それこそアラブの春もそうだったのではないでしょうか。

 日本のように勝ち組、負け組が固定化されている構図の中では、とくに負け組側に、よき敗者をめざすよりも、そうした運動的なロジックが強く作用し続けることになります。正攻法では権力はとれないわけですから。そうすると、個別の争点についてきちんと議論しなくなってしまうんですよ。煎じ詰めれば、そのやり方が楽だという面があるんですね。あらゆることを単純で固定的な構図から導くことができれば、みんな楽なんです。政治家もメディアもそれで説明できるのであればあまり考えないで済むし、取材の手間暇も減らせる。

 だから、固定した構図にうまく当てはまらない事例が出て来るとパニックになる。例えば大阪で橋下現象みたいなものが出てくると途端に困る。橋下徹という人は自民党のグループなの? 自民党ではないグループなの? と考えても、今までの構図では括れなくなると何が起こるのか。

 それでもやはり、多くの人は自分のなかの構図の基準に照らし合わせるわけです。彼の中に自民党的なものを見出した人は橋下さんと維新はそういう勢力なんだと言う。そうではない要素を見出した人は違うと言う。結局、固定された構図の中に橋下現象を張り付けているだけなんですね。楽だから。

 けれども、こうした張り付けは今いろいろなところで行き詰まっています。対立軸や争点の提示が、かつてのようにはいかないという状況は世界的に見られる現象です。特に先進国では従来型の経済の再分配をめぐる対立軸という力が弱くなっていて、ライフスタイルも含めた価値観の相違が争点になることが増えている。

 日本では地方の問題に端的にそれが現れていると思います。大阪の問題もそうだろうし、沖縄の問題もそうです。通用しなくなっているのは、社会や政治の情勢が変わっているからです。当然そこに求められる政策も変わるし、個別的に丁寧に考えないといけない場面も増える。今までの構図にうまくはまらない事象が増えてくると、既存のメディアや政党、政治家がかつてほどの信頼性を持たなくなる。これはどこの国でも見られる現象です。従来の構図が通じないのであれば、新たに考えなければなりませんが、それはしんどいからやらずにいる。むしろ、まだしばらくこれで商売できるかな? といった空気が蔓延しているように感じられますね。

 そういう意味で言えば、今回の安保法制の議論は、昔を彷彿とさせる構図でしたからとても楽だったのだろうと思います。反対派の少なくない人たちからすれば、「よっしゃ!」という感じだったように見えます。「これは伝統芸でいけるぞ!」と。けれどもそこにある本当の構図は、今までのものとは違ったはずです。

 池内 そうした既存の構図からのズレというのは、いつ頃から出始めたのでしょうか。

 待鳥 第二次世界大戦後の世界で考えると、三回の大きなショックがあったと考えています。戦後はほとんどの国で高度経済成長をしていて、経済的には安定した時代が続きました。これが一九七〇年代前半の石油危機の時に終わります。これが第一撃目のショックです。二番目のショックは、八〇年代の末から九〇年代初頭に冷戦が終わってから一気にやって来るグローバリゼーションです。三番目のショックは現在ですね。中国の躍進やヨーロッパにおいてはアラブ・中東世界が自分たちに直接的な接点を持ち、政治的な脅威として出て来ている状態です。

 日本の場合、第一の危機つまり石油危機の影響が相対的に弱かったと思います。そのためグローバル化のショックが来るまでの戦後は、一貫して成功の物語として理解されている。この戦後のサクセスストーリーとセットになっていたのが、先ほどの固定化された構図です。だから楽であると同時に懐かしいんですね。みんなここに行きたいんですよ。「昭和はよかったよね」と。

 その一方で、日本にとっては二番目のショックが大きかったために、未だにそのショックから抜け切れていない。だから、日本の政治も経済も社会も第三のショックへの反応が悪い。中国は隣国であって身近であるにも関わらず、中国の変化をきちんと捉えられていない。日本と中国の二国間関係として見て、その中でどのように振る舞ったほうが得かということだけで考えようとするところがある。今までアメリカだけがスーパーパワーだったのが、中国がそこにチャレンジしてきているという大きな構図の中で捉えることがなかなかできない。よくわからないわけです。それならば昔からのやり方で考えるかという話になってしまっている。

 中東で起こっている変化に対する反応はさらに鈍いですね。何が起こっているのかもうさっぱりわからない。何とかしなければと頭の片隅で思っていても、自分の思考回路からはどうしても解けない感じがある。この原因の大元を辿っていくと、世界中でいろいろなショックが起こっていても、必ずしもそれを自分たちのものとして受け止めて来なかったことがあるのだと思います。

異様に強い「老人支配」

 池内 オイルショックは日本にとってもショックだったわけですが、西欧世界ほど大きなものとは受けとめなかった。オイルショックに先駆けて一九七二年にはローマクラブの「成長の限界論」が出て、欧米では根本的な限界を感じ始めていたので、オイルショックを深刻に受け止めた。しかし日本は単純に、各企業がどれだけ省エネして乗り切るのかということばかりに関心が向かった。歯を食いしばって省エネを達成したことで経済的に得したところもある。オイルショックの記憶はむしろ成功物語ですよね。

 だから本当の意味での最初のショックは、グローバル化への対応ということになる。この時は政治面では選挙制度改革を行い、経済面ではある種の開放を進めたわけですが、どうも日本では努力した割にはうまくいかなかったという漠然としたイメージがある。談合をやっていた頃のほうがむしろうまくいっていたという話が、あちこちから漏れてくる。

 本当に過去はそれでうまくいっていたのかどうかは検討の余地が大いにありますが、それを抜きにしても一つ言えるのは、結果的にこのような記憶と語りは世代間の意識の差をもたらしていますね。結局「昔は良かった」とは、昔を知っていてそのように思っている人以外は言いません。自由化する以前を知らない若者は、自由化前のほうがよかったとは思いません。自由化後に育った世代は寿司も焼き肉も安くなっていますから、自分の上の世代が焼き肉屋になんて滅多に行けなかったということは想像もできない。むしろ今の子どもは、焼き肉屋の「食べ放題」なんて当たり前過ぎてそんなに喜ばなくなった。昔のストーリーの受け取り方は、世代間で差があります。ですから、昔のサクセスストーリーにすべてを還元しようとすると世代間格差をさらに固定化させる感じはしますね。

 待鳥 そうですね。この問題は日本の人口構成と密接に関係していますね。いい言葉で言うと「トップヘビー」、悪い言葉で言うと「老人支配」なんです。日本ではこの老人支配が意外にと言うか、異様に強い感じがしますね。

 それこそ報道のあり方が典型的にそうですね。政治からスポーツまで何からなにまで古いストーリーを再生産しようとする。新しい着眼をしない。喩えて言えば、「折り目」が付いているようなものです。洋服でも紙でも何でもいいですが、もう一回同じように折るのであれば、折り目が付いているほうが楽です。ところが新しい思考法は、違う折り目で折らなければならない。前の折り目はアイロンで伸ばして、新しい折り目を付ける。そういうしんどいことをやる力は若い人からしか出て来ないのだけど、日本の社会は若い人の人口が減ってしまっている。しかも年長世代はサクセスストーリーを作ってきたということになると、若い人たちは二重、三重に発言力が小さくなる。

 それで何が起きるのかと言うと、「新しい時代なのだから、俺たちみたいにしんどい働き方をお前たちはもっとしろ」となる。まさにブラック企業のような話です。着想や仕事のやり方を変えるのではなく、「給料は増やせないけど、競争が激しくなったから、もっと一生懸命働いてね」と。これは精神主義ですらありません。固定化された見方を増幅して押し付けているだけなんです。精神主義と言うのならば精神は働いていなければなりませんが、何も働いていない。そしてただ、惰性だけが強まる。

 老人支配が日本の社会において異様に強いのは、強い言い方をすると成功物語を担ってきた人たちがみんな小さな既得権を持っているからです。これを手放すのがすごく嫌なんですね。手放して徒手空拳になったお年寄りを若い人が十分助けられるかと言えば、それは難しいですから本能的に嫌がる。しかし、こうした力があまり強過ぎると新しい物の見方をしたり物事を動かしたりする力は育たない。

 安保法制に話を戻すと、ここにはいろいろな考え方があると思います。私自身も賛否について明瞭な形で意見を言えるほどの理解や知見があるとも思いません。ただし、この法制が何のために必要なのかという話をきちんと聞かなければ、判断する材料を集めることすらできないはずです。でも、それはまさに自分の思考様式の折り目を変えることが必要だからやりたがらない。入り口のところで、「憲法違反だからあり得ない」とか「日本の平和主義や立憲主義を壊すんだ」と言い続けて、中には一歩も立ち入らないほうが楽です。でもそこにあるのは、固定化された思考と対立の構図の恐ろしいほどの反復作業でしかない。

 国会外での安保法制反対の動きは入口で止まってしまうタイプの議論が多かったように思いますが、それを「粘り強い努力」といった言い方で称賛する報道もありました。政策に反対するのは細かい理屈ではなくて、ただ一本の原理原則なんだと。でも本当にそうでしょうか。確かに普通の人たちがそうした理屈を練り上げることはなかなかできません。それをリードするのが政策について考えている人であり、政治の場で言えば政党のはずです。けれども、政党の持っている機能が十分に対応できなかった。

 国会の外でのデモなどの運動が盛り上がっていった時に、そこに民主党が乗ってしまったことは、日本の政治にとって非常に大きな損失だったと私は思います。民主党はああいうことをしてはいけない立場であるはずです。今は野党であっても、政権交代を前提にした野党でなければなりません。自分たちがまた権力を握ることを見据えて、よき敗者でいなければならなかった。

 与党が議会で多数をとっている時には法案は通ります。それでも、その法案が果たして先ほど物事の見方で言えば、折り目をきちんと変えているのか、あるいは新しい折り目が適切なのかどうかを与党に向けて問わなければなりません。それが民主党の仕事だったはずなんです。

 それをやらずに国会の外へ出ていって、「俺たちは負け組だけど、負け組のほうが正しいから政権のやることは認めない」と言うことに何の意味があるのか。「今は劣勢で与党の政策が通るけれど、次にそれを逆転するために思考能力や構想力で上回ってみせますから、応援してください」と言うべきではなかったか。私は、安保法制の議論で自分たちの価値を一番損ねたのは民主党だと思います。

戦後のサクセスストーリーはどのように準備されたか

 池内 興味深いと思ったのは、退職された官僚の方々が反対に回ったケースが見受けられたことです。ある意味ずっと勝ち組でいて、いつ何どきも政府与党の側を正当化する役割を担ってきた方々が、従来の枠の中で場所を変えて負け組の役をやって見せて心地良さそうにしている。役者は同じ人たちで、役割が正反対なんですが、議論の形式が変わった様子が見えない。役職がある勝ち組の立場にいた時は勝ち組側として議論をして、退職して「今回は役職がないから負ける側に立ちます」と今度は負け組の役を演じているようにしか聞こえない。

 現存の秩序に反旗をひるがえす運動と言えば、大抵は若い人が中心になりますよね。ところが日本の場合はそうではなくて、極めて保守的な論理によって統率されている。そしてその論理は結局、「俺たちがやってきたことを変えるな」というものでしかない。それが今の日本のあらゆる意味での保守主義の中枢になってしまっていて、そこに野党も乗っているわけです。これは不思議で理解することが困難な現象です。

 民主党の人たちも、「自分たちは保守だ」と言う人が多い。現状を変える方向性を示すべき立場にいる野党がむしろ保守の度合いを競っているわけです。自分のやり方で日本は成功してきたと思っている人たちを、どれだけ取り込めるかというところで競ってしまっている。そこに加わる数少ない若い人たちはシンボルとして前に押し出されているだけです。若い人の大部分は冷めているわけです。

 待鳥 伝統芸能としての反対運動だから、異様な保守性を帯びるんですね。政府側にいたような人たちの反対論のロジックは、「自分たちがやってきた方法とは違う。これはこれで積み上げの意味があったのに壊すとは何事だ」というものだと思いました。積み上げたものを受け入れて習得することをまず求める。そこには、何か新しいことをやろうとすると「まずは先達を見て覚えてからや」みたいな感じで叱る古典芸能の師弟関係と似た感じがある。

 でも、それだけでは何も変えられません。先達の芸を覚える前に、理屈で考えなきゃならない。日本は変わりたくなくても、他の国々は今まさに変わろうとしているのですから、それに対応せざるを得ないわけです。本当は戦後これまでだってずっとそうだったわけですが、気がついていないか無視しているか、そのどちらかに過ぎないんです。

 そもそも戦後の日本のサクセスストーリーは、日本の台頭に対してアメリカやヨーロッパが応答してくれたことによって成り立っているわけです。今の日本の語りは、だいぶ前に終わった『プロジェクトX』のようなストーリーなんですよね。もちろん、日本の企業や個々の技術者が頑張ったことは間違いありません。けれども、頑張れる環境がどのように準備されたのかも考える必要があります。

 日本は、一九四五年当時には海外勢との競争に出ていくこと自体あり得ないと見られていました。世界に対しておかしな挑戦を仕掛けて、無茶苦茶なことを犯した国がどんな面して世界に出てくるのだと思われても仕方ないところがあった。にも関わらず他の先進国は、条件がきちんと整えば、日本をまた国際社会に取り入れて自由に活動させてもいいと判断したわけです。日本の企業や個人が世界に挑むことができる状況になったのは、石油危機以前の自由主義の世界が基本的には非常に寛容だったからです。

 ところが日本国内ではこれが全て企業や個人のサクセスストーリーになってしまっている。そうした態度は戦後の世界情勢への視点を欠いているわけです。そこをバランスよく考えることをせずに、自分の側からしかストーリーを見ないところがある。細谷雄一さんの『歴史認識とは何か』(新潮選書)などを拝読すると、どうも戦前からその傾向は強かったようですが……。

 日中関係や日韓関係の悪化に対して、日本はこのところ有効な対処をできずにいます。日本がこうした国際関係の問題をうまく処理できない大きな理由は、ストーリー全体を見る訓練を怠ってきたことと密接に関係しているように思います。ストーリー全体を見るためには、当然相手の都合も見なければなりませんが、日本はその時に柔軟に対応したり、新しい発想法で考えたりすることが苦手です。

 その意味で戦後日本の「保守」というのは、戦後のサクセスストーリーやそのサクセスストーリーを支え合っていた固定化された構図を守るという立場なんです。ここにマイノリティであり反対派の人たちも含まれるのですが、彼らもこの構図を意外に受け入れてしまう場合が少なくない。

 池内 本当の意味でのマイノリティではないのでしょうね。生まれ育ちや民族、宗教による固定化されたマイノリティ集団とは別の形で、固定化された立場ですね。先ほど非主流派と言いましたが、その人たちも固定化された既得権益は持っているわけです。だから、そうした固定化された構図がずっと残り、固定化された主流派と非主流派がいるような状況をうまくつくることが、多数派の側にとっても一番賢明だという構造が日本全体にあったのかもしれません。これは議会政治だけでなく、大企業などどの組織でもあったと思うんです。

 でも現在は民間企業では、そういう固定化されたお約束の対立構造の重要性は弱まっています。主流派と非主流派との間に安楽な調和で大団円という期待はもうどちらも持っていないわけです。ところが、明確に収支決算がなされない国政や政治運動あるいはメディアでは、惰性で旧来の構図が続いてしまう。結果として、本当の意味で必要な議論や新たな変化をもたらす回路がどんどん細っている。

見せかけだけの対立構造

 待鳥 戦後間もない頃は、自民党と主に社会党によって担われていた明瞭な保革対立の構図があったと言えます。当時は社会に大きな格差があったし、経済的にも恵まれない立場の人がいました。日本は朝鮮半島や台湾を植民地にしていましたから、そこにルーツを持つ人たちの処遇も問題でした。依然として冷淡過ぎるような対応をとる人は、いっぱいいたわけです。こうした問題への対処で立場ははっきり分けることができた。

 ところが、高度経済成長の影響でそうした対立構造は緩和されていきました。経済が上向くと社会全体が底上げされます。すべての問題が解消されたわけではもちろんないけれども、自分たちのことを立場が弱いと思っていた人にも高度経済成長の果実は相当程度回ったわけです。そうすると、「一体何のために自分たちは闘っているのか」という問いへの答えが次第に曖昧になる。ほとんどの国では次のステップに進んでいます。この保革対立とは違った別の対立軸を見出そうとするわけですが、日本の場合はそうならずに対立の構図が底上げされて意味を失っているのに続く。そうすると革新側は「何のために闘っているのか」という問い掛けに対して、とりあえず取り繕うという態度をとる。

 具体的には、政権交代がないことを前提に反与党、反政権的な態度をとりあえず出す。「何をめざしているんですか」と問われたら、「反与党、反政権をめざしている」と。「反何々」をめざすというのはとても不思議ですが、この「反何々」はなぜか求心力がある。保守もまた、「いったい何を保守しているのか」と問い掛けると、それに対して明瞭な答えを持っていない。サクセスストーリーの構図を守ることしかないわけです。九〇年代の政治改革のような制度の変更は、それではダメなんだという意識が根底にあったはずですが、それが十分に認識されなかったし全面的な変革までには至らなかった。やはり新しい構図を作り上げることはとても疲れるし、お年寄りが多くなるほど古い構図でやろうという惰力が強く働くことになる。

 日本の保守の問題は根が深くて、保守陣営もそれにはきちんと答えられない。「自分は保守だ」と言っている人たちの保守の中身は、明らかに明治以降の話ですよね。江戸的なものを守ろうと言う人はほとんどいない。

 池内 見たことがないですね。

 待鳥 不思議なのは、昔風に言うと革新や左派の人たち、今日の言い方で言うと負け組の人たちが、何で保守の人たちに好ましいサクセスストーリーの構図につき合うのかがよくわからない。本来はつき合う必要はないわけだし、新しいストーリーを作り出そうとするのが「革新」の意味だったと思うんですけどね。

 池内 高度経済成長の結果なのかもしれませんが、非主流派という役割であっても固定的に利益を得ていたのだと思いますね。結局、その構図を守ること自体が世代的利益にもなっている。そうなると、従来型の主流派対反主流派の固定された構図を守ることで得られる心地よさから抜けられなくなる。安保法制で言えば、「我々がやってきたことは正しかった」が、議論の上では最大の争点になってしまった。それを軸に社会運動が起こるので、おじいちゃんとおばあちゃんばかりの社会運動になってしまう。

 待鳥 今回はシールズ(SEALDs)のような学生たちによる組織が出てきて、一定の存在感を見せました。ああいう動きの背景はもう少し時間が経たないと本当のところはわかりません。ただ、今の時点ではっきりしていることは、シールズが手を組んだおじさんたちがどのような発想を持っていたのか、若い人たちに誰も十分に伝え切っていなかったということです。

 彼らは、若いから割合に緩く連帯してしまう。もちろん、損得勘定を済ませた後ならば連携しても別に構わないと思います。けれどもそうじゃなければ、今日繰り返し述べている古い構図を支えた人たちにとって快適な物語を再生産することを助ける役割になってしまう。

 若い人たちが政治的関心を持つことは悪いことではないし、場合によってはデモをしたっていい。それが新しいストーリーを作り出す原動力になることもあるはずです。でも、そういう若い人たちの一生懸命さや可能性の「生き血」を吸うようなことをなぜするのかなと私は思うんですよ。本当にそれでいいのか。

 そこにあるのは、戦後の物語の絶望的な再生産の構図でしかないと思います。だからいま本当に問題なのは、ずっと同じストーリーが紡がれていることそのものなんですね。舞台は変わっているのだから新しいストーリーが必要です。けれども、そのことに対してとにかく頰被りする傾向がある。この夏の動きの中で強く感じたことの一つですね。あれだけの時間をかけて、多くの人が関心を寄せたにも関わらず、政治的な言説なり思考様式のイノベーションは起こらず、むしろ古い物語への回帰傾向すら見られた。どうしようもなく残念ですよね。

 この思考の固定化に制度的な要因が関係しているのかどうかは、きちんと考えなければならない問題です。少なくとも今の選挙制度や政党間の対立の構図は、本来的には権力の担い手をある程度定期的に入れ換えることで、その思考様式の固定化を防ごうという制度設計上の意図は込められています。しかし、そのことはきちんと認識されていないのだと思います。

 池内 その反応を端的に言うと、中選挙区制の時代のほうがよかった、あの頃は政治家にもっと大物がいたといった話として出てくるわけですよね。実際には自民党内での政争・党内抗争で政権が変わってきたものですから、今でもなぜ党内で反旗を翻さないんだという議論が出てくる。

 けれども、小選挙区制を導入して以降はそういうことは起こらないに決まっている。別のかたちで政権が変わるような仕組みをつくって、そのおかげで民主党も実際に政権をとれたわけです。

中選挙区制ノスタルジー

 待鳥 戦後の自民党政権は、中選挙区制のもとに存在していたわけです。冒頭で述べた自民党業界は、まさにこの中選挙区制において政権交代が起こらない前提で根付いていったわけです。ここには強烈なノスタルジーがありますよね。中選挙区の頃の政治家はおもしろい人物がいて、おもしろい話があったと。結局、何がおもしろかったのですかと尋ねると、「自分が話を聞けておもしろかった」という話になる。いかにも業界の人らしい(笑)。

 その人が国会に出てきて重要法案の採決の時に反対したり党議拘束を無視して行動したのかと言えば、そういうことではまずないわけです。中選挙区制時代の自民党単独政権の頃の内閣提出法案の成立率は大体九〇%以上で、野党に対してのりしろ的に譲歩したいくつかの法案を除けば、ほぼ完全に成立しています。重要な法案は、ほぼずっと通ってきている。ですから、大向こうに受けることを言っていたのかもしれませんが、その政党の中では特段違った行動をしているわけではない。なぜしないのかと言ったら、「政党人ですから」なんていううまい言い訳があるんですよ(笑)。そういう構図なんですね。

 違うことを考えているのであれば、その考えに従った行動をとるのが現行制度を変えた時の基本的なロジックです。そういう独特なことを言っている人に期待しても何も変わらないし、それでは意味がないわけです。政治をめぐる議論を単に消費して楽しむだけならそれでいいんですが、メディアや有権者がいつまでも消費者でいいのでしょうか。かつてのサクセスストーリーの時代であれば有権者は政治の事柄については、政治的現象や言説の消費者でよかった。結果は大きく変わらなかったわけですからね。

 けれどもこの二十年以上の世界の変化を考えれば、日本の有権者も消費者、別の言い方をすれば観客のままではいられないはずです。自分たちも当事者として動かないといけない。メディアももちろんそうです。

 池内 日本の場合は、参議院という問題があります。参議院にはいろいろな問題がありますが、その中で一番端っこのほうの瑣末かもしれないが目につく例としては、山本太郎議員の例があります。彼の選挙運動や議会での行動は中選挙区制時代のものですよね。実際に彼は、参議院の東京の中選挙区制のおかげで当選してきている。人口が違うから、参議院は東京は選挙区が大きい。地方は一人区が多く完全な小選挙区になっているところが多いのですが、東京は真逆の、かなり大きな中選挙区になっている。そうすると東京ではかなり極端なことを主張する人が一人ぐらいは選出されることがある。東京と地方で違う選挙制度をとっているんです。制度が一貫していないから、違ったタイプの議員が都市部ではちょっとだけ混じって、それを都市部のメディアがことさらに民意だとか、特色があるとかいって取り上げることになってしまう。

 もう一つの論点としてよく出てくる一票の格差の問題を本当に是正した場合、都市部に中選挙区制に等しい選挙区をもっと多く作って、もっと大きくしていくということになりますね。現状のやり方で行く以上は。そうすると山本太郎的な人物がさらに数名は出てくる可能性がありますが、それで日本の政治の何かが変わるのかと言ったら、おそらく変わりません。選挙制度全体の趣旨に反した例外のようなものを増やすだけなので、全体の秩序の中ではノイズが若干増えるだけです。だとしたらむしろ、本来の制度の趣旨に一番合うかたちで本当の意味での政党政治を行えるように変えていくべきだと思うのですが、そういう議論は少ないですね。

 待鳥 参議院の問題は確かにあります。比例代表と組み合わせていることもあって参議院はより中選挙区的な要素が強い。政党の数も多くて多党化していますね。連立政権がこの二十数年の間ずっと続いていますが、参議院のために連立しているわけです。今の自公連立も民主党政権が社民党と国民新党と組んでいた時も、参議院で過半数をとるための連立です。参議院で過半数をとらないと法案が通らない。

 基本的には、連立政権は責任所在の明確化という点ではやや弱さがあります。もちろん連立政権には連立政権のよさはあります。無視できないような絶対的弱者がいる場合は、この人たちの意見をできるだけ取り込みやすい状態にしておくことが大事なので、連立政権は大きな効果を生む。けれども、そうではない社会では、少数派は議席数が少ないという単純な意味での少数派ですよね。そうすると連立政権は、少数派に対する過剰配慮になりやすいんです。

 日本の政治学者は、自民党単独政権に対するオルタナティブとして連立はいいと評価してきました。ここにも問題があります。なぜ連立政権にしなければいけないのかという話とは切り離されて、「連立政権はそれ自体いいんだ」みたいな説明をしますが、「それ自体がいい」なんていう理屈はありません。

 連立政権にしたいのであれば、中選挙区制を採用するという選択もあり得ます。けれども、一言居士だけど政策的には何も生み出さない議員をつくり出す可能性は高くなります。山本太郎さんは、少なくとも今までの活動からはそうしたタイプの議員だと考えざるをえません。彼が当選している参議院の東京選挙区は、改選数五人の選挙区ですから二割弱の得票率で通るんです。一五%も得票したら十分に当選できる。七、八人に一人信じてくれればいけるという仕組みなんです。少数派の代表をあえて議会に送り込むことに強い価値を認めるのでなければ、この仕組みはどうなのかなと私は思いますね。

 最近、直接民主主義的な発想が増えてきていますが、背景には明らかに技術的な進歩がありますね。もともと議会をつくり代議士に政治を託していたのは、一億人もの人間が一堂に会することができなかったからだと。ところが、今は技術的にはそれが可能ですから代議制民主主義の役割は終えつつあるかのような議論をする人もいます。

 しかし、私は意見をどこかで集約することが持つ意味をもっと大事にしなければならないと思います。多様な意見がこの世の中に存在していることは当たり前ですが、それを集約する過程で、有権者の考えていることと必ずしも重ならない結論になることに対して責任を負う人たちがいることの意味やその価値をきちんと見出さなければならないはずです。しかし、ここを十分に議論していない。

 安保法制でデモをしていた人たちからは、「どうして自分たちのことを無視するんだ。それは民主主義ではない」という意見が多く聞かれて、それがかなり受け入れられている印象です。同時に、政治家や政党が有権者に対して選挙時に提示した公約を絶対視する雰囲気もある。

 そうした態度はどちらも、きちんとした議論や検討を経過することで導き出される結論に対してあまりに価値を低く見過ぎていることの表われとも言えます。ある程度人数を絞り込んだ議会という空間で濃密に話し合ったり、議論したり検討したりする過程では、当然最初に考えていた結論とは違うものが意思決定として出されることがあるでしょうが、そうした決定にも固有の価値があるという態度は必要だと思いますね。

派閥はよかった?

待鳥聡史・京都大学教授

 待鳥 最近大手メディアの中にも「派閥があった頃はよかった」なんてグロテスクなことを言う人がいます。そういう人は派閥が存在したことで多様な意見が存在できたと言いますが、意見交換なんかしていなかったというのが私の感想です。派閥を最も戦闘的に定義すると、自分たち領袖を自民党の総裁にするために存在している手段を選ばずに闘う集団になります。そして、実際に起こっていたことはそれに近い。

 もちろん、派閥は政策色が全くないわけではありません。派閥はよかったという人たちが思い描いている派閥は宏池会です。吉田茂がルーツと言えばルーツで、池田勇人を取り囲む形で誕生し、宮澤喜一、加藤紘一に至るまでの系譜です。彼らはきちんと政策のことを考えていて、しかも日本全体のことを考えていたと見る人は多い。

 宏池会の存在が党内でバランスしていることで自民党は安定していたと言うわけですが、これは奇妙な話です。政策上の対立が本当にあるのであれば、異なった政党としてやるべきです。もちろん政党の組織内部で路線を争うことはあるでしょうが、それは常に政権を失うかもしれないというリスクを伴いながら行うことです。

 つまり、ここで自分たちの路線で党をコントロールしないと相手の党に政権が行く可能性があるから、必死で争うものでなければダメです。政党内の路線争いは、政党間関係の緊張度と相関しているはずなんです。そうした緊張のないままに党内で路線争いだけをやっていることに対して、「よかったね」といくら言っても意味がない。政党政治のあり方としては不自然だと思います。

 結局突き詰めてみると、ここでも「解体される前のあの自民党業界はよかったね」という話に収斂されてしまうように見えます。特に大手メディアの中には、自民党業界の明らかに末端に連なっていた、いわゆる政界報道、政局報道に携わっていた人たちがいて、その人たちが今は社の幹部になっている。若手の頃はああいう取材体制はしんどかったけれども「あれで結構よかったんだよね」といった話になる。でも、話を聞かせてもらえなかった人や不意打ちのように変な政策をされた人たちもたくさんいたわけですが、そういう存在は「業界人」のノスタルジーの構図から全部抜け落ちている。

 私は、それは政治のあり方としてあまり健全ではないと思います。ここに立ち返らないと、これから先のことは議論できないのではないかと考えています。仮に自民党業界みたいなものを復興できたとしても──今は一見できているように見えますが──それは何ももたらしはしない。日本の社会や経済が抱える課題に対して、将来展望も何もないわけです。でも、未だに何かその構図の中にいて日々それに「耽っている」感じがします。気持ちはわからないでもないけれど、耽っていて大丈夫なのか。直感的にそれはまずいだろうと思うんですけどね。

池内恵・東京大学准教授

 池内 議会やメディアは、国民社会や政治共同体を表象する役割を負った数少ない媒体ですよね。その機能を実際に担うのは政治家であったり、専門の政治記者だったりします。本来は政治学者がそこに理論的な枠組みや概念を与えるはずです。私などは学会や研究会などで専門家たちと勉強させてもらって、いろいろな視点を与えてもらっています。選挙や議会政治を条件づける制度的な仕組みやその問題などは、目から鱗が落ちるようなことが多い。けれども、肝心の議会やメディアでの議論を見ていると、そういったインプットが適切になされている感じがしない。政治学者を含めて、政治を表象する媒介がいろいろな意味で機能しなくなっているのかなという気がします。

 メディアに政治学者とされる人本人が出てくるような場合もあります。しかし、本当の意味で政治学者が対象化してきた問題が全然取り上げられていない。

布団から出て、大きな新しい構図を考えよ

  待鳥 メディアの力は大きいですが、メディアも業界に連なっている事情があってなかなか難しいのかもしれません。軽減税率の話などは典型的だと思います。やはり業界に連なっているほうが旨味があると経営母体が判断すると、どうしてもそれが表に出る。

 池内 そうなんですね。我々もいろいろなメディアに書かせていただく機会がありますが、それが何によって支えられているのですかとか言われるとね。

 待鳥 まさに自民党業界に連なるようなものに最終的には支えられている。

 池内 我々の中にも内なる既得権があって、そこには疑問の余地はありません。でも、メディアの機能に期待するところがあるとすれば、みんなが既得権を持っているということを前提にして、その上でこのままでいいのかという大きな構図を提示することだと思うんですけどね。

 待鳥 そのためにはまずは、あらゆる問題を既存の構図に乗せようとする習慣から脱却することだと思います。それができなければ、日本は立ち行かないというくらいの意識を持ってみんなやるしかない。でも、これが一番難しいんですよね。それは結局インセンティブの問題でもある。今のインセンティブは「快適でありたい」ということです。でも、この快適さは寒い日の朝に遅刻しそうなのに、布団から出ないでいる快適さに似た状態です。それでも最後は布団から出なければならない。それをただ待っているという話は絶望的です。だから、何とか自発的な意思で布団から出られるようにならなければならない。

 この夏の安保法制の議論の盛り上がりが、これからの社会や政治に何かポジティブな効果を残すとすれば、それは政治に参加することで何かが変えられるかもしれないという感覚を経験した若い人が一定数いたということです。こうした体験の意味はやがて現れて来るのだと思います。

 冒頭に出てきたクリントンもベトナム反戦世代です。ベトナム戦争のインパクトは、アメリカの政治に大きな影響を与えました。時間が経過してそれがいろいろな形として現れたわけです。そういう意味では、今回安保法制に関わった若い人たちの中から、大きな新しい構図で世界のことを考えられる人物が出てくることに期待したいですね。(終)

待鳥 聡史・京都大学大学院法学研究科教授
1971年福岡県生まれ。京都大学大学院法学研究科博士後期課程退学。博士(法学)。大阪大学大学院法学研究科助教授などを経て、現職。著書に『代議制民主主義』『首相政治の制度分析』『政党システムと政党組織』など。
池内 恵・東京大学先端科学技術研究センター准教授
1973年東京生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。アジア経済研究所研究員、国際日本文化研究センター准教授などを経て現職。著書に『イスラーム国の衝撃』『現代アラブの社会思想』『イスラーム世界の論じ方』など。
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