カンボジアの選挙と主権者教育【辰巳知行】

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『公研』2023年8月号

国際協力機構(JICA)カンボジア選挙管理委員会能力強化アドバイザー

 

出前授業で世界の多様な選挙管理について話す辰巳氏

 

選挙管理に対する技術協力とは

 カンボジアに着任して2年ほどになる。長期滞在は3度目なので、強いご縁を感じてしまう。1度目は今から20年ほど前、NGOのスタッフとしてアンコールワットのあるシエムリャップ市で活動した。村々を回るときにはアンコール遺跡群を通り抜けなければならず、とてもラッキーな思いをした。2度目は首都プノンペンで5年ほど前、JICA(国際協力機構)の国際協力専門員として選挙管理委員会の能力強化に取り組んだ。そして3度目の今回も前回同様、選管に対する技術協力に携わっている。

 よく勘違いされるのだが、「選挙(政党の競争)」を支援しているのではない。「選挙管理(公的機関による選挙事務)」に対する技術協力を実施しているのである。選挙「監視」も行わない。

 さて、「選管の能力」とは何か。端的に言ってしまえば、有権者を正確に登録し、投開票集計事務を円滑に回し、主権者教育を行える能力のこと、である。簡単に聞こえるかも知れないが、グローバルサウスの国々では課題が多い。カンボジアの例で言うと、有権者を概ね正確に登録できるようになったのは、ごく近年のことである。日本のように住民基本台帳から18歳以上の人を抽出できればよいのだが、元となる精度の高い名簿は存在せず、1千万人近い有権者を選管自身が登録しなければならない。有権者は登録しないと投票できないため、自分の地元で登録したあと、働きに出ている都市部でもついつい登録したりする。いわゆる二重登録、多重登録である。また、亡くなった方を有権者名簿から弾くことも簡単ではなく、それらを逆手に取った「二重投票」「なりすまし投票」がよく見られる。政党が裏で糸を引いたりすることもあり、グローバルサウスの国々の選挙管理にとっては大きな課題となっている。

 そのため近年は「生体認証機能付き有権者登録」を行う国が増え、グローバルサウス・スタンダードのひとつになりつつある。有権者登録時に指紋を採取し、中央データベース内で照合することにより二重登録や幽霊登録を弾くシステムであるが、カンボジア選管もこれを採用する決断をし、日本とEUが協力して導入支援を行った。その結果5年前の前回選挙で、1100万人ほどと見込まれていた有権者数は蓋を開けてみると、800万人ほどに減ってしまった。減ったのではなくより正確になったのであるが、三割増しの有権者名簿で実施されていたこれまでの選挙って……と心の中で呟いた関係者は多かったことだろう。このように技術協力を通じて、一国の選挙管理プロセスの改善をアシストすることが可能なのである。

主権者教育と常時啓発

 以上は5年前の話で、今回は「主権者教育」の分野に特化し、中でも「常時啓発活動」にフォーカスした技術協力を行っている。と言っても、JICAが人々を教育するのではなく、カンボジア選管の常時啓発能力を強化することが目的である。日本においては選管による様々な常時啓発活動が行われており、都道府県や市区町村の選管が地域や学校等へ出かけて実施する「出前授業」は代表的な活動のひとつである。教師が候補者に扮する模擬選挙や、楽しみながら学べる選挙クイズ等を通じて、選挙の仕組み、制度、重要性等を参加者は学んでゆく。公職選挙法に、選管は常時啓発活動に取り組まなければならないことが明記されており、それが活動の根拠となっている。カンボジアの選挙法にも同様の規定があり、本来は取り組みが求められるのだが、具体的な活動はこれまでほとんど行われて来なかった。そこで日本に対して国際協力の要請があり、JICAが技術協力を実施している訳だが、日本の選管のノウハウと経験をカンボジア選管とも共有しつつ、現地のコンテクストに応じてアレンジしながら、選挙がないタイミングでの常時啓発活動が全国において一定の水準で安定的に実施されるよう、カンボジア選管の能力強化と持続可能な体制づくりに取り組んでいる。

 カンボジアにおける出前授業は順調に全国に広がり始め、すでに全州において何らかのかたちで実施されるに至っている。私も出前授業の実施状況をモニタリングしながら、ときには講師として世界の多様な選挙管理について話をしたりしているが、参加者からは様々な質問が飛んでくる。「友だちの代わりに投票してもいいですか?」「親に言われた政党以外に入れても大丈夫ですか?」等の興味深い質問もあれば、「いつも同じ政党が勝ちますが、選挙の意味はあるのでしょうか?」「選挙をやっていれば民主主義なのでしょうか?」等の本質的な質問も飛び出し、こちらが必死に答えを探さなければならない場面も多々ある。これが全国25州の選管事務所の日常業務となれば、参加者と選管スタッフの双方にとって、選挙や民主主義に関する理解を深める継続的な場となるだろう。また、日本の選管がパワポを使って実施している選挙クイズをカンボジア選管に紹介したところ、若いスタッフたちが改良を加え、スマホとネットを活用したオンライン選挙クイズに仕上げてしまった。逆輸入しなければなるまい。

 選挙が安定して実施されるためには、「ルールに則った政党の行動」「信頼に足る選挙管理」、そして「選挙や民主主義に関する人々の理解」が必要とされる。二つ目と三つ目に関しては技術協力による改善と向上が可能である。中でも三つ目は民主主義の基盤と言ってよく、今回の取り組みがカンボジアのよりよい民主主義の土壌づくりを促す協力のひとつとなれば幸いである。

カンボジア総選挙

 以上は国際協力の話だが、選挙そのものに目を向ければ、今年7月に5年に一度の総選挙が実施され、125議席中120議席を獲得して人民党が圧勝した。残る5議席は王党派のフンシンペック党が得たが、人民党のかつての連立相手でもあり実質的な野党とは見なされていない。20%ほどの議席を取ると予想されていた「野党」キャンドルライト党は、書類不備という理由で選挙への参加が認められず、その他16の小政党は議席を得られなかった。選挙を通じて人民党は、事実上の一党体制を維持していると言えるが、「党員でなければ役人になれない」「会社での出世に影響する」こともあるようで、党が社会に深く浸透し影響を及ぼしている様子が伺える。また、行政機関と与党の一体化はグローバルサウスではよく見られる現象だが、カンボジアも例外ではない。各種リソースの強力な動員と分配、野党の弱体化、メディアへの圧力等によって、人民党は選挙での勝利を確実にしている、と海外メディアは報じている。

 他方で、経済成長を背景とした人々からの一定の支持があることも無視できない。7%前後の高い経済成長率を維持し、貧困から抜け出たり、豊かさを享受し始めたりしている国民は多いだろう。国連の人間開発指数等も年々改善されており、街を歩いているだけでもそれは実感できる。

 アジアには「開発独裁」と呼ばれ、権威主義的な体制の下で高い経済成長を果たし、それを踏み台にしてより民主的な体制や社会へと移行して行った国は多い。東南アジアでは、インドネシア、タイ、フィリピン等がそうだろうし、東アジアでは韓国、台湾も同じ道を辿ったと言える。広く見れば日本もそうかも知れない。いずれの国もまだ道半ばとも言えるが、カンボジアも同じような道を辿っているとすれば、時間軸を広げてこの国の現状を見なければなるまい。

出前授業を行うカンボジア国家選挙管理委員会のスタッフ

 

カンボジア、これまでとこれから

 改めてカンボジアの歴史を振り返って見ると、やはり驚かされる。12世紀ごろにはアンコール王朝が栄華を極めたが、近代になるとフランスの植民地となり、 第二次大戦中は日本の占領下に置かれ、戦後に王制国家(シハヌーク国王)として独立する。その後ロン・ノル将軍のクーデターによりアメリカの傀儡反共軍政国家となり、ベトナム戦争での米国の敗北を受けて軍政が弱体化すると、特異な共産主義を標榜するクメール・ルージュ(ポル・ポト派)が現れ、当時の人口の4分の1に達する170万人以上の自国民を死に追いやった。70年代後半にベトナムによってポル・ポト派がタイ国境に追いやられると親ベトナム勢力が統治を始め、内戦状態が10年以上続く。和平合意に至ったのは1991年で、国連による暫定統治下の選挙を経てようやく現在につながる立憲君主制となった。

 つまりカンボジアは第二次大戦後に王制、親米反共軍政、親中共産体制、親ベトナム社会主義体制、内戦、国連による暫定統治、立憲君主制と、国家体制が目まぐるしく変わり、国民は振り回され続けた。人口約1600万人という東南アジアでは決して大きくないこの国が辿った道のりを想うと、カンボジア人の同僚と交わす日々の笑い話が貴重なものに思えてしまう。
フン・セン首相の在任期間は38年を超え、世界最長とされる。5年前は「あと10年」と言っていたが、今は長男フン・マネット氏への首相世襲へ向けた足場固めに余念がない。議院内閣制で首相の世襲を公言するのも珍しいが、選挙で選ばれて国会で指名されれば「手続き的」には民主的ということになる。私に4度目のカンボジア赴任があれば、カンボジアは首相交代という大きな節目のあと、歴史の新たなチャプターを書き進めているかも知れないが、ご縁のあるこの国の人々とまた協働できることがあれば幸いである。

(本文は筆者個人の見解であり、JICA組織としての見解ではございません。)

[サムネイル画像:屋外で出前授業を行うコンポントム州選挙管理委員会のスタッフ]

辰巳 知行 

国際協力機構(JICA)カンボジア選挙管理委員会能力強化アドバイザー

たつみ ともゆき:1968年大阪生まれ。早稲田大学人間科学部卒、大阪大学大学院国際公共政策研究科修了。選挙管理分野の国連専門家やJICA国際協力専門員を経て、現在はカンボジア勤務。これまでの赴任地はコソボ、カンボジア、リベリア、セルビア、イラク、シエラレオネ等。

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