2025年7月号「対話」
社会に出るタイミングで就職難に見舞われた「就職氷河期世代」。
氷河期世代の不遇は様々なかたちで語られてきたが、苦境にいるのはこの世代だけなのか? また、苦境にいる人たちに社会はどのような手当てをすべきなのだろうか。
東京大学社会科学研究所教授 立命館大学産業社会学部教授
近藤絢子 筒井淳也
こんどうあやこ:1979年生まれ。東京大学経済学部卒、コロンビア大学大学院博士課程(経済学)修了。Ph.D. 大阪大学講師、法政大学准教授、横浜国立大学准教授。東京大学社会科学研究所准教授などを経て2020年より現職。専門は労働経済学。著書に『就職氷河期世代 データで読み解く所得・家族形成・格差』、共著に『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』『日本の労働市場』、編著に『世の中を知る、考える、変えていく』など。
つついじゅんや:1970年生まれ。一橋大学社会学部卒業、同大学院社会学研究科修士課程修了、同博士課程中退。博士(社会学)。光陵女子短期大学国際教養学科専任講師、名古屋商科大学総合経営学部助教授などを経て2014年から現職。専門は社会学。著書に『人はなぜ結婚するのか 性愛・親子の変遷からパートナーシップまで』『仕事と家族 - 日本はなぜ働きづらく、産みにくいのか』『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由』など。
記述統計と因果推論
近藤 本日は就職氷河期世代をテーマに議論していきたいと思います。議論を始める前に、就職氷河期世代とはどの時代を指すのか具体的にしておきます。私は2019年の「就職氷河期世代支援プログラム」関連の公文書の定義に倣って、1993年から2004年に高校や大学などを卒業した世代を就職氷河期世代と呼んでいます。これをさらに、前期(1993年卒~1998年卒)と後期(1999年卒~2004年卒)に分けています。今回の「対話」でもこの定義を用いていきたいと思います。
最初に簡単な自己紹介をさせていただくと、私は労働経済学を専門にしています。昨年10月に『就職氷河期世代──データで読み解く所得・家族形成・格差』を発表しました。この本は記述統計、つまり時系列グラフやクロス表集計など、シンプルな方法でデータの概要や特徴を記述・要約したうえで論じる構成になっていますが、普段はより複雑な計量モデルを組んで、因果推論の手法を使うことで個々の政策の効果を研究しています。
筒井 私の専門は家族社会学で、人口の変遷や出生率などのデータを使いながら、日本の家庭や社会の変化について研究しています。6月に『人はなぜ結婚するのか──性愛・親子の変遷からパートナーシップまで』という結婚のあり方をテーマにした著作が刊行されたところですが、未婚化や晩婚化、少子化、パートナーシップの多様化などの現象などについても研究しています。
いま記述統計と因果推論という専門的な言葉が出ましたが、この二つは研究のスタイルがだいぶ違いますよね。因果推論は、政策の影響をつぶさに見ていきます。例えば、子どもを増やすことを目的に打たれた政策が出生率にどのような影響があったのか、その効果を具体的に検討する研究です。「どうして少子化したのか?」という疑問に答える研究ではないので、社会の変化を説明するのには向いていないところがある。そのため世間一般では記述統計的な研究のほうが話題になったりしますが、私は因果推論にもっと陽が当たるべきだと感じています。近藤先生は記述統計と因果推論の両方を使い分けている印象があって、労働経済学の研究者としてはめずらしいタイプだと感じています。
近藤 私の研究のメインは因果推論で、普段は政策介入の効果をミクロに見ています。記述統計的なアプローチは、個人的な興味から一般向けにコラムなどを書くときにやっている感じですね。所属している東京大学社会科学研究所の同僚には社会学者たちもいますが、彼らのほうが視野が広いと感じています。最近の労働経済学の世界は、どうも蛸壺化してしまっているところがあります。私もその一人になっているのかもしれませんが、分析できる対象しか分析しない傾向があります。
筒井 社会学の分野では因果推論を積み重ねても社会を説明できないのではないか、という立場が根強くあったと思います。ただ最近では社会学でも因果推論をやるべきだという雰囲気になってきています。一般の方には専門的に感じられるでしょうが、この「対話」を読み進めていかれる際にも、このスタイルの違いを頭の片隅に置いていただければと思います。
苦しんでいる層は氷河期世代に限ったことではない
筒井 冒頭から少し脱線しましたが、本題に入りたいと思います。近藤先生の『就職氷河期世代』をあらためて読みましたが、この本にはいくつかの大きなメッセージがありますよね。その一つは、学校を終えて就職する段階で望むような仕事に就けず、その後十分なキャリア形成ができずに低賃金に苦しんでいる層は就職氷河期世代に限ったことではないというご指摘です。氷河期世代以降もリーマンショックや東日本大震災などによる不況の影響で、若年者雇用の苦境は続き、決して改善したわけではないと。
近藤 図表1から3の統計データからわかるように、今の30代も決して恵まれた雇用状況にあったとは言えません。図表4は、初職が正規雇用だった割合と非正規だった割合を示したものですが、むしろ氷河期世代以降で悪化しています。
筒井 氷河期世代は社会的にもインパクトが強かったので、私もこの世代が最も厳しい状況にあるのだろうと漠然と思い込んでいたところがありました。こうしてデータをあらためて見ると、とても「改善した」と言える状況ではありませんね。
就職氷河期世代という言葉が広く使われたことで、就職難はこの世代の特徴であると、認識が固定してしまったのかもしれません。実際はこの世代に限った景気循環による影響ではなく、構造的な変化が起きていた可能性がある。
近藤 おっしゃる通りです。2016年に、連合総研が行った氷河期世代の実態を把握するためのプロジェクトに参加したことがありました。その際に、確かに氷河期世代はそれより上の世代と比較すると著しく状況が悪化していますが、下の世代とはあまり差がないという事実が浮かび上がってきました。
その少し後の2019年に政府は氷河期世代対策を打ち出しましたが、対象が「2004年までに卒業した人たち」に限られていました。氷河期世代以降も苦境が続いていることは明らかですから、そこで区切る必要はないはずです。『就職氷河期世代』を書こうと考えたきっかけも、その事実を知って欲しいという思いがありました。
どういうわけか、世代で輪切りにしたがる人が多い傾向があります。しかし支援するのであれば特定の年齢層に限定するのではなくて、窮地に陥っている人たちに狙いを定めて対策するほうが望ましいはずです。氷河期世代には困っている人たちが多いのですが、それ以降の世代にも支援が必要な人たちはいるわけです。
筒井 氷河期世代でも成功している人たちは当然いるし、それ以降の世代でも厳しい人たちもいますよね。
近藤 そこには濃淡があるので、支援対象を世代で区切るのはおかしいはずです。
本を出して取材を受けるようになってから気が付いたのですが、世間が思っている氷河期世代と一番景気が悪かった時代とは少しズレがあると感じています。世間が考えている就職氷河期は前期にあたる、内定率などが下がっていく途中にいた年代の人たちです。就職氷河期という言葉が流行ったのは、その世代が就活していたときでしたから、社会に強いインパクトを残したのだと思います。けれども、最も厳しい状況にあったのは氷河期後期の人たちです。
筒井 学校を卒業して就職するタイミングで、雇用環境が悪かった人たちのことを就職氷河期世代と呼んでいるのでしょうが、高卒と大卒とでは4年間ズレますよね。おそらく氷河期前期というときは高卒基準では75年から80年くらいに生まれた人たちで、大卒になるとそれよりも前になる。我々は就職氷河期と聞くと70年代前半生まれを思い浮かべるんですよね。
近藤 けれども、それは大卒の人だけです。
筒井 ショックが大きかったのは、むしろ非大卒のほうだったのかなという気がします。日本社会を研究しているハーバード大学のメアリー・C・ブリントン教授(社会学)が書いた『失われた場を探して──ロストジェネレーションの社会学』では、高卒、特に普通科の非進学校を卒業した人たちのほうがより厳しい状況だったと紹介されています。
近藤 高校卒──統計上では専門学校卒も含めています──は、今でも非正規雇用の割合が高いままで、もうずっと改善していません。
筒井 このあたりはメディアの認識がズレていたり、解像度が粗かったりする印象があります。ズレたまま今に至っているところがあるのかもしれない。
近藤 よく氷河期世代のあとに一瞬、雇用が回復したと言われています。確かに大卒市場は求人倍率が少し上がっていますが、それは大卒に限った話です。あたかも全体的に良くなって、氷河期は終わったかのような雰囲気になっていました。実際はその後もリーマンショックの影響などで雇用環境は悪化していましたが、そこは忘れ去られている印象があります。
筒井 20代の非正規雇用の比率が明らかに悪化したのは氷河期世代からであることは間違いないのだけど、後ろの世代でもそれが継続していた。
近藤 氷河期世代が始まりだったことは確かですね。
出生率は団塊ジュニア世代よりも高い
筒井 『就職氷河期世代』が提示したポイントとして、もう一つ私が関心を持ったのは出生率に関するご指摘です。雇用環境が不安定だった氷河期世代は「経済的に子どもを持つことが難しくなり少子化に拍車がかかった」──。繰り返し聞かれた言説ですが、データをよく見ると氷河期世代後期(70年代後半生まれ)の出生率は、その前の団塊ジュニア世代(70年代前半生まれ)よりも上がっています(図表5)。
私もこの分野を研究していますからデータを把握していますが、まさに近藤先生がご指摘されている通りです。団塊ジュニアはとにかく子どもを持たない世代でしたが、その後の世代は少し持ち直していました。氷河期世代は20代のときは低い出生率でしたが、30代になってから盛り返している。氷河期前期・後期とも同じ傾向がありますが、それがなぜなのかは我々もわかっていません。推測としては、20代では非正規雇用だった男性も30代になると正規雇用にシフトした例が多かったことが考えられます。
近藤 確かに男性の側の雇用は、多少安定しました。
筒井 日本の少子化が進んだ経緯を振り返ると、20代で初めて出産していたのが30代へシフトしていった流れがあります。30代で産むのが一般的な時代になっていたところに、30代の雇用が若干回復したことが出世率の増加に寄与している可能性があります。
それから2000年代後半から10年間くらいは、保育園を増やすなどの子育て支援策の効果が出ている可能性はある気はします。
近藤 深井太洋さん(学習院大学准教授)と鳥谷部貴大さん(一橋大学講師)の子育て支援政策と出生率の関係についてのご研究で、保育園を増やしたところで出生率が上がっているというエビデンスは出ています。
筒井 社会学の世界では、少子化の最大の原因とされてきたのは女性の高学歴化でした。女性が徐々に高学歴化していった結果、まずは結婚するタイミングが遅れます。スタートが遅くなれば、出産に至る時期も遅れるので結果的に子どもの数も減りやすいというわけです。
もう一つの原因は、ミスマッチです。女性の高学歴化は進みましたが、男性は同じようには高学歴化していきません。女性は基本的には同類婚か上昇婚をめざすので、求めるパートナーが見つかりにくいというミスマッチが生じてしまう。これは比較的厳密に立証されています。
この二つが少子化に影響していると言われています。少子化の基調はずっと変わっていませんが、出生率は団塊ジュニアで下がっていて、いま確認したように氷河期世代は30代で少し上昇しています。私はここを「踊り場」と呼んでいます。ただ次の世代では…。
近藤 下がりますよね
筒井 そうなんです。1985年から89年生まれくらいの世代からまた陰り始めます。この世代は20代の出生率がガタッと下がるし、おそらく30代になっても再び下がってくる可能性が高い。
近藤 80年代後半生まれが今30代後半ですからまだ統計が出ていませんが、最近の数字を見ている限りでは下がることは確実です。
筒井 ポスト氷河期世代の出生率は、踊り場を脱して再び下がるほうへ向かっています。背景に何があるのか気になるところですが、この世代も女性の高学歴がさらに進んでいるので、やはり20代では子どもをつくらなくなる。
氷河期世代後期の20代前半の出生率の平均は0・186でしたが、5年後のポスト氷河期世代になると0・138まで下がります。ここで女性の高学歴化がだいぶ進みますから、おそらくその影響かなという気がしています。何かドラマチックな謎があるわけではなくて、単に女性が大学に行く割合がさらに増えたことが大きいのではないかと考えられる。
近藤 短期大学が4年制大学に移行したせいで、それまで短大に進学していた層が4年制大学に行くようになった影響もありますよね。2年間余計に学校に行く分だけ、結婚・出産のタイミングが遅くなる。ただ4年制に進む割合が増えたことが、いわゆる上昇婚志向を背景にミスマッチを増加させたかどうかは、よくわからないところがあります。大学の序列自体は変化していませんから、全体の構図にはそれほど影響していないはずです。
女の子がお嫁さんになって生きていけた最後の世代
筒井 私が踊り場と呼んでいた時期は、出生率1・4ぐらいが続いていましたが、今は1・2を切る状況になっています。
近藤 最新の2024年は1・15で、過去最低を記録しています。新型コロナの影響を差っ引くにしてもかなり低い数字です。
筒井 コロナの影響だけではないですよね。
近藤 コロナ前から下がり始めていますからね。
筒井 話を氷河期世代に戻すと、この世代は30代では出生率がだいぶ上がりました。近藤先生も指摘されていましたが、氷河期はいわゆる性別分業が生きていた最後の世代なのかもしれません。それが出世率を上げる方向に働いたと見ることもできるし、性別分業を緩和する方向性がむしろプラスに作用したのかもしれない。おそらく両方が影響しているのでしょうが、この辺りはどう解釈されていますか?
近藤 一つ強調しておきたいのは、氷河期世代の出生率を同じ世代内で見ると、経済的に安定しているほうが高くなるという偏りがあることです。かつては学歴の低い女性のほうが産む子どもの数は多かったのですが、それが逆転したのが70年代後半生まれぐらいからです。この世代は、学歴が高い女性のほうが出生率は高いという新しい傾向が見られます。
保育園を整備することが出生率に影響するといったエビデンスから考えると、どちらかと言えば性別分業ではなくて女性がキャリアを積みながら子どもを産めるようになった効果が大きいのではないでしょうか。
その一方で、性別分業が残っていたのではないかという指摘も説得力がありますよね。実感ベースで言えば、女の子がどこかのお嫁さんになって生きていけた最後の世代だったのではないかという気がしないでもない。
筒井 それはわかりますね。実は、80年前後生まれの人たちの出生率が20代前半で一瞬だけ上がっているフェーズがありました。
近藤 私も他の研究者からそれを指摘されたことがあります。
筒井 注意深く統計を見ないとわからないくらいですが、そういう時期がちょっとだけある。
近藤 経済学者らしからぬことを言ってしまうと、コギャルブームが起きていた頃ですね。高校を中退してしまった女の子が夜の街などで働いて、そこで何となく相手を見つけて、結婚して奥さんに収まる現象があちこち起きていた可能性はありますね。
筒井 性別分業と言えるのかわかりませんが、稼ぐプランがない女性が結婚するパターンですね。それからご指摘されたように、二人とも大企業で共働きしているモデルが出生率は高い。この二つのパターンでは割と子どもをつくるけど、それ以外のケースでは子どもを持つことが難しくなっている傾向があった気がしています。
筒井 私は、日本型の雇用システムに関心を持って研究を続けてきました。社会学では内部労働市場──企業の内部において労働力を配分し賃金を決定するメカニズム──のなかで守られている人たちと、そこに入れずに比較的厳しい労働環境に置かれている人たちという言い方をよくします。就職氷河期世代の一部は、内部労働市場に入れなかったために苦労してきたわけです。新卒一括で採用して長期的な育成を前提とするメンバーシップ制に象徴されるように、新卒のタイミングを逃すと厳しい状況がずっと続いてしまう。
しかし、神林龍先生(武蔵大学教授)などのデータによれば、20代では漏れていたとしても30代では内部労働市場の仲間入りしているケースも多く見られます。入り口で弾かれても数年から10年間くらい頑張っていれば、割と落ち着いたところに収まった人たちもいます。もちろん、ずっと入れないままだった人たちもいたわけです。
近藤 内部労働市場にもグラデーションがあって、いわゆる一流と言われている大企業の労働市場は、ものすごく閉じていました。一流企業も中途採用を積極的に行うようにはなりましたが、一流企業に就職していた人が別の一流企業に転職するケースが多いんですね。大企業同士のなかで閉じていて、中小企業から大企業に転職する例は少ない。もちろん中小企業の中にも経営が安定しているところもあるので、ご指摘のように、そういう職場に落ち着いている層も一定数いることは事実です。
ただし、やはり氷河期世代以降、非正規雇用の割合が増えた事実は無視できません。解像度を上げて実態を見ると、非正規でもフルタイムで働いていて、社会保険も適用されている契約社員もいますから一括りにはできませんが、厳しい状況にいる人はやはり多い。
筒井 小熊英二先生(慶應義塾大学教授)は、歴史社会学的な観点から内部労働市場が各国でどのように形成されていったのか研究されています。小熊さんは、正規雇用の全体の数は一定であまり変わっていないと強調されています。神林先生も、非正規雇用が増えたのは正規雇用が減ったからではなくて、自営業あるいはその家族従業員が非正規に転換したからだと指摘されています。
近藤 商店街でお店を営んでいた自営業の家族従業員だった人たちが、ショッピングモールでパートをするようになったイメージですね。ただ氷河期世代の問題は、従来は主婦がパートとして働いていた仕事に、学校を出たばかりの若者が、それしか職がなくて流れて行ったところにあるのだと私は考えています。
筒井 その変化はインパクトがありますね。
近藤 産業構造が変化して、サービス業の割合が増加したことも労働環境の悪化に直結しています。製造業だと平日に決まった時間帯で働く仕事が多いですが、サービス産業だとお客さんがいるあいだはお店を開けておかなければなりません。そちらのほうの雇用のシェアが上がっていくと、必然的に非正規雇用の需要が高くなります。
それからブラック企業という言葉に象徴されるように、正社員であっても長時間労働や早朝・深夜の時間帯で働くことを強いられたりもする。限りなくアルバイトの人たちと同じような待遇で長時間働いている「正社員」が存在しています。こうした働き方は、いわゆる内部労働市場で想定されてきたホワイトカラーの人たちのキャリアパスとはかなりズレていますよね。
政治的な対処が可能だったのか?
筒井 今まで見てきたように、就職氷河世代以降の日本の雇用環境が悪化したことは明らかですが、よく「政治的な措置がなされずに放置されたままだった」という言い方がなされます。それでは、2000年前半の苦しい時期に何らかの対処が可能だったのかどうかという点について少し考えてみたいと思います。
近藤 政治でどうにかできる余地があったのかと言えば、かなり疑問ですね。結局、問題の背景にはバブルの崩壊による不景気があります。それを政治の力で防ぐことができたのかと言われると、不可避だったように思えます。
筒井 雇用を改善するような介入は、不可能に近いですよね。
近藤 氷河期世代が新卒で就活していたときよりも、彼らが20代後半や30代になった頃に就労支援をする余地はあったのかもしれません。
筒井 当時、若年者の雇用改善の一環として、経歴を可視化したジョブカードを導入するなどいろいろな支援策が打ち出されましたが、どれもピンと来ないところがありました。結局「これだ!」というものが見つからなかった。
近藤 公務員に積極的に採用する試みをあと10年早くやっておけば良かったのかもしれません。
筒井 確かにそうですね。景気の底と言われていたのは2000年代前半ぐらいで、それから若干景気が上向いたときに、公務員の人気が下がったことがありました。あのときに年上枠のような仕組みをつくっておけば、キャリアパスが作りやすかったのかもしれません。ただ実際には難しかったでしょうね。
近藤 私もそう思います。ちょうど自治体の支出を減らしていた時期でしたからね。
筒井 日本人は公務員を増やすことには、だいぶアレルギーが強いですよね。実際は世界と比較すると、公務員の数はものすごく少ないんです。以前に簡単なアンケート調査をやったことがありますが、回答者の3割から4割ぐらいは「日本は公務員が多すぎる」と感じているという結果が出ました。そうした認識のギャップがありますから、政治家もなかなかアジェンダにしにくい。そうなると雇用対策は八方塞がりになってしまう。
実は、出生率に関しても改善させる措置はほとんどありません。
近藤 お金を配っても子どもが増えないことは明らかで、「効果がないというエビデンスがある」と言ってもいいレベルですね。
筒井 あったとしても効果量があまりに小さ過ぎて、効率がひどく悪い。雇用や出生率は、政策介入の効果が極めて限定的です。例えば、安定した雇用環境にあることは、出生率の上昇にかなりのプラス効果があります。当たり前のようですが、これは説明力がありますよね。けれども、雇用は政策介入でどうこうできるものではありません。「来年は正規雇用を20%増やす」のような政策を打てるわけではない。
私は今こども家庭庁の少子化に関するエビデンスを吟味する委員会に入っています。経済学者の方などとも議論していますが、いわゆる政策介入の効果はあまりにも小さいことが確認されています。けれども雇用や学歴などの介入以外の要素を見ていくと、急に説明力が上がります。介入の影響は微々たるものですが、それらの要素は大きく効いています。同じレベルでエビデンスベースと言っていいのか疑問に思えるくらい、そこには差がある。
人種や性別による因果効果をどう考えるべきか
筒井 ここはぜひ近藤先生にお伺いしたかったのですが、労働経済学の世界では、いわゆる政策介入によるエビデンスを重視する人たちが多いのでしょうか。それとも介入では変えられない雇用や学歴などのエビデンスも併せて評価することが、共通了解になっているのでしょうか?
近藤 プログラムエバリュエーションと呼ばれる分野の人たちは、基本的には政策介入の効果を見ています。でもその手法を援用して、変えられない要素の因果効果を推計している人たちもいます。彼らは、人種や性別による因果効果を研究するわけです。この辺りの研究に対する意見は人によってだいぶ異なり、共通了解みたいなものは存在しないと思います。
筒井 私も言われたことがあります。社会学で性別による違いを分析しようとしたら、仲の良い経済学者の友人が「性別って変えられないよね」と。
近藤 そうなんです。
筒井 だから「オレはやらない」と。
近藤 それでもやる人もいます。私は、研究の根っこにきちんとしたセオリーがあればいいのだと考えています。例えば、差別なのか他の要因が原因なのかを識別するために、他の要因を徹底的に制御しても、男女あるいは人種の間に顕著な差がやはり残るのであれば、そこには差別が発生していることになります。
黒人っぽい名前と白人っぽい名前の履歴書を捏造して、いろいろな求人に応募したところ、白人風の名前のほうがより多く書類選考を通過したという有名な論文があります。この研究では人種による影響が大きいことが明らかになったわけですが、仮に人種差別以外の要因も存在していれば、それを識別することにも使えるのだろうと思います。
一方で、「そんなことを調べてどうするのだ?」という反応が返ってくることもあります。私の分野だと、「それは経済学なのか」といったツッコミもよく見られますね。
筒井 よくわかりますね。ただ、政策介入の効果だけを見ているのか、動かし難い要因も考慮しているのかをきちんと見極めることは、大事だと私は考えています。世間一般でエビデンスベースという言葉が用いられているときは、ここが混同されている気がしています。
近藤 同僚の川口大司先生(東京大学教授)は自治体の人などに説明するときに、「EBPM(Evidence-Based Policy Making:証拠に基づく政策立案)という言葉は2種類の使われ方をしている」と言っています。一つは、厳密な意味でのプログラムエバリエーションです。もう一つは広い意味で使っていて、とにかく「統計データに基づいた政策提言をしましょう」というぐらいのレベルです。
今の日本に必要なのは後者だろうと思います。地方自治体の職員に厳密なプログラムエバリエーションを求めても、コストばかりが高くあまりメリットがない。それよりも、政策を判断する際には統計データを参照することを習慣付けることがまずは必要なのかなと思います。
魔法の解決策は存在しない
筒井 私もどちらかと言えば、後者で動いているタイプですね。出生率の研究をしていると、政策介入の効果はゼロに近いものばかりですから、論文を読めば読むほど論じたくなくなるんですよね(笑)。そうすると、どうしても構造的な話をしたくなります。ただ構造を変えるといっても、結局はやはり政策の話をすることになる。
私はメディアの方には、いろいろな政策の組み合わせで長期的に変えていくものなので、「単発の政策で、パッと変わるような見方は絶対にしないほうがいい」といつも言っています。
近藤 よくわかります。今まさに氷河期世代対策が政治で盛り上がっています。「どんな政策が必要ですか?」と聞かれても、いきなり氷河期をなかったことにするような政策なんて打ちようがない。今から何をやっても取り戻せないものは取り戻せないのに、それができる方法があるかのように期待される方がいます。
筒井 専門家が魔法の解決策を持っているわけではないありませんからね。「教えて欲しい」と言われても答えようがない。
近藤 氷河期世代対策という言葉のもとで、手を付けるなら社会保障だと私は考えています。繰り返しになりますが、氷河期世代だけを対象にするより、その世代が最初になってそこからしばらく先の世代までカバーする対策が必要になります。自営業か会社員かという従来のモデルにはまらなかった人たちがたくさんいる世代が続くので、それに合わせて社会保障制度を変えておかなければ、破綻することになります。どちらかと言えば、事後手当てですよね。
筒井 私は撤退戦と言っています。本来、政治家は高齢化や少子化を前提とした社会保障をいかに再構築すべきかとか、自治体への悪影響をどう緩和していくのかといった撤退戦略こそを語るべきです。けれども、政治家はそういう話をしたがらない。まったくしないわけではないけど優先順位は低くて、だいぶ後のほうになってから言いますよね。
近藤 話したくない気持ちは理解しますが、しないとマズいですよね。仮に出生率を1・4ぐらいに上げられても、人口は減り続けることになる。2・0まで上げるのは無理だと思うので…。そうすると、人口を増やすことを訴えるより、人口が減ることを前提にシステムを変える話に力を注いだほうが生産的だと思います。
筒井 後ろ向きに聞こえるのかやりたがらないですよね。私はいろいろな自治体で少子化対策の講演をしていますが、後ろ向きな内容なので私の話はウケがよくない(笑)。でも人口減少している地域の議員さんなら、本当はよく理解しているはずです。データを見れば、ものすごい勢いで人が減っていることは明らかで、特に東北地方の一部自治体は危機的な状況です。
就職氷河期世代への対策について言えば、最初期の人たちはすでに50代になっていますから、リスキリング(職業能力の再開発・再教育)の効果も限定的です。やらないよりはやったほうがいいのでしょうが、それで魔法のように問題が解決するわけではない。
近藤 いま石破政権は氷河期世代対策を打ち出しています。三本柱になっていて、一つ目が就労支援、二つ目が社会的に孤立しがちな人への支援、この二つは前からあった対策の延長にあるものです。そして三つ目として出てきたのが、高齢期を見据えた支援です。この言葉が出てきたこと自体は、すごく評価できると思います。やっとそこに関心を向けるようになったかと。
ただし、中身を見ると社会保障に手を付けているわけではないのですね。低年金の人たちがたくさんいることを政府が認識しているというぐらいの印象で、何かボヤッとした書き方しかしていない。
筒井 資産形成という言葉もありますね。彼らが置かれた現実からはかけ離れている。
近藤 資産形成は本当に消したほうがいい。
筒井 どうやって形成するのだという話ですからね。
近藤 家計支援という言葉もありましたが、「節約でどうにかなるレベルだと認識しているのか」といった反感を持たれてしまうのではないかと感じました。
筒井 今のところそのレベルですよね。日本の社会保障システムは、ゼロかイチのようになっていて間がありません。生活保護でなければ、割としっかりとした人向けの制度設計しかない。
近藤 生活保護まで行ってしまうといろいろなことが非効率なので、そこまで行く前にどうにかするという発想を持つべきです。ただ、そうした漠然としたことは言えますが、私もこの分野の専門家ではないので具体的な提言ができるわけではありません。
基礎年金を上げたらいいのではないかと素人的に思っていましたが、最近の年金をめぐる議論をみると迂闊なことを言ってはいけないという気になります。
筒井 ここでもやはり、統計データをバランスよく見ることで現状を把握して、共通了解を作っていくことを今までしてこなかったツケが出ている感じですね。
こうした事態を招いているのは、誰の責任なのでしょうか。研究者、政治家、行政、メディアなどそれぞれに責任はあるのでしょうが、何か常にズレていますよね。
近藤 行政の方とお話しした印象ですが、例えば厚生労働省の労働サイドの方はきちんとわかっています。現場の人たちからは氷河期世代対策と銘打つのではなくて、40代向け転職支援とか50代向け職業訓練といった言い方にしたほうが絶対にいいという意見も出てきます。行政の、少なくとも実際に動かしている人たちはよく理解しています。
なのでメディアが「行政は何もしていなかった」といった言い方をしているのを見ると、「うわっ……」となるときはあります。
筒井 私も委員会などに参加すると、行政の方はデータをきちんと見ているし、認識の齟齬もそんなにないと感じます。ところが、政治のレベルに行くとそれがうまく反映されていなかったりする。先ほども言いましたが、一つの政策に落とし込めるものではないので、様々な政策を張り巡らせる必要があります。けれども政治家としては、自分の成果なのかよくわからなくなるし、世間一般にも説明がややこしくなるので嫌がるのでしょう。なので政治家のそうした思惑は無視して、行政で確実にやっていくしかない気がしています。
氷河期世代を境にして日本社会はどのように変わったのか?
筒井 編集部から「氷河期世代を境にして日本社会はどのように変わったのか?」という無茶振りに近い話題が立てられていますので(笑)、少し考えたいと思います。今日の話では、氷河期世代以降も厳しい雇用環境は継続していたということでしたが、直近ではどうでしょうか?
近藤 今の労働市場は状況がまったく違っていて、売り手市場であることは確かです。賃金水準も上がっているし、失業率も下がっている。けれども景気が良くなっているのではなく、供給が減り過ぎたせいで賃金が上がっているのが現状です。好景気による人手不足とは違うことが起きているのだと見ています。
筒井 若い人たちの数が極端に減って、雇用の世界が構造的に変わっているわけですね。
近藤 若者がマイノリティになっていく社会です。
筒井 少子化が始まったのが70年代の半ば生まれぐらいからなので、もう50年ぐらい減り続けています。いま就職活動をしている人たちは少子化ど真ん中の世代なので、大事に育てられてきた人たちが多い気がしています。前の世代とまた違うんですよね。大学進学率がさらに上昇した世代ですが、価値観が変わって来ている印象があります。よく言われているのが若い人たちが性交渉、性行動に関して不活発になっていることです。簡単に言うと、恋人をつくらなくなっている。これはエビデンス的にもはっきりしています。当然その結果、マッチングして結婚することも不活性化する可能性もあります。
雇用に関しては確かに今のところ持ち直していて、20代の雇用は少なくともネガティブなほうに突っ走っている感じがしない。
近藤 今は労働市場で働く準備ができている状態で学校を卒業できた人たちに関しては、就職口はたくさんあります。ただ不登校なども増加していますから、そうしたところにも目配せすると、状況はまた違うのかもしれません。
筒井 他方で、女性の正規雇用率は以前より増えてきています。徐々に共働き社会にシフトしつつあると言っていいのかもしれません。
近藤 変わっていることは間違いないですが、氷河期世代が境というわけではなく、社会が緩やかに変わってきました。それは今も続いています。私は氷河期世代後期ですが、我々より下のほうがさらに共働き化は進んでいます。
みんながそうだとは言いませんが、今の30代前半ぐらいの若いお父さんたちはものすごく子どもに時間を使っている人の割合が増えています。そこも二極化している気がしています。夫婦ともにホワイトな企業に勤めていて、子育てにきちんと時間を投資できるカップルとそうではない人たちで、格差ができてしまっている感じがします。
いま勝手に変わってきている
筒井 東京ではフルタイムで共働きしているのが標準的になりつつあって、大企業だとそれなりに子育てにサポーティブだったりする。ただ、関西にいると経済の調子がイマイチなこともあって、あまりそんな感じはしません。ここには地域差もあるのでしょうが、東京は共働きが前提になりつつある。
そういう意味ではゆっくりと性別分業を脱して、共働き社会になりつつある。そこは大きな変化として指摘できるだろうと思います。
近藤 氷河期世代を境にして変化したというより、バブル経済の崩壊がやはり大きかったのだと思います。その影響を被った最初の世代が氷河期世代なので、この世代がある年齢に到達すると、その年代に特有の問題が噴き出てくることになる。学校を卒業する際には就職難に見舞われ、30代のときは高齢フリーターの問題が出てくる。今は50代になって「老後がやばい」という話になっている。
老後に関しては、そうなることは事前に予想が付いていたのに、何もせずに放置していた傾向は確かにある気がします。2000年代一桁のときから、「このままほっておくと低年金の人がたくさん出る」と指摘していた人はいましたが、ごく最近まで表立って問題になることはありませんでした。
筒井 確かに放置されてきましたが、先ほどの話にもあったように、日本には有効な雇用政策がほとんどありませんよね。私自身は賛同していないし、最近ではあまり人気もありませんが、ジョブ型雇用──職務内容とスキル、経験を限定して従業員を採用する雇用形態──を普及させるべきという考え方も一部ではあります。厚労省は「骨太の方針」のなかで少子化対策として、「同一労働、同一賃金」と書いています。私はよく意味がわからなかったのですが、おそらくジョブ型雇用を想定していたのではないかと思います。20代でも50代でも男性でも女性でも、同じ仕事であれば大体同じ賃金を払う社会がいいのではないかと。ただ私自身は、若年者の失業率が激増することになるので、少子化対策としてはまったく支持していません。
近藤 私も同じですね。それを言っている人たちはずいぶん前からいますが、最近は下火になっている気がします。国が大々的な雇用政策をやったことで状況が大きく動いたのは、ジェンダー平等をものすごく進展させた北欧くらいかもしれません。
筒井 スウェーデンはコーポラティブ的に、政府が絡んで賃金協定をつくるなどの雇用政策を推し進めました。そうすると大企業が優位になって、中小企業が不利になり、結果として労働力がシフトするといったコンセプトでした。けれども、それが本当に実現したかどうかはよくわからないところがある。
近藤 アメリカもそうですが、結局のところ大企業のような強いプレイヤーが「それでいいよ」と納得できる範囲でしか経済は変えられない。国がいろいろな施策をやっても、強い会社が望ましいと思う仕組みに落ち着いてしまう。どうしてもそうなるんですよね。無理やり変えようとしても、抜け道を探して無効化してしまう。
筒井 せいぜいできるのは、公的雇用を拡充することですね。北欧は女性の労働力参加率が高いですが、女性就業の多くの部分が公的雇用で占められています。そこは割と動かしやすい。
日本は女性の労働力参加に関しては、だいぶ不利な条件が揃っています。多くの企業が未だに業務内容や勤務地などを限定せずに、長期的に育成していくメンバーシップ型の雇用スタイルを取っています。転勤がついて回るので、女性が入り込みにくい。公務員を増やすアイデアも封じられているので、まず実現できない。
ただ足枷だらけで有効な雇用政策を打てないと思われていた日本ですが、いま勝手に変わってきていますよね。
近藤 そうなんです。勝手に変わるのですよね。企業も国に言われたからやっているのではなく、そうしないとビジネスがうまくいかないから変わろうとしている。結局、それが一番強いインセンティブになっている。
高齢者は若い人に仕事を譲るべきだった?
筒井 今は大卒女性の供給がだいぶ増えてきたので、企業側としても能力採用をしたら女性の割合が増えていくことになります。
近藤 女性に辞められると困るから、辞めずに済むように企業の側も自分たちで仕組みを変えていったわけですね。国が介入して効果があったと言えるのは、高齢者雇用だと思います。65歳までの継続雇用は、国が企業にお願いしているだけですが、今では65歳まで働くのが当たり前みたいな雰囲気になっています。ただ、これも潜在的なニーズがあったからこそうまくいったのだと思います。若い人を採用できずに困っていた企業が多かったところに、国の後押しで継続雇用が一気に進むことになった。
筒井 ただ、「高齢者の雇用を延長するぐらいだったら若い人に仕事を譲るべきだ」という声もありますよね。
近藤 私もそこをテーマに研究したことがありますが、60歳以上で再雇用した人と若年の正社員のあいだの代替関係はほとんどないことがわかりました。高齢の従業員が居座ることで、若い人たちの仕事が奪われるわけではない。強いて言うなら、パートの主婦であれば、いくらかは代替関係が成り立つかもしれません。
筒井 80年代ぐらいのドイツでは「労働力を縮小する戦略」と言って、年金を給付してでも上の世代には抜けてもらうことを推し進めていました。
近藤 アーリーリタイヤメントですね。
筒井 ただ、あれは職務給──従業員の仕事内容や責任の度合いに応じて給与を決定する賃金制度──だから可能だったのかもしれません。日本だと代替しないということですね。
近藤 代替しないですね。今は若年層の供給がどんどん減っているので、60歳以下の労働力人口が減った分を60歳から65歳までの人たちが埋めている感じです。仕事の総量が減らないのであれば、仕事の取り合いにはならなくて、むしろ人手が埋まらないところを高齢者が埋めてくれているのが実態だと思います。
氷河期世代は被害者意識が強い?
編集部 氷河期世代以降、不安定な雇用が続いたことで苦境にいる人たちが増大したわけですが、そのことで社会が不安定になる懸念を感じています。
近藤 氷河期と括られている世代の中には、社会的に成功している人たちも当然たくさんいます。その人たちは所得階層で言ったら客観的に見たら決して低くはないのですが、すごく被害者意識が強い人たちが一部にはいます。そうした人たちは国が増税することや、社会保険料を上げるといった負担が増えることに対して、極めて強い拒否を示す傾向があるのではないかと感じています。
最近では、政党もそうした意見に耳を傾けるようになってしまっている。その声を意識し過ぎると、政府は必要な社会保障にますます手を出しにくくなってしまいます。取るのを増やせず、今もらっている人たちの給付も減らせないとなると、身動きが取れなくなる方向に進んでしまわないか懸念しています。
声が大きい人たちは、本人が苦しいわけではないことが多いのですよね。客観的に見たら決して厳しい状況にあるわけでもないのに、自分たちは上の世代に比べて恵まれていないと強く感じていたりする。少なくともインターネットのなかには、こうした意識を強く持つ層が存在しています。実社会にどのぐらい影響が出ているのかわかりませんが、これから必要になる社会保障制度の改革に、強いブレーキを掛けるような動きに発展しかねないところがある。そこは少し怖いことだなと感じています。
筒井 いま手取りを増やす改革を進めるべきだという議論が盛んになっていますが、近藤先生がご指摘された層には増税や社会保障の負担増を絶対に許容しない傾向がありますね。中には「日本は財政赤字でも大丈夫だ」といった主張を繰り返す人たちもいます。経済学的には諸説あるようですが。
救済するターゲットを誰にすべきなのか
筒井 最後にこれからできる就職氷河期世代への支援策について考えたいと思います。
近藤 まずは、救済するターゲットを誰にするのかをはっきりさせてから議論する必要があります。氷河期世代の平均年収が低いのは事実ですが、この世代全体をターゲットにするのは不可能な話です。
ただ日々の暮らしが苦しい人、親の年金と合わせてどうにか生活が回っている人、そうした人たちがさらに困窮しないようにする対策は打たなければなりません。そこに対象を絞っていけば、国ができること、やらなければならないことはたくさんあります。セーフティネットを拡充することで、生活保護の手前にいる人たちを支援する発想は必要でしょう。
そういう意味では今回、政府が示している対策案に住宅の供給という即効性のある提案が盛り込まれたところは評価しています。親が亡くなってしまうと、それまで一緒に住んでいた家を維持できなくなる世帯がこれから一定数出てきます。特に田舎の一軒家などは維持するのもたいへんだし、車がないと生活できません。そういう人たちに利便性の高い地方都市中心部の公営住宅に移ってもらうことは、進めたほうがいい。ただし財源が必要になることなので抵抗感を示す層もいるでしょうし、後ろ向きな対策の響きがあるので政治家もやりたくないかもしれません。
筒井 社会投資という概念が成り立つ分野は、多くの人の納得を得られやすいところがありますよね。最近だと、就学前教育の効果はすごく大きいというエビデンスがあるので、ウケがよくて反対する人はあまりいない。一方で、高齢者向け住宅の提供のような投資に入らない社会保障には拒否感を示す人が出てきます。けれども、すでに高齢化していて50代でも不安定な仕事にしか就けていない人たちがいます。彼らを救済することは、投資の概念や枠組みを超える範疇にあります。
就職氷河期世代への最初の支援策がリスキリングであったように、政策の優先順位としてはどうしても社会投資のほうに引き寄せられてしまいます。しかし、すでに歳を重ねていますから、キャリアを構築し直すのは難しいですよね。
近藤 社会投資的な支援策が表に載っていたとしても、困窮者の実態に踏み込んだ社会保障もパッケージとして政策に盛り込まれていればいいのですけどね。実際は、踏み込むべきところにブレーキがかかっている気がします。
筒井 政府は引きこもりの人たちに向けた対策のような話もしていますが、これは本当にコストがかかりますよね。彼らを社会に溶け込ませるのは、関わる人も人生をかけなければできないようなことです。その結果、社会的なリターンがあるのかと言えば、それもあまり見込めないでしょう。ただ、それでもやるべき課題としては存在している。まさに後ろ向きな事後対策なのだけど、どうやってそこに社会的合意をつくっていくべきなのか。繰り返しになりますが、そこはやはり統計を見て考えてもらうしかないのかなと思います。
近藤 そうだと思います。その一方で、「親と同居していて生活が苦しい人」という言い方をすると、皆さん引きこもりの子どもとその親を想像しがちです。ただ実際は仕事をしていて社会との接点はあるのだけど、日々の仕事で精一杯で他のことをする余裕がなく、親の年金と合わせてなんとか生活している人たちがたくさんいます。自分たちから声を上げる余裕がないので外からはあまり見えてきませんが、そういう層こそをターゲットにすべきだと思います。
筒井 行政のシステムは手を挙げてくれないと助けないところがあって、そうした声を拾い上げることを苦手にしています。今の行政はどこも人手不足だしコストもかかりますが、放っておくと後になってさらにコストが増しますから、どこかで手当しなければなりません。
人々の幸福度はそんなには変わっていない
編集部 氷河期世代は幼少期から青年時代に、新しいイノベーションの登場と共に成長したところがあります。この世代が社会で活躍する機会が奪われていたことは、日本の経済成長にとって大きな損失だった気もしています。
近藤 「日本は経済成長するべきだ」と思っている度合いには世代間ですごく差があると感じています。我々より上の世代の人たちは、どこかで日本経済が復活することを願っている印象があります。我々、就職氷河期世代はバブルの頃を何となく覚えている最後の世代なので、そのあたりの感覚は人によって分かれるところですよね。私などは、「高度成長期はもう来ない」と思っちゃうほうです。
もっと下の世代だと成長の記憶がないので、「あの人たちは何をピリピリしているのだろう」みたいな反応を示すことが多い印象があります。それをもって「日本はもうダメだ」と悲観するより、もう少しできることを見たほうがいいのかなと思うんですけどね。
筒井 統計数理研究所が行った日本人の国民性調査におもしろいデータがあります。ここでは人々の長期的な価値観の変化を追っているのですが、1995年くらいに転換点があって、それ以降は「日本の将来は暗くなる」と感じている人たちが増えていく傾向があります。
他方で、人々の幸福度はそんなには変わっていなくて、氷河期世代の人たちが特に幸福度が低いわけでもありません。世代による全体的な幸福度や雰囲気はあったのだとしても、それとは別に各人が満足を見つけ出して暮らしているのが現実なのだとは思います。
(終)