トランプ2.0と気候変動  止まる政策、進む技術【上野貴弘】【杉山昌広】

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2025年6月号「対話」

 

第二次トランプ政権の誕生により、アメリカそして世界の気候変動対策が揺らいでいる。

人類は共通の課題を前に協力できるのか? 

技術の発展で気候危機を乗り越えられるのか?


うえのたかひろ:1979年東京都生まれ。2002年東京大学教養学部卒業、04年東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻修士課程修了後、一般財団法人電力中央研究所に入所。研究分野は地球温暖化対策、経済産業省及び環境省の各種検討会(カーボンプライシング、グリーン金融、移行金融など)の委員を務める。COPには通算16回参加。0607年アメリカ未来資源研究所客員研究員。著書に『グリーン戦争―気候変動の国際政治』、編著書に『狙われる日本の環境技術―競争力強化と温暖化交渉への処方箋』、共訳書に『サステナブルファイナンス原論』。


すぎやままさひろ:1978年埼玉県生まれ。2001年東京大学理学部地球惑星物理学科卒業後、07年までマサチューセッツ工科大学理学部地球大気惑星科学科にてPh.D.(気候科学)、および工学部にて修士号(技術と政策)を取得。東京大学サステイナビリティ学連携研究機構特任研究員、一般財団法人電力中央研究所社会経済研究所主任研究員を経て、14年より東京大学政策ビジョン研究センター講師、17年同准教授、23年より現職。専門は気候政策、長期的なエネルギー政策、ジオエンジニアリング。主な著書に『気候を操作する : 温暖化対策の危険な「最終手段」』、共著に『気候変動と社会 基礎から学ぶ地球温暖化問題』など。


 

 

1期目以上に過激な手段に踏み込むトランプ

 上野 今年1月にアメリカでトランプ大統領が就任して以来、その政策や言動は世界の協調体制に大きな揺さぶりをかけています。気候変動対策も例外ではなく、アメリカの動向は国際的な足並みを乱しかねない重要な論点となっています。そこで本日は「トランプ2・0と気候変動─止まる政策、進む技術」というテーマでお話しできればと思います。

 私は大学で国際関係論を学んだ後、電力中央研究所に入所し、以降一貫して国際的な気候変動政策の研究をしてきました。アメリカの環境経済学系シンクタンクに1年間滞在した経験もあり、それ以来アメリカの気候政策を継続的に見てきており、昨年は、これまでの研究成果をもとに『グリーン戦争─気候変動の国際政治』を上梓いたしました。本日ご一緒する杉山さんとは、学生時代からの旧知の仲ということで、対談を楽しみにしていました。

 杉山 よろしくお願いいたします。私も少し自己紹介をさせてください。私は気候変動対策における、統合評価モデルやエネルギーシステム分析、太陽放射改変や二酸化炭素除去のガバナンスを専門としています。また、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)第6次評価報告書では主執筆者も務め、昨年『気候変動と社会 基礎から学ぶ地球温暖化問題』を編集委員の一人として上梓いたしました。上野さんとは異なるバックグラウンドですが、本日は政策と技術という視点から、気候変動対策の現状と今後の展望について考えていきたいと思います。

 さっそくですが、アメリカの気候変動対策の現状について整理していきます。今年1月、トランプ氏が大統領に就任してから目まぐるしく物事が変わっていますが、そもそも気候変動対策において、第一次トランプ政権とは何が違うのでしょうか?

 上野 トランプ1・0でも、パリ協定の脱退やオバマ政権が導入したクリーン・パワー・プラン(CPP :火力発電所からのCO2排出量の規制)の撤回など、アメリカの気候変動対策は大きく後退しました。そうした意味ではトランプ2・0は1・0の焼き直しと言えなくもありません。

 その中で、大きな違いは二つあります。一つ目は、スピード感です。これは気候変動政策に限らず、政権運営全体に共通していますが、ものすごく動きが速い。1期目では就任から約4カ月後にパリ協定脱退を発表。しかし、2期目では就任当日に脱退を宣言。さらに、脱炭素を大幅に後退させるような大統領令を矢継ぎ早に出しました。これは、1期目はスタートで出遅れ、その影響が最後まで尾を引いたことの反省からきているのでしょう。

 二つ目は、1期目以上に過激とも言える手段に踏み込もうとしている点です。まずは国内面から。もともとアメリカの環境保護庁(EPA)は、大気浄化法に基づいて温室効果ガスの排出を規制していました。この枠組みは、オバマ政権下で確立し、自動車や火力発電所、油田・ガス田などに対する温室効果ガス排出規制が導入されています。

 こうした規制の前提となるのが、「温室効果ガスがアメリカの一般市民にとって危険である」という認定、いわゆる危険性認定です。オバマ政権が2009年12月にこれを認定したことで、大気浄化法のもとで温室効果ガス排出を規制できるようになったのです。

 杉山 トランプ1期目では危険性認定には触れてこなかったわけですね。

 上野 はい。当時も保守派の一部から見直しを求める声があったものの、「危険性認定には手をつけない」と明言し、実際にここには触れませんでした。ところが2期目では一転、就任当日の大統領令を受けて2025年3月、EPA長官のリー・ゼルディン氏が「危険性認定の再検討に着手する」と発表しました。

 この動きの問題点は、単なる規制の撤回では済まないところにあります。危険性認定を見直す方法は様々あり、まだどうなるかはわかりませんが、「温室効果ガスは気候変動の原因ではない」とし、気候変動の科学的基盤そのものを否定する可能性もあるのです。

 杉山 危険性認定はアメリカ温暖化対策の中核なのでしょうか?

 上野 そうですね。一部例外もありますが、規制政策については、この認定からほぼすべてが派生していて、出発点となるものです。危険性認定の見直しとは別に、火力発電所などの個別の温室効果ガス排出規制も撤回のプロセスも進んでいますが、ここは1期目と変わりありません。

 

 

気候変動における国際協調に背を向けるアメリカ

 杉山 気候変動対策は国際協調も重要ですが、ここはどうでしょうか。

 上野 国際面で言うと、パリ協定の脱退は就任前から公言していましたし、想定内です。しかし、今回は気候変動における国際協調の基盤である国連気候変動枠組条約(UNFCCC)からも、根っこから脱退してしまうのではないかという懸念が生まれています。この懸念は、選挙戦中からささやかれていました。

 私はUNFCCCを脱退するのなら、パリ協定と一緒に就任当日に発表するだろうと予想していました。しかし、実際には発表はなく、脱退の可能性は大幅に下がったと見ていました。ところが、その後、事実上の脱退に近い動きが出てきています。たとえば、COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)の場では、国務省がアメリカ政府の交渉をリードするのですが、中でも中核を担うのが専門部局のOffice of Global Changeです。この部の廃止を国務長官のマルコ・ルビオ氏が宣言しました。

 もう一つ、UNFCCCには強制力のある排出削減の義務はないものの、比較的重要な義務として「毎年の排出量報告」があります。今年4月がその報告提出の期限でしたが、現時点でアメリカは提出しておらず、その兆しもありません。意図的に義務を放棄していることは明らかです。つまり、実態としてはUNFCCCも脱退に近い状況にあるのです。

 2月4日には「あらゆる国際機関と国際条約に対する米国の参加を見直す」という大統領令も出ていて、180日以内にその作業を完了するとしています。なので、UNFCCCの脱退があるとすれば、8月上旬なのではないかと思います。

 杉山 UNFCCC脱退はかなり大きな動きになりますね。深刻です。具体的に何が起こるのでしょうか。

 上野 まず毎年のCOPへの参加資格を失うことになります。これは1990年以前から続けてきた気候変動に関する国際協調に完全に背を向けることを意味します。

 より深刻なのは、UNFCCCから一度脱退すると、パリ協定への復帰も困難となる可能性があることです。UNFCCCへの復帰をめざす場合、上院で3分の2以上の賛成が必要となるかもしれず、そのためには共和党の支持が不可欠です。しかし、これは政治的ハードルが非常に高い。さらに、パリ協定に参加できるのは、UNFCCC締約国に限ると規定されているので、UNFCCCに復帰できなければ、芋づる式にパリ協定にも復帰できない。こういった構造があるのです。

 トランプ大統領がどう判断するかは、バイデン前政権でパリ協定に復帰したことをどれぐらい問題視しているか、そして将来の民主党政権による協定復帰をどれほど妨害したいかによるところがあります。ここまで踏み込んだことをするのが第二次トランプ政権なのです。

 杉山 そうですね。今回の混乱が学術分野にも影響を及ぼしているのを、私も強く感じています。たとえば、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第3作業部会では、アメリカのKatherine Calvinさんが共同議長を務めているのですが、現在その活動がかなり止まっている状況です。

 すでに第7次評価報告書の作成が始まり、著者の選定が進められている段階ですが、アメリカ政府としては現時点で著者を推薦できず、学会推薦などの迂回が必要だそうです。さらに、IPCC著者会合への出席に関しても、旅費などの補助が一切出なくなっており、アメリカの研究者が国際的議論に参加すること自体が難しくなっている。そうした意味でも、学術活動全体が大きな打撃を受けていると感じています。

 

 

州の気候変動対策への攻撃

 杉山 アメリカは州ごとの決定も重要です。仮に連邦政府が気候変動対策への関与を弱めた場合でも、州によっては積極的な姿勢を持ち続ける可能性も大いにあります。たとえば、カリフォルニア州のニューサム知事は過去にもCOPに参加していますし、今年11月のCOP30への参加も期待されています。ニュースのヘッドラインだけでは見えてこないのが州の動きだと思いますが、ここはいかがでしょうか?

 上野 州の動きも1期目とは異なる点があります。1期目ではトランプ大統領がパリ協定脱退を表明すると、民主党系の知事の州を中心にU.S. Climate Alliance(全米気候同盟)という連合体が設立され、アメリカ=トランプとは限らないことを示しました。

 杉山 「We Are Still In(我々はまだ参加している)」のスローガンが話題になりましたね。州以外にも、数千の企業や大学、自治体もこの動きに賛同しました。

 上野 今回のパリ協定脱退表明でも、再び全米気候同盟や他の連合体が注目されましたが、前回ほどの求心力はありません。民主党に勢いがないことがその一因です。

 杉山 具体的に州レベルでの気候変動対策ではどんな動きが出てきているのでしょうか?

 上野 州政府の権限で実行できる気候変動対策の中で、注目すべきものは三つあります。一つが再生可能エネルギー利用基準制度 (RPS)です。これは電力小売会社に対して一定割合の再生可能エネルギー導入を義務付ける制度で、州政府に権限があり、今のところトランプ政権はここには攻撃していません。

 残りの二つが少し争点となっています。一つはカリフォルニア州や北東部の州が行う排出量取引制度です。この制度は温室効果ガスを排出する企業に対して、自社排出量と等量の排出枠を期日までに納付することを義務付ける制度です。企業は事前の割り当て分だけでは足りない場合、政府によるオークションや取引市場から排出枠を調達します。この制度は第一次政権でも州政府との間で少しもめ事となりましたが、第二次政権では早くもこの制度に否定的な大統領令が出てきています。州による越権行為だとトランプ政権が見なすものを司法長官が是正しろという大統領令で、排出量取引制度がひっかかる可能性があるのです。

 二つ目の論点は、カリフォルニア州の自動車排ガス規制です。これは非常に複雑で、自動車に関しては連邦政府と州政府の間で権限が入り組んでいます。アメリカでは、環境保護庁(EPA)が自動車の排出基準─つまり1マイル走行あたりに排出してよい温室効果ガスの上限─を全米一律で定めていますが、カリフォルニア州だけは、EPAが承認する場合に限り、独自の基準を設ける権限を持っています。

 この権限を活用して、カリフォルニア州のニューサム知事は、2035年以降、州内で販売される新車はすべてゼロエミッション車(ZEV)とする規制を制定しました。これを昨年12月に、バイデン政権がいわば駆け込み的に承認したのですが、それをいま、トランプ政権と共和党が取り消そうとしているわけです。

 杉山 なるほど。連邦と州のせめぎ合いが、排ガス規制の分野でも表面化しているんですね。

 上野 ここでカギとなるのが「議会審査法(Congressional Review Act)」という制度です。これは、行政機関が定めた規制に対し、議会が60議会日以内であれば無効化できる仕組みで、上下両院の承認を経て、大統領が署名すればその規制は取り消されます。

 今回、この議会審査法を使って、カリフォルニア州のゼロエミッション車規制に対するEPAの承認を無効にする動きがあり、すでに上下両院を通過しています。現在は大統領の署名を待つ段階ですが、署名されれば、カリフォルニア州の規制は正式に無効となります。

 しかし、州側は「この規制は議会審査法の対象外だ」として、訴訟に持ち込むと見られます。ただし、司法判断が下るまでには数年かかる見込みで、その間は規制が無効になった状態が続くことになります。他の州は独自の基準を設けることを禁じられていますが、カリフォルニア州の基準の採用は認められており、現時点で11州が同州の基準を採用する意向です。しかし、出発点となるカリフォルニアの基準が無効化されれば、それに追随する他の州の規制も効力を失います。

 杉山 つまり、トランプ政権と民主党系の州政府の対立では、現時点ではトランプ側が一歩リードしている状況、というわけですね。

 

注目されるインフレ抑制法の見直し

 杉山 2022年にバイデン政権下で成立したインフレ抑制法(IRA)が今後どうなるのかも注目されています。名前からは想像しにくいですが、インフレ抑制法とは、大まかには脱炭素への投資を減税することで経済成長と気候変動対策を推進することを目的とする法律です。かつてないほど大胆かつ大規模なクリーンエネルギーへの減税措置を含んでおり、アメリカの気候変動対策の方向性を明確にしたものです。こここそトランプの攻撃になりそうですが、現状はどうでしょうか。

 上野 トランプ大統領は選挙中からインフレ抑制法の減税を「新たなグリーン詐欺」と呼んで強く批判し、廃止を公約として掲げていたほどです。

 本日は5月27日ですが、実は先週、インフレ抑制法の見直しに向けた動きがありました。その背景には、トランプ大統領が実現を熱望する所得税などの大規模減税があります。もともと、1期目の2017年に「トランプ減税」と呼ばれる、所得税や法人税の減税法を成立させていて、そのうち所得税の減税措置は今年末で期限切れを迎えます。トランプ大統領はこれを延長することに加え、チップへの非課税措置なども打ち出しています。

 では、その減税分の財源をどうするのか。目をつけているのが、インフレ抑制法による脱炭素支援の撤回なのです。

 杉山 なるほど。脱炭素支援を削って、減税財源に充てようとしているわけですね。

 上野 はい。実際5月22日に、連邦議会下院では減税パッケージ法案の「One Big Beautiful Bill Act」が可決されました。ここには、インフレ抑制法の減税措置の「一部」撤回が盛り込まれています。法案は現在、上院で審議されています。

 

 

再エネと電気自動車がとにかく嫌いな共和党

 杉山 すべての減税が撤廃されるのではなく、一部なのですね。

 上野 そうなのです。興味深いことに、一律廃止ではなく、「延長するもの」「維持されるもの」「即時撤回に近いもの」というようにまちまちです。これは共和党の技術の好みによって決められています。

 まず、延長するものがバイオ燃料の生産に関する減税です。2027年末までの減税を、31年末まで4年延ばしています。次に維持されるものは、CCS(炭素回収・貯留)に関する減税(45Q)です。32年までに着工したCCS施設が減税の対象になります。また、既存の原子力発電所に対する税制優遇措置は、適用期限を32年末から31年末へと1年前倒しをしていますが、小幅な短縮に留まっているので、維持と言っていいでしょう。

 杉山 バイオ燃料もCCSも脱炭素・低炭素技術ですが、なぜこれらはあまり強く批判されないのでしょうか?

 上野 この背景には、地域的な事情と政治的な力関係があります。バイオ燃料の一種であるバイオエタノールは、共和党が強いネブラスカ州やアイオワ州で盛んに生産されています。これらの州は、面積の大半が農地で、トウモロコシの栽培が盛んです。そのトウモロコシが、燃料用のバイオエタノールの原料として使われているのです。そうした事情から、地元の共和党議員たちはバイオ燃料産業を守るために、減税などの政策支援を強く求めています。

 実はここにCCSが絡んできます。一般的なCCSでは、発電所などから出てくる空気と混ざったCO2を分離・回収するのにコストがかかります。しかし、バイオエタノールの製造過程で出るCO2はタンク内での発酵によって発生するため、濃度がもともと高く、簡単に、しかも低コストで回収できるのです。

 にもかかわらず、「CCSは高コスト」という前提で減税制度が設計されています。その結果、バイオエタノールに由来するCO2を回収して地中に隔離すれば、事業者には大きな儲けが出る仕組みになっているのです。

 もともとCCSは、化石燃料を使いながらも脱炭素を実現するために石油・ガス業界が推進してきた技術でしたが、そこに農業ロビーが加わったことで、共和党内では非常に強い政治的支持を得るようになりました。つまり、共和党内の政治力学が、バイオ燃料とCCSの減税政策を支えているというわけです。

 杉山 なるほど。まさに共和党の「好み」なのですね。

 上野 そうですね。他方で即時撤回に近いのが、電気自動車1台あたりへの最大7500ドルの減税です。名目上は26年末での廃止ですが、実質的には25年末が期限となりそうです。というのも、26年は累計販売台数20万台を超えるメーカーは減税の対象外となるためです。大手メーカーはすでに累積20万台以上の電気自動車を売っていますので、結果として25年末でほぼ使えなくなります。

 また、再生可能エネルギーへの減税政策である、ITC (Investment Tax Credit:投資税額控除) とPTC(Production Tax Credit:生産税額控除)も事実上の即時撤回です。法案成立から60日後までに着工した再エネ設備は対象になりますが、あまりの期間の短さに即時撤回と言ってよいでしょう。ただ、上院での法案審議で、もう少し期限が延びるかもしれません。

 杉山 同じ脱炭素でも原子力と再エネではここまで扱いが違うのですね。

 上野 共和党はとにかく再エネと電気自動車が嫌いなようです。他方、原子力は超党派的に支持されています。ただ、民主党は原子力の脱炭素の側面を支持していますが、共和党は必ずしもそうではありません。様々な支持理由がありますが、たとえばトランプ大統領が5月23日に署名した大統領令では、AIデータセンターや軍事施設を支える安定電源としての価値が強調されています。

 杉山 これらの政策の転換は、日本への影響はどうですか?

 上野 アメリカの気候政策は、政権が変わるたびに右へ左へと揺れ動きます。そのたびに世界の気候変動対策が振り回されるのは正直なところ迷惑でもあるのですが、今回のインフレ抑制法の見直しに関して言えば、日本にとっては、案外悪くない話も含まれています。

 というのも、日本は今、アンモニア混焼の火力発電を行うことで、少しでもCO2の排出を減らそうとしています。このアンモニアの一部はアメリカから輸入する計画で、天然ガスからアンモニアの原料となる水素を取り出して、出てきたCO2は地下に閉じ込めるというCCS技術を使います。ここでポイントになるのが、アメリカのCCSに対する減税措置。これが続けば、日本がアメリカからアンモニアを安定して輸入するための追い風になります。

 同じく、日本の都市ガス業界が進めている合成メタンも、CO2を回収して水素とくっつけてつくられるので、これにもCCS減税が使える可能性があります。バイオ燃料をつくる過程で出る濃いCO2をうまく利用できるので、日本としてはこれも助かるわけです。

 さらに自動車分野でも、日本では電気自動車一本で行くのではなく、バイオ燃料の導入も進めようという動きがあります。これもアメリカからの輸入を一部見込んでいるため、もしバイオ燃料生産に対する減税が下院法案通りに2027年から31年まで延長されれば、日本にもメリットがあります。

 つまり、トランプが気候政策を見直すことでアメリカの排出削減にはブレーキがかかるかもしれませんが、日本にとって重要なクリーン燃料輸入には、意外と追い風が続くかもしれない。そういう意味では、少し皮肉ですが、日本の脱炭素にとってはプラスになる部分も残されているのです。

 

 

中国からのデカップリングとデリスキング

 上野 インフレ抑制法の見直しで注目すべき点が、多くの減税に「禁止外国組織等」に関する制約を付けようとしている点です。下院を通過した法案では、懸念のある国や組織が一定の関与をする場合、減税を適用できないとされています。たとえば、再エネ発電では、中国企業が生産工程に関与する太陽光パネルを使う場合、減税を適用できないように見えます。

 アメリカ産のパネルは価格が安いわけでもありませんし、物によっては中国産より10倍近く値段がすると言われています。中国産のパネルを使う場合には減税不可となると、アメリカの太陽光普及は一旦減速もあり得るのかと思います。それとも技術進化によって、さらなるコストダウンがなされるのか。中国製が完全に排除される場合、アメリカで太陽光発電事業は成り立つのか。ここはいかがでしょうか?

 杉山 成り立たないと思いますね。よく聞く話ですが太陽光パネルの世界シェアで中国は断トツです。日本はかつて50%を誇っていましたが、今は1%未満です。

 前から中国製の太陽光パネルや太陽電池モジュールには関税が掛かっていました。しかし、中国企業は関税を避けるため東南アジアで少し加工して「東南アジア産」としてアメリカに出していたのですが、アメリカはそれを迂回輸出と問題視。バイデン政権時代から検討を重ね、最近、関税を最大3500%超まで引き上げることになりました。ここに加えて、インフレ抑制法の減税の対象外になると、相当な減速になります。

 上野 そうですね。禁止外国組織等に関する制約が、経済安全保障上の理由なのか、アメリカ国内で化石燃料を高めるためなのか、単なる保護主義なのか、ここの動機は様々だと思います。

 最近でも、中国製の太陽光発電設備に通信機器が付けられていて、遠隔操作で大規模停電を引き起こす可能性があるのではないかとの危険が指摘されました。そうなると、再エネの進展は、ただコストを安くすればいいわけにはいかなくなります。

 杉山 そこは考えなくてはいけない点です。太陽光パネルもただのパネルではなく、スマートインバーターなどが付属してあり、外部と繋がることができる。つまり、電力インフラの一部として、セキュリティ上の懸念があるのです。これは単なるモノの貿易とは違うので、経済安全保障の観点から慎重になるのも当然かなと。

 ただ、パネルはパネルなので、それだけなら何も悪さはしませんよね。そうなると、国際分業が理想的なやり方だと思うのです。しかし、今の地政学的状況では、それが一番難しいのも確かです。

 上野 デカップリングとデリスキングの概念の違いですね。中国との経済関係を完全に切り離すのがデカップリング。完全な切り離しではなく、中国が経済的な依存関係を武器として使うことができない程度に依存度を下げようというのがデリスキングですね。その下げた分を埋めるには、自国生産だけでなく、友好国間でサプライチェーンを築く「フレンドショアリング」というやり方があります。

 先ほど言ったように停電を起こすなど甚大な被害が出るものはデカップリングするしかありませんが、それ以外はデリスキングとするのがアメリカを含む多くの国々の基本路線だと思っていました。しかし、第二次トランプ政権は、サプライチェーン強靭化のための横の連携を壊しかねない関税政策を友好国に対しても展開しています。これでは、フレンドショアリングどころではありません。

 さらに、このトランプ関税によって中国が「不公正なのはアメリカだ」と強く主張し始めたことで、脱中国依存そのものの正当性に疑問を持つ声も出てきて、動きが少し鈍くなっている印象です。今後、中国の安い製品への依存が再び強まるのか、それとも別のかたちで国際分業を進めるのか、方向性が見えにくくなっています。デリスキングを進めるには、中国に代わる選択肢の確保に向けた国際協調が欠かせませんが、トランプ政権以降、アメリカの自国優先主義がそれを難しくしているのです。

 

トランプ2・0でどれだけ目標から後退するのか?

 杉山 バイデン政権は、パリ協定の下で「2030年までに温室効果ガス排出量を2005年比で50~52%削減する」という目標を掲げましたが、第二次トランプ政権の誕生によってここが大きく揺らいでいます。現時点でどの程度その目標から遠ざかってしまっているのか。正確に測るのは難しいとはいえ、どう見ていますか?

 上野 目標までの未達幅は広がるばかりです。そもそもバイデン政権下でも、すべての気候変動政策の効果をひっくるめて40%削減に届くかどうかといった水準でした。トランプ2・0でどこまで政策が壊れるかにもよるので、正確な予想は難しいですが、2030年で30%削減にすら届かない可能性もある。

 目標未達にさらに拍車をかけているのが、アメリカの電力需要がここ数年で少し増加に転じている点です。もちろん、コロナからの反動もありますが、それだけではない増加が表れている。データセンターもその一因で、15年近く、ほぼ横ばいだった電力需要がここにきて増加し始めているのです。

 この需要増に石炭火力の廃止延期で対応することとなれば、その分だけ排出量は増加します。2030年の削減目標や2050年ネットゼロ排出は、実現可能性が遠のいているのが現状です。

 杉山 やはり後退は避けられないのですね。アメリカがこのような状況で、多くの人が気になるのが1・5度目標だと思います。この目標は、「地球の平均気温の上昇を産業革命前から1・5度以内に抑えることをめざす国際的な目標」で、2015年のパリ協定で採択されたものです。

 上野 そもそもアメリカは1・5度目標も含めてすべてを放棄している状態ですよね。排出シナリオを分析されている杉山さんから見て、排出量の今後の見通しや、地球の平均気温上昇のスピードはどうなるのでしょうか?

 杉山 残念ながら1・5度を超えるのは目前だろうと感じています。実は昨年、世界平均気温が、産業革命前から初めて1・5度を超えて1・6度の上昇となりました。1・5度目標はあくまで長期の平均で見るものなので、すぐに達成不可能とは言えませんが、重く受け止めるべき数字です。ただし、排出量は世界全体でまだ減っておらず、このままでは1・5度を超える現実がすぐそこまで来ています。

 読者の皆さんには釈迦に説法かもしれませんが、気候変動は「ストックの問題」です。つまり、一度大気に排出された温室効果ガスは消えず留まり続けます。現在の気温上昇も、これまでに人類が排出してきた蓄積によるものです。

 よく、1・5度目標を守るために残された排出可能量、いわゆるカーボンバジェット(炭素予算)で語られますが、これが2025年頭の時点で、現在の排出量の4年分しか残っていません。出してよい分が、ものすごいスピードで失われているのは間違いないのです。

 上野 国際社会の足並みが乱れている中で、着実に排出量は増えていると。

 杉山 そうですね。一方、1・5度という数字に、引っ張られすぎなのも事実です。先週、南アフリカ・ケープタウンで開催された太陽放射改変または太陽ジオエンジニアリングに関する国際会議に参加してきました。アメリカからの参加者が非常に多く、トッド・スターン(元アメリカ気候変動特使)やデイビッド・キース(シカゴ大学教授・気候工学の第一人者)といった著名な人物も出席していました。

 そこで、複数のアメリカの専門家が強調していたのが、技術の進歩はすごいという点です。今の技術進展で言うと、1・5度は厳しいが、2度台なら見えてきたのではないかと発言していたのが印象的でした。

 しかもそれが、太陽放射改変などに関心のある人たちから出てきたという点は、重く受け止めるべきだと思います。後程お話しできればと思いますが、私は気候変動問題は最終的に技術の問題だと考えています。シェール革命の例のように、一度コストが下がった技術は市場に定着します。再エネや電気自動車も同様で、今のアメリカのように停滞はあっても、技術の進展によって長期的には逆戻りしないはずです。1・5度目標は事実上不可能かもしれません。今は非常に曖昧で見通しが立ちにくい局面とはいえ、パリ協定の2度目標、あるいはそれを少し超える程度に抑える可能性が完全に失われたわけではないのです。

 上野 パリ協定には1・5度と並記して2度目標も掲げられていますが、2度を全く超えないかは別にして、その近傍に収まる可能性がトランプ2・0で後退したとしても、技術の進歩によって残っていると。

 杉山 残っているというより、2度台はむしろ可能性が増していると考えます。というのも、技術の進歩が本当にすごいんですよ。たとえば再エネに関して、日本では「コストが高い」という話がよく出ますよね。経産省の調達価格等算定委員会の報告書などでも毎年のように言われています。でも、それはあくまで日本のコスト構造の話であって、世界の現実とは少しズレています。

 日本のエネルギー業界は、どうしても世界の再エネの風を直接感じにくい構造にあります。それは仕方ない面もあるのですが、だからといって「世界全体でも再エネは高い」と考えるのは少し違います。実際、アメリカで再エネがこれだけ伸びたのは、ITCやPTCといった税控除の政策支援もありますが、何より技術進展でコストが下がったことが大きい。コストさえ下がれば、ちょっとした後押しで導入が一気に進む。そういう地盤ができていると思うのです。

 

 

物理的に大気からCOを取り除く技術

 杉山 現在の排出トレンドを踏まえると、1・5度目標は、今後一時的にでも超えてしまう、いわゆるオーバーシュート(目標超過)になる可能性が高まっていると、先ほどお話ししました。このような事態においては、目標を一度超えたとしても、その後できるだけ早く気温上昇を抑制し、1・5度以内に引き戻すことが重要になります。

 戻すための手段として、近年注目されているのが二酸化炭素除去(CDR:Carbon Dioxide Removal)または炭素除去と、太陽放射改変(SRM:Solar Radiation Modification)です。

 上野 CDRは文字通り大気中からCO2を除去する技術ですね。

 杉山 なぜこれで平均気温を下げることができるか。基本的なことですが地球温暖化は、大気中に蓄積されたCO2の累積量によって、引き起こされています。したがって、そのCO2を大気から除去していけば、気温は緩やかに下がっていくことになります。毎年の排出量と除去量が釣り合えば気温の上昇は止まり、除去量が排出量を上回れば気温は次第に下がり始めるという仕組みです。

 そのため、たとえ今後1・5度や2度の気温上昇を一時的に超えてしまっても、大気中のCO2を継続的に除去していけば、将来的には気温を再び下げることも可能になると。その方法の一つが炭素除去です。

 上野 炭素除去には種類がいくつかありますよね?

 杉山 はい。植林もその一種です。1番わかりやすいですね。光合成によって大気中のCO2を吸収します。ただ、植林は森林火災などが起きるとCO2が再放出されるので、永続性に課題があります。

 永続的に貯留するには地下に入れることが最適です。そのうちの一つが、装置を使って大気中から濃度0・04%の二酸化炭素を除去して地中に埋める直接空気回収(DAC:Direct Air Capture)です。大阪・関西万博でもDACの実証実験が行われていて、注目度や期待値が高まっています。

 上野 物理的に大気からCO2を取り除くと。この技術はアメリカが世界をリードしていると言っていいでしょうか?

 杉山 はい。アメリカには直接空気回収を専門にするベンチャー企業が多く存在します。中には科学的にやや怪しい企業もあるのですが…(笑)。ただ、ベンチャーキャピタルからも多くの資金が流れ込んでいて、今後が期待される分野です。やはり熱気が違いますよね。

 上野 DACでは実際にどのくらいのCO2を除去できるのですか?

 杉山 今の技術的に数ギガトン規模のCO2を除去できるかは難しいです。しかし、そこには及ばずとも、500メガトンの除去でも確かな貢献になります。もし1ギガトン規模になれば、それは日本の年間排出量に匹敵します。そういう規模をめざしていけたらいいですね。

 ただ、その実現には、アメリカ政府の支援が非常に重要です。現時点では炭素除去の技術コストが非常に高いため、高品質なものを普及させようとすると、やはり先ほどの上野さんの話でも少し出てきたCCSに対する税控除制度である「45Q」などの政策支援が不可欠ですよね。

 上野 炭素除去、特にDACに関する支援政策については、今のところ概ね生き残っています。たとえば、2021年に成立したインフラ投資雇用法では、国内に4カ所の「DACハブ」を整備し、政府の補助金で関連産業を集約することが構想されています。2022年から26年にかけて総額35億ドルの複数年予算が超党派の合意で成立しています。

 ここから少しややこしい話になりますが、現在、トランプ大統領はこの構想を含め、脱炭素に関する予算執行を一時的に止めています。すでに議会で認められた予算を執行しないのは本来違法ですが、政権側は「違法ではない」という立場を取っている。司法判断で執行停止が覆されるのかが当面の争点ですが、根っこから予算執行を止めるには、議会で未執行予算を撤回する必要があります。たとえば、先ほどお話しした減税法案の中にその撤回を紛れ込ませるという方法が考えられるのですが、下院を通過した法案では、各種の脱炭素予算の廃止が盛り込まれているものの、DACハブについては手つかずでした。

 また、DACはインフレ抑制法の「45Q」の減税も使うことができ、DACでCO2を1トン回収して地中に貯留すると最大180ドルの控除が受けられます。これも下院の法案では残されています。

 つまり、トランプ政権が狙ってそうしているのかは定かではありませんが、今のところDACへの支援は維持される可能性が高い、という状況です。

 杉山 アメリカ国内で気候変動への姿勢が分極化しているというのはその通りです。ただし、メディアではどうしてもトランプ大統領を中心とした動きばかりが取り上げられがちですが、反対側の動きも確実に存在しています。たとえ政治的には厳しい局面が続いていても、技術というのは一度生まれれば社会を大きく変えていく力を持っています。政治の風向きがどうであれ、技術の進化は確実に前に進んでいく。だからこそ、トランプ陣営としても、技術のインパクトを甘く見ないほうがいいと私は思います。

 

気候変動の最後のブレーキ 太陽放射改変

 上野 気候変動対策における最終的な手段として、炭素除去について議論してきました。それに加えてもう一つ重要な柱となるのが、太陽放射改変(SRM:Solar Radiation Modification)です。簡単に言えば、地球に届く太陽光の一部を反射・遮蔽することで、地球の温度上昇を抑えようとする技術です。日本でこの分野において最も専門性高く、技術動向を研究しているのは杉山さんですが、この技術はどこまで進んでいるのでしょうか。

 杉山 まず、太陽放射改変にも様々なやり方があります。その中で最も研究が進んでいる方法が、 成層圏エアロゾル注入というものです。これは火山の大噴火によって地球の温度が下がる仕組みと同じです。

 大規模な火山噴火が起きると、水蒸気や二酸化硫黄などのガスが大量に噴き出し、それらが成層圏にまで到達します。これらのガスは大気中で化学反応を起こし、酸化されて硫酸のミスト、つまり硫酸塩エアロゾルとなって地球全体に拡散していきます。この硫酸塩エアロゾルは、太陽光を宇宙へ反射する性質があり、その結果として地表に届く日射量が減少し、地球全体の気温が低下するのです。

 実際に、1991年にフィリピンのルソン島でピナツボ火山が大噴火を起こした際には、気温が徐々に下がり、約1年半後には世界の平均気温が最大で0・5度ほど低下したという例があります。

 自然の大規模噴火とは異なる部分も多々ありますが、これを人工的に再現し気温を下げるというのが成層圏エアロゾル注入です。この技術の良い点は、技術的に非常にシンプルで何よりコストが安い点にあります。若干楽観的な見積もりですが、年間1兆円の規模があればできるという指摘もあります。炭素除去のDACが年間で数十兆から100兆円かかると言われているので、その差は明らかです。

 上野 1兆円でどのくらい温度が下がるのですか?

 杉山 約0・5度でしょうか。

 上野 けっこう下がりますね。2度から1・5度まで年間1兆円で下げられるのですね。

 杉山 そうですね。先ほど少し触れましたが、先週、太陽放射改変に特化した国際会議に参加してきました。そこで感じたのが、少しずつですが実用化に向けて進んでいるということです。エアロゾルの散布にはどんな飛行機を使うのか、何度の経度緯度に入れたらいいのかなど、かなり細かな部分まで議論されていました。やはり、昨年の平均気温上昇が1・6度に達してしまったこともあり、太陽放射改変を本気で考えなくてはならないという真剣な雰囲気を感じました。

 また、個人的に興味深かったのは、アメリカのプレゼンスの大きさです。アメリカの著名な研究者の方々が参加しているのはもちろん、政策に関する方も参加していたので、その真剣さを感じました。

 

 

人工的な気候操作に副作用はないのか?

 上野 太陽放射改変について、杉山さんにお聞きしたいのはその意図せざる影響についてです。15年ほど前、杉山さんとお話した際に、「気温は確実に下がるが、地域ごとの気象パターンにどう影響するのかは、まだよくわかっていない」と言っていたのを覚えています。たとえば、日本で梅雨がなくなり稲作に大きな打撃を与えるといった、予測の難しいリスクがあると。その後の15年で、こうした点の研究は進展してきたのでしょうか?

 杉山 一言で言うと、ちゃんと医者の言うことを聞いて使えば大丈夫、という感じでしょうか。要は、使い方を間違えなければ、大きな問題にはならないということです。

 成層圏エアロゾル注入は、確実に地球の平均気温を下げる効果があります。しかし、それに伴う「副作用」、たとえば降水パターンの変化や農業への影響は、投入量に比例して増えるのではなく、非線形に、つまり時に急激に大きくなる可能性があると考えられています。たとえば大量に冷やそうとすれば、日本の梅雨やインドのモンスーンがガラリと変わってしまうシミュレーションも数多く存在します。

 でも逆に言えば、投入量を抑えれば、そうした副作用もかなり抑えられる。初期のシミュレーションでは2度、4度といった大規模な冷却が想定され、副作用も大きく出ていましたが、現在では0・5度程度の抑制的な利用であれば、かなりリスクを減らすことができることがわかっています。

 上野 やはり0・5度というのは、けっこう大きな効果ですね。排出削減の努力で2度を少し超えるくらいに抑えられれば、太陽放射改変で2度やそれより低い水準に下げられるということになります。

 杉山 そうですね。0・5度くらいが、安全に下げられる温度の上限だと考えていますが、実際に0・5度でも気候変動による被害の緩和には十分貢献できます。他方で、たとえば、3度から2度へ下げるような使い方をすると副作用の懸念が強まりますので、まずは排出削減で温度上昇を抑えたうえで、成層圏エアロゾル注入を補完的に用いることが基本です。言い換えれば、排出削減の先送りが正当化されるわけではないということです。

 もう一つ注意すべき点は、成層圏エアロゾル注入は、注入を止めた瞬間に気温が急上昇する点です。これを終端問題(termination shock)と呼びます。たとえば、仮に2度冷やす規模でエアロゾルを投入していて、ある日突然止めてしまうとすると、その2度分が急激に跳ね返ってきます。そんな事態になれば、世界に壊滅的な影響が出る可能性があるのです。

 しかし、最近は投入量やタイミング、場所をきめ細かく制御する工学的な知見も進んできました。たとえば、季節ごとに調整したり、特定の地域に限定して投入したりすれば、冷却効果だけでなく、降水量やモンスーンなどへの副作用も抑制的にコントロールできるようになっています。つまり、「太陽放射改変=危険」と決めつけるのではなく、使い方次第で安全に運用できる可能性があるということです。

 上野 使い方が大事ということは、どんな技術にも言えることですね。

 杉山 そうです。ただ、成層圏エアロゾル注入の本質的な問題は、国際的な協調が成り立つかどうかという点にあります。国際会議で気になったのが、中国からの参加者がほとんどいなかった点です。これは正直不気味に感じました。

 もちろん、アメリカ在住でグリーンカードを持っていたり、すでに帰化しているような中国系の研究者は何人かいました。しかし、中国国内の政府や政策に直接アクセスできるような立場の人、つまり中国共産党の意思決定に関与しているような人は、ほとんどいないか、いても完全に政治と断絶したような状態でした。主要国間での信頼関係や意思疎通の経路が確保されていないというのは、非常に大きな懸念材料です。

 

 

成層圏エアロゾル注入では国際協調が重要

 上野 そこは杉山さんにお聞きしたかったことの一つです。温室効果ガスの排出削減は、日本一国だけで努力してもあまり意味がなくて、世界全体で協調しないと温暖化を抑制できません。ところが、成層圏エアロゾル注入はその逆で、航空技術を持っていて、エアロゾルを撒くことができれば、一国だけでできてしまいます。国際協調なしで実行できる。しかも、その影響は世界全体に及びます。

 たとえば、軍事的に強い国で異常気象が頻発して、世論に押されて「もっと冷やせ!」という声が高まり、科学者の想定以上の散布が行われるとします。そして、その副作用が世界の別の場所で出るなんてことになりかねないと。どの時点で注入するかといった基準の国際的な合意ができていないと、意図しないかたちで副作用に晒されるリスクが出てくると思うのです。

 杉山 大いにあり得ると思います。そうなると、中国のように意図が読みづらい国との間にコミュニケーションチャネルがないのは危険ですね。そこで隣国の日本の役割も重要になるのではと思います。

 上野 その通りですね。そもそも、排出量と温度上昇の対応関係には大きな幅があるので、2度に抑えるつもりで相応の排出削減努力をしても、実際には予想を超えて2度以上になってしまうかもしれない。そうした不確実性が高い以上、成層圏エアロゾル注入のような技術を保険的に用意しておく価値はあります。

 さらに言うと、副作用をコントロールしながら使用できるのなら、保険ではなく早々に手を出してしまう国が出てくる可能性もあろうかと。いずれにしても、無謀なかたちで実行されないよう、研究や小規模な実証実験によって副作用の解明を早く進めたほうがよいのでしょう。

 ただ、トランプ大統領は気候に関する科学的な研究予算をどんどんカットしていますから、太陽放射改変の研究も進みにくくなるのでしょうか。

 杉山 アメリカでも、太陽放射改変への逆風が吹いています。長時間にわたって残留している飛行機雲は意図的に撒かれた有害物質だという「ケムトレイル陰謀論」があるのですが、実はこの陰謀論と関連づけられて、州レベルで太陽放射改変を規制するような法案が通っているのです。ですから、残念ながら政治的に見ると停滞はするのだろうと思います。

 

 

気温上昇 限界への危機感

 上野 実際に成層圏エアロゾル注入を実行すべきだと人類が判断する時は、温暖化の影響が深刻で、無理やり温度を下げてでも止めねばならないほどかどうか、そこが大事ですよね。温度に基準を置くのはわかりますが、どれほど被害が大きいかも重要です。そこはどう見ていますか?

 杉山 結局これは主観的な面が大きいです。科学者たちはプラネタリーバウンダリーズ(人類が地球上で安全に活動できる限界を示す枠組み)や1・5度目標など、ある種の基準を提唱していますが、それも政治的もしくは専門家の主観的側面があり、1・5度と言った人の声を拾ってきたという側面もあります。

 新しい提案もたくさんありますが、やっぱり最終的には食料や水の問題が大国を揺るがすほどの被害を引き起こす時が一つの基準、臨界点になるのではないでしょうか。

 上野 たとえばアメリカの共和党強硬派が強い地域で気候変動による激しい被害が出て、議会上院もそれで国際協調に傾けば、新たな条約ができるかもしれない。しかしアメリカで大きな被害が出ているということは、世界全体では、もっと深刻な被害が出ているということになりますが…。

 杉山 そう考えると、早く影響が出そうなのは中国やインドではないでしょうか。アメリカもハリケーンなどの被害はありますが、資金が削られてもそれなりに研究して適応策を取るでしょう。なので中国やインドのような新興国のほうが耐えられない声が大きくなる気がします。

 上野 そうですね。耐えられないという声はむしろ新興国から上がってきそうですね。中東の産油国も悪影響が出やすいかもしれません。

 杉山 オーバーシュートの話をしましたが、1・5度、またはそれ以外でも限界を超える感覚を日本でももっと議論すべきだと思います。技術の進展はあるものの、残念ながら私たちは限界を超える危険に近づいているのが現実です。

 上野 途中で話題となった去年の1・5度超えは、まだ単年での超過であって、1・5度を超えたかどうかは20年平均で判断するものと理解しています。20年平均での1・5度超えには、まだ距離がありますが、このままのペースだと2030年代のどこかで超えそうです。

 杉山 そうですね。年々変動があっても基本的にこの調子で上昇していたら、限界が来るのは当然です。太陽放射改変の発展が気候危機に間に合わない可能性もある。まずはCO2の削減といった基本に立ち返り、同時並行的に太陽放射改変の議論を進めるしかないのだと思うのです。(終)

 

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