戦後八十年の歴史認識問題【川島 真】

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『公研』2025年4月号「めいん・すとりいと」

 二〇二五年は戦後八十年にあたり、五月九日にはロシア、九月三日には中国が記念式典を開催することがすでに決まっている。日本で九月二日、あるいは三日が世界的に日本への戦勝記念日となっていることさえ殆ど知られていないことからも、歴史認識の分断が継続していることがわかるだろう。日本の石破茂政権は、この戦後八十年に首相談話を出すことは断念したというが、平和のために何かしらの意見表明をする予定だとの報道がある。おそらくは内閣総理大臣談話ではなく、閣議決定を経ない内閣総理大臣「の」談話を出すということだろう。

 歴史認識問題はまさに生きており、常に変化している。単に過去の歴史を史料に基づいて検討し、有力な学説を打ち立てればそれで問題が解決されるということではない。こうした歴史学の営為が不要だというのではないが、歴史認識問題はより現代的で、また感情の領域に属するものでもある。つまり、現在の状況や感情に左右される問題だということだ。

 元々、それぞれの国家でおこなわれる、国民養成のための歴史教育では、自らに都合の良い、国民の共同幻想を形成するための歴史物語が創成される。多民族国家であれば、諸民族が個々の時代に登場することが求められるだろう。また、周辺諸国と敵対的に歴史が編まれ、国民アイデンティティの構築に役立てられることもある。戦争の時期になれば、国家の論理が強化された歴史観を、教育などを通じて国民に浸透させるものだ。冷戦の時期には、自らの陣営に都合の良い歴史叙述が、「客観的」な標榜を纏いながら描かれた。無味乾燥と言われる日本の歴史教科書もまたこうした一般的傾向から免れ得ないだろう。

 歴史認識は変化する。時の変化に伴う忘却、経済発展に伴う価値観の変容、そして民主化などの政治変動によって過去の認識は常に変化に晒されている。あるいは、各国それぞれに歴史政策があり、教育や宣伝を通じて国民が誘導されることもある。そうした認識の変化は自己認識、対外認識とも関わり、国内政策、対外政策に影響を与えることもある。このような変化は二〇二〇年代にも広く見られている。

 第一に、グローバル化に伴って顕著になった階層の分化、社会の分断、あるいは様々な差別の是正、政治的「正しさ」を求める運動などと歴史認識問題が深く関わっているということである。また、それがSNSで広く、多元的に拡散されるということだけでなく、歴史史料がデジタル化され、オンラインで閲覧可能になっていることによって、歴史学的な史料利用手続を踏まえない、史料的根拠があるように「みえる/思える」言説が拡散しているということがある。これらのことは歴史認識問題を一層複雑にしている。

 第二に、中国やロシアなどの権威主義体制下にある国が国内での歴史政策を強化し、また対外的にも自らの外交政策に正当性を与える歴史言説を盛んに広げようとしているということがある。中国の「学者」が発している、沖縄の地位、台湾の位置付けに関わる、サンフランシスコ講和条約体制への疑義論などがその典型だ。中国は国際場裡での「話語権(言説的なイニシアティブ)」獲得のため、様々な手段を通じた他国の言説空間への働きかけを強めている。

 戦後八十年にあたる二〇二五年には様々な議論がおこなわれるだろう。だが、その際には、戦後六十年、戦後七十年とは異なる歴史認識問題の位相が立ち現れつつあることに留意が必要であろう。東京大学教授

 

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