『公研』2023年9月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。
複雑な歴史を歩んできた台湾。日本から見える「親日台湾」という姿は一面的でしかない。
国際社会の注目が高まる今、台湾をどう捉えればよいのだろうか。
アジア経済研究所 地域研究センター上席主任調査研究員 川上桃子
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麗澤大学外国語学部教授 清水麗
30年前には注目されていなかった台湾
川上 本日は「台湾の現在地」というテーマで清水さんとお話していきたいと思います。近年、日本でも台湾有事や半導体サプライチェーンへの関心が高まり、台湾の政治や経済、歴史への関心も高まっています。清水さんも私も1990年代から台湾を研究してきましたが、台湾がこれほど注目を集めるようになるとは思いもよりませんでしたね。
清水 そうですね。ここまで人々の関心を呼ぶようになるとは思ってもいませんでした。現在、私は日台関係史や台湾の外交史を研究していますが、はじめから台湾を研究していたわけではありません。スタートは戦後の中華民国の対日政策の研究でした。中華民国は第二次世界大戦、国共内戦を経て、台湾とその周辺諸島を統治するかたちで存続することとなりましたが、私が研究を志した当時はその台湾にある中華民国の外交をテーマに研究している人がほとんどいなかった。そこで、自分で探ってみようという流れで台湾研究をスタートしました。90年代までの台湾はそのくらい注目されていませんでした。
川上 私も台湾研究を志してアジア経済研究所に入ったというわけではありません。私が大学を卒業した1990年代の初めは、開発援助論や経済発展論が花盛りの時期で、私自身、アジアの貧困問題の研究を志してアジ研の扉をたたきました。
最初の配属先で台湾の担当に割り振られたことが、台湾研究の道に入ったきっかけです。そのとき、「台湾という研究対象は20年後、30年後にも今と同じ姿で国際社会の中に存在し続けているのだろうか」と不安に思った覚えがあります。かたや台湾に行ってみると、台湾ナショナリズムが一気に噴出していた時期でもあり、日本語世代の方々の「中華民国」に対する強烈な拒否感に接して驚きました。
清水 近年の台湾では、「中華民国台湾」が自分たちの国・政府だ、という意識が定着してきましたね。政府と社会との距離感や信頼感という点では、いわゆる本省人(日本の植民地統治期の台湾住民とその子孫)の人たちにとって中華民国は、自分たちの国家や政府であるという感覚とは異なる、距離のある存在でした。90年代に李登輝政権のもとで民主化が進み、「中華民国在台湾」、すなわち「台湾にある中華民国」という考え方で、中華民国の台湾社会への軟着陸が進められましたが、2000年代後半の陳水扁政権の頃まで、中華民国か台湾かという独立論争が盛んに語られました。
そして、2016年に発足した蔡英文政権のもとで「中華民国台湾」という言い方が定着しました。中華民国は自分たちのものだという意識を持つ人が非常に増えてきました。特に若い人にとっては当たり前になっています。
川上 中華民国と台湾社会の長い葛藤の歴史に、蔡英文政権のもとでついにピリオドが打たれたような感じがありますね。
清水 私たちが台湾研究を始めた30年前は、台湾がどこに行きつくのかまったく見えない時期でした。ある意味では、現在も台湾の行方ははっきりしていません。そこで、台湾への関心が高まる今だからこそ、一度立ち止まって台湾の現在地について議論できればと思います。
外交カードとしての親日台湾
川上 台湾の現在地を考える上で最初に議論したいのが、日台関係です。日本社会の台湾への関心は常に親日・台湾というイメージと強く結びついてきました。『日台関係史』(東京大学出版会)の共著者でもある清水さんは、これをどう見ていますか。
清水 ここは改めて確認しておきたい点ですね。そもそも、台湾=親日と安易に受け止めることは、台湾を正確に捉えていないように感じます。というのも、日本に対して親近感を持っている人が台湾に多いことは事実ですが、台湾の政府が戦略的に取ってきた親日という外交カードと、人々が感じている親近感は分けて考える必要があると思うのです。
川上 日本台湾交流協会による「台湾における対日世論調査」やPew Research Centerが行った世界各国の台湾への好感度調査からは、日本と台湾が互いに対して強い親近感、好感を持っていることがわかります。
ただ、こうした状況を、台湾は親日的だという言説と直接結びつけることに対しては「ちょっと待った」と言いたくなりますよね。台湾は親日的という表現は常に反日国の名指しとセットで用いられてきたわけですし。
清水 よく日本で聞く「親日台湾」の語りは、植民統治時代に日本が主要インフラを築き、それが礎となって台湾が発展したという言説と強く結びついています。こうした台湾側の植民統治時代への評価によって、日本は台湾に対して非常に強い親しみを持つようになりました。しかし、この言説は1990年代に再構成されたものでもあるのです。
1950年代から60年代の日本における関心や言説は、中華民国と日本という国家間の関係に主に注がれていて、台湾社会と日本の関係は陰に隠れていました。当時は日本側にも台湾で生まれ育った方やビジネスで台湾の方々と繋がりを持っている人が多くいましたが、そうした社会どうしの繋がりはあまり語られてきませんでした。なので、台湾の元日本兵への補償など日台間の様々な問題も、置き去りにされてきた部分があった。
そして、90年代に入り台湾の民主化が進むと、李登輝が日本というカードを使い始めます。台湾が半世紀にわたって日本の統治下にあったという日台の歴史関係を強調し、植民統治時代を再構成して語ることで、中華民国ばかりでなく台湾社会に対する日本の関心を掘り起こすという意図があったのです。その方法の一つとして、植民統治時代は悪いことばかりではなく台湾の利益になることもあったという物語が多く語られるようになったのです。
また、ちょうど90年代というのは、日本も終戦から50年が経ち、戦後に区切りをつけるという意味で、戦争の見直し論が出てきた時期でもあります。そうした日本国内での流れと、李登輝の言説に代表される台湾と日本の物語が結びつくことで、日本植民統治時代の経済的な遺産というポジティブな言説が広がりました。それが日本の台湾への関心を呼び、親日台湾というイメージがつくられてきたのです。
ですので、政治上の親日カードと人々が持つ親近感を同一視すると、台湾を読み違えてしまう危険性があります。日本は「台湾は親日だから日本が嫌がることはしない」と思っている節があると思うのです。植民地支配の歴史や尖閣諸島の主権問題に関しても、台湾は日本が嫌がることは言わないと政治家は考えている。これはどちらかというと日本の甘えだと思います。
一方で、台湾は日本の考えを十分に理解した上で戦略的に親日台湾という外交カードを使っています。李登輝以降の台湾は、親日であることを戦略的に発信してきたのです。
戦後、ビジネスパートナーとしての日台関係
川上 1990年代の台湾で、日本の植民地統治の遺産を再評価し、肯定的に捉える言説が登場した、というご指摘は、この時期の私自身の台湾での経験とも重なります。私は90年代後半に台湾で靴やアパレル、機械や電子部品などをつくる中小企業をまわって経営者へのインタビューをしたことがあるのですが、皆さん、日本人が話を聞きに来たということで、植民地時代のインフラ整備や社会制度の近代化がどれほど戦後の台湾の高度経済成長の基礎になったか、という話を滔々とされるのです。
こうした話はほぼ常に、「お世話になった○○商事の伊藤さん」「技術の手ほどきをしてくれた××機械の田中さん」などの思い出話とセットで語られます。
1970年代以降の台湾の輸出主導型工業化の過程で、日本の企業やビジネスマンは取引先や合弁パートナーとして大きな役割を果たしました。台湾の中小企業経営者の多くは、日本の商社やメーカーの人々と苦楽をともにした経験があり、成功した方ほど、日本企業への感謝の念を抱いていたのだと思います。そして、台湾の民主化と経済発展の成果が実感できるようになった90年代に、数十年にわたって積み重ねられてきた戦後の日本企業との協業の歴史と、植民地期に日本が残した経済的遺産の話をセットとして連続的に語るナラティブが確立したのではないかと思います。
ただ、そうした側面とは別に、台湾における日本植民地期の語りには、第二次世界大戦後の台湾社会の苦難の歴史が強く刻みこまれています。植民地期を生きた人々にとっての日本時代の意味やその多様な経験については、洪郁如さんの『誰の日本時代:ジェンダー・階層・帝国の台湾史』(法政大学出版局)が鮮やかに論じていますね。
台湾の本省人は、戦後は一転して、国民党政権から日本語の使用を禁じられ、中国ナショナリズムを押し付けられることになりました。植民地時代に青春を過ごし、自らの血肉となる知識を日本語で吸収した世代の人々にとって、日本統治時代をまるごと否定されることは強い苦痛でもあった。「日本時代は悪くなかった」という言説は、国民党の強権統治への抵抗や、中国ナショナリズムに対する当てこすりの言説としての機能も果たしてきたわけです。
こうした台湾の日本語人たちが歩んできた歴史的な文脈も、日本人が「親日台湾」言説に接するときに踏まえておくべき点ですね。
清水 その通りです。一方で、日本人が流暢に日本語を話す台湾の方の話を多く聞き、それに基づいて台湾の研究を行ってきたことの問題点も、指摘されてきました。日本統治期を経験した人の中で日本語が流暢に話せる方は、実際にはごくわずかしかいません。しかし、その方々の話を基に多くの研究が行われてきたので、台湾研究は台湾の日本語人の語りに基づいて展開しすぎてきました。
実際のところ植民地時代には学校にすら通えず、苦労された方がたくさんいました。日本語レベルの差も大きかった。植民地時代、そして戦後の経験は人それぞれバラバラなのに、もっぱら日本語人の話に偏ってしまったので、台湾の人々の経験を一面的にしか捉えていない。この点は私自身の研究の問題点としても感じています。
川上 日本の台湾観が日本語世代の方々の語りに強く影響されてきたこととその問題点は、洪郁如さんも先に挙げた本の中で指摘されていますね。
「かわいい弟分」から「学ぶべきお手本」に変化
川上 いっぽう、21世紀に入り、世代交代が進む中で、日本と台湾の関係も大きく変わってきました。2011年の東日本大震災の際には、台湾から巨額の義援金が寄せられ、日本社会の台湾に対する認識や感情が大きく変わるこきっかけとなりました。さらに蔡英文政権成立以後、とりわけコロナ禍を機に、台湾は、日本が学ぶべき先進的な社会として注目されるようになっています。
清水 台湾への風向きは、コロナ禍を経て劇的に変化したと感じます。東日本大震災での経験によって、特に東北の一般の方々が台湾との親近感を肌身で感じるようになりましたし、その関係はまだ続いています。しかし、以前の台湾をめぐるメディアでの取り上げ方は、野球を語るときなどがまさにそうですが、植民地時代から日本の背中を追ってきた台湾という、弟分のように位置づける語り方でした。
それが、コロナ禍をきっかけにITと政治の新たな結びつきを象徴する存在としてオードリー・タン(唐鳳)への注目が高まり、デジタル化の面で台湾は進んでいる、台湾に学ぼうという認識が一気に広まったのを感じます。日本の地方議員がオンラインでオードリー・タンにDXについて一生懸命聞いたりしていましたからね。イメージがガラッと変わったのを感じました。
ただ、台湾社会全体としては、まだまだデジタル化が全面的に進んでいるというわけでもありません。オードリー・タンや優秀なシビックハッカーが協働して短時間でアプリを開発・改良して社会に実装した点が素晴らしい、というのが実際のところではないでしょうか。
川上 日本社会の台湾への視線が、「自分たちを慕ってくれるかわいい弟分」や「癒やしとグルメの島」といったものから「学ぶべきお手本」へと変わったことは、日本のアジアとの関係のありかたを更新する新しい動きですし、台湾研究者としても嬉しいことです。確かに、台湾のジェンダー平等や性的マイノリティの権利への取り組みから日本が学ぶことは多いです。ただ、今度は逆に「台湾はきわめて進歩的なリベラル社会だ」「台湾はすごい」というイメージが一気に広がっているようで、正直、戸惑いも感じています。
清水 一つのイメージで単純に台湾を理解してしまう点では、以前と変わっていないですね。
川上 台湾はなぜ日本でこれほど賞賛されるようになったのでしょう。そこには中国の社会統制の強化や拡張主義への反発、台湾をとりまく国際情勢の変化といった地政学的な力学が働いているでしょう。中国や韓国とは違って、台湾ならば安心して賞賛できる、という空気もあると感じます。
加えて、私は、日本人のあいだに、台湾に対する一種の心情的負債があるようにも思うのです。日本は台湾を半世紀にわたって植民地支配しました。1972年の断交以降、日本は台湾の人々の孤立や苦労と正面から向き合ってこなかった。それなのに、台湾の人々は、日本に対してこれほどの親近感と寛容さを示し続けてきてくれた。どうやってこれにお返しをすればいいのか、どう報いればいいのか。
いわゆるリベラルであれ保守派であれ、台湾と付き合いのある人は、そんな申し訳なさを感じてきたのではないでしょうか。今の日本では台湾の先進的な社会変革の動きに強いスポットライトがあてられる背景にはそんな心情傾向があると感じます。たしかに私自身、「台湾、スゴイ」と大きな声で言いたくなるのです。
清水 そこでは負の部分が抜け落ちてしまっている。
川上 当然のことながら、台湾の社会には深い政治的対立がありますし、政府への不満も未解決の問題もたくさんあります。そういった部分にもしっかりアンテナを張っておかないと、台湾のゆくえは理解できません。台湾に日本に欠けているものを仮託したくなるのですが、そこに台湾を「自分を慕ってくれる出来のいい弟・妹」と見なす視点がまぎれこんでいないか、一歩引く必要があると思っています。その上で、いかに多面的な台湾像を提示できるか。台湾研究者として気をつけたいところです。
清水 私は外交関係の断絶や国連から退出した台湾の外交史など、負の歴史ばかり見てきたので、いいところに注目する視点が少し欠けているかもしれないです(笑)。
川上さんのお話を聞いて感じたのが、台湾の方は相手によって語りを変えているという点です。先ほど出てきた日本に対する植民地時代の李登輝の語りがあり、それを聞いて日本は台湾のイメージをつくり上げていく。他方で、李登輝はアメリカにはアメリカに向けた語りをしますし、ヨーロッパにはヨーロッパに向けた語りをするわけです。国や人、語る相手によって変えているのです。台湾の方は日本の製品が好きだと言いますが、フランスの製品も香港の製品も好きと言います。好きなものはたくさんあるけれども、相手を見ながら発言できる。
ですから、台湾の政治家へのインタビューや発言内容は要注意で、誰に向かって何を発信しているのかを十分に考慮しながら情報を取っていくことが重要になります。そんな中で踊らされながら研究するというのが台湾研究のおもしろいところでもあるのですが(笑)。
台湾有事をめぐる日本と台湾の大きなギャップ
川上 台湾の現在地を考える上で外せないのが中国との関係です。ここ数年、日本では中国による台湾への軍事力行使の可能性、いわゆる台湾有事についての議論が盛んに行われています。
ただ、台湾にとって中国の軍事的脅威というのは今に始まったものではありません。1950年代には二度の台湾海峡危機が起きました。1979年に中国がいわゆる平和統一政策に転じた後も、90年代半ばの李登輝の訪米、初の直接総統選挙の際には、第三次台湾海峡危機とも呼ばれる緊張した局面がありました。さらに2016年の蔡英文政権の成立後、中国はじわじわと台湾に対する軍事的威嚇のレベルを上げています。清水さんは現在の状況をどう見ていますか。
清水 長い時間軸で見てみると、一口に中国の脅威といっても時代によって変化を遂げてきましたよね。習近平が数年前から台湾の統一を現実的に語るようになったことは、紛れもない大きな変化です。台湾の統一は、先延ばしにするような目標ではなく必ずやり遂げたい目標だと。そして、香港の一国二制度が崩れ中国化が進み、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発したことによって、中国による台湾への軍事侵攻がより現実的なものとして語られるようになったという流れがあります。
そうした中で、日本における台湾有事論は、昨年8月のペロシ米下院議長の訪台直後に中国軍が台湾を取り囲むように大規模な軍事演習を行ったことによって、一気にヒートアップしました。台湾有事がマスコミなどでも現実感を持って取り上げられるようになったのです。
川上 今回、「日経テレコン」のデータベースを使って、全国紙(五大紙)を対象に、「台湾有事」をキーワードに記事検索をしてみました。台湾有事関連の記事は、2020年には36件だったのが、21年には482件、22年には1370件と急激に増えているのです。
清水 日本での台湾有事をめぐる報道を見て感じたのが、台湾内の雰囲気とのギャップです。昨年、中国による大規模軍事演習が行われた時期は、ちょうど新型コロナ感染状況で制限されていた海外渡航が再開され、私の勤める大学でも学生が台湾に留学する時期でした。その留学準備をする中で、多くの学生の保護者や教員から「本当にいま台湾に行って大丈夫なのか」と聞かれたのを覚えています。中国からミサイルが飛んできて、学生が台湾から帰れなくなるのではないかという緊迫感があったのだと思います。
ところが、同じ時期の台湾では、日本のような騒ぎにはなっていなかった。人々は普通に生活をおくっていました。ウクライナ侵攻が起きたときも、日本では「次は台湾か」といった議論が出ましたが、台湾では現状を冷静に受け止めていました。中国が侵攻してくる可能性を考えた人の割合は一時期少し高まりましたが、すぐに落ち着きましたね。また、中国が台湾への軍事力行使に踏み切った場合でもアメリカは介入しないのではないか、という不信感も一気に高まりましたが、それも現在はだいぶ落ち着いています。
川上 いわゆる疑米論と呼ばれる論調も、最近はあまり耳にしませんね。
清水 もちろん、台湾がまったく動じなかったわけではありません。一時は台湾政府も、「今回、中国はどこまでやるのか」という緊迫した状況に置かれたと思います。しかし、中国がすぐに台湾統一のための軍事行動に移るとは考えていなかった。それは一般の人々も同様です。ここが台湾有事に対する日本との大きなギャップだと感じています。
実際、日本が脅威を感じるずっと前から、台湾は中国と長い間軍事的な対立関係にあったわけです。さらに、中国による偽情報の流布やマスコミの買収など、軍事に限らず中国の脅威は台湾社会に当たり前のように存在していました。台湾からすると今に始まったことではないんですよ、という感じです。そういう意味で、日本は準備ができていなかったとも言えます。
攻めるためではなく、守るための準備を
川上 台湾の反応を見ていると、緊張感と平常心のバランスが重要だということがよくわかります。台湾有事のリスクに対しては、緊張感を持って備えを進めることが結果として有事を未然に防ぐわけですから、日本でも、切迫感を持って台湾有事について考えることは重要です。
ただ、台湾への渡航を危険視したり、企業が長期的な投資を躊躇したりするようになってしまったら、それこそ中国の思うつぼです。それは台湾を守ることには繋がりません。
清水 確かに落ち着いた緊迫感というのは日本に必要なところですね。日本が平常心を捨てて煽るようなことをしても中国の動きをエスカレートさせますし、有事は起きないと準備を怠っても中国の動きをエスカレートさせてしまいます。
川上 『公研』2023年3月号の「めいん・すとりいと」でも書いたのですが、私は「台湾有事なんて起きないよ」と楽観的なことを言う人に対しても、台湾有事がすぐにでも起きそうなことを言う人に対しても、「それは違う」とお答えします。重要なのは、議論のタイムスパンと時間軸を意識することだろうと思うのです。「すぐには起きない」ことと「長期にわたって起きない」ことを混同せず、どういう前提で、どのくらいの期間について台湾有事について議論するのかをまず確認する。台湾有事は天災とは異なり、周辺諸国を含む関係者がどう行動するかによって押さえ込めるはずのものですから。
清水 日本は、安全保障などの軍事的な文脈も含めて台湾有事を語りますが、この語り方を変えるべきだとも感じています。アメリカ、韓国、日本の連携を強化する方向に進んでいますが、それは同時に、アジアのそれぞれの国が自衛力を高める動きとなります。台湾でも米国からの武器売却が進み自衛力を高めていますが、これらは守るための動きです。しかし、先日台湾を訪問した麻生太郎氏は、台湾を守るための連携を語る文脈で、「戦う覚悟」という表現をしました。この発言は連帯を強調する以上に攻撃的なイメージをつくっているかもしれません。それは攻める戦いではなく、守る戦いです。ここを再認識する必要があります。
守り抜くために日本は何をするべきか、という発想の中で、戦う覚悟発言がどのような意味を持つのか。それが抑止力としての効果を狙ったものだったとしても、攻撃的なイメージは結局のところ台湾を助けることに繋がりません。いかにして守る、守り抜くのかということを軸に、日台関係をめぐる発言では、慎重に言葉も選び、連携を取るべきだと思います。
蔡英文政権は、ペロシ氏の訪台など様々な困難があってもなんとか台湾を守り抜きました。中国に攻撃の火口を切らせる口実を与えない、という強い姿勢がありました。そこを日本はしっかりと評価をするべきですね。
川上 ご指摘のように、蔡英文は8年を通じて、台湾を徹底して守り抜くという慎重な姿勢に終始しましたね。この点は、同じ民進党政権でも、結果的にアメリカからトラブルメーカーと目されてしまった陳水扁政権(2000年から08年)とは大きく異なるものでした。
中国に進出した台湾企業が「人質」となるリスク
清水 台湾有事論は、中国の台湾に対する軍事力行使の可能性を論じるものですが、中国は同時に経済チャネルを通じた台湾への圧力行使もしてきました。川上さんは現在の中国と台湾の経済関係をどう見ていますか。
川上 中国と台湾のあいだには、軍事的緊張と同時に過去30年以上にわたる緊密な経済関係の歴史がありますが、この数年、経済関係も局面が大きく変わってきています。少し歴史的に振り返ってみたいと思います。
台湾では、1990年代から2000年代初頭にかけて、中小企業、ついで大企業が大挙して中国に進出していきました。言語の壁がないこともあって、台湾企業は地方政府や党の関係者とのあいだに強いコネクションを築き、地元経済の発展に対して強いインセンティブを持つ地方官僚たちとのWin─Winの関係を築いて、種々の優遇策や庇護をうまく引き出し、初期の事業拡大に成功しました。
しかし、中国に進出した台湾企業は次第に中国による台湾社会への影響力行使の手持ちカードとして利用されるようになっていきます。これを象徴する出来事が、2005年に起きた大手化学メーカー・奇美実業の創設者、許文龍氏の事件でした。許氏はいわゆる台湾独立派の大物で、漫画家の小林よしのりの『新・ゴーマニズム宣言スペシャル・台湾論』に登場するなど、日本でも一時期よく知られた方でした。
その許氏が、胡錦濤政権下で反国家分裂法案が制定された2005年に、突如として「一つの中国」に同調し、反国家分裂に賛同する書簡を新聞に出したのです。この事件の詳しいいきさつは明らかになっていません。しかし、奇美実業は、中国で大規模な投資をしていました。状況からして、許文龍氏が会社の事業を「人質」にとられ、意に沿わない声明を出さざるを得ない状況に追いこまれたことは明らかでした。この事件は、中国に進出した台湾企業が中国による台湾への影響力行使の手段にされてしまうことをはっきり示した点で、台湾社会に大きな衝撃を与えました。
清水 あの事件は、中国に進出することのリスクを初めて可視化しましたね。
川上 2012年の総統選挙戦の際には、中国で大規模事業を展開している台湾企業が次々と92年コンセンサスへの支持を表明し、馬英九総統の再選を支援しました。これも台湾では、中国政府からの何らかの働きかけがあったと受け止められています。
清水 ちなみにこの92年コンセンサスというのは、1992年に、中国と台湾のあいだで「一つの中国」をめぐって形成されたとコンセンサスされ、中国と台湾の国民党政権の対話の前提とされてきたものです。国民党は、92年の中台事務レベル協議で「一つの中国」については「それぞれが口頭でその中身を述べる」というコンセンサスが形成されたとしています。92年コンセンサスという表現は2000年になってから提起され、使われ始めました。2008年に馬英九政権が成立すると、これを足がかりとして中国との関係改善を進めたので、実際の政治の中でこの言葉が機能を持つようになったわけです。一方、蔡英文政権は92年コンセンサスを認めない立場です。
川上 92年コンセンサスは、馬英九政権期には実に便利なマジックワードであるかに見えましたよね。
ただ、今から振り返ると、中国の影響力行使の頂点は2012年の馬英九再選の頃だったように思います。この少し前から、台湾では、親中派の台湾人企業家によるマスメディアの買収などが起き、NGOや知識人が、経済チャネルを通じた中国の政治的影響力の浸透に対して警鐘を鳴らすようになっていました。
そして2014年には、両岸サービス貿易協定の締結に反対する学生たちが立法院の議場を占拠するひまわり学生運動が起き、台湾社会の対中経済交流をめぐる空気は一変しました。こうした流れの延長線上で、16年には民進党への政権交代が起きました。こうしてみると、経済を通じた中国の政治的影響力の行使に対して、台湾社会の側も着実に防御力を高めてきたのです。
中国一辺倒から抜け出した台湾経済
清水 台湾の対中経済依存度に変化はありますか。
川上 台湾経済の中国依存は依然として高いのですが、趨勢としてはすでにピークアウトしています。企業の対中投資は、金額の面でも対外投資に占める比率の面でも、2010年代初頭をピークとして低下してきました。中国の投資環境の変化に加えて、近年では米中対立とコロナ禍の影響もあります。中国の既存工場の操業は維持しつつ、新規の投資については台湾で行う、という企業が多いですね。東南アジアや南アジアといった第三国への投資も増える可能性があります。輸出についても、中国向け(香港向けを含む)の比率はいまだに高いのですが、2020年の44%をピークに低下傾向にあります。
このように、かつての中国一辺倒であった台湾経済の構造も着実に変化しています。2000年代には、日本企業が技術を、台湾企業が中国でのコネクションを持ち寄って、一緒に中国に進出する日台ビジネスアライアンス論が流行しました。当時、日本企業は台湾企業に中国での水先案内人としての役割を期待していたわけです。しかし、そういった動きもほぼ過去のものとなりました。
清水 少し前の時代の台湾のビジネスパーソンは、台湾にこだわらずどこででも生きて行こうとする移民的な精神や、いざとなったらアメリカや日本でも生きていくから大丈夫といった発想が強くありました。
しかし、最近はそういう移民志向は薄くなってきています。昔と比べて台湾の人々が帰属意識を強く持ち始めたことにも起因すると思います。
1970年代初めに台湾が国連からの退出によって国際社会での地位を失ったとき、また70年代末にアメリカとの国交が断絶したとき、何かあるたびに台湾の人々は海外に逃げてしまうのではという不安を政府は抱えていました。実際に慌てて逃げた人、その後また戻ってきた人もいました。
また、1990年の民主化が始まったばかりの頃、実際のところ李登輝は台湾はまだ独立できる状態ではないと考えていました。独立よりもまずは台湾の人々の意識を固めることが先だと考えたのです。
しかし、民主化が進むにつれ台湾は自分たちの故郷、中華民国は自分たちの国だという意識が徐々に強まってきました。外省人(第二次世界大戦後に台湾に移った人々とその子孫)も含めて様々な人を包摂したまとまりをつくりあげるという長い長い30年間を過ごしたのです。
それらを経て、わざわざ宣言はしないけど独立的な存在を維持するという現在の確固とした言説に辿りついたのです。ようやく「台湾を自分たちで守る」と言える人が増えてきました。
川上 おっしゃる通りですね。民主化の実現に加えて、経済面での優れた達成も台湾の人々の自信と誇りの源になっていると思います。1990年代後半から2000年代にかけては、企業の対中進出が急速に進み、経済空洞化への不安が高まりましたが、2010年代以降は、台湾のハイテク企業が世界からスポットライトを浴びるようになり、台湾企業の優れた技術力、ビジネスモデル構想力、豊富な経営資源や優れた人材などが注目を集めるようになりました。
台湾の強みを詰め込んだ企業、TSMC
川上 その代表格がTSMCです。同社は2010年代半ばに、最先端ロジック半導体の開発競争で世界のフロントランナーに躍り出ました。その最先端の微細加工技術は他社の追随を許さず、今や、戦略物資となった半導体のサプライチェーンのチョークポイントを握る存在です。同社の躍進は、台湾の国際的な価値を大きく高めることにもなりました。
TSMCは台湾の中でも飛び抜けた超優良企業ですが、同時にこの会社には台湾企業の強さの様々な側面が詰まっています。例えば、顧客サポート体制の充実ぶり、新たなプロセス技術を開発して量産能力を立ち上げる圧倒的なスピード感、そして、エンジニアの実力の高さと豊富さ。こうした台湾の強みと不断の企業努力の上に、同社の圧倒的な強さがあります。
清水 まさにTSMCは一朝一夕ではならずですね。その躍進は、創業者であるモリス・チャン氏の手腕によるところが大きいのでしょうか。
川上 1987年の設立時に、モリス・チャン氏の主導のもとで、ウェファーの受託製造を行う、ファウンドリに特化するという戦略を採ったこと、これがロジック半導体産業の世界的な潮流とみごとにマッチしたこと。これは大きかったですね。TSMCはファウンドリ事業に専念することで、パソコン、スマホ、クラウド、AIといった新たなイノベーションが登場するたびに生まれる膨大な半導体需要を次々と取り込むことに成功しました。同社が創業したときには、誰もこんなことになるとは想像していなかったはずです。まさしく台湾の奇跡ですね。
TSMCに限った話ではありませんが、台湾企業の特徴の一つに、積極果敢な投資姿勢があげられます。パソコンの受託製造企業などでも、市場が急成長していたときには、顧客からのオーダーを確保するより先に大胆な投資をして、その生産能力を武器にオーダーを獲得する、ということをやっていました。時は金なりの精神で、「今が勝負だ」となったら、はためには博打のように見える投資も実行していくのです。胆力があるなあ、と思います。
清水 博打のような投資をやってのける、というところ、台湾らしいように感じます。ところでTSMCといえば米中対立の焦点の一つですね。TSMCとしては中国よりアメリカ陣営とのビジネスを望んでいるのでしょうか?
川上 はい、アメリカか中国かという選択を迫られたら、TSMCが選ぶのはアメリカです。この会社はアメリカとの深い結びつきの中から成長してきたのです。
モリス・チャン氏もそうですが、初期の同社の成長を牽引したのは、アメリカのハイテク産業で活躍した経験をもつ人材でした。また、同社は現在、500社以上の顧客と取引をしていますが、売上高の面でも技術ドライバーとしても重要なのは、AppleやNVIDIA、AMDといったアメリカ企業です。顧客の顔ぶれは時代とともに入れ替わってきましたが、一貫して、イノベーションを駆動するアメリカ企業と二人三脚で成長してきたわけです。また、半導体の製造技術はアメリカががっちり握っていて、基幹製造設備の面でもアメリカに依存しています。
ただ、台湾半導体企業のすべてがアメリカだけを向いているというわけでもありません。中国の市場としてのポテンシャルは大きいです。一口に半導体企業といっても各社それぞれの事情は異なります。
TSMCと台湾政府の連携?
清水 もう一つ川上さんにお聞きしたいのですが、TSMCと台湾政府の連携をどう理解すればいいでしょうか。外から見ると台湾=半導体とセットで語られることが多いです。台湾の国際的地位、レジリエンスの一つの重要な要素として半導体産業の存在があります。そうなると台湾政府としては、半導体産業を守り、手の届く範囲でしっかり握っておきたいと考えるはずです。しかし、他国からの「自国に進出して欲しい」という圧力もありますよね。ここ数年の同社の海外進出において、TSMCと台湾政府の考えは一致しているでしょうか?
川上 台湾政府としては、「護国神山」とも言われるTSMCには台湾にとどまり続けて欲しいという考えと、同社の海外進出を介して米国や日本、欧州との連携を深めたいという考えの両方があるでしょうね。TSMCとしても、台湾にとどまるほうが経営効率がよいという事情と、顧客および各国政府からの進出要請にはある程度、応えていく必要があるという事情があるでしょう。ただ、現状は、見た目ほどのジレンマは起きていないと思います。
まず、TSMCは、最先端の半導体の開発製造については、人材とサプライヤーの集積がある台湾で続けていく見込みです。そのため、同社の核心的な資産はおのずと台湾にとどまり続けます。一方、海外進出にも一定の合理性があります。台湾では半導体製造に必要な資源である水、電力、土地、頭脳労働者、現場労働者の五つの不足が深刻になっています。生産能力が一箇所に集中していることにも、大きなリスクがあります。誘致する側から十分な補助金が出ますし、海外に工場ラインを設置することは、TSMCにとって悪いことではありません。
TSMCが投資の主軸を台湾に置きつつ、生産拠点の国際化を進めているという現状は、結果として、政府から見れば台湾の存在価値を国際的に高めることと主要国との連携を深めることの両方に繋がっており、TSMCからしても事業の適度な国際化に繋がっているわけです。
清水 そうすると、半導体の外交的な価値は、今後も高くあり続けるとお考えですか?
川上 半導体はそれ自体市場で取引される商品ですから、需給のバランス次第では欧米や日本の半導体産業への関心が低下するといったこともあるかもしれません。ただ、TSMCが圧倒的なシェアを誇る最先端のロジック半導体はAIや高速コンピューティングといった軍事技術とも直結した戦略性の高い財です。米国が対中規制の焦点としているのもこの部分ですので、ここをがっちりと握っているあいだは当分高い外交的価値を持つでしょう。
清水 蔡英文としては、台湾が独占せずに国際的に開かれた産業にすることで、国際社会への責任を果たすという立場を取っているわけですね。他方で、台湾半導体産業の高い外交的な価値を維持し続けるためにも、電力の安定供給や地震国としての備えが今後の課題になってくると思います。
また、外交的価値というとここ数年間で半導体を通したヨーロッパとの関係も少しずつ強くなっていますよね。台湾にとって新たな繋がりです。ここは今後も広がっていく余地があるのでしょうか?
川上 はい、広がる余地は十分にありますね。
清水 特にここ数年は半導体企業の関係もありますが、ヨーロッパと台湾という関係が高まってきています。少し前は、中国が一帯一路の構想に基づいて、ヨーロッパを取り込もうとする強い結びつきがあったので、台湾は入る余地がありませんでした。しかし、新型コロナウイルス感染症の流行やウクライナ侵攻が影響して、ここにきてヨーロッパと台湾の関係が新たに構築されつつあります。
ヨーロッパとの繋がりは、東南アジアなどさらに広い繋がりに発展する可能性を秘めています。日米との関係だけで動いていると非常に弱いので、そういう意味でも欧州との関係は台湾にとって大きな意味を持つものとなるでしょう。半導体がそのカギを握るというわけですね。
川上 国際社会の中の台湾というと、どうしても「米−中−台」というフレームで見てしまいますが、欧州との連携というのは台湾に違う可能性を運びこんでくれそうですね。
清水 ここは非常に重要なチャネルになってくると思います。ヨーロッパとアメリカが微妙な関係にあるからこそ、台湾が生き残るために両方のチャネルを維持することは大きな選択肢になります。
2024年総統選挙を展望する
清水 最後に、2024年1月に行われる総統選挙について話をしたいと思います。経済的にも地政学的にも非常に重要な位置にあり、また重要な時期にある台湾にとって、今回の総統選は大きな意味を持ちますよね。
川上 今回の選挙は久しぶりに民進党と国民党の一騎打ちではなく、少なくとも三つ巴の構図の選挙戦になりますね。今のところ、3人の有力候補が名乗りをあげています。まず、民進党の頼清徳氏。現在の副総統です。二人目が国民党の侯友宜氏。台湾最大の人口を擁する新北市の市長です。そして三人目が民衆党の柯文哲氏。元・台北市長です。(注:対談収録後、ホンハイ精密工業の創業者、郭台銘氏が出馬をめざすことを表明した。)
「美麗島民調」の8月の世論調査結果によれば、民進党の頼清徳の支持率が36%とトップです。これを追うように侯友宜と柯文哲が22%という状況です。この流れで推移すれば頼清徳氏が当選する可能性が高いと思いますが、まだ5カ月近くありますから、どうなるか現在ではわかりませんね。
清水 そうですね。何が起こるかわからないのが台湾の選挙です。頼清徳は蔡英文政権の路線を引き継ぐと表明し、彼がこれまでに時折見せていた台湾独立という発言を抑制しています。慎重さを十分にもっているというイメージをつくり、中間層を取り込む努力をしているように見えます。
しかし、頼清徳は今のところ支持率でトップを走っていますが、今後新しい支持を獲得していく要素が見当たりません。何らかの外部要因が働いて追い風になれば話は別ですが、そのあたりがネックとなっています。
川上 2020年の総統選では、19年の香港情勢の急激な悪化という外部ファクターが蔡英文の支持率を顕著に押し上げましたよね。
清水 香港情勢の影響は大きかったですね。今回の国民党候補の侯友宜は本省人で、実務能力もあり支持者からの信頼感、そして人気もありました。ただ、彼は立候補演説のときにほぼ何も語れなかった。あまりにも準備ができていませんでした。外交や軍事に関して、はっきりとした自分の意見を持っていないように見える。この発信力のなさは台湾の選挙で大きなマイナスイメージになります。頼清徳も発信力にそこまで長けていない。そういう点で、第3勢力・民衆党の柯文哲には強みがあります。
川上 彼には独特の発信力がありますね。
清水 ただ柯文哲はこれまで失言も多いですし、民衆党の他の議員の問題もあるので勢いがこのまま続くかはわかりませんね。
まとまりつつある台湾の民意
川上 これまでの台湾総統選挙は、台湾の将来を選ぶ選挙とも、中国との距離の取り方を選ぶ選挙であるとも言われてきました。しかし、今回の三人の総統候補の主張や対中関係をめぐる立ち位置は、従来の一騎打ちの構図のもとでのそれに比べると、実はそこまで大きく異なっていません。これは、長い紆余曲折を経て、特に最近の国際情勢や中国の変化を受けて、台湾の民意の方向性がおのずと一定の幅の中に収斂してきたことの現れであるように思われます。
今世紀以降の歴代政権を振り返ると、陳水扁政権(2000年から08年)は、内政運営に苦しみ、支持者の求心力を高めようと次第に台湾独立寄りの政策を打ち出すようになって、アメリカの不信を招き、最後はスキャンダルで自滅してしまいました。馬英九政権(2008年から16年)は、中国との関係は良好に推移しましたが、政権運営や中国との融和路線が次第に反発を招き、ひまわり学生運動の勃発に直面しました。現在の蔡英文政権のもとでは、米中対立やコロナ禍も相まって、国際社会の台湾への連帯が強まっています。
中国に台湾の主体性を譲り渡すようなことは決してしない。同時に中国を挑発するような言動もしない。民進党はもちろん、国民党であっても、様々な紆余曲折を経て台湾社会の中から浮かび上がってきた最大公約数的なこの路線を否定することはできないと思います。
清水 立ち位置に大きな違いがない中で、国民党は今回の選挙で難しい立場にいるのではないでしょうか。国民党からは、本土派と呼ばれる台湾出身の侯友宜が出馬していて、川上さんがおっしゃるように台湾の主流の民意に近い候補者です。しかし、中国との関係になると微妙かつ慎重な立場を要求され、92年コンセンサスの語り一つとっても、選択の幅が非常に限られている状況にあります。
92年コンセンサスを中国寄りに語れば、中国との関係改善の可能性を示すことができますが、台湾の民意とずれてしまいます。一方で、「中華民国憲法に合致する」というような保険を掛けるような語りでは、国民党の候補者でも中国からは非常に厳しい視線を浴びることになります。こうした要素もあって、国民党は一つにまとまることができないままです。
また、台湾政治の文脈での難しさの一つは、「中国との関係改善をすべきだ」というような発言をしたときに、誰がどの立場でその発言をしたかによって、台湾の人々の受け止め方が変わります。危ないと感じたらすーっと支持者が離れて行ってしまう可能性もあります。実際、蔡英文が中国との関係改善を促すような発言をしても、台湾の人々は中国との距離に関して危機感を持ちません。中国との関係をどう切り開くか、どう表現するか。そしてそれを人々がどう受け止めるか。そのあたりの政治的センスを持っているかが、侯氏にとってポイントとなると思います。そこがうまくいかないと、支持が柯文哲に流れて行ってしまうかもしれません。
川上 柯文哲への支持は現在までのところ、思いがけず伸びていますよね。この人気を来年1月の投票日まで維持するのはかなり難しいように思いますが、有権者のあいだには、頼氏を易々とは当選させたくないという心情もあるようですので、柯氏は健闘することになりそうです。ちなみに柯氏は若い男性からの支持が高い候補者です。この背景は気になるところですね。
清水 彼には2種類の支持があると思うのです。一つは彼のキャラクターの強さや発信力の強さにおもしろさや新しい選択の可能性を感じている層。もう一つは長期政権化する民進党への牽制からくる支持です。川上さんがおっしゃるように、台湾には日本にはない長期政権への不安が存在します。
中国の介入が選挙のカギに
川上 あとは、やはり中国との関係ですね。台湾の世論は中国との関係改善にはおおむね賛成しているわけですし、何より脅威を減じることができるなら、それに越したことはありません。しかし、頼氏が総統になれば、改善への見通しは立たないわけです。
清水 柯文哲現象の背景には、中国との関係を打開できない民進党への懸念があるかもしれません。そもそも、台湾の人々は中国と対立したいとは考えていません。できることなら関係を改善し、安定した状態にしたい。ただ、中華人民共和国への統一を望むわけではないので、統一以外の突破口になるような新しいアイデアを必要としています。しかし、それを民進党が打ち出せるかというと疑問が生じている。そうなると、国民党ではなくてとりあえず柯文哲を支持してみようとの流れが生まれ、柯文哲現象に繋がっているのかもしれません。ただ、実際に柯文哲が総統になったとしても、彼の陣営に政権運営能力があるかは疑問がもたれる点です。
ただ、選挙で中国との関係を争点にすることは、逆効果になることもあります。2022年の地方首長選挙で争点としたことは、民進党敗北の一つの要因でした。もちろん、これは地方の首長選挙で争点とすべきではなかったわけですが、社会の分断を生み出す可能性があり、いずれにしても危機を煽ることは効果的ではなくなっているのかもしれません。
川上 難しいところですよね。中国が選挙にいつ、どのように介入してくるかも大いに気になります。
清水 中国は台湾への介入のために国民党というカードを未だに残しています。ただ、中国が侯氏にいい顔をして国民党に力を持たせるように仕向けたいとしても、侯氏には国民党をまとめて引っ張っていく力がないので、今回の選挙ではそのカードはあまり役に立ちません。
むしろ、政治ではなく経済のカードで圧力をかけようとしています。先日発表された、台湾産マンゴーの輸入停止もその一つです。中国は、経済的な利権による圧力を今後もタイミングを見て小出しにしてくるかもしれません。
川上 選挙については、誰がどういうかたちで勝利をおさめるか、という点に関心が向かいますが、選挙戦のプロセスそのものが、台湾の現在地と、これからの方向性を考えるうえでのまたとない材料となります。総統選挙と同時に行われる立法委員選挙の結果も非常に重要です。台湾の人々が総統選挙と立法委員選挙のそれぞれにどういう思いを込めて票を投じることになるのか、見ていきたいですね。
(終)
しみず うらら:1967年生まれ。筑波大学卒業。同大学院博士課程単位取得退学、博士(国際政治経済学)。国士舘大学21世紀アジア学部教授、東京大学東洋文化研究所特任准教授を経て2019年より現職。著書に『台湾外交の形成──日華断交と中華民国からの転換──』、共著に『現代台湾の政治経済と中台関係』『日台関係史 1945-2020増補版』など。
かわかみ ももこ:1968年生まれ。東京大学経済学部卒業。同大学院経済学研究科博士課程修了、博士(経済学)。91年にアジア経済研究所に入所。地域研究センター長を経て2022年より現職。著書に『圧縮された産業発展──台湾ノートパソコン企業の成長メカニズム』、共編著に『中国ファクターの政治社会学:台湾への影響力の浸透』など。