『公研』2020年10月号「interview」
中井治郎・龍谷大学講師
「インバウンド」という言葉が定着した。しかし京都は、観光客の殺到で悪影響が目立つようになっていた。ところがコロナ禍によって一転、観光産業は危機的な状況に陥っている。次の時代の観光のあり方を京都から考える。
「観光の過剰」から「観光の消失」へ
──9月の4連休は、全国的に観光客数が回復傾向にあったと報道にありましたが、京都の様子はどうでしたか?
──インバウンドの急増については様々に語られてきましたが、一転して今年は外国人観光客を見掛けない年になりました。
中井 私は昨年10月末に『パンクする京都──オーバーツーリズムと戦う観光都市』を出しました。おかげさまで多くの方に読んでいただき、ご意見を頂戴することができました。ただ、本当に間一髪だったなと思うのは、本が出た数カ月後には京都の観光の状況は一変しましたからね。この本は観光客の急増によってもたらされた弊害について指摘していますが、新型コロナウイルスの感染拡大で移動は自粛すべきとなった。当然、観光どころではありませんから、出版が遅れていたら見向きもされなかったかもしれません。
2019年は世界的にも観光は曲がり角にありました。1995年に約5億2500万人だった国際観光客数は、2019年には約14億6000万人にまで急増しました。これは国連世界観光機関(UNWTO)の長期予測を2年早く突破する急ペースです。世界経済フォーラムの報告でも、観光客の増大と各国間で激化する開発・誘致競争に対して、「持続可能な観光」への取り組みが追いついていない現状への警告がなされていました。京都だけでなく、フィレンツェやバルセロナなどの世界中の観光都市でもオーバーツーリズムは看過できない状況になっていたんです。
──そこから、コロナウイルスの感染拡大で観光客がいなくなるのですから極端ですね。
中井 両極端な経験をすることになりましたね。コロナ前は「観光の過剰(オーバーツーリズム)」で飽和寸前でしたが、コロナ後は一転して「観光の消失」とも言える経験をすることになった。観光に依存していた都市は、どこも頭を抱えていると思います。京都も深刻です。
──今日は、弊害の目立ったコロナ前と観光客が消えたコロナ後の京都の両面について聞いていきます。まずはコロナ後の京都を振り返っていきたいと思います。
中井 「コロナの春」は目まぐるしく状況が展開しました。新型コロナウイルスは今年1月20日に習近平が制圧を指示するなど、中国では年明け早々から騒ぎになっていましたが、日本ではまだ対岸の火事という認識だったと思います。中国人観光客が来日できなくなったこともあって、「京都が空いている」という情報が駆け巡って「今こそ京都に行こう」と宣伝したんですね。2月には「スイてます嵐山」キャンペーンが打ち出されて話題になりました。我々からすれば、「外国はたいへんらしいで」という感じで呑気に構えているところもありましたね。
それが3月に入ると日本でも感染が広がり、WHOもパンデミックを宣言します。人々の認識はこの時期に一変しましたよね。4月に入ると門川京都市長から「観光客お断り」のメッセージが出されます。
4月16日に緊急事態宣言の拡大が決定されて、いよいよ状況が深刻化していきますが、京都の動きとして注目すべきは、その翌日から「簡易宿所駆け付け」が全面適用になったことです。簡易宿所というのは、ゲストハウスや民泊のような小さな宿のことです。管理人が常駐していない小さい宿も多いのですが、そうした施設でもすぐに管理人が駆け付けられるようにすることが義務付けられました。コロナ・ショックで観光客の来京がピタッと止まった時に施行されることになりましたから、皮肉なタイミングになりました。
そして5月21日に京都府は緊急事態宣言解除になり、23日には休業要請が一部を除いて解除になりました。6月には府県をまたぐ移動自粛が解除になり、7月22日からはGoToトラベルキャンペーンが開始されました。しかし、冒頭でもお話ししたようにやっと観光客が戻ってき始めたのは9月下旬であったというのが現状です。
外国人宿泊者は前年比マイナス99・9%!
──めまぐるしい展開ですね。
中井 京都市内の市バスはあまりに観光客が増えたために、地元住民からの不満が殺到していました。それが4月から7月にかけての京都市交通局が発表した市バス利用状況を見ると、4月には前年度の同時期と比較して最大64・2%も減少しています。7月の半ばになっても31・2%の減少です。地下鉄も同様に著しく減少していて、4月には前年度比69・8%の減少を記録しています。
各種産業にも大きなダメージが出ています。京都商工会議所の動向調査によれば、京都府内に本社・本店などを有する企業532社のうち全体の78・7%で今年度の経常利益が前年比で減少していて、大幅に減少(前年比で80%以上の減)した企業は全体の25%にも上っています。業種別に見ていくと、特に影響が大きいのが小売で、業界の半数の50・0%に大幅な減少が見られました。観光客がいないことだけではなく、営業時間の短縮などによって地元のお客さんが来ないことが大きいわけです。運輸・倉庫業(42・1%)、サービス業(40・1%)でも大きなダメージがでました。この辺りは、タクシーの利用減少やインバウンドの減少が直撃したかたちになっています。
ホテルの宿泊状況を見ると、びっくりするような数字になっています。市内55ホテル(民泊、ゲストハウスなどは含まず)の稼働率は、5月の段階では6・5%でした。外国人に至っては前年比でマイナス99・9%ですから、ほとんどいない。
──ゼロではないのが不思議なくらいですね。
中井 何らかの事情があって、帰国できなくなった人が宿泊しているみたいです。
もっと深刻なのは、ゲストハウスなどの簡易宿所ですね。もともとインバウンド比率が高いためホテル等よりも状況はさらに深刻で、6月の段階では稼働率5%未満が8割以上にもなっていました。深刻な状況が続いているため、廃業やビジネスそのものを変えることを検討するところが半数近くも出てきています。町家の建物をそのまま利用して、住宅にしたりカフェにするなどの事業転換が見られるようです。
京都市観光協会が7月にロードマップを策定しました。ここでは四つのフェーズに分けられています。GoToキャンペーンの開始がフェーズ1「国内観光の復興期」で、まずはひと月あたり日本人観光客10万人泊を取り戻します。最終段階のフェーズ4「全世界的に需要が復活」では、ひと月あたり日本人観光客25万人泊、外国人20万人泊が目標になっていて、これはコロナ前と同水準です。
興味深いのは次の断り書きです。「宿泊数を一定水準まで回復することをめざします。ただし、新型コロナウイルスの影響が出る以前に発生した諸問題の再発を回避できるよう、地域にとって理想的な顧客像を設定して、これらの顧客層を優先的に誘客することで目標を達成することをめざします」──。
いま京都の観光産業は危機的状況と言えますが、だからと言って2019年までの京都の状況は彼らにとっても望ましい状況ではなかったということなのです。インバウンド増加の恩恵を受けた観光産業の従事者にとっても、コロナ前に見られたオーバーツーリズムは改善すべきだと考えられているわけです。
──観光客の回復にはどのくらいの時間を見込んでいるのでしょうか?
中井 リクルートじゃらんリサーチセンターなどは、この秋には国内宿泊旅行は本格的に回復すると見込んでいます。一方で、インバウンドの回復は早くても2年後、長期化するならば数年掛かるのではないかと考えられています。
ただ、やはり移動に関する不安が残りそうです。東京の感染者数が多かったこともあってGoToキャンペーンは東京都民を除外するかたちで始まりましたが、個人の感染リスクが地域と紐づけられて認識されるようになりました。7月16日の都知事の会見でも「都民が都外のホテルを予約しようとしたら、都民は断るように県庁から指導されているとして予約を断られた」という事例が紹介されました。京都の旅館マネジャーも「私は◯×県の者なのですが、私は泊まってもいいんでしょうか?」という問い合わせが増えたと言っていました。受け入れる側も疑心暗鬼だし、行く側も自分が嫌われて差別されるのではないか、と両者が不安になっている状況がまだまだ見受けられます。
地元にとっても観光客にとっても「受け入れがたい」
──次に2019年までのオーバーツーリズムに苦しむ京都について振り返っていきたいと思います。そもそも「オーバーツーリズム」という言葉は、どのような状況を指しているのでしょうか?
中井 オーバーツーリズムは2016年前後からメディアやSNSを中心に使われるようになったいわゆる「バズワード」で、厳密な定義があるわけではないんです。それ以前には「観光公害」が使われていました。自然環境に悪い影響が出たり、歴史のある文化資源が劣化したりするなど、観光客による被害を指していた言葉でした。オーバーツーリズムはもっと悪影響を総合的に包括した言葉だと考えています。観光客が多すぎることで、観光体験の質が著しく低下するなど、観光客も害を被っているという視点が含まれています。「せっかく来たのに、観光客ばかりでムードもなにもありはしない」という感じですね。
地域住民の生活に与える悪影響も、今まではあまり意識されてこなかったポイントだろうと思います。交通インフラやトイレなどが混みすぎてしまうと、住民にとっては迷惑です。京都で言えば、とくに観光客の動線と重なるルートでは市バスの混雑具合は常軌を逸したものでした。
それから観光行動も変わってきていて、最近では「まちなか観光」や「まちあるき」のように人々の暮らしそのものが観光対象となっています。地元住民からすれば、自分たちの暮らしそのものが観光消費されるわけですから、「人間動物園」のように感じられて不快に感じる人もいます。住民と観光客の動線が重なるほど、インフラの奪い合いやトラブルにつながります。
欧州の国際的な観光都市では、「ツーリズモフォビア(tourismophobia:観光恐怖症)」と言われるような感情が噴き出したり、反観光運動にも発展したりしています。この動きは反グローバリズムや排外主義との合流も指摘されていて、より状況が難しくなっています。
オーバーツーリズムはこうした「受け入れがたさ」を象徴させている言葉だと言えます。難しいのは、地域や観光現象の諸条件によって、過剰かどうかが決まってくるところですね。祇園が混雑し過ぎるのは問題視されますが、それが道頓堀なら「賑わっている」と歓迎されたりもするわけです。
舞妓パパラッチと民泊問題
──オーバーツーリズムによって京都では具体的にどのような問題が生じたのですか?
中井 2014年前後から問題になっているのが「舞妓パパラッチ」の存在ですね。祇園のお茶屋さんと言えば、「一見さんお断り」のお店が多いわけですから、本来ならば外国人観光客とは縁のない世界でした。若い世代にとっても遠い世界ですよね。ところが、欧米人がこぞって持参している旅行ガイド『Lonely Planet』の京都版を見ると、その表紙には必ず舞妓さんの写真が使われています。舞妓さんの姿を写真に収めようと、1日中祇園に張り付いている観光客もいます。なかには、舞妓さんの袖を引っ張ったり、追いかけたりする例があります。舞妓さんからすれば、恐怖を感じますよね。
それから2016年頃に大問題になったのが民泊問題です。民泊は仲介サイト「Airbnb」などの登場で、この数年で急速に広まった宿泊業のスタイルです。本来は宿泊施設ではない一般の住宅の一部やマンションの一室などに旅行者に泊まってもらうわけです。学生の小遣い稼ぎから、多くの部屋を回しながら大きな利益を上げる民泊専門業者まで様々な人がこのビジネスに乗り出しました。インバウンドの増大で宿の供給が追いついていませんでしたから、民泊は当初は救世主的に受け入れられて京都の街中に出現することになったんです。
けれども民泊は、管理者が常駐していないことも多いですから、様々な副作用が出て来ました。「見知らぬ外国人が大勢出入りしていて怖い」とか「あたりをゴミだらけにして散らかす」とか「夜中まで騒いでうるさい」とか問題が次々と出て来ました。苦情を言おうにも管理人が誰なのかわからなかったりするんです。
2017年以降には、「インスタ映え」ブームによって特定のスポットへの集中がさらに加速していっています。外国人観光客にしても、まずは金閣寺や清水寺などの定番スポットには必ず訪れますからね。
──マナーの悪さと言えば、よく中国人観光客が槍玉に挙げられている印象があります。
中井 中国人がシンボルのようになってしまっているところがありますよね。ただ、舞妓パパラッチなんかは欧米人のほうがむしろ多いんです。アジア的なものに異常に熱を入れるのは欧米人に多くて、中国人観光客は飲食店でのマナーが嫌われることが多いんです。食卓のうえで、子どものオシメを替えたりするのは、日本人の感覚からすると嫌ですよね。欧米人の行動では、軒先で座り込んだりすることがよくあって迷惑している人が多かったです。
マナーには絶対的な基準があるように思ってしまいがちですが、基本的には日本人の価値観に合っているかどうかで判断されることですから、いわば文化摩擦という側面もあります。
こうした状況を受けて、日本人の京都離れも進んでいます。実は京都を訪れる日本人観光客の数は近年減り続けていて、国内観光地の各種ランキングでも順位を下げていました。「京都に行っても混みすぎているだろう」とか「ホテルが高過ぎる」という印象が定着してしまっていました。近年では世界的な「京都ブーム」と日本人の「京都ばなれ」が同時進行していたんです。
今年2月に京都市長選が行われましたが、観光が争点になりました。3候補とも「観光課題解決」「観光抑制」をアピールしていて同じようなことを主張していました。やはりオーバーツーリズムを問題視するのは京都市民の共通認識になっています。「もう観光客はいいだろう」と。
「青もみじ」作戦は逆効果だった
──オーバーツーリズムに対してどのような解決策があるのでしょうか?
中井 行政の対策としては、まずは季節や場所の「分散」が推奨されました。たとえば、京都は紅葉の時期が混雑しますが、「青もみじ」という言葉を使って「樹々の葉が青いうちも素晴らしいですよ」と宣伝したんです。そうしたら紅葉の時期だけではなくてお寺さんは一年中混むようになってしまったので、皮肉な結果になったとも言えますが……。それから混雑しているスポットの情報をリアルタイムでスマホに配信するサービスも始めました。
ただ、京都市にオーバーツーリズムについて話を聞きに行くと、「風評被害になる」と怒られるんですよ。彼らの立場としては「特定のスポットに集中しているだけで、街全体がオーバーツーリズムなわけではない」と言うんですね。
ただ今回のコロナ危機によって、過密を避ける行動様式や働き方が根づきつつありますから、休暇取得時期の分散など進めばが観光客が集まってくるシーズンが分散される傾向は進むかもしれません。
分散に加えてもう一つ対策として挙げられるのが、観光客の「質」を上げることです。質は何を意味するのかと言えば、一人当たりの観光消費額を向上させることです。要するに、たくさんお金を使ってくれる観光客はお行儀もいいだろうというわけです。具体的にとられた施策としては、たとえば先ほど出てきた「簡易宿所駆け付け全面適用」などもその一環と言えるかもしれません。これらは結果的には格安の宿を締め付けるということですね。
風当たりの強まるゲストハウス
──けっこうあからさまですね(笑)。確かに効果的な気はしますが…。
中井 一連の市政の流れとしては、ゲストハウスなど簡易宿所への風当たりは強いですね。宿泊税にしても、安い宿に泊まる客ほど負担が大きくなる制度設計だと批判されています。そして、その一方で上質宿泊施設誘致制度などもあり、高級ホテルのオープンラッシュも起きています。祇園には帝国ホテルが来ますし、東山にはすでにパークハイアットがオープンしました。それから、世界遺産である仁和寺の門前に高級ホテルが進出を計画していますが、これには反対運動も起きています。
──ゲストハウスなどで旅人たちと交流するのは、ホテルに宿泊するのとは違う魅力もありますよね。働いている人も個性が強い。東南アジアのゲストハウスなんかは独自のカルチャーを築いています。目の敵のようにされるのも気の毒だなと思います。
中井 うちの大学の学生でも就職もせずにフラフラしている人は、大体ゲストハウスで働き始めるんですよね(笑)。ゲストハウスはよそ者を迎えるところですが、京都によくいる何をしているのかよくわからない若者たちの居場所──収容所とも言えるかもしれません──になっている機能もある。都会で会社勤めをする気はないが、働かなければ食べていけないという人たちがゲストハウスで管理人を始めたりするんですね。
彼らは学生時代を京都で過ごして、街に愛着のある人が多くて、京都にいることに意味を見出していたりもします。そのあたりは地域の人もきちんと見ていて、そういうゲストハウスと金儲けだけでやっているところとをシビアに区別しています。行政としては制度的に色分けするのは難しかったりするので、結果的に一律に締め上げるようなかたちにはなっていますが、地域社会側もすべてのゲストハウスに反対しているわけではないんです。
極端な話ですが、高級ホテルしかない地域にしてしまえばお金持ちしかやって来られなくなります。けれども、それでは観光産業の裾野を狭めてしまう。安宿がなければ、お金のない若者が旅をする際の選択肢から外れることになります。そうなると、その人はもう京都に出会う機会をなくしてしまう。
観光産業を育てていくときに、頂きを高くするのはいいんですが、裾野を削るかたちで進めていけばアンバランスな構造になってしまいます。例えばゲストハウスがなくなってしまえば、次世代の京都ファンは育ちません。これは問題だと思います。若いときは安宿に泊まっていても、社会人として活躍した時にはいい宿に泊まることもあり得ますからね。
人生再設計第一世代の社会学者
──私も学生時代を京都で過ごしましたが、「働くようになったら京都でお金をたくさん使い」とよく言われました(笑)。京都の人は、学生には寛容なところがありましたね。
中井さんご自身のご関心やご経歴についても少し伺っていきます。観光をご研究のテーマにするきっかけはありましたか。
中井 もともとは文化遺産や文化財から研究を始めました。最初にフィールドとして選んだのが、京都北部の美山の茅葺集落や熊野古道でした。これらは誰も見向きもしなかったものが、いつのまにか文化遺産と認識されるようになり、世界遺産になったりしたものです。熊野古道は地元の人もほとんど忘れていたような、ただの古い道ですからね。それが世界遺産になって世界中から観光客がやってくるようになった。このように文化遺産に価値が付与されていく過程に興味を持ったんです。
最近では、文化遺産に一層注目が集まっていますよね。「うちの村に珍しいものがあるから、これを文化遺産にしよう」という試みが全国各地で行われている。どこも観光資源にして、それで村おこしに使おうと考えるわけです。その際にお墨付きを得て国や国際的に認められた文化遺産にしようという流れになるんですね。結局、文化遺産や文化財のことを研究していると、いつのまにか観光のことを考えざるを得なくなったんです。
──『パンクする京都』の中井さんの紹介欄に「京都界隈で延長に延長を重ねた学生時代を過ごし、就職氷河期やリーマンショックを受け流してきた人生再設計第一世代の社会学者」とあります。私も同い歳(1977年生)ですから、2000年代初頭の空気感は共感できます。京都では、何をしているのかよくわからない人にたくさん出会いました(笑)。学者をめざすというのは、とてもハードルが高かったのではないでしょうか。
中井 個人的なことですが、3回生になったときに大学に就職コンサルタントと呼ばれている人がきて、名刺の出し方やお辞儀の角度の練習をさせられたことがありました。その講習を受けて「オレは絶対にこの競争に勝ち残れない」と思ったんですね。氷河期時代だったこともあって、就職活動をしないことを決めました。自分の好きなこと──クラブイベントのお手伝いをしたり、東南アジアに流浪の旅に出たり──だけを自由にやっていこうと。でも、将来のことを考えるのは怖いから30歳で死ぬんだと思っていました。
──ずいぶん極端ですね。
中井 当時は本気でそう考えていました(笑)。でも30歳までは、できるだけ自由でいられる居場所や肩書きが必要だなと思っていました。フリーターは自由の幅が意外と狭かったりもします。
たまたま大学に仲のいい先生がいて、その方は釜ヶ崎をフィールドにしていたんです。僕は彼の研究室に入り浸っていたのですが、気が付いたらそのまま大学院に進んでしまったという感じです。文系の大学院に進むと就職で圧倒的に不利になると言われていた時代ですから、進んだ時点でまともに就職することはないように思えました。かと言って、社会学者になることはとても遠いことに思えました。学者はもっと優秀な人がなるものだと思っていましたからね。だから強い意気込みがあったわけではないんですが、大学院に進んだら、思ったよりも社会学が面白くなった。足を洗うタイミングを逸してしまった感じです。
「社会学の大学院生です」と言うと、どこに行っても「何しに来たの」と言われないんです(笑)。「研究・調査にきたのだろう」と一応は思ってくれる。社会学という学問の幅の広さ、ある種のいい加減さみたいなものが一般社会でも認知されている。何か気になることがあったときに、社会学の院生という立場があると、本当にどこへでも入って行けたんです。それで、難病の患者会にボランティアとして入ったり、山伏の修行に混ぜてもらったり、さまざまな人に直接話を聞く機会に恵まれました。
ノスタルジアについて考える
──研究によって、何を明らかにしたいとお考えなのでしょうか。
中井 僕個人の関心としては、ノスタルジアという感情について考えることが核になっているようです。文化財や文化遺産、さらには観光について研究する際も中心にはそれがあると思っています。人間は、自分が経験したこともないようなことにも不思議と懐かしさを感じます。『となりのトトロ』を観たときに、あんな生活なんかしたことがないのに懐かしいと感じる。
京都という街も、京都に住んだことがない人たちにとっても懐かしいと感じたり、「ここが自分のルーツだ」と思ったりする場所性があります。古都である京都は、首都である東京にノスタルジアを供給するための植民地のようだと感じることがあります。植民地は、宗主国では生産できないものをつくって送るという構図もありますよね。京都と東京の関係にも似たところがあるのではないかと僕は思っています。
現役の首都である東京は古いものを壊して更新していくことで発展していきますから、基本的にノスタルジアの居場所というのはほとんどありません。そのかわり古都である京都には、ノスタルジアを提供し続けて欲しいと東京に請われているように思います。たとえば、いま祇園など京都の花街の文化を支えているのは、実際は東京のお金持ちだと言われるのですが、これも東京ではなかなか維持できない日本の伝統文化のようなものを京都に託しているのだとも思います。
──ノスタルジアを求めるのは、人間の普遍的な感情なのでしょうか?
中井 もちろん普遍的だとも言えますが、非常に近代的な感覚だとも思います。前近代に生きていた人たちは、ほとんどが自分の生まれた場所で死んでいきます。時間の流れも緩やかなので、自分の時代で街の風景がガラッと変わってしまうようなこともあまりない。故郷を懐かしく感じるのは、自分が故郷から遠く離れてしまったからです。ノスタルジアというのは、人々が人生のなかで移動しながら生きるようになってから芽生えた感情、感覚だと思うんです。
近代に入って人々は就職、進学、転勤など、人生のなかで生まれた街を遠く離れて生きていく経験をすることが当たり前になりました。たとえば室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩が出てきて、それが国民的に共感される状況は非常に近代的だとも言えますね。
──なぜノスタルジアについて考えるようになったのですか? きっかけはありましたか?
中井 僕が13歳のときに初めて買ったCDは映画『スタンド・バイ・ミー』のサウンドトラックだったんです。このサントラにはザ・ビートルズがやってくる直前の1960年代初頭の夏にアメリカで流行っていた楽曲が収められているんです。これは典型的なノスタルジア商品ですね。
1973年の『アメリカン・グラフィティ』がブームになってから、アメリカでは懐かしさをテーマにした映画が流行るんです。『スタンド・バイ・ミー』もその系譜にあります。アメリカのおじさんたちが、「なつかしいな。昔流行っていたな」と感じて聴いたわけですが、当時を知らない日本の13歳の僕が聴いてもなぜか懐かしさを覚える。そのことが気になっていました。
観光という営み自体もやはりノスタルジアと切っても切り離せないものです。そこに自分たちが住んでいる/生きている場所にはないものがあるからこそ旅に出かけるわけですが、とくに人々が京都に観光に来るというのは、自分たちの日常では喪われてしまったものを見に来るということですから……。
──社会学者というよりアーティストに話を聞いているようです。自己表現欲求があったほうですか?
中井 自分が感じていることを出すよりは、人が何を感じているのかをずっと考えていたと思います。そればかりやっていた気がしますね。
京都はよそ者が壊そうとしても壊れない
──『パンクする京都』は、オーバーツーリズムが主要テーマですが、京都論としても読むことができますね。
中井 大学の街ですから、4年間で出て行く学生の人口比率は日本で一番多い街です。ある意味では、流動性は東京よりも高いと言えるかもしれません。その一方で、何代も前から碁盤の目のなかに住んでいる人たちや何百年も守り継がれてきた寺社のいる世界もあって、それらが重なって存在しているのが京都の難しさでもあり、面白さなのだと思います。
今回のコロナ禍にしても、観光客がいなくなって、「さっぱりしたわ」と喜んでいる人もいる。一方でもちろん、観光で生活をしている人は苦しんでいます。アルバイトができなくなったことで困窮している学生も多いです。だから同じ街で暮らしていたとしてもレイヤーが違うと世界の見え方や価値観、感じ方がまったく違う。次元が違うとも言える。
それがうまくお互いの領域を侵さないように共生していたのだと思います。ところが、近年のオーバーツーリズムはそこをまるごと飲み込んでしまうような現象でした。だからこそ、この街ではとくに問題となったのでしょう。
──コロナ後の京都についてご提言は?
中井 実はあまり考えていません(笑)。割と京都のことを信頼しているところがあって、この街はよそ者が壊そうと思っても壊れないだけのたくましさがあるなと感じています。だから京都の未来に対しては、そんなに悲観していません。むしろ大阪のほうが経済活動に対する自由度が高くてよそから来た人も平等に競争ができる場所であるために、「インバウンドに乗っ取られる」という人々の危機感はリアルなのではないかと思います。
その点、京都は「ここまでは譲っていいが、そこから先は地域コミュニティに傷がつく」といった境目に関して勘の良さがあるような気がします。よそから入ってくる人間からすれば、途中まではスイスイ進んで行くのに、とつぜん壁が現れてそこから先には進めなくなる現象があるんです。妖怪「ヌリカベ」が立ちふさがるような感覚ですね。
地元の人からすると、自分たちの領域にまで踏み込んで来なければ自由にさせておいていいだろうというところがあります。大学界隈などはまさにそうですね。そこから新しい文化が生まれたりもしていて、それも京都の魅力にもなっています。地元の人たちが外から来た人間をうまく利用しながら、一方で自分たちの世界を守るバランス感覚にとても優れているように思います。京都というと排他的なイメージもあるかもしれませんが、学生にしても観光客にしても、つまりはよそ者です。だから結局、京都はよそ者を遊ばせてくれる街なんですよね。
──『パンクする京都』では、インバウンド需要の急増で地価が高まったことで京都から出て行く人が増えていて、一方で新たにそこに住もうとする住人が減少していると指摘されています。そうなると、「京都らしさ」も次第に損なわれるのではないでしょうか。
中井 街が賑わっていても、京都で暮らしている人たちがいなくなってしまえば、「京都らしさ」は喪われる可能性があります。高齢化や人口流出の問題は、外的な要因よりも京都にとっては脅威かもしれません。人がいなくなれば、内側から切り崩される可能性がある。持続可能性が問われるコロナ後の京都を考えるうえでも、観光客だけでなく京都人を増やす努力はより重要になるでしょう。
──しかし、自由に旅ができなくなることが、これほど息苦しいとは思いませんでした。
中井 コロナ危機を通じて、世界中の人が「出かける自由」を喪失する経験をすることになりました。この経験は、あらゆる立場の人々が観光を喪失したことによって、観光の「持続可能性」への志向が立ち上がるきっかけになるのかもしれません。
コロナ前の京都の状況は、取り戻すべき古き良き時代ではないことは観光産業に従事されている方も含めて一致した見解だろうと思います。今の「ウィズ・コロナ」の時代がこの先2年続くのか、3年続くのかはわかりませんが、グローバルな圧力が低下するこの時期は、もっと息の長いスパンで地域社会と折り合うことのできる持続可能な観光のあり方やシステムを構築するのに重要なチャンスになるのだと思います。
聞き手・本誌 橋本淳一