海上自衛隊(以下、海自)は、幹部候補生学校を卒業したばかりの初任幹部を対象として、遠洋練習航海(以下、遠航)を毎年実施している。遠航は、日本海軍の伝統として定着していたもので、海自が戦後それを継承した。遠航の任務は、一義的には初任幹部の教育(シーマンシップの涵養、基礎的知識・技量の習得)にあるが、国際親善、共同訓練、対外的発信など外交上の役割も大きい。遠航実施を担う練習艦隊は、海自の各部隊の中でも最も対外的に開かれた部隊の一つであり、遠航やその前段階の近海練習航海の際に行われる各種歓迎行事には、毎年多くの人が駆けつける。
今年の遠航は、七〇回目という節目の回に当たり、練習艦隊司令官に初の女性(防衛大学校女子一期生)の東良子海将補が就任するなど、注目度が高い。実は、近年安全保障環境が厳しさを増し、海自が多忙を極める中で、遠航の規模を縮小すべきではないかという議論もある。実際コロナ禍中には、遠航を二期に分けて実施するなど、実験的な試みもなされた。もっとも、これは二回で終わり、現状では約半年間全ての職種の初任幹部が全航程参加するという従来のやり方が踏襲されている。とはいえ、専用練習艦「かしま」(一九九五年就役)の艦齢が三〇年を超え、次期練習艦建造の計画について考えるべき時期に来ていることもあり、遠航の実施方法については今後も検討が続くだろう。
遠航と並んで、海自で世間からの注目度が高い活動に南極観測がある。戦後日本の南極観測は、一九五七年に一次隊が昭和基地を設立して以来現在に至るまで約七〇年の歴史がある。実は、第一~六次隊(一九五六~六二年)で使用された戦後初の南極観測船「宗谷」は、海上保安庁によって運用され、当時海自が運用を担当したのは搭載ヘリコプターのみであった。しかし、一九六五年竣工の「ふじ」以降、南極観測船は海自によって運用される体制に変わり、南極観測への参加は、海自における外洋航海能力の維持・向上、広報、隊員募集において大きな意味を持ってきた。南極観測船は、南極に出発する前に日本各地で一般公開され、国民が科学研究や国際協力のあり方に触れる機会も提供してきた。しかし、現在の南極観測船「しらせ」(二代目、二〇〇九年竣工)が二〇三四年度に退役するのを機に、海自は南極観測から撤退し、次期観測船は海洋研究開発機構(JAMSTEC)が運用することになるという(ヘリは国立極地研究所が運用)。背景には、海自の深刻な人員不足と任務量の増加がある。残念な気もするが、これも時代の流れで致し方ないことだと思う。関係各機関には、これまでのノウハウがしっかりと継承されるよう要望したい。
海自の草創期には、これ以外にも外交・広報で大きな役割を担った船があった。米国からの貸供与艦である。発足当初保有していた艦艇が非常に乏しかったため、海自は、日米相互防衛援助協定、日米艦艇貸与協定に基づき、「あさかぜ」型護衛艦(旧米フレッチャー級駆逐艦)、潜水艦「くろしお」(旧米潜水艦ミンゴ)など、多くの艦艇を米国から貸供与された。このうち海自隊員が米本土で引き渡しを受け、日本まで回航したものは八隻あった。彼らは米国での引渡式に参加すると共に、その前後に米海軍による訓練にも従事し、米側との信頼関係を構築した。また、回航時にはサンフランシスコやホノルルに寄港し、米国官民とさまざまな形で交流を深めた。
このように戦後海自の艦艇は、さまざまな形で「防衛外交」や国際交流に従事してきた。近年は、インド太平洋方面派遣(IPD)参加の部隊が大きな役割を果たすなど、実施のあり方は時代に応じて変化している。現在防衛装備品移転三原則の緩和が議論されているが、日本の護衛艦の海外移転が現実化すれば、各艦の回航時に日本で乗員の訓練が行われるなど、相手国の海軍との関係は格段に深まるはずである。防衛装備品移転をめぐる議論に際しては、こうしたソフト面からの議論も不可欠であろう。
京都大学教授