『公研』2024年8月号「issues of the day」
独裁体制にとって、ソーシャルメディアにおける政治的批判をどう管理するかは難しい問題である。
近年の独裁体制は抑圧的手段をなるべく控え、選挙や議会などの民主的制度を体制維持に活用していると言われる。それらの制度には体制に向かってくる脅威を緩和し、国民の支持を調達する機能があるからだ。過度な抑圧や暴力は、反対に人々の不満を高め体制が不安定化する。
ラオス人民革命党による一党独裁体制が続くラオスでも、2000年代に入り議会に国民の不満緩和メカニズムが構築された。同制度はそれなりに機能しており、政府の政策批判を含むたいていの不満や意見が吸収されている。
しかし、党支配に対する不満は制度外でしか現れない。共産党の論理では、独裁体制はマルクス・レーニン主義によって正当化されそこに疑問の余地はない。それでも一部の若者はソーシャルメディアに政治的不満を表出する。
それに対して党・政府は硬軟織り交ぜた対応をとっている。抑圧的手段を講じる場合もあれば放置する場合もある。なぜ異なる対応がとられるのだろうか。
国民の不満緩和メカニズム
ラオスでは1999年10月の民主化デモを機に、国民の不満緩和メカニズムが制度化された。アジア通貨危機による経済悪化で生活苦に陥った学生や教師のグループが、民主化を要求しデモを行った。デモは開始直後に当局により包囲され社会に波及しなかったものの、党指導部には衝撃だった。それ以降、党指導部は「民意」を重視し始め、2005年に二つの制度を国民議会(国会)に構築する。
一つはホットラインである。国民は年2回の国会会期中に事務局に設置される専用電話回線やEメールなどを通じて、匿名で意見を伝達できる。政府の政策、地方幹部の汚職、政府や企業による土地収用への批判から、近所の騒音問題など生活上の個人的不満まであらゆる意見が寄せられる。利用者数は徐々に増え、多い時で1000件以上の電話がある。寄せれられた意見は内容に応じて関係機関に送られ、実際に問題が解決されたり法的な回答がなされたりするなどの対応がとられる。
もう一つは不服申し立て制度である。国民は行政や司法の決定に不服であれば国会に申し立てを行える。国会はそれに対して行政や司法が下した決定の妥当性を審議し、公正でないと判断した場合は決定を当該機関に差し戻す。実際に行政や司法の決定が覆ることはある。
以上二つの制度を通じて、党・政府には有効な統治に必要な情報がもたらされる。そして必ずしも人々の選好に沿った結果になるわけではないが、党・政府は国民の声に応答することでアカウンタビリティを果たす。そうであれば国民の不満は緩和され、少なくとも街頭での直接行動に出る可能性は低くなるだろう。それは体制の持続にも寄与する。現在、両制度は地方議会にも整備された。
この制度に吸収されないのが政治体制に関する不満である。だからこそ政治的不満が鬱積した人々は、ときにリスクを冒してまで自らの主張を制度外に表出する。1999年の民主化デモはまさにその典型であった。経済問題に起因する政治的不満が爆発したのである。現在のラオスも1999年当時の状況に酷似しているが、不満は直接行動としてではなく、まずソーシャルメディアに現れるようになった。
徐々に積もる不満
現在、社会には二つの大きな不満があると考えられる。一つは経済状況の悪化である。2000年代中盤から年率8%前後の成長を10年近く続けてきた経済は、2014年頃から下降し始めた。そして新型コロナウイルス感染症の拡大を機に、その後もロシア・ウクライナ戦争に起因する資源・原材料価格の高騰、主要先進国の金融引き締め政策、国内総生産(GDP)の約110%に膨らんだ対外債務などの要因が重なり、アジア通貨危機以来最悪の状況にある。通貨価値の下落率は2020年1月から現在まで対ドルで約165%、消費者物価指数上昇率は約99%となり、国民はインフレや物価高に苦しんでいる。
この影響をもっとも受けているのが中間層や貧困層である。経済的理由により学校を退学する子供たちや、隣国タイに出稼ぎに行く若者も増加傾向にある。もてる者はさほど影響を受けず、もたざる者はさらに貧しくなっている。経済格差が拡大するなかでも、党・国家機関幹部の汚職には歯止めがかからない。それも不満を助長している。
もう一つは機会の不平等に対する不満である。ラオスは良くも悪くも「コネ」社会であり、公的機関での許認可手続き、就職、質の高い学校への入学、奨学金の獲得など、生活のあらゆる面で「コネ」が重要となる。いわば党・国家機関幹部とのつながりがものを言う社会である。「コネ」がある人は自らの目的を達成するためにそれを最大限活用する一方、もたない人は経済・社会面で機会の不平等に直面する。とくに農村・山岳地域ではその傾向が強く不満も多い。この社会システムから利益を享受している都市中間層の若者の一部も、このような構造に次第に疑問や不満を抱き始めた。そして政治意識が芽生えた彼/彼女らは、経済や社会問題の根本要因を政治に求め、不満を表出するようになった。
ソーシャルメディアへの不満の表出
政治的不満の表出の場はソーシャルメディアである。ラオスではスマートフォンやソーシャルメディアが2010年代に入り飛躍的に普及した。それに伴って徐々に党や政府批判がソーシャルメディアに現れた。まず政治空間となったのがFacebookである。Facebookはラオスでもっともユーザー数の多いソーシャルメディアであり、影響力も大きい。2024年現在のユーザー数は約375万人(人口比約49%)である。利用者の多くは本名でかつ自らの顔写真を掲載して利用しているため、政治的発言のリスクは高い。それにもかかわらず、当初は政府の取り締まりが厳しくなかったこともあり、政治的書き込みが次第に増えていった。辛辣な党・政府批判を展開するユーザーや、政治改革や民主化を訴える者もいる。
若者の一部がためらいなく政治的意見をソーシャルメディアという場で公にするようになったのは、市場経済化の進展による環境の変化が大きい。情報統制は続いているものの、現在ではスマートフォンやソーシャルメディアで国内の真の状況を知ることができる。また社会主義経済時代とは異なり、人々の働き口は国有企業やその他公的機関に限定されず、民間企業や外資系企業など選択肢が広がった。自ら起業する若者も多い。つまり体制への依存度が低下し、公的管理制度の外で生活する人々が増えたのである。
硬軟織り交ぜた党・政府の対応
ソーシャルメディアの政治的利用に対し党・政府も対策を講じている。まず2014年にインターネットの情報管理に関する政令が公布された。続いて17年には政府が刑法典を成立させ、電子媒体を含むメディアなどで国家に対する誹謗中傷、党路線や政府方針を歪曲し宣伝活動を行った者に対しては禁錮刑や罰金刑を科すとした。以上の法律では何が誹謗中傷や歪曲にあたるのか詳細は定められていない。つまり拘束や処罰の判断は当局の裁量次第となる。
法整備に伴って実際に抑圧的対応がとられるようになった。体制批判を行った者、人権問題や政府の災害対策を批判した者などの拘束が相次いだ。直接的な批判でなくても政府に都合の悪い書き込みを行った人も拘束された。体制の「顔」がみえない不可解な抑圧や暴力も散見される。2023年にはソーシャルメディアで政治的言論を展開する活動家の殺人未遂事件が起きた。被害者は国外に脱出している。さらに隣国タイ在住のラオス人民主化活動家が失踪したり、謎の死を遂げたりしている。いずれも真相は不明だが、ソーシャルメディアを活用するラオス人活動家を狙った事件が増えていることは事実である。
一方で、当局はすべてに厳しい対応をとっているわけではない。当然のことながら、ソーシャルメディアを完全に管理することはできない。とくに匿名性の高いツールで政治的発言を行うユーザーの特定は難しい、X(旧Twitter)やTikTokでの体制・政府批判は野放し状態である。監視が強まっているFacebookでも、批判的書き込みを行ったユーザーが取り締まりを逃れることも多い。
このような対応の違いは、体制側の脅威に対する認識度合いに起因すると考えられる。発信力が強く社会に影響力を及ぼすユーザーの発言や波及効果をもたらすような書き込み内容は、体制にとって脅威である。そうであれば抑圧的な対応によってその芽を摘み取るしかない。そうすることは国民へのシグナルにもなり、抑止効果も期待できる。一方、ソーシャルメディアは党にとって「安全弁」としても機能する。既存の制度で政治的不満を吸収できなければ、ガス抜き装置が必要になる。99年当時は現在のようにガス抜き装置はなく、一部の人々が街頭に出た。体制への脅威が低くソーシャルメディアへの書き込みにより不満が緩和されるのであれば、過度に取り締まる必要はない。それはかえって若者の不満を高めるだけである。
実は党・政府とソーシャルメディアの政治的利用者にとっては、現状が均衡なのかもしれない。脅威と認識すれば体制側は断固対応し、そうでなければガス抜きをさせる。多くのユーザーにとっては不満をつぶやきながらもリスクを避けたいのが本音であろう。どの場合にリスクが高くなるかは体制側のシグナルで理解できる。独裁体制が続く限りこの問題に解決策はない。ソーシャルメディアをめぐる体制とユーザーの攻防は現状のまま続いて行く。
アジア経済研究所