『公研』2024年7月号「めいん・すとりいと」
今月25日に刊行される、新刊『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史──サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)の校了を終えて少しホッとしている。
『ビックリハウス』という、1975年から1985年に刊行された若者向け投稿雑誌を分析し、いわゆる「しらけ」や「新人類」と呼ばれる世代以降の日本の若者たちがなぜ「政治に無関心」と見なされてしまったのかを明らかにする試みだ。雑誌研究自体は日本でも数多く見られるものの、本研究では『ビックリハウス』全号、合計1000万文字以上のデータを文字起こしし、計量テキスト分析を施した点が、他の先行研究と大きく異なる。
OCRソフトウェアを使えばそんなもの簡単でしょうと思われそうだが、雑誌はレイアウトも複雑であり、若者が投稿してつくる雑誌だから、造語や当て字も多く変換も一苦労である。作業補助者がそれまで勤めていた職場を辞め、専任でやってくれた。多数の民間財団の研究助成金を調達し、雇った彼女と二人三脚でのデータセット作成だった。
なぜ誰もやろうとしなかったかと言えば、答えは簡単で、そんなことをやっても労多くして益少ないからだ。同じ媒体を検討した先行研究が多数ある新聞や論壇誌なら意義を持つかもしれないが、若者雑誌をフルテキスト化したところで、その雑誌が持つ時代的な代表性・普遍性がどの程度あるのかもわからない。ということは、研究成果として結実するか否かも定かではない。コンスタントに研究成果を出さなければならないことを考えれば、当然選択肢としては悪手も悪手だろう。作業補助者を雇用する費用もバカにならない。
しかし、私はそういうことほどやってみたかった。この研究者をめぐる、寛容とは言えない環境の中で、私はすぐに研究成果を出さなければと焦ってしまう。そしてその研究成果をなるべく多くの人に伝えなければと、新聞記事やネットニュースを通じて発信し、社会的意義を示そうと躍起になってしまう。
一度そういったものから離れてみたかった。「意味」や「意義」がすぐには見つからない研究がしたかった。1年に何本論文を出すとか、有名な学術誌に載せるとか、それとは異なる意味で研究者らしいことがしたかった。
校了の朝、しばらく外に出ていなかったので軽く散歩でもしようと思い、自宅のある九段下から靖国神社まで歩いた。せっかくだから本にまつわるお願いでもするか、と思って手を合わせようとしたが、私がこの本になにを願えばいいのかがわからなかった。
多くの人に手に取ってもらって、重版するのがこの本の幸せなのだろうか。どこかで評価されて、学術誌で書評が載ったり、例えば賞などを得られれば最高だろうか。どれもこれも、もちろんそうなれば嬉しいが、どうもそれが私の求める本当ではないような気がして、なんとなく手を合わせるだけにとどまった。
この本が、これからどういう評価を下されるかは、わからない。学術的意義を認められないかもしれないし、多くの人に読まれるわけではないかもしれない。ただ、数年間をかけて文献を渉猟し、データを検討し、少なくない労力をかけて、自分の求める問いの答えに少しでも近づくことができたと感じている。
誰からも評価されなくても、知見が広く社会に伝わらなくとも、私はずっと、こうした仕事がしたかったのだと思う。だからこそ、特にこれ以上願うことが思い当たらなかったのではないか。
立命館大学准教授