三淵嘉子と「虎に翼」 時代を超えて考える女性と法【神野潔】【大庭三枝】

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昭和の時代を生きた三淵嘉子さんの人生と令和のドラマ「虎に翼」。

女性をめぐる法制度、そして法を取り巻く社会はどう変化してきたのだろうか?


じんの きよし:2000年慶應義塾大学法学部卒業、05年同法学研究科公法学専攻後期博士課程単位取得退学。専門は中世法制史。武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授、東京理科大学理学部第一部教養学科准教授、同教授などを経て、21年より現職。著書に『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』、共編著に『御成敗式目ハンドブック』など。


おおば みえ:1991年国際基督教大学教養学部卒業、98年東京大学総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。専門は国際関係論、アジアの国際政治。東京大学大学院総合文化研究科助手、東京理科大学工学部准教授、同教授などを経て、2020年より現職。著書に『アジア太平洋地域形成への道程』『重層的地域としてのアジア』、編著に『東アジアのかたち──秩序形成と統合をめぐる日米中ASEANの交差』など。


 

「私の一生は、女性法曹の40年の歴史そのもの」

 大庭 今年の4月からNHKで放送されている連続テレビ小説「虎に翼」が大変話題になっています。女性として日本で初めて弁護士、判事、裁判所所長となった三淵嘉子さんの人生をモデルとした物語です。私の周りでもたくさんの人がこのドラマを高く評価しています。

 本日は神野先生と、「虎に翼」から今の世の中を読み解きつつ、女性をめぐる法の変遷についてもお話しできればと思っています。先生の本来のご専門は中世法制史ですが、三淵嘉子さんの生涯を追った『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』を上梓されています。私の専門は国際政治学でして、ドラマ批評家でもなければ、ジェンダー論の専門家でもありません。しかし、このドラマを見て刺激を受け、いろいろと考えをめぐらすことも多いです。それで、神野先生とは是非、このドラマや三淵さんについて意見交換したいと思っていました。よろしくお願いします。

 神野 よろしくお願いします。大庭先生には東京理科大学の元同僚として、とてもお世話になりましたので、本日の対談を楽しみにしていました。

 大庭 さて早速ですが、中世法制史と、昭和の時代を生きた嘉子さんの間に、何か繋がりはあるのでしょうか?

 神野 直接的な繋がりはありません。三淵嘉子さんについての本を執筆するまでに、いくつか段階があるのですが、そもそも私が中世法制史に興味を持ったのは、学部1年生の時に、川島武宜(民法・法社会学を専門とする著名な法学者)の『日本人の法意識』を読んで、日本の前近代まで遡って法の歴史研究をしたいなと思ったことがきっかけです。そこからは、中世法制史として「御成敗式目」の研究などをしていました。

 そんな中、2010年にイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で在外研究をしていた時に、歴史学者のロナルド・トビ先生から、「研究においてセカンドメジャーを持ったほうがいい」というアドバイスをいただきました。私はその時期、自分のやっている法学という学問が、どこから来たものなのか、これまでどんなふうに発展してきたのか、ということに興味を持っていましたので、穂積陳重(明治・大正期を代表する法学者で、民法の制定で中心的な役割を果たした)など、日本法の礎を築いた人物の思想・キャリアに注目した研究を始めました。そこから関心を法曹にも広げて、澤田俊三という弁護士の留学経験や帰国後のキャリアについて、調べてみたりもしました。

 そんな中、少し現実的な話になってしまうのですが、ルース・ベイダー・ギンズバーグが亡くなった時期に、雑誌『人権のひろば』から「女性法曹というテーマで何か原稿を書いて欲しい」との依頼がありました。澤田の研究以来ずっと法曹の歴史には関心を持っていたのですが、とはいえ誰について書こうかなと考えていた時に、三淵嘉子さんが亡くなる前年に書いた、「女性としてはじめて弁護士となり、また戦後は裁判官として定年退官まで30年間を勤めた私の一生は、女性法曹の40年の歴史そのものを歩んだことになる」という文章に目が止まりました。その言葉を見て、女性法曹を題材にするのならまず嘉子さんだろうと思い、執筆したわけです。そして、今回の著書は、この『人権のひろば』の短い文章を読んだ編集者から声をかけていただきたことが、きっかけになっています。

 

妊娠による寅子の離職を描いた意味とは?

 大庭 嘉子さんを研究された先生から見て、ドラマ「虎に翼」を率直にどのように評価なさいますか?

 神野 とてもおもしろく拝見しています。やはり、テーマ性やメッセージ性がしっかりあるドラマというのは惹きつけられます。このドラマを好きではない方は、もしかしたらテーマ性があるところが気になるのかもしれませんが、私個人としては、何を描きたいのか、視聴者に何を考えるきっかけとなって欲しいのかを、きちんと提示している作品のほうが、興味を持って見ることができます。

 あとは、ドラマ文化論の研究者ではない私が言うのもなんですが、登場人物がブレや葛藤を抱えているところがおもしろいなと思います。多くのキャラクターが、シンプルな人物像として描かれていません。

 例えば、穂高重親先生(モデルは穂積陳重の長男で民法学者の穂積重遠)は、女性初の弁護士をめざす、主人公・猪爪寅子の良き理解者として登場していましたが、寅子にとって少し引っかかる言動をする場面も描かれています。穂高先生も完ぺきな人間ではなく、ドラマのキャラクターとしてブレがある描かれ方をされています。やはり誰であっても、すべてにおいて綺麗に筋が通っているわけではないですし、ある人にとってその人がずっと良い人であることは不可能です。そのブレを丁寧に描くことで、ドラマのリアリティが増している気がします。

 大庭 穂高先生に関して言うと、「おや?」と首をかしげてしまうシーンが2回ほどありました。一度目は、寅子の妊娠が発覚した途端に、体調を心配して穂高先生が休職を勧めるシーンです。二度目は、寅子が一度離れた法曹界で再び働くことに対して、穂高先生が「無理に法曹の世界にいることはない。これ以上、苦しむことはないんだよ」と言い、家庭教師の仕事を勧めるシーンです。あれは一体何だったのでしょうかね……

 神野 モデルとなった穂積重遠先生は、平気でそんなことを言う方ではないと思うので、そのイメージがついてしまうと少し可哀想な気もします(笑)。

 大庭 そうですね。

 ただ、あくまでドラマにおける穂高先生のこの二つのシーンが挿入されたことで、物語にリアリティが増したなと個人的には感じました。寅子の周りの人々が、それまではキャリアを応援してくれていたのに、妊娠が発覚した途端、優先すべきは子育てだという考えに急転換していきます。この時期の寅子は、自分が法曹界の女性を引っ張って行かなくてはという思いが強く、仕事もたくさん抱えて精神的にもいっぱいになり、怒りに満ちていましたよね。私は、そんな寅子の姿を、私の世代で総合職に就いた女性たちの姿と重ねて見ていました。

 私が就職した時代は、男女雇用機会均等法の施行(1986年)から数年経ち、かつバブル経済がはじける直前ともいえる1991年入社組です。好景気とその当時の社会の雰囲気の中で、私の周りでも多くの女性がさまざまな企業に総合職として就職しました。ところが、実際にはこの時期に総合職となった女性のほとんどが最初に勤めた会社を辞めています。職場において法の下では男女は平等とされていましたが、実際には制度は整っておらず、周りの意識も全然変わっていなかったのです。そんな中で、男性の同僚と同じ仕事をハードに続けるのは、物凄くしんどいものがあったと推察します。その女性たちの姿が、一度周りから応援されてキャリアを築いたはずが、結局は地獄を見て辞めてしまうという寅子の状況と重なって見えたのです。

 一方で、史実としては、三淵嘉子さんのキャリアの中断はなかったようですね。

 神野 そうですね。実際にこの頃に出産されるので、それで仕事を離れたという時期もあったと思いますが、それよりも、戦争によって民事訴訟の案件が減り、弁護士として働くどころではなくなってしまったというほうが、史実としては正しいのかもしれません。

 大庭 ドラマでは描かれていませんでしたが、実際の嘉子さんは母校である明治大学で、助手や助教授の職位に就き、キャリアを繋いでいっていました。このドラマを書かれた脚本家の吉田恵里香さんは、意図的に妊娠・出産というかたちでのキャリアの中断を入れたのでしょうね。寅子が法曹界で少数派である女性の先駆者としてプレッシャーを浴び続けることの苦しさを、最も強く表現したエピソードだなと思いながら観ていました。

 神野先生からご覧になって、史実とドラマを比べて、違和感がある点はありますか?

 神野 今お話にも出てきましたが、教える立場の寅子が描かれていない点には、違和感を持ちました。現実の嘉子さんの周りには、教え子の存在があり、また先輩として多くの後輩たちを引っ張っていく立場でもありました。いま放送されているあたりの時代(1948年頃)だと、すでに20人近い女性が、いわゆる司法試験に合格していたはずです。日本で初めて女性弁護士となったのは、嘉子さんの他に、中田正子さんと久米愛さんという方でしたが、中田正子さんは戦後ずっと鳥取で活動されていくので、東京では嘉子さんと久米愛さんの二人が女性法曹のリーダーのような存在でした。

 大庭 中田正子さんはドラマでいう、寅子の先輩である久保田先輩のモデルになった方ですよね。

 神野 そうですね。嘉子さんにとって、先輩・リーダーとしての自身の役割が非常に大きな意味を持っていました。ただ、ドラマでは今のところ孤立したかたちで、女性の法律家として奮闘する姿が描かれていますよね。私は「ドラマは史実に基づくべきだ」という考えではまったくありませんが、リーダーとしての嘉子さんという側面は、彼女の人生においても、女性法曹のその後の発展という点でも、非常に大きな意味があったと思っています。

 大庭 やはり、嘉子さんだけが女王蜂のように一人だけ目立って活躍する、というのではなく、それに続く人々をきちんと育てて、それがいわゆる塊になっていたことが、女性法曹の歴史でも非常に重要だったということですね。

 神野 おっしゃる通りです。もう一つ付け加えると、1940年代後半から50年代にかけて、嘉子さんは法の知識を市民へ啓蒙したいという意識を強く持っていたと思います。この時期の嘉子さんは、婦人雑誌に記事を寄稿したり、取材を受けたりしています。お子さんとの写真なども載っていて、こんなに優秀で活躍している女性だけど親しみやすい側面もあるよ、というような取り上げ方をされているわけですが、嘉子さんも、自分自身を身近な存在だと読者に感じてもらうことで、法に関する話題もまた身近なものとして興味を持ってもらいたい、と考えていたのだと思います。

 他に、ドラマでも鳥取に行く久保田先輩が抱えていた法律相談を、寅子が引き継ぐというシーンがありましたよね。実はこの場面は女性法曹が登場した意義を考える上で結構重要だと考えていて、久保田先輩のモデルだと思われる中田正子さんが、主婦之友社ビルで実際にやっていた女性対象の法律相談は、ものすごい人気だったと言われています。

 また、中田正子さんは⽉刊誌『主婦之友』で、⼿紙での相談に回答する「婦⼈法律相談」も連載していました。法律相談と啓蒙とは少し違うとは思いますが、何にせよ市民との関わりがその後の女性法曹を考えていく上で重要です。なので、ドラマでも久保田先輩の法律相談の話はもう少し深堀りしてもらえたら良かったかなと思います。ただ、何度も言いますが、史実と照らして「ここが違う、あそこも違う」と指摘する必要はなく、むしろドラマには現代の視点が含まれていることのほうが大事かなと思うので……

 

 

多様なバックグラウンドを持つ女性たち

 大庭 私も史実至上主義ではないので、批判ではないのですが、戦前の日本において実際には存在した階層間の大きな格差が、ドラマではあまり明確には描かれていなかった点が少し気になりました。というのも、寅子の家は明らかに普通のご家庭ではありませんよね。戦前のサラリーマン家庭の中でも恵まれている家庭のお嬢さんという描かれ方はされていますが、それがあの時代に置いては相当な特権階級である、という点がドラマではぼかされています。また、寅子の同級生で物語の重要人物である山田よねさんは百姓の出で、貧しさから父親に売られそうになり家から逃げ、東京でカフェーで働きながら明律大学女子部に入学するという設定があります。ただ、実際の彼女の境遇だと、当時大学に通うことはほぼ不可能ですよね。令和の時代にあの時代の階層間の格差の現実を上手く表現するのは、難しいだろうとな思います。

 神野 そうでしょうね。

 大庭 あの当時は実家の財力や考え方など、かなりの条件がそろわないと、女性が大学で学びの機会を得るのは難しかった、ということをこのドラマはうまくオブラードに包んでいますね。ただ、この物語は、そうしたことよりもむしろ他のことを描きたいのだからこれでいいのかな、とも思います。寅子自身が、「学びへの門戸を閉ざされている女性が大勢いる」と明言していますし、それで十分かなと。

 神野 どこに焦点を当てるのか、バランスは難しいですよね。ドラマでは、明律大学の同級生として、いま名前の挙がったよねさんの他にも、家庭を持っている大庭梅子さん、華族の桜川涼子さん、韓国からの留学生の崔香淑さんという、多様なバックグラウンドを持ったキャラクターが登場します。明治大学専門部女子部にも、主婦や留学生がいたそうですが、とはいえここまでバラバラな出自の5人が友情で結ばれて一緒に学ぶということは、現実ではありえなかったと思います。でもドラマでは、あえてこの多様性を描いていて、そのことに意味があるのだと思います。少なくともこの5人には、バックグラウンドが異なることで存在する社会的な「壁」を、一緒に飛び越えていこうとする意志があったわけですから。このドラマのテーマを表す象徴的な描き方だと思います。

 大庭 5人で過ごした海辺のシーンはとても印象的でしたよね。

 

「はて?」が嫌いな人たち

 大庭 先ほど神野先生から、「虎に翼が嫌いな人はメッセージ性が明確にある点が嫌なのでは」とのお話がありました。どのドラマでも肯定的な意見と否定的な意見はありますが、「虎に翼」についてはどんな批判を目にしましたか?

 神野 第51話で、寅子の同窓生である花岡さんが栄養失調で亡くなったこと受けて(モデルは山口良忠、食糧管理法を遵守して闇米を食べず亡くなる)、絶望している轟さんに、よねさんが「惚れていたんだろ、花岡に」と迫るシーンがありました。花岡さんも轟さんも男性として描かれる登場人物ですが、これについて、同性の恋愛感情という要素をこのドラマに突然持ちこまなくてもいい、という批判を見かけました。

 大庭 私もその批判は目にしました。大変厳しく批判している方もいましたよね。

 LGBTQにふれることそのものが、そもそも嫌だというのもあれば、LGBTQは現代的な概念なのにそれを昭和の物語に持ち込んだとして違和感を表明している方、いろいろでした。

 また、このドラマを嫌いとおっしゃった方の一人は、「男女が協力して家庭をつくっていこうとしている令和の時代に、女性に結婚の危機感を植え付けるのはいかがなものか」という意見を述べていました。ちょうどこの頃、寅子が、当時の民法では結婚すると女性が「無能力者」になることを知り、「はて?」と結婚そのものに疑問を膨らませていく姿を描いていた回が放映されていました。しかし、戦前の法制度はまさにそうだったわけで、歴史的事実ですよね。なぜそれを批判するのかよくわからなかったです。寅子が「はて?」と発することそのものが、女性はこうあるべきという固定観念に反しているのかな……

 神野 これは私が個人的に推測しているだけですが、「虎に翼」が「嫌い」な人は、先生がおっしゃる固定観念の手前に、「自分は社会のありようを批判するけど、他の人が批判するのは嫌い」という気持ちが少しあるのではないでしょうか。ドラマでは、寅子が社会の様々な違和感に気がついて、「はて?」を連発していますが、もうそれが気になってしまう。厳しい言い方で言い換えれば、主人公にはいい子でいてほしいという願望がある。

 大庭 「はて?」が嫌となったら、それはもうあのドラマ見られませんよね(笑)。

 神野 このいい子でいるべきだという意識は、学生たちと話していても感じるときがあります。若い人でも、とにかく社会規範やその場の雰囲気に従うほうがいいと考える人が多いように思いますね。

 大庭 これは問題ですね。全然違う例ですが、イスラエルに対する抗議デモが全米の大学で起こっていて、その影響で卒業式が中止になる大学も出てきましたが、このような抗議デモをする必要性がよくわからないと言う学生がいました。彼らからすると、抗議デモは社会を乱す行為に映るわけです。卒業式が中止になって、警察が出動する。そこまでのことをする必要があるのかと。神野先生がおっしゃっているようなタイプの学生に近いですね。

 神野 まさしくそういう傾向がありますよね。法学は、権力(国家)を疑い、それを憲法でどう縛るかというところから始まる学問です。国家はいつでも権力を濫用する可能性があり、それを見張る役割が市民にはあります。しかし、今の日本の学生たちは国家を信用して、むしろ周りの人を信用しない傾向があるように感じています。市民に対する不信感が強くて、市民に対して国家が注意してほしい、わからせてやってほしいという願望が強い気がします。

 大庭 これは困った話ですね。確かに思い当たる気がします。若い方々の中に、社会を乱すことへの嫌悪感があるのかもしれません。今ある社会の現実を超えた普遍的な価値や理想が存在し得るのだ、ということが伝わりにくい。

 例えば、その一つが人権という概念です。実際、現実社会は様々な不平等が蔓延っているけれども、自然法の観点から見ればこうした現実を超えた「こうあるべき」という範が存在する、という考え方を前提として、人権概念は成立しますよね。このような抽象的な話が伝わりにくいような印象がありますね。

 神野 要するに、自然法というフィクションを共有できていないということですね。現実は一旦横に置いておいて、世の中はこういう前提で考えるという部分が共有できていない。

 大庭 今のお話と通じる点があると思うのが、よねさんを嫌いという人たちです。よねさんを嫌う人は、彼女が寅子を攻撃したり、何かとキツイ口調で言ったり、喧嘩で手を出すところが嫌いだと言います。

 神野 そういうふうに思われる方は、物事は円満で平和に進むほうがよくて、周囲を乱しているように見えるよねさんに、好意を持てないのかもしれません。ドラマの中のその時代の社会規範というものを超えたところでよねさんが戦っているとは思えないというか。

 大庭 そうですよね。明律大学女子部の5人の中では、よねさんへの批判が多い印象です。服装もそうですし、円満さを欠くような行動をするキャラクターだから、やはり目立って見えるのでしょう。

 神野 お話を伺って少し不思議だなと思うのが、よねさんのようなキャラクターを受け入れていくほうが円満になりますよね。よねさんのとげとげしくも悲しみを抱えているところはもちろん、多様な人たちを受け入れ、受け止めることが寛容であり、それが結果として社会的な円満さを生むと思います。しかし、円満になるようには振る舞わないよねさんを批判して、結果として社会的な円満さが生まれなくなっている。

 大庭 そうですよね。むしろ、よねさんの正しいことをズバッというところに魅力を感じる熱烈なファンもいますね。

 

日本国憲法による社会の大転換はドラマで描かれているか?

 大庭 「虎に翼」では、1946年に制定された日本国憲法が象徴的に扱われていました。この憲法の制定に合わせて、法律や民法、裁判所や司法に関する制度、検察、警察など、世の中のありとあらゆるものが変化しました。とてつもない社会の大転換点です。「虎に翼」では日本国憲法制定を受けた社会の変化が十分に描かれているのでしょうか?

 神野 まず、今放送中のドラマの内容(第11週、12週)としては家庭裁判所の設立に内容がかなり寄っているので、ドラマを見ているだけだと、社会の背景が少しわかりづらいかなと思っています。

 大庭 そうですね。戦災孤児の存在にフォーカスして、当時の社会的な背景を描いてはいるようですが。

 神野 その上で、ドラマが社会の変化を描けているかということを考えたとき、一つ重要なのは、そもそも法律の変化に伴う社会の変化は、かなり遅れてやって来るものだということです。憲法が変わって、民法が変わっても、家の中には家制度的な要素はかなり色濃く残り続けますし、平等なるものがどういうものなのかは社会にはまだ浸透はしてないですよね。

 ただ、日本国憲法による小さな世の中の変化の例を挙げると、1950年代の石川県のある小学校のPTA新聞を史料として読む機会があったのですが、その新聞にはPTAの母親たちの「新聞を作る喜び」が込められていました。地方の、おそらく当時あまり高い教育を受けたわけではない母親たちだと思われるのですが、自分の思ったことを文章として書いて人に伝えられることが嬉しいという、複数の母親の声が書かれていました。女性が自分の意見を言う、ということについて、状況が少しずつ変化し始めていたことの表れですね。

 構造そのものが劇的に変わっていくのはもう少し後ですが、PTA新聞のように女性の社会進出がほんの少しですが進み、それを喜ぶ女性たちの声があったことは事実です。ドラマでも、もう少し日本国憲法の公布・施行に伴う社会の変化が見えると良いですよね。

 大庭 確かに、いま「虎に翼」で放送している時代は、女性の権利拡大に対する期待と高揚感が高まった時期でもありましたね。戦後まもなくの1946年には、1期生として39人もの女性国会議員が誕生しました。この数字は当時の国会議員全体における9・7%を占め、盛り上がりを見せます。

 しかし、その盛り上がりは維持されず、残念なことに時代が進むにつれて、政治における女性の存在感がどんどんと減っていってしまいます。そして現在、国会議員における女性の割合は1034%です。初の女性国会議員の誕生から78年経ったにもかかわらず、大して増えていません。むしろタレント寄りの女性議員が増加し、政治における存在感が、78年前より圧倒的に薄くなっています。

 神野 おっしゃる通りですね。先生がおっしゃるような前向きな時代が一度あって、その後にまた停滞の時代を迎える。

 大庭 そうですね。停滞を迎えて、外圧によって少しずつですが前進し、現在に至るということですね。男女雇用機会均等法の成立も、1985年に女性差別解消条約へ締結したことがきっかけでした。たとえ外圧が直接的契機であっても、女性へ雇用の門戸が開かれたという意味で、非常に素晴らしいことではありますが。

 

「困っている方を救い続けます。男女関係なく」

 大庭 三淵嘉子さんは、女性初の弁護士の一人であり、女性初の判事、家庭裁判所所長であるがゆえに「女性初」という部分が強調されることが多くあります。しかし、先生のご著書には、嘉子さんの「女性であるという自覚より人間であるという自覚の下に生きて来たと思う」という言葉が紹介されていました。

 嘉子さんが、女性に限らず市民の権利の保障や拡大を志向されていたという点は、ドラマの中でも意識的に描かれていると感じます。例えば、高等試験合格の祝賀会でのスピーチで、寅子は「困っている方を救い続けます。男女関係なく」と力強く自身の思いを述べています。ただ、この時代に男女の格差が明確に存在したのは事実です。そんな、まだ男女平等から遠い時代の中で、男女関係なく人間としての平等や権利の保障を説いた嘉子さんへの評価を、どのようにご覧になっていますか?

 神野 そこに関して言うと、嘉子さんと現代の私たちの感覚との間に、やや隔たりもあるかなと思います。嘉子さんは弱い女性を助けるというより、女性の地位を上げることにご関心があったのだと思いますし、彼女は「男女関係なく」という思いをもちろん持っていましたが、ただ、人間としてと考えるためには、女性の地位を男性と同等にまで上げていく必要があり、そのためには、まず自身が頑張らなくてはいけないと思っていたのでしょう。

 ただ、嘉子さんがここでイメージしていた自分自身(女性の地位を上げるために頑張る女性)というのは、客観的に見ると、女性の絶対的な地位を上げるというより、男性の世界に女性が入っていくというところからは抜け出せていません。つまり、男女というものを取り払った人間というより、女性が男性の世界に入ることで、「人間として」考えることができるというイメージだったのではないでしょうか。

 大庭 それは興味深い指摘ですね。

 私も「男女関係なく人間としての平等や権利の保障」という姿勢は非常に大事だと思っています。ただ、嘉子さんが生きた時代はもちろんですが、今の時代も結局様々な場面で負荷が女性に掛かっていることは確かです。例えば、根強い賃金格差や待遇格差、出産によるキャリアの中断、働きながら子育てする上での女性に掛かる負荷など、いろいろな格差が残っています。この格差が残る状況の中で、「男女関係なく」と強調することが少し引っかかってしまいました。

 というのも、非常に極端な例ですが、これって男女格差解消のためにクオータ制に関する議論をする時に、導入に反対する人々の主張と重なってしまうのです。「いま格差はすでに存在せず平等である。女性も十分恵まれている、男女というくくりではなく人間として平等に評価すべき。だからクオータ制は必要ない」と。嘉子さんがこれと同じ文脈で「男女関係なく」を主張されていたとは思いませんが、彼女のアプローチだと目の前に格差を解消することには繋がらない部分もあるのかなと感じました。神野先生の話を伺う限り、嘉子さんは男女問わず世界全体を底上げしていくという発想が強かったのかもしれませんね。

 神野 そうですね。それで言うと、嘉子さんは後輩の女性のために自分が頑張っているという自負が強くあったと思います。だからこそ判事補、判事、家庭裁判所所長と明確なキャリアのステップを上がり、女性が男性に並んでいくことを意識したと。

 大庭 なるほど。職位が明確だと、女性にとってはやりやすいかもしれません。

「共かせぎの人生設計」に記された進歩的な子育て観

 神野 嘉子さんの話でいうと、男性と女性の対等性を考えた時に、キャリアへの意識だけでなく経済的な対等性という意識がとても強いです。終戦後の経済的に苦しい時代の経験が背景にあるのだろうと思いますが、嘉子さんは女性たちが自分で経済力を上げて男性と並ぶことによって、ようやく男女関係ない人間というくくりができ上ると考えていたのではないでしょうか。

 大庭 嘉子さんのおっしゃること、個人的には大変共感します。

 私個人としては、かなり若い頃から、経済的に自立することの重要性を考えていましたが、少なくとも当時の日本では主流の考え方ではありませんでした。雇用機会均等法ができてから数年経ち、女性が働く道筋はついていましたが、それでも、女性はいつかは結婚をして、子どもを産み、専業主婦になることがモデルコースと認識されていた時代だったと思います。私の時代ですら、女性の経済的自立が社会の本音の部分ではあまり重要視されていなかったのなら、嘉子さんの時代はもっと軽視されていたはずです。そんな中でも、女性が経済力をつけることの大切さを、とても強い意志で主張されていた嘉子さんは、非常に先見の明がある方だなと思います。

 他方で、専業主婦になった友人からは、「両方ともフルタイムで働いたら子どもはどうするのか」と問いかけられることもありました。女性が家庭を築き、かつ経済的自立をめざすとき、子育てをどうするか、という課題は、共働きしつつ子どもを育てるカップルが増えている今、いっそう避けては通れない課題なのだろうと思います。

 神野 嘉子さんの場合は、いろいろな方の協力のもとで子育てをされていました。子どもが生まれた直後は自身の両親と、終戦後は弟家族と暮らしながら、子育てを手伝ってもらっています。さらに、1952年に名古屋地方裁判所に転勤になったときは、母一人子一人の生活となりますが、お手伝いさんを雇って、家のことは基本的に任せていました。

 大庭 嘉子さんは、当時としてはあまりない家族観、子育て観を持っていましたよね。

 神野 そうですね。1959年に嘉子さんが雑誌『婦人と年少者』に載せた「共かせぎの人生設計」という文章では、「職業をもつ母がその仕事のために子の世話を他人に助けて貰う必要のあるのはいうまでもなく、そのために母親としての愛情に欠けると悩む必要はないと思います」「いつか子供が大きくなったとき、母親が人間として尊敬できるならば、きっと子供はそんな母親の生き方を理解してくれるでしょう」という言葉を残しています。

 大庭 今の日本社会はまだ「母親は子どものそばにずっとついていなくてはいけない」という圧が強い印象があります。女性自身がそうしなくてはいけないと考えている側面もあります。また、子どもを預けて働く女性に対して「子どもがかわいそうだ」という言葉を投げかける人も未だ少なくないようです。

 この母親への圧は嘉子さんが子育てをしていた1950年代もあったのでしょう。それに対して彼女は「それをやっていたら女性は働けない」とおっしゃったのだと思います。この問題はとても難しくて、すべての人にとっての正解はありません。ただ、「母親は子どもの傍にいるべきだ」という考え方に縛られる中では、女性が自身の経済的自立に繋がるようなキャリアを築くことは、物理的に家にいても可能な仕事など、かなり職業を選ばないと難しいだろうなと思います。

 この圧力が根強く残る今の日本社会で、嘉子さんが考えるような選択は中々できません。これからの日本に必要なのは、単なる子育て支援ではなくて、子育てをしながらでもキャリアを途切れさせない仕組みをつくることだと思います。

 神野 おっしゃる通りです。

 一つ付け加えますと、とはいえ嘉子さん自身も、仕事と子育ての両立について、かなり考えが揺れている部分もあったようです。

 「共稼ぎの人生設計」では、おそらく自身がそう生きてきたという自負もあって、先ほど申し上げたようなことを書かれていますが、亡くなる直前の1983年には、「日本の現状で女性の自立と、育児の責任とが両立できなくなったら、私は育児の為には女性は自分の自立を少し先に延ばす他ないと思います。子供にそのつけをまわすわけにはいきません」ともおっしゃっているのです。

 大庭 やはりここが難しいですよね。ただ、これは1983年の話ですよね。そこから40年以上たった今は、嘉子さんが生きた時代の先を行っていなくてはいけないはずです。ここを土台に今の時代に合う女性の働き方、子育ての仕方を考えなくてはいけませんよね。

 神野 おっしゃる通りで、だからこそ「虎に翼」を、三淵嘉子さんの人生通りに描いても、ドラマとしてあまり意味がないだろうと思うのです。やはり今のテーマ、今の観点を入れていかないと、「昔はそうだったんだね」で終わってしまいますから。魅力的なモデルの人生に現代的テーマが入れられることで、今の時代に放送する意味が生まれるのだと思います。

 

女性はいつから「無能力者」だったのか?

 大庭 本日の対談で中世法制史を研究される神野先生に伺いしたいと思っていたのが、時代を超える法の普遍的な要素はどの程度存在するのかという点です。というのも、「虎に翼」でも描かれていますが、戦前の家族法と今の法律は大きく異なります。例をあげると、戦前の家族法では女性は結婚すると無能力者になってしまい、完全に家長の下につき、財産も何も所有することが許されないなどです。そして、この法律の存在には、それを支える法規範が存在すると思います。

 さらにそこからもっと視野を広げると、それを支える日本における家族のあり方という社会規範が存在します。これは時代とともに変化してきたのか、それとも時代を超えて変わらず受け継がれているものなのか。

 今の日本社会を批判する人の一部は、「昔の日本は家制度があることで秩序が維持されていたのに、戦後になってそれが壊されることで、個人主義が広がり多くの国民がわがままになった。だから日本国憲法はよろしくない」という議論を展開します。しかし、私が知っている限りでは、日本においてもある時期までは女性にも財産権がありました。

 例えば、足利義政の御台所であった日野富子は、様々な手段で蓄財し、その銭を応仁の乱の際に様々な大名に貸し付けるなどして莫大な資産を築いています。つまり、日本における女性の地位は一貫してずっと低かったというわけではなく、時代ごとに変化してきたし、また社会階層ごと、地域毎に大きく異なっていたと考えられます。神野先生のご専門の中世だと女性の地位はどのようなものだったのでしょうか。

 神野 鎌倉時代の女性の地位は決して低くありません。御家人の家では、女性も財産相続の対象でしたし、地頭になることもありました。面白い史料としては、「極楽寺殿御消息」という、北条重時の家訓がありまして(重時は六波羅探題などを務めた鎌倉時代の武将で、「六波羅殿御家訓」という家訓も残しています)、「妻子が意見を言う時はよく聞くように」「女性や子供だからと言ってばかにしてはいけない」と書かれています。

 ただし、これには続きがありまして、妻子が道理を言った時には取り入れて「これからもなんでも聞かせてね」と言いなさい、もし少し変なことを言ったような時には「女子どもの言うことだと思いなさい」というような内容なのですが……

 大庭 少しイラっとしますね(笑)。しかし、面白いですね。こうしたかたちであっても女性の意見を一応尊重する、というのは、当時よく見られる例なのですか?

 神野 そうですね。おそらく北条重時の家訓が特殊なのではなくて、当時の武士の家庭として一般的な考え方だったのではないでしょうか。

 この家訓はとても面白くて、読んでいくと鎌倉御家人の意識がよくわかります。「扇は安い物を使え」とか、「旅行に行く時は人夫に重い物を持たせるな」とかですね(笑)。ただ、このような鎌倉時代の武士たちの意識を見ていく限り、女性の地位は低くないし、財産相続の面で女性が大きな発言力を持つ場合もありました。

 大庭 扇子……結構細かいですね(笑)。財産相続で母親が発言力を持っていたということ、そういう法規範が日本において史実として存在したことを、もっと広く知られていいと思います。戦前の家族法で一番驚くべき点は、先ほども言いましたが、女性は財産も持てない法律的には無能力者であると規定されていたことです。しかし、中世法では女性は必ずしもそうした扱いではなかったということですね。

 神野 そうですね。先生にお尋ねいただいた、時代を超えた普遍性という点で言うと、ある程度の小さな規模の「団体(集団)」を意識した社会構成である、という点は言えると思います。

 大庭 個人が社会をつくるのではなく、小さな団体が社会をつくるということですね。

 神野 明治時代にできた、男性の「戸主」といういわば絶対的な存在を中心とする家制度は、江戸時代の旧武士層の家の影響が大きいと思います。一方で、江戸時代の都市でも村落でも、もっと柔軟に集団を構築していて、例えば女性が戸主となることもありました。地域ごとの慣習の影響も強くて、どの地域に住んでいるかで従っている慣習が異なり、現実的な生活も違っていたはずです。なので、明治期以降の家制度を日本の伝統だというのは、やはり少し違っていると思います。

 大庭 史実からすればそうですよね。よって戦前の家族法における家制度やそこでの女性の扱いが、日本社会に一貫して存在した伝統を体現しているとはとても言えないでしょう。しかし、非常に粗雑な議論だと思いますが、日本国憲法によって日本の伝統が壊されたと主張する憲法悪玉論を唱える人もいるんですよね。

 神野 私は三浦周行(京都帝国大学文科大学教授として、近代的な日本史学・法制史学の発展に力を注いだ)という、明治時代の法制史学者の研究もしているのですが、彼が歴史について、「昔からの法があるのだ、慣習があるのだと言って、それらを楯にして対象を攻撃する者がいる。逆に、それらを根拠にして弁護するものもいる。両方とも要領を得なくて、勝手に思い込んだ歴史を都合よく根拠にするのは良くないから、きちんと歴史の研究をしなくてはいけないのだ」と書いています。まさに大庭先生がおっしゃるような憲法悪玉論は、都合よく歴史を楯にしていると思います。

民法改正後も根強く残る社会規範

 大庭 それにしても、これだけ劇的に家族法が変わると、これが人々の意識の部分まで変化をもたらすのには相当な時間がかかりますよね。

 神野 そうですね。尊属殺重罰規定違憲判決という、1973年の重要な判例があります。日本で初めて、最高裁が法令違憲判決を出したものですが、この判決には人々の意識が簡単には変わらないことを表すような背景がありました。

 よく知られた事件ですが、非常に悲劇的な話で、14歳の頃から継続して実の父親から性的関係を強いられ、子どもを出産し、夫婦同然の生活をさせられていたという女性が父親を殺す事件です。当時、刑法二〇〇条では「自己又は配偶者の直系尊属を殺したる者は死刑又は無期懲役に処す」と定められ、普通殺人と区別されていました。刑法の条文の中には、新憲法に合わせて改正されたものも多くあるのですが、刑法二〇〇条はそのまま戦後も残っていました。そのため、普通殺人より重い刑がこの女性に求刑されることとなります。

 最高裁では刑法二〇〇条は違憲と判断されたわけですが、ただ、ここで重要な点は、最高裁の多数意見は、「被害者が尊属である場合に刑を加重することは、尊属への尊重という道義を前提にして不合理とはいえず、しかし、刑罰の加重の程度が極端に大きいことが不合理な差別で、法の下の平等に反している」としていることです。家制度がなくなっても、親というものが尊重されるべき存在で、それが普遍的で道徳的な規範だという意識が根強く残っていたことの表れだと思います。

 1973年の判決ですから、日本国憲法の制定から30年以上経っていますが、人々の──少なくとも最高裁判事たちの──意識が大きく変わるというところまではいっていなかったのだと考えます。法学の観点から個人的に思うことを言うと、憲法訴訟のような社会的に大きなインパクトをあたえる判例がないと、なかなか大きな意識変化は起きないのでは、という気がします。

 大庭 とはいえ、建前が変わるということは重要ですよね。これまでとは違った判例が生まれること自体が、それ以降の裁判に大きな影響を与えますし、社会に与えるインパクトも大きい。

 そうしますと、中世の時代から現在まで俯瞰してみた時に、女性や家族というものに対する建前や規範を変化させた判例、または社会の変化を反映した判例はありますか?

 神野 判例そのものではなくて、最高裁判決なども踏まえての民法改正ということになりますが、今年4月に施行された再婚禁止期間の廃止などは、女性の権利と家族のあり方の変化を反映したものではないでしょうか。

 そもそも、再婚禁止期間とは、民法七三三条一項で定められていた、女性だけ再婚できない期間を指しています。離婚してすぐに再婚し子どもができた場合、子どもの父親が前の夫なのか新しい夫なのかが不明確になってしまうので、そのことを避ける目的で設けられたとされていました。

 そもそものこの民法の規定の問題点は、女性は結婚をしたら子どもを産むということが前提にあった点だと私は思っています。家族のあり方が多様になっている今の時代とは、あまりにも乖離していますよね。この家族観が多様になった今の社会意識が、再婚禁止期間の撤廃に繋がってきたのではないでしょうか。

 婚外子の財産相続分を婚内子と同じにした民法改正も、最高裁判決を受けてのものですが、同様に結婚観や家族観の社会的な変化を受けていますよね。これは、日本社会の変化だけでなく、海外の判例にも影響されているので、国際社会を意識した改正だと思います。

 大庭 男女問わず自由と平等を享受し得るフェアな社会の実現を考える時、二つの観点が大切だと思っているんです。一つは、嘉子さんも大事にされていた経済的自立という観点。男性にとっても女性にとっても、経済的自立は重要だと考えます。もう一つは、社会的規範が、男女の役割分担を強く規定し、それを押しつけるようなものとなっていないことです。憲法では男女平等が定められていますが、社会規範が現実社会での平等の障害となっている場合が多いと思うのです。そして、何がこの規範を変えるのかと言うと、やはり法律の力は大きいですよね。

 神野 先生から、法律と判例が社会規範を変えるというお話がでましたが、私から一つ付け加えるとすると、最高裁判所がもっと社会的にインパクトのある判例を出すべきだと個人的には思っています。

 日本の最高裁判所はおとなしくて、社会の変化をかなり慎重に後追いしている印象で、実際に法令違憲の判決も少ないです。しかし、最高裁判所は、マイノリティに光を当てて、マジョリティの声にもある程度のブレーキをかけ、また逆に自らアクセルを踏みながら社会の変化を推し進める役割を担っても良いと思うのです。

 大庭 やはり最高裁判所は今までの建前を大きく変える判例を出すことに慎重なのですね。

 私個人の関心で言うと、選択的夫婦別姓は一刻も早く導入して欲しいと思っています。夫婦間で同姓を強要されることは不利益でしかないので。しかし、これを言うと「個人のわがままだ」と批判する人がいまだに根強くいますよね。ただ、これは地域や世代によって意識がかなり違うので、導入までもう少しかなという気もします……

 神野 そうですね。地域や世代と言うと、最高裁判所にももっと多様なバックグラウンドを持つ裁判官がいるべきだと考えます。現在の最高裁判所裁判官は、男性が12人で女性が3人という状況です。ここ数年女性が2人の状況が続いていたので、ようやく久しぶりに3人になったのですが、まだまだここは改善すべき余地があると感じています。

 大庭 おっしゃる通りです。

寅子の人生は今の社会を映す鏡

 大庭 この対談をしている今は、ちょうどドラマの折り返し地点ですので、今後の展開がどうなっていくのかはわかりません。しかし、三淵嘉子さんが「戦後の法曹の歴史および女性法曹の歴史そのものだ」という言葉を残したということは、彼女が非常に強い自負心があったことの表れですね。

 ただ、彼女の人生は1984年で幕を閉じています。そこから今年で40年が経っています。それだけの年月が経って、先ほど述べたように日本社会が大きく変化した部分もある。また脚本家の

吉田さんが、現代的要素をうまく組み入れる巧みなアレンジをなさっているということもある。とはいえ、昭和の時代を生きた三淵嘉子さんをモデルにした寅子の物語を、まったくの昔話としてかたづけてしまえない。寅子の奮闘に、今の私たちが共感できてしまうこと自体が問題だと言えるかもしれません。彼女の人生が日本社会の現状を映しているというわけです。

 神野 現実問題、いまだに法曹界の女性の割合は3割にも満たないです。裁判官も検察官も弁護士も。法学部の女性比率もまだまだ高くありません。

 大庭 私の大学の法学部も、女子は3割ほどです。

 神野 やはりそうですよね。ロースクール(法科大学院)も同じような状況だと思います。ロースクールも法学部も女性が受からないわけでは当然なくて、そもそも法学を志す女性の比率が低い状況です。なので、三淵嘉子さんのように魅力的な人生を生きた女性法曹がいたということが「虎に翼」で描かれ、それが一つの刺激になればいいなと感じています。

 大庭 そうですね。それを期待したいところです。

(終)

 

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