まにあっています【山本 勉】

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2023年8月号

 本誌の読者に寺院のご住職はいらっしゃるだろうか。わたしの専門は仏像彫刻の歴史で、若いころからいまにいたるまで、お寺にうかがっては、まつられる仏像を調査している。学部生のころから始めたなりわいは、まもなく五十年になる。

 仏像の調査といっても、一般の方にはわからないだろうから説明しておこう。仏像はいうまでもなく礼拝の対象で、堂の中で礼拝されるべき場所に安置されている。仏教の宗派によって微妙にちがいもあるが、たいてい須弥壇の上、本尊であれば厨子の中であろう。こうした仏像安置の場所は、せまい、飾りがある、などの理由で調査がしにくく、調査のためには、まず仏像を移動しなければならない。専門の取扱い業者を手配することもあるが、ふつうは研究者が移動させる。仏像の研究者は、仏像にさわり、仏像を動かす技術者でもある必要があるのだ。

 調査や撮影の場所を設営するのも、重要なしごとである。仏像が安置されている場所のなるべく近くで、さまざまの荘厳具などを移動してスペースをつくることが多い。仏像の移動もふくめ、作業終了後に復元するために、最初の状態をスマホやデジタルカメラで記録しておいて、その映像で確認しながら元に戻すのも常である。

 形状の観察、法量の測定、品質構造・保存状態の確認などの調査、資料写真の撮影が済んで、像や調査場所を元の状態に戻して、ようやく調査は終了する。一体の仏像でも半日あるいは一日近くかかる作業で、複数の像を調査する場合には数日を要することもある。

 調査を受け入れてくださるお寺の皆様にとっても、たいへんなご負担であるが、実際の作業上のことより、信仰面での問題のほうがより大きいかもしれない。仏像調査は、信仰・礼拝の対象である仏像を一個のモノとして扱うことになるという面は否めない。事前の読経による抜きなど宗教上の儀礼をともなう場合もある。

 こうした問題もあるから、わたしたちの調査は、個人的なものであれ、文化財指定などを視野に入れた公的な用務であれ、寺院からしばしば拒絶される。何年越しかでお願いとご説明を続けた結果、ようやくご理解をいただいて実現し、それゆえに記憶に深く刻まれている調査も少なくない。

 わたしの寺院に対する説明の基本は、次のとおりである。仏像は長い歴史のなかで多くの人びとの信仰を受けとめてきた。その長い歴史がいつから始まり、どのような変遷を遂げたものであったのか、現代の研究でそれを知ること、明らかにすることは、いま信仰対象として仏像をまつる寺院にとっても、どうしても必要なことではないだろうか。ときには調査結果は、ある時代以後に寺に伝えられ、語られてきたことと齟齬をきたすこともあるかもしれない。しかし、仏像の歴史を正しくとらえて、その齟齬を埋め、仏像の現在の意味を考えることは、けっして信仰と相反することではなく、現代を生きる者の責務ではないか。

 若いころには年長のご住職に対していえなかったような口はばったい言葉も、こちらが経験を積み、年をとってからは、ようやくいえるようになってきて、ご理解いただけることが多くなった。年の功だと思い、かすかな自信をもち始めていたのだが、昨年、寅年のご開帳でたまたま拝したご本尊の調査を後日にお願いした、あるお寺で、かたくなに拒絶され、自信ははかなくついえた。

 自治体の教育委員会がことわられたというので、わたしから電話をさしあげた。ご住職がわたしと同年輩だという情報もえたうえである。なかなかご理解がえられず、そのあと二通ほどお手紙でもお願いした。しかし、ご返事いただけないので、もう一度お電話さしあげ、長時間、粘ってお願いしたが、最後はつよい口調で電話を切られてしまった。「まにあっています」。

 さて、これからどうしたものだろう。

鎌倉国宝館長、半蔵門ミュージアム館長

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