経済脳と安保脳の狭間【吉崎 達彦】

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『公研』2022年1月号「めいん・すとりいと」

 1月3日にユーラシアグループの「トップリスク2022」が公表された。今年も国際情勢の要注意ポイントを、巧みな造語や美しい図表と共に解説してくれている。

 今年のリスク第1位は「No Zero Covid」(ゼロコロナ政策の失敗)で、以下は2位「テクノポラーの世界」(巨大ハイテク企業による支配)、3位米中間選挙、4位中国の内政、5位ロシアなどと続く。
個人的に最も感心したのは、誰もが警戒しているはずの米中新冷戦(Cold War 2.0)を「リスクにあらず」と断じていることだ。皆が気づいていることはリスクではない。盲点になっていることこそ危ういのである。

 同グループを率いる政治学者、イアン・ブレマー氏は、何よりこういう情報が「企業に売れる」と見抜いた点が慧眼であった。多国籍企業の経営者にとっては、この手の地政学リスクへのコンサルテーションはありがたい。高い契約金を払ってでも、価値があると思うのである。

 逆に世に数多いるはずの政治学者たちは、企業が求めている情報が見えていない。なぜなら「経済脳」と「安保脳」の間には、深い溝が存在するからだ。以下、2つの脳の違いをややマンガチックに描いてみよう。

 ①安保脳は神の視点で物事を考える。従って演繹法的である。経済脳は人間の視点で物事を考える。従って帰納法的である。

 ②安保脳にとって大事なのは議論を尽くすことである。「いかに危険を抑止するか」を彼らは熱く論じる。経済脳にとって大事なことは実践である。「グダグダ言う前にまずやってみろ」というのが彼らの美徳である。

 ③安保脳はインテリジェンスを重視する。完全な情報を揃えたうえで判断しようとする。経済脳も情報は重視する。ただし情報が出揃うのを待っていたら、決断が遅れてライバル企業に負けてしまうから、どこかの時点で「エイヤア」と踏み出さねばならない。

 ④安保脳は人命を扱うから、「オール・オア・ナッシング」の議論になりがちである。これに対し、経済脳は「命までは取られない」ことを前提としている。所詮は儲けや損失の多寡の問題なので、失敗したところでやり直しが利くと思っている。

 ⑤安保脳はロジックを重視し、論理が破綻していることを恥じる。経済脳は行動を重視し、座して何もしないことを恥じる。

 ⑥安保脳は「パワー」という目に見えないものを扱う。経済脳は「マネー」という目に見えるものを扱う。パワーは時間がたてば消えるが、マネーは複利で増やすことができる。かくして安保脳はアナログとなり、経済脳はデジタルとなる。

 ⑦安保の世界は実験ができないので、歴史から法則を学ぼうとする。経済の世界は容易に実験ができる(大きな額の投資が怖ければ、小さな額で試してみればいい)。ゆえに経済脳は過去を振り返らない。彼らの世界は過去を知らない若者が、大胆な行動で成り上がった成功談で満ち溢れている。

 ⑧安保脳はショックを恐れる。感染症でも巨大地震でも金融危機でも、「想定外」が起きた時点で彼らにとっては「負け」である。経済脳はショックの発生をさほど恐れない。BCP(ビジネス継続プラン)がなかったら、さすがに責任問題になるけれども。経済の世界には、ショックがチャンスを生んだ事例が山ほどある(例:コロナによってリモートワークが普及した)。

 ⑨安保脳は仮想敵を作る。なぜなら安全保障はゼロサムゲームで、他国の不幸は蜜の味だから。経済脳は「全ては味方にできる」と考える。なぜなら経済はプラスサムゲームだし、利益動機は万人に共通であるから。

 ⑩かくして安保脳は悲観的となり、経済脳は楽観的となる。

 いかがだろうか。2つの脳のバイリンガルとなれば、それだけで大いなるチャンスが掴めるはずである。残念ながら今の時代は「専門家志向」が強いらしく、ブレマー氏のようなチャレンジをする人が出てこない。ああ、もったいない、と思っているのだが。

双日総合研究所チーフエコノミスト

 

 

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