笑顔のちから─令和の「公共」を考える【清水唯一朗】

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『公研』2019年12月号「めいん・すとりいと」

清水唯一朗

 30年ぶりの代替わりに湧き、オリンピックを心待ちにした2019年が終わろうとしている。幸いにも今年の冬は平年並みか、やや暖かくなるようだ。ありがたい。

 とはいえ冬はやってくる。とりわけ夏の台風で被災した地域は寒冷地が多く、冷え込みは厳しい。農地は凍てつき、手はかじかむ。暖かな春を迎えるために何ができるか、考えずにはいられない。

 10月、11月と、被害に遭った千曲川流域を訪ねた。学生たちとともに意気込んでお手伝いに向かったが、水を吸った畳や家具は男二人がかりでも持ち上がらないほど重い。何よりご家族の思い出の詰まったものを捨てる辛さがのしかかる。

 救いは、ふとした折にご家族のみなさんが見せてくれた微笑と、地域の方が用意してくれた心からのもてなしだった。りんごがうまい。ぶどうもうまい。ただ、私たちが味わっていたのは、迎えてくれたみなさんの温かさだった。

 冬が来る前に目途をつけなければならないと気持ちは焦る。しかし、頻繁に現地に通えるほど東京の仕事は自由ではない。もどかしさが募るなか、あるプロジェクトを知った。その名も「日本笑顔プロジェクト」という。なにやら楽しそうだ。

 彼らは全国各地に呼びかけて重機を集め、人を集め、燃料を調達して農地を救っていく。聞けば、果樹に呼吸を取り戻させるために、農地の主であるミミズを生かすために、一刻も早く泥を取り払わなければならないという。地面が凍ってしまってからでは遅い。1123日には800人のボランティアが駆け付けた。

 主宰する林映寿さんは、副住職を務める寺を地域に開いたり、スラックラインのワールドカップを地元で開催したりと、幸せを作り出し、呼び込む人として知られている。拝みたくなるほど献身的な彼の周りには、多くの人と笑顔が集まるが、彼は「すごいのは僕ではなく、仲間たち」と力を込める。

 集まった仲間たちは、それぞれが自分のできることをしている。したいことをしている、と言ったほうがいいだろうか。泥掻きに精を出してなまった体を解き放つ人、炊き出しをして「おいしかった」と感謝される人。やりたいこと、やれることをした達成感があふれる。

 それだけではない。このプロジェクトは足を運べなくとも、物資や資金を届けて「よかった」と見守ることができる。かかわりのあり方は多様だが、それを笑顔がつないでくれる。

 こうしたプロジェクトが各地で生まれている。なかには高校生が中心になって取り組んでいるものもある。自ら仲間を集めたある生徒は「自分たちが動けば、みんなが笑顔になる。こんな楽しいことないじゃないですか」と話してくれた。これまで彼を「お調子者」と評価していた先生たちも目を丸くする。笑顔は人を変える。

 本誌は「公益」を表題に掲げる。扉には「ひとりでではなく、みんなで、ひとつの問題に取り組み、正確な、具体性のある答えを生み出していこうとの願い」が発刊の目的として記されている。

 笑顔のちからが問題への答えになる。そう書いたら、笑われるだろうか。それでも構わない。プロジェクトに集まった人たちの笑顔を見るたびに、令和の時代における「公共」は、かくあるべきとの思いを強くする。

 来年はどんな年になるだろうか。願わくは、人が繋がり、ほほ笑みを交わしあう一年に、そのために自分たちができること、したいことをと思う。

 日本笑顔プロジェクトに関心を持たれた方はこちらを。

 https://www.jyokoji.jp/index.php/egao   慶應義塾大学教授

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