『公研』2025年11月号「めいん・すとりいと」
今年は「戦後八〇年」の節目の年である。「戦後五〇年」の際、村山富市首相は「侵略」や「植民地支配」への謝罪と反省を率直に表明する談話を出したが、戦中派や保守派から強い反発を浴びた。「戦後七〇年」にあたっては、安倍晋三首相が、村山談話を全体として継承するとしつつ、実質的には一部の軌道修正を行った。
安倍談話は、日本の戦争や植民地支配の歴史を世界史全体の中で位置づけ、相対化するとともに、次世代に「謝罪を続ける宿命」を背負わせてはならないとした。この一文は波紋を呼んだが、同談話はその後段で、「しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません」とも述べており、多分にリベラルな内容も含まれている。安倍談話は、有識者会議における議論や与党・官邸内部での綿密な調整を経て作成された、よく練られた文書である。左右双方から批判を受けたものの、これ以上にバランスが取れ、意義のある談話を出すためには、相当な覚悟と準備が必要であろう。
「戦後八〇年」の年初、石破茂首相は談話発出への意欲を示していたが、自民党内からの説得や反発に配慮し、閣議決定を伴う談話を出すのは三月までに断念した。しかし、何らかのかたちでのメッセージ発出は模索し続け、それは九月に退陣を表明した後も変わらなかった。これに対してリベラル派からは一定の期待が寄せられたが、保守派からは、安倍談話を上書き(修正)する談話は不要、外国に利用される懸念がある、そもそも談話を出す資格がないなどと批判の声が挙がった。結局石破首相は、退任間近の一〇月一〇日に「戦後八〇年所感」を発表した。
蓋を開けてみれば、この所感は保守派が懸念した安倍談話を修正するものでも、リベラル派が期待した平和国家としてのあり方を語るものでもなかった。字数は六〇〇〇字以上と、村山談話(約一三〇〇字)、安倍談話(約三四〇〇字)を大きく上回り、強い意欲が表れたものではあった。しかし、過去の戦争や植民地支配に対する記述は、ほとんど高校の歴史教科書に書かれているような常識的なもので、目新しい指摘、深い洞察が示されているようには感じられなかった。「今日への教訓」と題された末尾の部分では、「過度な商業主義」「偏狭なナショナリズム」「差別や排外主義」を許してはならないと綴られ、この部分には私を含め共鳴した人も多いと思われるが、歴史に対する検証や評価というよりは、現状への危機感を表明した内容であり、歴史認識とは異なる。実際石破首相自身、質疑応答の際、「歴史認識について触れたものではございません」と明言していた。総じて言えば、「戦後八〇年所感」は、閣議決定を経ていない点で過去の首相談話とは法的位置づけが大きく異なる上に、内容的にも見るべきところが少なく、石破首相の強い意欲とは裏腹に、今後への影響はきわめて限定的であろう。
この所感の中で具体的提案と結びついているのが、斎藤隆夫議員の「反軍演説」が削除された国会議事録に言及した部分である。所感が指摘するように、同演説が行われた際の衆議院本会議の議事録は三分の二が削除されたままとなっており、「戦後八〇年」を機にこれを復活させるのは、過去の審議のあり方を反省し、正確な公的記録を取り戻すという意味で、有意義だと思う。石破首相は言及していなかったが、斎藤議員の除名を決めるため秘密会形式で行われた懲罰委員会の記録も、この機にぜひ公開して欲しい。戦前の国会審議は、しばしば秘密会形式で行われた。その議事録は「戦後五〇年」を機にようやく公開されたが、懲罰事犯関係については今なお非公開のままである。懲罰事犯関係の秘密会の議事録を全て公開するのは難しいかもしれないが、斎藤議員除名の件などはむしろ積極的に公開すべきであろう。関係者の善処を期待したい。
京都大学教授