2025年4月号「対話」
ロシアによるウクライナ侵攻から3年以上が経過した。
転換点を迎える今、これまでの対応をどう評価し、どのようなかたちでの停戦をめざすのだろうか?
まつだくにのり:1959年福井県生まれ。82年東京大学教養学部卒業後、外務省入省。96年在アメリカ合衆国日本国大使館一等書記官、98年在ロシア日本国大使館参事官、2001年外務省大臣官房海外広報課長、03年日本国際問題研究所主任研究員兼研究調整部長、04年外務省欧州局ロシア課長、07年在イスラエル日本国大使館公使、10年デトロイト総領事、13年人事院公務員研修所副所長、15年から香港大使兼総領事、18年駐パキスタン特命全権大使、21年10月駐ウクライナ特命全権大使を拝命。24年10月離任、外務省退官。
つるおかみちと:1975年東京都生まれ。98年慶應義塾大学法学部卒業後、同大学大学院法学研究科、米ジョージタウン大学大学院で学び、英ロンドン大学キングス・カレッジ戦争研究学部で博士号(PhD)取得。専門は現代欧州政治、国際安全保障。在ベルギー日本大使館専門調査員(NATO担当)、防衛省防衛研究所主任研究官、慶應義塾大学准教授などを経て、2025年から現職。著書に『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』『模索するNATO:米欧同盟の実像』など。
大使公邸から見えたミサイルの光跡
鶴岡 2022年2月24日、ロシアがウクライナへの全面侵攻を開始してから3年あまりが経過しました。第二次トランプ政権の誕生によって停戦に向けた動きが見え始めましたが、停戦そして和平までの道のりにはまだまだ多くの障害が存在します。
本日は、昨年10月まで在ウクライナ日本国特命全権大使をされていた松田さんと、現代欧州政治や国際安全保障を専門とする私で、ロシアとウクライナをめぐる論点を整理し、ウクライナ、そしてヨーロッパの将来を展望するようなお話ができればと思っています。
松田さんは2021年10月24日、ロシアによるウクライナの全面侵攻が始まるちょうど4カ月前に、在ウクライナ日本大使に着任され、キーウで開戦当日の様子を目にされています。開戦を実際に見た日本人は限られます。最初にお聞きしたいのは、3年経った今、当時を振り返って何をお考えになるかです。まず、現地ウクライナで侵攻の予兆はどのように感じられたのでしょうか?
松田 ロシアの動きに対して嫌な予感がしたのは2021年の春、私がまだパキスタンで大使をしていたころです。ウクライナとの国境付近でロシアが軍を集結させ、演習名目で軍事活動を活発化させました。その後、同年の6月に米露首脳会談が開かれ、それを踏まえてロシアは一度活動を低下させます。
そんな中、8月15日には駐アフガニスタン米軍の撤退がきっかけとなり、タリバンが20年ぶりに首都カブールを占領するという事態が起きます。まさにこれはバイデン政権の外交政策が失敗したことの表れです。大混乱の中でカブールが陥落し、大使館も閉鎖され、多くのアフガニスタン人や各国の国民がカブールから命からがら逃げました。このアメリカの失敗を受け、9月以降、ロシアが再びウクライナの東部国境付近に軍を集中させ軍事活動を活発化させたのです。
私はこの一連の流れを在パキスタン大使として、アフガン人の撤収を支援しながら注視していましたので、ウクライナに大使として21年10月に着任した当初から、「ロシアによる侵攻が始まるのでは」という考えがすでに頭の中にありました。さらに年が明けたころからは、問題は戦争が起きるかどうかではなくて、いつ・どこで始まるのか、そしてウクライナは準備ができているのか、欧米はウクライナを支援する準備ができているのかといった懸念が頭を占め始めます。
こんなモヤモヤした気持ちで、2月24日が訪れました。明け方の4時頃、ロシア軍が最初に放ったミサイルの光跡が大使公邸から見えたときに、ついに始まったなと思ったと同時に、不思議と心が落ち着いたのを覚えています。もう余計なことは考えなくていいと。始まってしまったからには、まずは残っている在留邦人を何とか逃がして、次にウクライナを支援するために日本政府と連携を取り大使としてできることはやる、といった覚悟です。
当時を振り返って不思議だなと思うのが、人間は物事が不透明で千々に心が乱れているときより、物事がはっきりと目の前で動いているときのほうが腹が据わるんですね。そのおかげで曲がりなりにもきちんと勤めを果たせたと思いますし、それが今日まで続くウクライナ支援にいささか貢献できたとすれば、外交官としては満足しています。
バイデン政権の対応がロシアの決定にどう影響を与えたのか
鶴岡 パキスタンでの経験が繋がっているのは興味深いですね。カブール陥落はアメリカの力の衰えを象徴する出来事だったと言えます。特に、アメリカが敵対するロシアや中国に対しては明確なメッセージになりました。ここで露呈したアメリカの弱さが、やはり少なからずウクライナの全面侵攻と繋がっていたのでしょう。
松田 開戦前のアメリカに関して付け加えると、2021年12月7日にバイデン大統領とプーチン大統領は、オンラインで会談をして、アメリカは会談後に記者会見を開きます。そこで、「ロシアが軍事侵攻をしたら、アメリカが軍事介入しますか」との質問が出たのですが、バイデンさんは「介入しません」と明言したのを先生も覚えているかと思います。
私はこのバイデンさんの回答が今でも引っかかっています。アメリカの大統領として言うべきだったのは、「もしロシアがウクライナに軍事侵攻したら、アメリカとして全てのオプションをテーブルの上に残しておく」という一言だったと思うのです。この一言があれば展開が変わっていたかもしれない。私だけでなく、多くのウクライナの方が同じように思っています。なぜあのときバイデンさんはあんなことを言ったのだろうかと。ウクライナの人と話をすると、折に触れてこういった話を聞きます。
要するに、バイデン政権のもとでカブール陥落という失態を晒し、ロシアがそれに乗ずる動きを見せた。にもかかわらず、ロシアに圧力をかけるチャンスをバイデン政権は必ずしも生かしませんでした。これが全てではありませんが、確実に大きな要因となって2月24日を迎えたのではないでしょうか。
鶴岡 ご指摘のバイデン発言には、私も当時から違和感を持っていました。なぜここでロシアを安心させるのかと。ロシアにとって一番避けたい事態は、ウクライナ侵攻時にアメリカが介入してくることですから、その恐れを取り除いてくれたことになります。
他方で、未だに自分の中で結論が出ないのが、仮に「全てのオプションがテーブルの上にある」とバイデン大統領が言っていたとしても、本当に抑止が機能したんだろうかという点です。やはり、バイデンさんの発言だけでなく、カブール陥落および米露会談含めた流れの中でロシアは判断し、侵攻を決行したのでしょう。アメリカが口先だけで介入をほのめかしたとして、実行に移せたかは疑問です。そうするとむしろ、アメリカの信頼問題に関わってくる可能性がありました。あの時期のバイデン政権の対応がどう影響を与えたのか、まだ結論が出ていません。
松田 今のご指摘は非常に重要です。やはり言葉だけでは不十分で、アメリカはそれを裏付ける行動をするべきだったとは思います。ウクライナ自身が開戦の予感を一番敏感に感じ取っていたので、21年の秋以降は米欧に対して武器支援を訴え続けていましたが、ウクライナ側の評価では結局開戦に至るまでの支援はまったく足りていなかった。
一方、トランプ政権は、開戦直後のキーウ攻防戦で大活躍したのは第一次トランプ政権で提供されたジャベリン(対戦車ミサイル)であると、アメリカの支援を強調します。これはこれで間違ってはないんですね。ジャベリンがなかったら、キーウ攻防戦でロシア軍を撤退させることはできなかったかもしれません。
当初は誰も本気ではなかったウクライナ支援
鶴岡 まさにおっしゃるような米欧の対応は、今後しっかりと検証する必要があると思います。その上で、当時を振り返ってやはり強調すべきなのは、そもそも米欧は誰もウクライナ支援に本気ではなかったという点です。今日の感覚では、米欧諸国が当たり前のようにウクライナ支援にコミットし、武器供与をしてきたように感じてしまうかもしれませんが、当初はそうではありませんでした。松田さんがおっしゃるようにジャベリンだけだったのです。
また、ジャベリンも開戦が迫る中で慌てて数を追加した経緯があります。その時点では、それ以上の支援をするつもりがNATO諸国にはなかったのです。なので、ロシアの想定通りに侵攻が成功し、3年が経過した今、「そういえば昔ウクライナという独立国家があったね」となっていた可能性は大いにありました。少なくとも米欧は、ウクライナが持ちこたえられずに敗北してしまう結末を、ある程度は覚悟して受け入れていた側面がありました。なので、あたかもNATO諸国が最初から全力で支援していたかのようなストーリーに切り替わってしまうのは、非常によくないと思っています。現実は違いました。
松田 そうですね。開戦前に欧州諸国はウクライナ支援に本気になれなかった。ここには、「ウクライナ側にも原因があった」と、関係者が反省の念を込めて言っていたのを聞いたことがあります。クリミア侵攻のとき、軍の高官に就いていたウクライナの友人は、「まさか、かつての兄弟同士の国で殺し合いをするとは2014年の時点で思いもしなかった。だからあっという間にクリミアは取られてしまったのだ」と。
クリミア侵攻後、ロシアが東部ドンバス地方に軍事介入を始めたとき、初めてウクライナ国内で、これはまずいのではといった空気が漂います。そこで最初に立ち上がったのは、軍ではなく地元の民間人や財界人たちでした。彼らが慌ててボランティアを募り、ロシア軍およびロシア軍の援助下にある分離主義者たちと対抗しました。
この経験がきっかけとなり、将来何か起きたときには自国でしっかり対応できるようにしなくてはいけないといったウクライナの警戒感が高まり、NATO型教育・訓練システムによる将兵の再教育が急速に進められるのです。
もちろん22年のロシアの侵攻を完璧な備えで迎えられたわけではありませんが、14年のウクライナとは士気も戦力も圧倒的に異なっていました。だから、ウクライナは今まで持ちこたえることができました。
ロシア軍はここの読みを間違え、22年も短期間で占領ができると考えていたので、食料や燃料を2、3日分しか持っていなかったのは有名な話ですよね。欧米も14年のウクライナと同じことが起こると思っていた。ただ、ウクライナだけは、次は国が全部なくなってしまうと事の重大さを認識していました。その覚悟の表れが2月25日夜のゼレンスキー大統領による、SNSでの「我々はここにいる」で始まるメッセージ動画です。当時、私もキーウの大使公邸の地下シェルターであれを見ましたが、涙が出ました。外国人の私ですら強く胸を打たれたのですから、多くのウクライナ人を奮い立たせたと思いますね。
鶴岡 あのメッセージ動画がウクライナにとって抵抗の出発点になりました。
そして、開戦当初ジャベリンすら出し渋っていた米欧諸国は、日を追うごとに榴弾砲、歩兵戦闘車、旧ソ連製戦車、ロケット砲と支援が手厚くなり、1年後にはNATO加盟国製の戦車の提供に至りました。遅かったとの批判も当然ありますが、結果として当初考えられなかったような規模の武器支援になりました。
何がそれを可能にしたのか。一つはウクライナが供与された武器を効果的に使い、国民が一丸となって勇敢にロシアに抵抗したことです。抵抗力が示され、支援しても大丈夫だと米欧諸国が考えました。すぐに倒れてしまう国に支援をしても意味がないからですね。二つに、想定を超えてロシアの行動が酷すぎた点です。あまりの悲惨さにNATO諸国もアメリカも目を背けるわけにはいかなくなったと。
ウクライナだけでこの悲劇を留めることができるのか
松田 ロシアの行動が酷すぎたというのはおっしゃる通りで、これによって多くの国が侵略への見方を変えましたね。ブチャをはじめとした民間人への痛ましい拷問と虐殺の数々、民間のインフラの破壊や略奪など、ロシアが残した傷あとは計り知れません。私も一度ポーランドに退避したのち22年8月にキーウに戻ってきましたが、惨状が生々しく残っていたことを覚えています。
22年4月にキーウ州からロシアが全面撤退した後、最初にフォン・デア・ライエン欧州委員長、次にイギリスのボリス・ジョンソン首相と、続々と西側の指導者がウクライナを訪問します。惨状を目にして、ロシアがやったことは許されないと感じたのでしょう。さらに、これはウクライナだけで止めることができるのかと強い問題意識がヨーロッパの国々で生まれます。
中でも最初に問題意識を持ったのは、バルト三国、北欧、ポーランドといったロシアに近い国々でした。彼らの声は必ずしもNATOやEUの中で大きくありませんでしたが、22年における議論を相当程度リードすることとなりました。
鶴岡 そうなんですよね。エストニアの人口は130万人です。ウクライナからロシアの占領地に拉致された人の数は、正確な数字は把握できていませんが、70万~130万人と予想されています。
松田 エストニアからすると、とんでもなく恐ろしいことですね。
鶴岡 当時エストニアの首相で、現EU外交安全保障上級代表のカヤ・カラスさんは「ロシアによる占領を一時的にでも許したらエストニアは地図から永遠に無くなってしまう」と警戒感を繰り返しあらわにしていました。
そして、この警戒感がNATO防衛計画の転換に繋がります。当時、バルト諸国の防衛計画では、有事の際にバルト諸国だけでは守り切れないので、一旦占領を許して退避したのち、再上陸して解放をめざす想定だったと言われます。しかし、ウクライナから拉致された人数を考えると、たとえ半年後に奪還してもエストニア人は全員いなくなっている懸念があります。それでは奪還に成功しても意味がありません。時すでに遅しです。そこで、バルト諸国が中心になって、NATOの防衛計画の転換を求めたのです。
その結果、前方防衛に転換することになりました。その基本は、一時的な占領も許さず、侵攻を受けた場所で戦い、領土を徹底的に防衛するということです。NATOでは前方防衛において、「defend every inch」という言葉が頻繁に使われます。意訳すると、1インチたりとも手を出させないでしょうか。というのも、「defend every inch」を徹底しないと、ブチャのような悲劇を防げないんですね。これは非常にリアルな議論だったと思います。
リーダーが戦地を訪れるパフォーマンスの重要性
鶴岡 松田さんは2023年3月21日の岸田総理のキーウ訪問を現地で迎えられました。そこで一つお聞きしたいのは、一国の指導者が特にブチャのような現場を実際に見ることの効果をどう評価されるのかです。というのも、日本国内では「行けば良いというものではない」といった懐疑的な意見がかなりありましたよね。ここについて、どうお考えでしょうか?
松田 いろいろな議論がありましたね。一つ言えるのが、指導者が現場にいるということは、どれだけ強調しても強調できないほど重要な政治的メッセージを持つということです。総理がブチャを訪れ、虐殺の際に遺体を弔った神父さんなど関係者の話を聞き、ウクライナメディアや人々が見守る前で記念碑に花を手向ける。この一つひとつが日本やウクライナ、そして第三国に向けてとても大きなメッセージになります。
鶴岡 「パフォーマンスにすぎない」といった批判もありましたが、このパフォーマンスが重要なんですよね。
松田 おっしゃる通りです。また、印象に残っているのが、総理がキーウを訪問してゼレンスキー大統領と会った同じ日に、習近平さんがモスクワを訪問してプーチンさんと握手を交わしたことです。中国と日本の立ち位置のコントラスト、これが印象的でした。誰が正義の側に立つ勇気と能力を持っているのかを、ここまではっきり示した構図があるのかと思いましたね。
鶴岡 これだけロシアへの連帯とウクライナへの連帯という対比が明確なかたちで出てきたことは、欧米にとってもかなり驚きだったのではないでしょうか。日本国内でも、若干驚きの部分があったと思います。
また、意外にもウクライナ侵攻に関する日本の一般の人たちの関心が、非常に高い状態で続きました。これはなぜなのか。私はまだ答えは出ていませんが、松田さんはどうお考えでしょうか?
松田 私も結論が出たわけではないのですが、もし理由があるとすれば、過去数百年にわたって築き上げられてきた「ロシア的なもの」に対する、不安や恐怖が日本人の根底にはあるのかもしれません。ある人は本や映画で見た日露戦争、ある人はシベリア抑留など、そういった普段はまったく思い出さないロシア的なものに対する恐怖が、戦争がきっかけで心の奥のほうからワーッと噴き出してきたのではないかと思います。
少なくとも、私や私の周辺にいる外交官の同僚やJICAの職員、あるいは民間の方でウクライナを何とか支援したいと思った人たちに共通しているのは、そういった感情であったと思います。特に、私の地元である福井の友人は、開戦を受けてすぐに「明日は我が身だ」と言っていました。やはり日本海側に面する地域では、親の世代がサハリン等から命からがら逃げる過程で何があったのかなど、知識として持っている人が多かったからだと思います。
鶴岡 世論調査を見ると戦後の日本人のロシアへの感情が良かったことは一度もありませんでした。ロシアとの関係強化に前のめりだった安倍政権は、むしろ逸脱だったと言えます。
ただ警戒心は持っているにも関わらず、外国に占領されるということが何なのかが日本ではあまり理解されていないようにも感じます。その表れが、22年頃に頻繁に見かけた即時停戦論です。これはウクライナが降伏するという意味での停戦です。政治家の方でも言っている人がいましたよね。
なぜこんな議論が生まれたのか。それは、日本人が通常考える占領が、第二次世界大戦後のアメリカの占領だけだからなのではないでしょうか。あの占領は、歴史上稀に見る「幸せ」な占領でした。第二次大戦後にソ連に占領された中東欧の国々と比較すると、日本はマイルドな占領だった。もちろん占領下で辛い思いをされた方々もいますが、日本の多くの一般市民にとっての終戦は、占領と同時に軍国主義からの解放を意味しました。このように、占領が日本の特殊な経験に基づく比較的ポジティブなものとして捉えられてしまったが故の即時停戦論だったのかもしれません。
松田 そうですね。近代日本において外国に占領された経験はこの1回だけですからね。ですから、私はいろいろなところで話をするときに、自分の国が侵略され、自分の国土が戦場となるのはどういうことかを強調してお話しています。
総人口が約4200万人のウクライナで、最も多い時期には800万人の国外避難者が出て、加えて800万もの人が国内避難民として家を追われています。さらに、占領地に残った人のうち多くの人が殺されるか連行され、ペンペン草も生えないほどの破壊と略奪の跡が残ったのです。ウクライナの人々が直面する現状が占領の真実だと、日本のジャーナリストや専門家、ましてや政府関係者はしっかりと受け取らないといけません。
さらに、そこから教訓を引き出し、きちんと国民に共有をすべきだと思います。そうでないと、岸田総理が言った「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」といった言葉だけが妙に薄っぺらに残り、その後の国づくりに反映されないのは、少なくとも私は怠慢だと思います。
鶴岡 外国に占領されると何が起きるのか、日本人が今からリアルに考えるとしたら、外国の事例を学ぶしかないわけですね。
昨年、ポーランドのワルシャワとエストニアのタリンに続けて行く機会があったのですが、両国ともドイツとロシアによって順番に占領された過去を持ちます。例えば、エストニアだとまずソ連が「自分たちは解放者だ」と言ってやってきます。ただ、蓋を開けてみると恐怖政治が始まる。次に、ナチスドイツがやってきて、ソ連よりかはマシかという期待も一部にあったのですが、蓋を開けるとさらなる悲劇が待っていた。戦争が終わるとまたソ連がやってきて、ソ連崩壊まで支配されることになります。
異なる外国が順番に占領にやってくることは、島国からすると想像を絶する世界です。ただ、ロシアとドイツに順番に占領された国はヨーロッパにいくつもあります。大陸という地続きの恐怖を島国の私たちはリアルに学ばないと、ウクライナの考えやバルト三国の恐怖、なぜポーランドが国防予算にGDP5%も使うのかといった本質が見えてきません。
その上で日本は、ロシア、北朝鮮、中国に囲まれる、世界で1番と言っていい程軍事的な脅威に囲まれています。領空侵犯の問題でも、ロシア軍機と中国軍機が順番にやってくる国は世界で日本だけです。だからこそ、侵略や占領をよりリアルに考えなければならないのだと私は思っています。
トランプとの口論で雨降って地固まる?
鶴岡 ウクライナは冷戦終結後30年以上にわたり、西側諸国とロシアの間で、いわば宙ぶらりんの状態に置かれてきました。現在ではヨーロッパがウクライナへの連帯を当たり前のように表明していますが、30年、20年前からついこのあいだまで、誰もそんなことを言っていませんでした。しかし、ウクライナの将来とヨーロッパの将来が切り離せない状況にある今、この連帯はかなり強固なものになっています。今年2月28日、ゼレンスキーとトランプの会談が口論に発展し、決裂した後のヨーロッパの反応はすごかったですよね。次々と各国がウクライナへの連帯と支援の意思を強く表明しました。
他方で、どこかで関与の線引きをしたい誘惑がヨーロッパにはまだ残っていると思います。これに関連して私が1番に気になっているのは、ウクライナ側が持つ米欧へのフラストレーションの高まりです。口で約束した支援がすべて実施されるわけではない、会談でのトランプとヴァンスの言動が酷い、結局米欧に頭を下げても報われない部分がある、ウクライナのプライドが傷つけられている。こういったウクライナのフラストレーションが高まると、ヨーロッパの関係にも影響しますよね。この懸念を最近感じています。
松田 そうですね。侵攻前、そして侵攻後もウクライナ人の気持ちの中には様々なものがあり、その様子を私はキーウで見てきました。例えば、具体的なヨーロッパの国を挙げて「あそこは口だけで実は支援を送ってくれない」「あそこは小国だけど一生懸命やってくれる」といった話です。ある意味、愛憎半ばする気持ちがウクライナには存在していたし、今でもあるかと思います。
しかし、複雑な感情を抱えるウクライナですが、それでもアメリカとヨーロッパの協力、そして確固たる担保は欲しい。たとえトップ同士がテレビの前で口論することになったとしてもです。そして、それを手に入れるためには、ウクライナとして何ができるのかをきちんと戦略を立てているのです。その一つがウクライナとアメリカ間の、ウクライナの鉱物資源開発に関する協定です。
ですから、後から振り返って口論がきっかけとなり、ヨーロッパとウクライナの関係が雨が降って地が固まったとなればいいと思っています。というのも、あの口論によって、ヨーロッパでは「アメリカはウクライナのみならずヨーロッパの安全保障から手を引く可能性もある」といった懸念が広がりました。そして、ヨーロッパはアメリカが手を引く場合に備えて、自身の国防努力を強化すると同時に、ヨーロッパの安全保障の防波堤として戦っているウクライナを軍事支援するといった動きが強まっています。この二つが、いま議論の中では表裏一体になっているのです。この状態はウクライナからすると結果的にあの口論の怪我の功名となることもあり得るかもしれません。
イギリスに期待されるリーダーの役割
鶴岡 おっしゃる通りだと思います。ヨーロッパの危機感がウクライナへの連帯強化に繋がりました。
一方で、一つお聞きしたいのが、ウクライナから見たときに、アメリカとヨーロッパはどこまで一体のものでしょうか?
松田非常に重要なご指摘です。やはり、ウクライナにとってアメリカとヨーロッパでは、ニュアンスの違いがあります。アメリカには、世界の超大国として自国が国際社会で優位に立つためにはといった世界戦略があるように見える。対して、ヨーロッパはよりウクライナの問題を自分の問題として理解してくれている。ウクライナの立場からすると、ヨーロッパと一緒になって、アメリカの協力を得るために自分たちの側に引き付けておくという構図になります。
実はあまり外には出ない話ですが、ウクライナはバイデン政権の時代に対米関係で困ると、まずはヨーロッパに相談をしていました。そして、ヨーロッパと一緒になって、もしくはヨーロッパからアメリカに相談してもらうといった外交上のテクニックを頻繁に使ってきました。
鶴岡 その際、ウクライナが一番信頼しているのはどこの国ですか?
松田 圧倒的にイギリスです。加えて、底力があるドイツも頼りにしています。フランスに対しては、ミンスク合意(ウクライナ東部ドンバス地方の親ロシア派武装勢力による紛争を終わらせるための枠組み:2014年)でフランスが介入するも、結局は合意が実施されなかったという過去から、若干の心配をウクライナは持っています。
同時に、この大国3国を動かすためには、バルト三国や北欧4カ国の声が意外と効果的であることを、ウクライナが実体験として理解しました。
鶴岡 これらの国は安全保障意識が高いですよね。武器支援も一国としての金額は高くはありませんが、GDP比で見るとウクライナ支援に関する割合はバルト三国が上位を占めます。
最近、イギリスとバルト・北欧の関係が非常に深くなっているのを感じます。北欧の防衛協力枠組み(NORDEFCO)や、遠征任務のための有志連合Joint Expeditionary Force(JEF)を通じて密接に連携していて、さらにJEFは単なる技術協力の枠組みから発展し、サミットを開くなど、ウクライナ支援を議論する場にもなっています。
もともとイギリスと北欧はとても親和性が高かったので、イギリスのEU離脱を最も悔やんでいたのもデンマークなどの北欧やバルト三国でした。現在のイギリスは、大陸との関係を維持するための足掛かりとして、北欧・バルト地域をうまく使っています。一方、北欧・米国地域にとってもイギリスは頼れる兄貴分として機能しているので、ウクライナ支援においてもこの関係が有効に働きました。
さらに、2月28日のトランプ・ゼレンスキー会談決裂後は、イギリスがリーダーシップを取ってヨーロッパのウクライナ支援を先導するとともに、舞台裏ではアメリカとの橋渡し役として相当動いたと言われています。スターマー英首相は頻繁に両国の大統領に電話をかけるなど、今回の件でイギリスが果たした役割は、非常に大きかったと思います。
これはアメリカにとっても助かる話ですよね。トランプさんが何を言おうともウクライナに関係する問題から完全に手を引くハードルはアメリカにとっても高いわけです。しかし、少しでも自国の負担を減らしたいので、ヨーロッパに頑張って欲しいというのが本音です。
そこでリーダーシップを取るのはEUではなく、安全保障の観点からイギリスが適任なのです。ロシ アの脅しに必要以上に屈しないという観点で、イギリスが核兵器を持っていることも重要な要素です。今回のウクライナの停戦をめぐる動きを通してイギリスは、ブレグジット後のヨーロッパ安全保障における新たな構図を固めつつあります。イギリスとEUの関係も改善しています。
松田 先生のお話、まったくの同感です。イギリスは極めて得難い存在で、英米間には特別な関係が存在しますし、トランプさんもそこにはリスペクトを持っています。また、スターマー英首相も派手ではありませんが、極めて堅実な外交手腕を持っていますし、さすが検事上がりだから理詰めで法的にきちっと物事を進めます。
そして、今回の戦争を通じて、日本はやっぱりイギリスとの関係を大事にする必要があると強く思いました。
日本にはプランBが存在しない
鶴岡 アメリカとの関係においても、イギリスは大事ですよね。いまヨーロッパの一部では、アメリカはロシアの側に行ってしまったという諦めの感情が強くなっています。しかし、日本はまだアメリカを諦められません。そこで「アメリカをまだ諦めない」と言い続けるパートナーが日本には必要です。それがイギリスです。
正直なところ、ヨーロッパの場合はアメリカに依存せずともロシアの脅威から自分たちを守る、プランBが能力的には可能なはずです。実際ヨーロッパにとってロシアは小さな存在です。経済規模では、EU+イギリスのGDPは、ロシアの10倍近くあります。「でも軍事力ではロシアが圧倒している」と、多くの方が言いますが、少なくとも国防予算に関する限り、EU+イギリスはロシアの最低でも2倍、数え方によっては3倍近くあります。
それでも、アメリカに依存しないとヨーロッパは守れないとしたら、何かがおかしいのです。トランプ政権は「ヨーロッパはサボってきた」と言いますが、これは事実です。実際、アメリカに依存するほうが安上がりですからね。これは日本も同様です。
さらに、イギリスとフランスは核兵器を持っているので、核抑止についても、最低限は担保できるはずだと考えると、ヨーロッパには幸か不幸かプランBがあるということになります。そのため、アメリカを簡単に諦めてしまう人が出てきてしまう。
他方で、日本にとってのプランBのハードルは、欧州と比べると段違いに高いわけです。人口が10倍、経済規模が4倍近くある中国に、日本が自力で対処することは不可能なので、言葉は悪いですが、プランA──日米同盟──にしがみつかざるを得ない。
松田 全く同感です。このプランAを確固たるものにするためには補強材料が必要で、それがヨーロッパ、NATO、なかんずくイギリスとの確かな関係の構築です。
一つ言えるのが、ウクライナ侵攻を通じて、ヨーロッパは中国の脅威も自分たちのものとして認識し始めたということです。それは、北朝鮮がロシア側で参戦したという直接的な要因ももちろん大きい。ただ、何より中国がウクライナ侵攻に関して自国の立場を明確に表明せず、あいまいな態度を取っていることに対してヨーロッパは警戒感を抱いている。
実際、ヨーロッパ諸国はこの3年間で、デモンストレーションではありますが東アジアに軍艦を派遣しています。中国への牽制として、効果は十分です。そしてこれが、日本にとってプランAの補強にも極めて重要になってくるのではないでしょうか。
鶴岡 そうですね。ヨーロッパ諸国がウクライナとロシアの対応で忙しいにも関わらず、日本あるいはインド太平洋に軍の艦艇や航空機を相当派遣してきている。これは日本へのリップサービスのためではなく、アジアの安全保障情勢がヨーロッパに波及してしまうことを防ぐための行動です。
松田 岸田総理の言葉を用いれば、「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれないし、明日の東アジアは明後日のヨーロッパに戻ってくるかもしれない」という訳ですね。
第3国の関与で一つ言いたいのが、個人的にはインドにはもう少しきちんとした対応を期待していました。何しろクワッドとしてインド太平洋の安全保障をここまで緊密に連携を図ってきた訳ですから、少なくとも日本がウクライナ侵攻を東アジアへの脅威として直接的に捉えたとき、インドは立場を明確にすべきでした。しかし、インドは「私たちは中立ですから」と急に引っ込んでしまいます。これはいかがなものかと思いますね。
鶴岡 中立や自律と言っても、それ自体が目的なわけではなく、自国の特に経済的利益を守るための隠れ蓑であるように見えます。インドは大国ではありますが、国際秩序を自ら形成していくという意識はあまりなさそうですね。ただ、自国の利益を徹底的に守る手腕には長けています。相手がアメリカ、中国、ロシアであろうが動じません。ただ、そこからさらに先へ行って、国際秩序を形成するということはしない。覇権国家をめざしていないのでしょう。
こうした点とも関連して、インドはトランプのアメリカにとって、最も模範的な同盟国であるとも言えます。アメリカに頼らずに対中国で自衛ができるから、アメリカにとって非常に好都合なのです。
停戦のかたち
鶴岡 ウクライナに関して、いま一番の論点となっているのは、どのようなかたちの停戦をめざすのかです。より具体的に考えると、アメリカはウクライナに領土を譲歩してもらうことで、1日でも早い停戦にこぎつけようとしています。そんなことをロシアとの交渉の前に言うのはおかしいという反論もありますが、前線が固定化されてしまうことまでは、停戦を受け入れる以上残念ながら折り込み済みだと私は考えます。
ただ、領土の譲歩と一口に言っても、それが何を意味するかは全く自明ではありません。例えば、それを法的にどのように扱うのか。ロシアは、「今の前線が正式な自国の領土であると法的に認めろ」と主張しています。22年秋にウクライナの東部・南部4州を併合したと主張し、憲法にも書き込んでしまったのがロシアです。他方で、ウクライナにとっては、「ロシアの不法占拠である」と主張し続けることが絶対に譲れないラインです。しかしながら、アメリカがこれに対して明確な立場を見せていないんですね。今後、厳密な交渉が必要になります。ただし、米欧諸国にとっては、停戦後のウクライナが、不法占拠状態を解消するために、いつでも武力で奪還しますというような状況も困るわけです。
ここで参考になるのが、1955年に西ドイツがNATOに加盟するまでプロセスです。54年10月にロンドン会議とパリ会議が開かれ、西ドイツをいかにNATOに入れるかの議論がなされました。議論の結果、NATO諸国は、東ドイツもドイツ連邦共和国(西ドイツ)の一部であるという西ドイツの公式な立場を認めた上で、西ドイツに対して、武力によって再統一をめざすことは放棄することへの同意を求めたのです。西ドイツもそれを承諾することでNATO加盟が実現しました。
このやり方が今回のウクライナにそのまま当てはまるわけではありません。ただ、短期的なNATO加盟は現実問題として難しいものの、欧州諸国による安全の保証などの継続的なウクライナ支援の条件として、新たにこれ以上の武力による領土奪還を試みないことへの同意を迫られた場合、ウクライナは受け入れ可能でしょうか?
これは、「我々ウクライナは無茶なことはしません」といった米欧諸国への安心の提供にもなるわけです。他方で、これをウクライナに受け入れさせるために、米欧諸国の側では「我々がウクライナをしっかり見ておくから心配するな」という覚悟が必要になります。
西ドイツのNATO加盟時にはこれを「二重封じ込め」と言いました。独り立ちした西ドイツより、NATOに加盟させて監視下にいる西ドイツのほうが、ソ連にとっても都合がいいだろうという論理です。瓶の蓋論とも呼ばれます。日米同盟に関しても同様の指摘がなされることがあります。ウクライナにとってはあまり居心地のよい議論ではないかもしれませんが、将来を考えるときにいかがでしょうか?
松田 ものすごく重要な議論ですし、いずれかは議論すべきときが来るのだと思います。ただ、今テーブルの俎上に上がっているのは、停戦であり、軍事行動の即時停止です。それが成立したら、次の段階で和平交渉やNATOへの加盟といった議論がなされるのだと思います。
停戦と和平交渉は切り離して議論すべき問題です。分かれているからこそ停戦に関する合意がアメリカとウクライナの間で形成できたのだと思います。しかし、ロシアは停戦において和平交渉のテーマまで先取りしたいと思っている。ここの食い違いが停戦合意を難航させています。
将来の和平に関して、現時点でウクライナが出した絶対に譲れない条件は、ロシアが占領している場所を法的にロシア領と認めることは絶対に受け入れられないという条件です。ここで議論が止まっています。他方で、ウクライナの中だけみると、先生がおっしゃる将来の様々なオプションについては、すでにシンクタンクで議論が始まっています。
ウクライナをNATOへ入れない場合のリスク
鶴岡 もう一点、これまでずっと議論されているのが、ウクライナのNATO加盟についてです。なぜ、ここまで長年にわたって結論が出ないのか。最大の理由が、NATO加盟が加盟国にリスクをもたらすと考えられているからです。最もわかりやすい例が、NATO加盟後にウクライナがロシアに再び侵攻されたら、ロシアとNATOの全面戦争に発展するといった懸念です。しかし、この議論を続けている限りは、ウクライナのNATO加盟はいつまで経っても実現不可能ですよね。入れない言い訳はごまんとあるわけですよ。
一方、私がこの議論で欠けていると思うのが、ウクライナをNATOに入れなかった場合のリスクについてです。加盟を認めたらそれがロシアを刺激して攻撃されるといったリスクがよく挙げられますが、ではウクライナを入れなければロシアは攻撃してこないと言えるのでしょうか。そうではないですよね。ウクライナを再びロシアとNATOの間で宙ぶらりんにさせたときに、ヨーロッパの安全保障へのリスクはどれだけ軽減されるのだろうか。はっきり言って問題は何も解決しません。
これが明確になってしまったのが今回の戦争です。ウクライナがNATOに入ろうとしたので戦争が起きたというよりも、ウクライナがNATOに入っていなかったので戦争が起きたと考えるほうが実態に近いのでしょう。だから2022年2月23日に時間を戻しても、ヨーロッパの安全保障問題は何も解決しないのです。ウクライナをNATOに入れない場合のリスクとより真剣に向き合わない限り、ウクライナの加盟に関する議論は進みません。これは最近強く感じています。
松田 まさしく重要なポイントですね。2008年にはNATOの共同声明において「ウクライナとジョージアはNATOのメンバーになる」と明記されるものの、ドイツとフランスの反対により見送られると言った事態がありました。あのときのように、ウクライナにリップサービスをしていればよかった状況では今はない。ここはヨーロッパの指導者たちが一番感じ始めているでしょう。NATOとEUにおけるここ3年間の議論の推移を見ていると、仮定の問題ではなく現実の問題として、さらに言うと非常に重要で大きなリスクを伴う現実の問題として扱われているわけです。
だからこそスターマー英首相は戦争終結後に和平を担保するため、何らかのかたちで陸空含めて軍を出すと表明しました。紆余曲折あるかと思いますが、良い意味で具体的な議論が出てくることを期待しています。
やはり先生がおっしゃるように、ウクライナが宙ぶらりんでいることは、戦争の再発防止に悪影響を及ぼすことは明白です。今回の戦争によって、ウクライナを支援した国は、ロシアからすると事実上「敵」になったわけですから。ですから2022年の2月23日には戻れないっていうのは、言い得て妙だと思いますよね。
鶴岡 この3年間でNATOとEUがウクライナの問題を自分のものとして捉える切迫感が一気に上がったのですが、一方で一つ留保をつけるとすると、いつ誰がこの決定をしたのかがはっきりしないということです。気が付いたらウクライナに深入りして、気が付いたらEU加盟交渉やNATO加盟の議論が展開していた。
侵攻直前にはショルツ独首相が最後の説得でプーチンと会談をした後、「不思議な議論をしている。ウクライナのNATO加盟なんて誰も議論してないのに、なんでこれが問題になっているんだ」といった趣旨の発言をしました。しかしその後、いつの間にかウクライナはNATOに加盟するといった前提での議論が増えました。
今は反射神経のごとくウクライナとの連帯が米欧での当たり前になっていますが、振り返ってみると誰がどこで戦略的に重大な決定をしたのかはっきりせず、気づいたら今ここに立っているという状況です。最後の最後にここが議論され、我に返るような国が出てこないか、若干心配ではあります。
松田 NATO加盟の議論について付け加えると、先ほども出てきたスターマー首相の英軍派遣のように、いくつかの国が何かしらの軍事的プレゼンスを停戦後のウクライナに置くことになったとしたら、それはウクライナがNATOに入ったも同然です。だったらもう加盟してもいいのではという議論に、勢いで進む可能性はありますよね。
鶴岡 下からの統合ですね。今のウクライナほどの軍事支援をNATO諸国から得た国は、加盟国の中にすらありません。また、2024年はフランスやドイツを筆頭に、ウクライナはヨーロッパの多数の国と2国間安全保障協力協定を結んでいます。現状を見れば、NATOに組み込まれている部分が、非加盟国としては異例なほどに大きくなっています。実態先行型と言えそうです。
振り返ってみると、冷戦後のNATO加盟国拡大は、上からのプロセスで、形式先行型でした。特に中東欧諸国の加盟では、NATOには入ったものの防衛計画はなかなかできませんでしたから。他方で、ウクライナとNATO諸国との2国間協定を含めたNATOとの関係では、ウクライナ軍とNATO加盟国軍との間の完全なインターオペラビリティ(interoperability:相互運用性)が謳われ、そのための支援が進められています。こうなるとウクライナとNATOの間の不可分性が高まっていきます。ウクライナにとってこうした実態は極めて重要です。
支援されるだけではないウクライナの資源と交渉力
鶴岡 また、ウクライナが上手だと感じるのは、実戦経験や防衛産業などウクライナの優れている分野をきちんと活用できている点です。ウクライナの勝利計画にあった、「ウクライナ軍のヨーロッパ諸国駐留」は、突飛なアイデアに聞こえますが、非常に合理的でもあります。ウクライナほど実戦経験ある軍隊は今のNATOにはいませんし、防衛産業もあります。要するにウクライナは、ヨーロッパ安全保障の消費者(security consumer)ではなく、提供者(security provider)になれるということなのです。これだけの資源があってこれだけ貢献できるから仲間に入れてくださいというスタンスです。
これは非常に注目すべきダイナミズムです。トランプが言うような「支援するから感謝しろ」といった世界とは全く違うものが起きつつある。ウクライナはこの比較優位をしっかりと活用すべきですし、その方向に動いているのかと思います。
松田 ウクライナがこの3年間において、その都度その都度自国に望ましい外交の方針をタイムリーに出してきたと私は評価しています。2023年7月リトアニアのヴィリニュスで開催されたNATO首脳会議では、ウクライナのNATO加盟についてもう少し具体的な回答が出るかと期待しました、出ませんでした。その代わりに2国間での安全保障協定の締結という方針に転換したのですが、先生がおっしゃるようにそれが決して片務的なものではなく、ウクライナからも協定を結んだ国に提供できるものが充分にあるのです。
例えば、この3年間でウクライナが世界の先頭を走るまでに成長したドローンの技術です。陸上はもちろんですが、史上初めて水上ドローンからの攻撃に成功しました。このような無人ドローンの開発・製造の経験は、ヨーロッパだけでなく日本にとっても有益な技術です。
日本がウクライナから学ぶこと
鶴岡 まさに片務的ではないという点が重要ですよね。イギリスやフランスとの2国間安保協力協定では、ウクライナへのロシアによる再侵攻が発生した場合のウクライナ支援と並んで、イギリス・フランスが攻撃された場合のウクライナによる支援も将来的には視野に入っています。これこそが同盟関係でして、将来のこととはいえ、それがすでに想定されていることは注目です。
日本では、かわいそうだから支援するという部分に注目されがちです。もちろん人の心としてはそれでいいのですが、やはり政府が税金を使って支援するのにかわいそうだからでは少し弱い。ウクライナに協力することで得られる利点があることを、きちんと整理して伝える必要があります。
松田 たいへん嬉しいご指摘ですね。3年間大使を務めましたが、最初はウクライナがかわいそうだから行う人道支援、そしてエネルギーインフラを壊されて待ったなしのエネルギー支援というように動いていました。しかし途中からそれが変わり、ひょっとしたら日本もウクライナから得られるのもがずいぶんあるのでは、と考えるようになりました。
ドローン技術の他にも重要なのが、北朝鮮派兵に関する情報です。北朝鮮の戦場における能力の評価は、日本にとっても非情に有益な情報になります。こういった考えも含めて、昨年11月には日ウクライナ情報保護協定が結ばれ、将来の日本にとってもプラスになるフレームワークをつくりました。
鶴岡 ウクライナ鉱物資源の権益供与の話も、火事場泥棒のようでアメリカは品がないと言われていますが、ただ鉱物資源はウクライナにとって交渉の重要なカードでもあるわけです。
松田 だからウクライナ側から提案したのです。
鶴岡 ただ、予想より数段上をいった関心の示し方でウクライナとしては困ることもありますが(笑)。
ウクライナ支援で問われる「日本はどんな国でありたいのか」
鶴岡 もう一つ最後に触れたいのは、今回のウクライナ支援は、日本が結局どういう国でありたいかを問うことになっているという点です。
日本では、国内で生活が苦しい人がいるのに、あるいは能登地震の復興もまだまだなのになぜウクライナを支援するのかという議論をよく見かけます。しかし、日本はまだまだ世界の中では豊かな国ですし、主要国であることは間違いありません。自然災害が多い国ですが、地震が起きたからといって国家としての課題が災害復興だけになるわけではありません。世界ではいろいろなことが起きていてそんなに甘くはないのです。国内でも海外でも課題が山積みのなかで、いかに優先順位をつけるかということなのだと思います。
日本政府である以上、日本を優先するのは当然です。ジャパン・ファーストです。だからといって外国への支援が一切できなくなるわけではありません。様々な課題に同時に取り組む必要があるのです。それができるほどには日本は豊かなはずです。ウクライナ支援は、そうしたことを考えるきっかけになっているのだと思います。
話が大きくなりますが、ルールに基づく国際秩序を守ると言っていても、ウクライナを見て見ぬふりをしたとしたら、秩序を守ったことにはなりません。日本として言葉と実態の一貫性は、可能な限り保つ必要があると思うのです。そのために、たとえ痩せ我慢だったとしても、ある程度は主要国の矜持として頑張らないといけない部分があるのです。
松田 国内外の両方の問題に取り組むべきですし、日本にはそれをやる力があります。さらに言えば日本の周辺が無法地帯になり、法も秩序も守られず大国が日本を脅かすような状態になったときは、ひょっとしたら毎年のように国内で起きる自然災害への効果的な対処すら、落ち着いてできないような、周辺環境が生まれてしまうかもしれません。
政治的な安定や国内の経済発展、そして自然災害への対応も含めて、これらを守るためにも、法と秩序に基づく国際社会を日本は率先して守り、つくっていく。これを犯す国が出てきたら、相手はロシアであろうがどこであろうが、きちんと対処する。それが回り回って必ず自国の安全保障に寄与すると考えます。
私が言い続けているのが、これは自分の子供や孫たちの将来の世代のためにも、いま国家としての姿、品格、ビジョンが問われていると思いますね。
アメリカは秩序を守る側でいてくれるのか?
鶴岡 おしゃる通りですね。国際社会がジャングルの掟だったら、日本は真っ先に負けます。ただ、ここで今一番引っかかるのは、アメリカが秩序を守る側にいてくれるかどうかです。
松田 もし、トランプ政権がこの戦争を1日も早く終わらせることで無駄な出費をやめ、アジアに専念したいと本気で考えているのならば、今はウクライナの問題に関与し続けるべきだと私は思います。それを日米同盟の当事者として、アメリカと共にアジアの平和と安定に共通の責任を有する日本が言い募っていく必要があるし、それによってアメリカでも様々な議論が生まれ、その過程で必ず理解者が増えると思います。
アメリカの政治家や政府関係者、シンクタンクなどの間で、ウクライナを見捨てていいのか、本当にそれがアメリカの利益になるのかと、言った議論が本気でされるでしょう。そうなると、トランプ政権の対外的な発言だけでは伺いしれない、アメリカ社会のある種の健全さ、国際主義的な考え方が出てくるはずです。
そのためにはヨーロッパも日本もまずは自分がやるべきことをしっかりやることが、今後求められてくるのだと思います。
鶴岡 自分の宿題をしっかりやって、だからあなたも役割を果たしてくださいということですね。
(終)