自民党の構造と政党政治のゆくえ  政治改革で見落とされた論点とは?【中北浩爾】【河野有理】

B!

『公研』2024年1月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。※この「対話」は2023年12月に収録しています。

 

自民党派閥のパーティー券裏金化問題が世間を騒がせている。

この問題の背景には何があるのだろうか、派閥の行く末は?

SNS上では政治や宗教に対する過剰なバッシングも見られる中、

日本政治の現状と過去、今後の見通しについて語っていただいた。

 

中央大学法学部教授 中北浩爾

×

法政大学法学部政治学科教授 河野有理

 

パーティー券問題に潜む「無責任の体系」

河野 本日は「政治改革で見落とされた論点とは?」というテーマで自民党や日本政治の今後について考えていきたいと思います。早速ですが、今回発覚した自民党のパーティー券裏金化問題について、中北先生はどのように見ていらっしゃいますか。

中北 今回の問題を理解しようとしたとき、私は丸山眞男の「無責任の体系」という議論を想起しました。メディアなどではこの事件を「令和のリクルート事件」と呼ぶ向きがありますが、違和感を禁じ得ません。1988年に発覚したリクルート事件は、情報産業のリクルート社が規制緩和の中で成長していく過程で、さらなる事業拡大を目的に行った贈収賄の事件です。田中角栄の高度経済成長期における土地買い占め問題、金脈問題と同じように、まさに時代の最先端で発生した事件です。

 ただ、今回のパーティー券問題は、贈収賄ではなく政治資金収支報告書への不記載です。不記載による裏金化を安倍派(清和政策研究会)が派閥ぐるみで行っていたことは悪質だし、その額も大きい。昔は様々な組織に裏金が存在しましたが、ここ20年ほどで、その多くが解消されてきました。しかし、今までの報道によると、安倍派は20年以上もの間、古い裏金化のスキームを温存させ、問題視する声もあったのに払拭できずにいたようです。

 これはまさに丸山が「無責任の体系」と呼んだものです。安倍晋三政権の下、総裁派閥としておごり高ぶって裏金化を始めたのではなく、派閥幹部が既成事実を追認し、一般のメンバーは権限がないということで追従した、小さな悪の積み重ねの結果です。官僚主導から政治主導への転換を叫んできた政治家自身が、不記載の慣行を是正するというリーダーシップすら発揮できなかったことが、今回の一番の問題だと思います。それなのに「令和のリクルート事件」と言ってしまうと、問題の本質が見えなくなるのではないでしょうか。処方箋も誤ることになるのではないかと危惧します。

 実は当時、リクルート事件を受けて政治改革が行われました。そこでめざされたのは、政治的リーダーシップの強化であり、その際には丸山の議論もしばしば参照されました。しかし、政治主導のための様々な制度はつくったけれども、それを行使すべき政治家自身は実に情けない状態であることが白日の下にさらされたというのが、今回の事件です。箱はつくったけれども、この間、権勢を振るってきた安倍派がこの始末で、中身は空っぽだったということです。政治改革以降の日本政治の巨大な空白があぶり出されたのだと思います。

河野 今回の事件を、政治的リーダーシップの強化をめざした「平成デモクラシー」の限界、あるいは不徹底として把握されるわけですね。同じことを反対から見ると、「55年体制」の亡霊というか、残滓になるのかもしれません。

 東京大学の境家史郎先生が岸田政権を「ネオ55年体制」と称していますが、「平成デモクラシー」によって滅びたはずの本家「55年体制」の本丸ともいえるのがまさに派閥政治でした。派閥が、票と金を集めるある種の「マシーン」として機能していた。その集金のスキームとしてパーティー券のキックバックがあって……というのは中北先生も『自民党─「一強」の実像』の中で「インセンティブ」という言葉を使ってすでに言及されていますよね。

中北 今回の報道の「キックバック」という言葉ではないですが(笑)。

河野 そのキックバックの仕組みが存在していること自体は、細かいスキームまで知っていたかどうかはともかく、みんな薄々気づいていたことだと。ただ、それが白日の下にさらされたときに、パブリックの批判に耐え得るものではなかったということだと思います。何か新しく起こったという性質のものではなく、平成になって本来はなくなるはずだったものがだらだらと、丸山の言葉を借りれば「ずるずるべったり」と残り続けてきたものが、ついにさらけ出された事件であり、その意味で55年体制の寂しい末路だという感じがしました。

 

政治主導にはチームが不可欠

中北 この間、決して派閥が強くなっているわけではありません。集金力は55年体制下と比べて10分の1ぐらいになっている。その最大の原因が政治改革で、企業・団体献金を受け取れなくなったことの帰結です。資金がなければ、活動が停滞し、派閥は弱体化せざるを得ません。派閥は、木曜日の昼に集まって会合を開きながら弁当を食べるとか、事務所と職員を置いているとか、過去の遺産によって辛うじて存続しているのが実態です。今回の事件で、さらなる弱体化は免れません。

 他方で、現在重要になっているのが、政治主導を担う首相官邸のチームづくりという問題です。政治はあくまでもチームプレイです。第二次安倍政権は異例の長期安定政権になりましたが、それは安倍氏が派閥基盤を持つとともに右派グループを率いていて、強固なチームをつくれたからです。第一次政権の再チャレンジ組の官僚などを活用できたことも大きい。それに対して、後継の菅義偉総理は強力なチームをつくれず、「孤独の宰相」と呼ばれました。超多忙な首相が一人で決断していたら、失敗するのは当然です。現在の岸田文雄総理は、重要な政治判断は前官房副長官の木原誠二氏と二人で決めてきたようです。しかし、木原氏のスキャンダルで機能不全に陥ってしまったのが、このところの混迷の一因です。

 政治主導が制度化されるほど、どのように首相を支えるチームをつくるかが課題になります。そのためには何らかの党内集団を活用する必要があり、そうした意味で昔ほどではないにせよ派閥の役割は小さくないと思います。もちろん、適材適所を妨げているなど、派閥の弊害も決して小さくありません。しかし、派閥が事実上存在せず、緩やかなグループしかない民主党は、政権を担った際に党内をまとめられませんでした。こうした現実を直視せず、世論は派閥否定論に傾きがちです。それで政治がよくなるのか、疑問に感じます。

河野 私は最近、渡邉恒雄の古典的名著『派閥』を久しぶりに読み返しました。彼は基本的には派閥擁護派で、派閥が必要な理由を大きく二つ挙げています。

 一つは財界との関係です。戦前の政党政治には派閥がなかったのですが、なぜなかったかというと、政友会は三井、民政党は三菱というように各政党には財閥がぴったりと張り付いていたからだと言います。財閥が各党の幹事長のところに直接お金を持ってきて、幹事長が陣笠議員(ひら議員)にそれを配るというような状況が長く続きました。財閥からのお金の出所と中継先がはっきりしていたために、派閥の入る余地がなかった。ただ、戦後になると財閥が解体され、複数の様々な献金先からお金を集める必要が出てきたために、派閥が必要になったのだと。そのようにして、派閥不要論を唱える人には、戦前の財閥丸抱え体制のほうがいいのかと啖呵を切ってみせる。

 もう一つは官僚との関係です。渡邉恒雄は大野(大野伴睦)派と関係が深い、つまり党人派なのですね。官僚が財界に顔を利かせて、そうした「顔」を背景とした資金調達能力を資源にして、政党に入ってくるという構造を警戒しているわけです。

 財界や官僚と政治の関係も、当時と比べて大きく変化しましたし、何より政党助成制度によってお金と政党の関係は一応の決着がついたはずでした。しかし、どうもそう単純な話ではなさそうだというのが昨今の状況なのだとすると、今一度、こうした古典的考察に立ち止まるのも案外大事なのではないかと思います。とりわけ、個人献金のような出所のバラバラな小口の資金を吸い上げていくほうが、デモクラティックな制度としては王道なのだという視点は、政治改革の際の議論では見逃されがちだったのではないか。そのツケがいま回ってきているという状況なのだと思います。

 

自民党の歴史は派閥解消論の繰り返し

中北 最近、派閥の解消を謳った1989年の自民党「政治改革大綱」を持ち上げる主張が多々見られます。しかし、それで問題の解決につながるのかは疑問です。派閥の解消があれだけ叫ばれ、政治改革が行われても、派閥はなくなっていません。まずはその現実を直視する必要があります。その上で、派閥の具体的な弊害を除去するために必要な改革を行っていくべきです。派閥の解消は自民党が結党された直後からの党近代化論のスローガンです。それを叫ぶだけだと、元の木阿弥の繰り返しになってしまうでしょう。

 大学のファカルティーでも、小学校のクラスでもいいのですが、集団が有機的に機能するには適正規模があって、40人から50人ぐらいまでだと思います。それ以上になると、全ての人を相互に認識するのが難しくなる。自民党の国会議員は全部で380名近くいますが、派閥は多くが50人ぐらいまでです。安倍派だけは突出して100人規模ですが、私は安倍派の若手が「面倒見のいい二階派がうらやましい」と言っていたのを思い出します。派閥について考える際には、そういう人間の本質的な部分も含めて議論することが必要です。

 私は一昨年、『日本共産党─「革命」を夢見た100年』という本を出版しましたが、共産党は民主集中制を組織原則としていて、派閥(分派)を禁止しています。その結果、党指導部に権力が集中します。党規約の解釈権までが党指導部に握られ、松竹伸幸さんや鈴木元さんといった古参党員の除名が簡単に行われてしまう。共産党は党外には立憲主義を叫んでいますが、党内には立憲主義的な権力制約原理が存在しません。そうなると、党内の風通しは悪くなり、多様性に基づく活力が生まれなくなります。

 政治学者は、政党本位をかざして党執行部への権力集中を是とし、派閥を否定する傾向が強いのですが、それには疑問を感じます。そもそも、自民党のような多数の国会議員を抱える政党に党内グループが存在しないということは不可能です。現在の派閥のままである必要はないのですが、よりましな党内グループとは一体どういったものなのか、という視点が大切ではないでしょうか。

河野 私もそう思います。戦後には、党近代化論とか、党首への権力集中とか、ある種の近代政党のモデルに従って自民党の派閥を批判する風潮が、知識人の中にも継続的にありました。自民党自体も、何か危機に陥ると、その風潮に安易に同調して派閥解消論を唱えて、一度死んだフリをする。そして、ほとぼりが冷めたらまた集団で動き出すということをずっと繰り返しているわけです。やはり党における派閥の意義と危険性を、同時に見ながら議論していくことが不可欠であるのに、今に至るまでそうした議論がほとんどなかったということですよね。

中北 今回の捜査が一段落して具体的な改革案を考える段階に入れば、もう少し冷静な議論ができるようになるのではないかと期待しています。ただ、河野さんがおっしゃったように、自民党の歴史は派閥解消論が叫ばれながら、それが実現できずに終わるということの繰り返しなので、今回も同じサイクルにはまるだけでは不毛です。政治学者も実態をつぶさに見て、バランスのとれた冷静な議論をしなければなりません。1994年以来の政治改革には、それが欠けていたような気がします。

 

過剰な政治批判が、逆説的に既存の体制を強化する

中北 加えて、政治参加も政治改革で見過ごされてきた論点です。例えば、個人献金をはじめ政治献金をどうやって増やしていくかという問題があります。パーティー券を買うことは献金の一種ですが、今回のような事件が起きると、献金も政治資金パーティーも廃止してしまえという議論が出てきます。

 この前、ある新聞はボランティアだけを認めたほうがいいと書きましたが、旧統一教会は信者にボランティアをさせることで政治家に食い込んでいったわけです。では、ボランティアも禁止すればいいとなると、政党交付金に依存する「国営」のカルテル政党に純化してしまいます。新党がつくれなくなり、既存政党しか存在できなくなる。市民の政治参加の機会が減り、民主主義は空洞化してしまいます。現にカルテル政党化は、ポピュリズムの台頭という反動を生み出しているといわれています。

 党内のシステムとして派閥をどう位置づけるかという論点も重要ですが、そもそも政党が国家と市民社会の間でどのような役割を果たすべきかという論点も含め、トータルに議論し直さなければいけないと思います。今回のパーティー券問題で、従来の政治改革で見過ごされてきた論点を考え直す契機になればいいですね。

 政治参加に関連して、政治改革で見過ごされてきた論点には、女性議員をどのように増やすかという問題があります。1980年代半ばには男女雇用機会均等法が成立し、その後も男女共同参画社会基本法が制定されるなどの動きがありました。しかし、政治改革でクォータ制の導入が議論されることはほとんどありませんでした。ようやく2018年に候補者男女均等法(政治分野における男女共同参画の推進に関する法律)が制定されましたが、女性に関わる政治参加についても改めて議論していく必要があります。

河野 そこには皮肉な逆説もあるように思います。政治腐敗に対する道義的非難のようなものは時期を問わずずっと存在するのだとは思いますが、旧統一教会問題含め、特にここ10年ぐらいはそれが強すぎるのではないかと思うところがあります。フィルターバブル(インターネットで利用者が好ましいと思う情報ばかりが選択的に表示されること)やエコーチェンバー(SNSで価値観の似た者同士が交流し合うことで特定の意見が増幅されること)などの問題もあるとは思いますが、「政治に関わるものは汚い」というイメージを多くの有権者が共有しているという背景が重要なのではないか。

 もちろんそこには、ある意味では健全な批判精神の発露も見られるわけですが、先生が今おっしゃったことに絡めると、過剰な道義的非難が、逆説的に既存の構造を強化する側面もあるということですよね。

中北 まさにそう思います。

河野 献金もダメ、宗教関係もダメとなったら、おっしゃる通り既存の政党以外の新たな動きは難しくなります。道義的非難が逆説的に既存政党の力を強めることになりかねない。特に最近は、そうした道義的な非難の刃が持っている二面性みたいなものを意識する機会が増えてきています。SNSなどの抽象的な世論を見ると、政治や宗教も含め人が集団で何か行動を起こすことに対する漠然とした不信感、嫌悪感のようなものを感じることがよくあります。それは結果として、デモクラシーの首を絞めることになるのではないか。

中北 宗教バッシングもすさまじく、創価学会と旧統一教会を同一視するような議論が散見されます。創価学会にも少なからぬ問題があるかもしれませんが、カルト宗教とは一線を画していることは事実です。健全な宗教もあれば、そうではない宗教もある。いろいろな宗教があるにもかかわらず、宗教イコール悪とみなす風潮が今の日本には根強く存在します。

 しかし、多くの日本人が神社やお寺にお参りし、お賽銭をして、おみくじも引きますよね。世界に目を向ければ、キリスト教、イスラム教など多様な宗教があります。宗教に拠り所を求めている方、救われている方が数多くいます。そうした宗教の役割を正当に評価せず、宗教団体は人々を騙しているかのような決めつけが横行しています。

 より広く言えば、宗教団体のみならず、おおよそ団体に対する懐疑的な見方が現在の支配的な空気です。団体は結託して悪だくみをし、政党や政治家と共謀して既得権を享受しているかのような見方です。こうした見方がポピュリズムの温床になるわけです。

 政治に引き付けて考えると、民主主義とは多数者による支配です。選挙でもそうですが、一人では無力です。市区町村議会選挙では百票、都道府県議会選挙では千票、衆議院選挙では一万票あれば、結果を左右できます。ですから、政治的な影響力を持ちたいのであれば、どんどん集団をつくっていくべきなのです。そうではなく、集団を批判する意見がネットで支配的なのは、河野さんもおっしゃるように決して健全ではないと思います。

 

創価学会は、宗教の政治参加の成功例

河野 昨年は、3月に幸福の科学の大川隆法氏が亡くなり、11月には創価学会の池田大作氏が亡くなるなど、何かと宗教絡みの話題が多い年だったなと思います。創価学会の歴史を振り返ると、戦後日本において宗教団体がいかに政治と関わっていくかという点では、明らかに一つの成功例だと私は評価しています。国政進出当時は、知識人からも相当強い批判があったわけですが。

中北 そう。ファシズムだとかですね。

河野 もちろん当初の創価学会がかなり戦闘的だったことは確かで、「折伏大行進」とか過激な勧誘活動を実際に目撃していたような状況では、無理からぬものがあったとは思います。ただ、議会制の中に入っていく過程で、インナーサークルの外側にどうやって声を届けるかということをきちんと学習していったように思います。公明党が、池田大作亡き後どうなっていくかはまだ見通せませんが、宗教団体と政治との関わりを考える上で一つの成功例だということは間違いないと思います。

 特に一昨年から昨年にかけて、かなり極端な形での政教分離論のようなものが語られることが多くありましたが、その議論が果たしてデモクラシーを豊かにする議論なのかということもすごく考えさせられました。

中北 創価学会が成功例だということは、私も同感です。創価学会は戦時中に弾圧され、戦争の焼け跡から出てきた宗教ですよね。組織としては戦前から存在するけれども、大きく成長したのは戦後です。終戦直後、日本国憲法ができるなど日本が急激に変化する中で再建され、労働組合からも取り残された低所得者層を組織化し、民主主義のプロセスに結び付けていくために公明党を結成しました。言論出版妨害事件などの問題を起こしましたが、徐々に学習し、中道という立場から大衆を政治につなげ、平和や福祉を訴えていくことで戦後民主主義を安定させる役割を果たしました。全体としてはプラスの役割が大きかったといえるのではないでしょうか。

 ところが、創価学会がバックにある公明党はけしからんとか、そんな公明党と組んでいる自民党は創価学会に支配されているとか、単純すぎる批判が目に付く印象です。しかし、衆議院東京28区での候補者擁立をめぐって選挙協力をいったん解消するなど、両党は常にぶつかり合い、緊張感のある関係を続けています。安倍政権下の集団的自衛権の行使容認をめぐっても、公明党の要求に従って「武力行使の新三要件」がつくられ、一定の歯止めがかかったことは事実として認めるべきです。

 

コーポレーションとアソシエーション

河野 学生からよく聞く話ですが、例えば選挙の前に創価学会員の友だちから投票を頼まれたということを、否定的な経験として語る人が多いんですよね。まあわからなくもないのですが、せっかく政治学を学んでいるのだし、それもまた大事なことではないかとはどうしても言いたくなってしまう(笑)。頼まれたからといって絶対に投票しなければいけないわけでもないので、頼まれること自体は別にいいじゃないかと学生に言うのですが、あまりピンときていないみたいです。

中北 アメリカ大統領選でも、支持者がボランティアで戸別訪問して投票をお願いしたりしていますよね。もちろん大学生も参加していて、それは素晴らしいこととして報じられるのに、日本でやられるとなぜか嫌なのです。

 日本の無党派幻想というか、党派性を持つことがよくないという風潮が、政党政治の根を浅くしてしまっていると感じます。本来は大学のキャンパスでも、各政党がユース(青年組織)をつくっていくべきです。アメリカの大学では、大統領選のときなどに学生がみんなで集って普通に議論しています。政党デモクラシーである以上、党派性を前提として議論することが本筋だと思うのですけどね。

河野 本当にその通りですね。おそらく日本では、相手と党派が違うとなると抜き差しならない感じになってしまうのでしょうね。仲良く喧嘩できないというか。政党制って、基本的には制度化された争いのはずなのですが。

中北 一種のスポーツのようなものですね。お互い真剣なのだけど、きちんとルールがあって、スポーツマンシップに則って戦う。ただ、政治の話題になると喧嘩になってしまうのでしょう。

河野 そして、喧嘩になるのが嫌なんでしょうね。

中北 論破して言い負かすばかりだと、ディスカッションをして互いに思考を高め合うという契機が失われてしまう。

河野 そこには集団性についての訓練という課題が隠れているのかもしれません。私は柳田國男の『明治大正史─世相篇』を折に触れて読み返すのですが、柳田は終盤にかけて盛んに集団や群れの話をします。柳田の関心を私なりに言い換えてみるとこうなります。

 江戸時代には藩という形で集団性が組織されていたわけですが、藩が解体された後に、それまでの藩のようなコーポレーション的な集団ではなく、新しくアソシエーション的な集団をいかにつくるかというのが、明治大正の日本人たちの課題でした。柳田は明治大正の日本人にとっての宿題をそう整理しつつ、実際の日本人のパフォーマンスにはとても辛い評点をつけています。明治大正の日本人はよく「会」をつくるのだが、しかしその「会」はすぐ形骸化したりつぶれたりするのだと。日本人は集団主義などと言われるけれども、柳田に言わせるとむしろ逆で、日本人はアソシエーションをつくる能力が低いのではないかということを言い続けるんですね。

 他方、日本人は集団主義的という言い方になぜ一定のリアリティがあったかというと、戦後日本で藩に代わるものとして、会社というコーポレーション的なものがまさに日本人を包摂していたからだと思うのです。藩に代わって会社が機能したからこそ、やはり改めてアソシエーションをつくる能力を問わなくてもいい時代が続いてしまったんだと思います。

 ただ、現代ではもはや会社の包摂性にそこまで信頼は置けません。特に若い世代にとっては、会社に丸抱えされていた昔の集団主義的な日本には現実感がない。それは、集団に対する嫌悪感や危機感のようなものと結びつくところでもあると思うのですが、ではそうした集団性や団体性をただ嫌悪していればいいのかというと、そうではないですよね。人は一人では弱いもので、いかに「群れ」や「仲間」をつくるのかというのはとても大事なことだと思うのです。その意味で、柳田の議論や問題意識は、例えば「会社」のプレゼンスが大きかった戦後日本よりは、現代のほうがリアリティがあるのかもしれません。

中北 高度成長期以降、市民政治が台頭し、市民が自立した個として確立した上でアソシエーションをつくるというイメージで、様々な実践が行われました。例えば、都市部では、自民党の基盤である商店主など地域の名望家とは違い、新しく流入してきたサラリーマン層を基盤に代理人運動やネットワーク運動が展開されました。しかし、その主たる担い手が「全日制市民」の主婦層だったこともあり、21世紀に入って共働きが増えると、勢いを失ってしまいました。

 その結果、自民党を支持する諸団体や、創価学会をはじめとする宗教団体、労働組合など旧来型の集団が政治的な影響力を維持し、今日に至ります。それに対して、市民派は個の自律性を強調するがゆえに新自由主義と重なり合う部分がありました。市場メカニズムを重視する新自由主義が台頭する中で「社会の個人化」が進み、徐々に組織が壊れてきたというのが、ここ20年ぐらいの流れです。

 結局、地域に根を張る自民党と最強の宗教団体である創価学会を支持母体とする公明党が連立を組んで政権運営を行う一方、個人化した無党派層が、数は増えているとはいえ、投票所に行かず、政治的影響力を持ち得ていないというのが現状でしょう。自立した個人がアソシエーションをつくることに失敗した結果、自公が支持基盤を縮小させつつも相対的な優位を維持しているのだと思います。

 

「社会党的なるもの」の可能性

河野 中北先生といえば自民党の研究者であり、併せて共産党についても研究されているというのが最近の読者の方が抱いているイメージではないかと思うのですが、最初のご研究は社会党でしたよね。単純な政党史だけではなく、労働組合や経営者団体、さらには知識人といったアクター、そうしたアクター間の力関係を規定する経済環境や国際政治状況にも目配りをされた優れたご研究でした。しかも単なる状況の記述にとどまらず、「生産性の政治」の政治構想というか、あくまで開かれた国際経済を志向する中で、いかに労使協調を進めながら政治に関与していくかという構想にコミットする形で議論を進められていたのが、とても印象的だったことを記憶しています。

 先生がそこで描かれた戦後日本の「社会党の夢」というか「社会党的なるもの」が持つ今現在の可能性については、どのようにお考えでしょうか。

中北 非常に難しい問いですが、現状はかなり厳しいでしょう。労働組合のリーダーの人材が弱ってきているのです。やはり組織は人が大切です。労働組合も研修プログラムなどを導入して人材を育てようとはしていますが、連合会長のなり手がいなくて、産別のトップでもない芳野友子さんが担ぎ出されたのが象徴的です。立憲民主党と国民民主党の分裂などを背景に、連合本部への求心力が弱まっているのも深刻な問題です。

 それでも、労働組合が果たす役割は小さくないと思います。やはり人間一人ひとりは弱い存在なので、組織をつくり固まることによって経営者との対等性を確保するというのが、労働組合の基本的なミッションです。しかし、労働組合だけではなく、創価学会や自民党の支持団体も含め、あらゆる団体が弱ってきているのが現状です。労働組合もその傾向からは逃れられないということだと思います。

 一方で、労働組合に関して言えば、若い人が新入社員という形で定期的に入ってくるので、まだ希望の芽はあります。労働組合は一人ではなかなかできないことをするきっかけづくりの場にもなっていて、例えばボランティア活動に参加するとか、気が進まずに動員された選挙運動が案外楽しかったとか、新たな体験につながる機会にもなっています。

 そういう意味でも労働組合の果たす役割は大きいと思う反面、労働組合に立脚する社会民主主義政党は、日本を含め世界的にも苦境に陥っているのが現状です。欧米では福祉排外主義の右派ポピュリズム政党が台頭してきています。かつては社会民主主義政党が労働組合を基盤として格差を是正する役割を果たしてきたのですが、様々な理由から、現在それが十分に機能していません。

河野 私はゼミで学生に戦後の映画を観てきてもらうことがあるのですが、当たり前だと思っていたことが学生にとってはそうではないことがたくさんあって、こちらが勉強させられることも多いのです。

 この前、倍賞千恵子さん主演の『下町の太陽』という映画を観てきてもらったんですよ。映画の中では、昼休みになると女工さんたちが集まって、工場の敷地内で卓球などレクリエーションを始めます。その場面について、学生から「あれ、何なんですか」と聞かれて、逆にこっちが驚いてしまって。今の若い人からすると、職場の休み時間にみんなで集まってスポーツをしている光景が、異様に見えるんですよね。

 労働組合には若い人が入るので希望があるという反面、その若い人には、普段から集団行動をして、その延長線上でデモに行ったり春闘に行ったりという昔のような身体感覚がもうないのではないでしょうか。そうした身体感覚を支えていた職場の構造や環境自体が、すでに失われてしまっています。

中北 時代の流れですね。1980年代に日本型多元主義が日本の集団主義を称揚した際には、家族、地域、職場の三つがその中核とされました。かつての職場は共同体で、生活の場も社宅でした。私の父親は企業のサラリーマンで、石油化学コンビナートができた際に大分に転勤し、家族で移り住みました。小さい頃は、明野という多くの社宅が集まる地区で育ちました。家族間の行き来もあったし、物を分け合ったり、夏にはお祭りをしたり、自家用車の車検中には同乗させてもらったり、会社主催の家族運動会があったり、社員の子ども向けの工場見学会を行ったり、本当に共同体でした。父親は労働組合の活動で選挙もやって、組織内候補を応援していましたね。そうした職場の共同性が労働組合の根っこにある強さでしたが、今は弱まってしまいました。

 単身者が増えて、家族という集団も弱くなっています。地域のつながりも然りです。社会から共同体が失われる大きな流れは避けられないかもしれませんが、孤独死をはじめ、その弊害も現れています。それは政治にも当てはまるのではないかと思いますね。

 それにしても、今の若い人の感覚だと、職場で卓球をすることが不思議なのですか。

河野 そうなんですよね。私自身にしても、一般企業に就職したことがないのでリアルにそうした風景を知っているわけではないですし、私の同世代が職場で卓球していた世代かと言われると、そんなこともないのですが。

中北 そうですか、その世代ではないんですね。僕は以前、大阪の公立大学に勤めていたとき、若手の教員同士で学生も交えて卓球をやっていました。それをきっかけに結婚した今や著名な研究者もいますよ(笑)。

河野 そうなんですか(笑)。

中北 東京の私立大学に移った後も、何人かで遠くまでランチに行ったりしてね(笑)。当時はそういう形である種の共同体がまだあったけど、2000年代ぐらいになくなりましたね。全体としてそういう慣習が消えたのか、自分が多忙化したのかはわからないですが。裏金が日本社会から消えた時期と一致しているかもしれないですね。

河野 コンプライアンス、ハラスメントを気にするようになった時期と軌を一にしているでしょうね。おそらくコロナがとどめを刺したのではないかと。

中北 ハラスメント問題の盛り上がり、人との接触の減少という二つが軌を一にしている可能性は無きにしも非ずでしょうね。

 

改めて、「55年体制」とは?

河野 中北先生は「社会党的なるもの」の可能性を追求されてきたと同時に、政治改革の季節にはある種、悪の象徴のように扱われることも多かった「55年体制」(1955年─93年)の可能性に着目する議論を、割と早い段階からされてきました。『自民党政治の変容』などを拝読すると、そうした先生の複眼性がよくわかる気がします。これは「ネオ55年体制」かといわれる今、改めて再読する価値があるのではないでしょうか。

 ただ、都立大の政治学者・佐藤信さんも指摘していることですが、改めて55年体制とは何だったのかと考えると、定義が難しいところもありますよね。

 学生に説明するときには、自民党と社会党からなる「一か二分の一大政党制」であり、55年体制の終わりとは自民党一党支配の終わりであるという説明をするんです。ただ、やはり鋭い学生もいて、「55年体制の始めと終わりで定義が違うじゃないか」と言われることがあるんですよ。「始めは一か二分の一大政党制だけど、終わりは一党支配じゃないか」と。これは確かにその通りなんです。

 ですから、「ネオ55年体制」という言葉が使われた場合にも、それが具体的に何を意味しているのかを意識しながら使っていくのが大事なのではないかと考えています。自民党一党優位体制という側面に焦点を当てているのか、それとも野党間の競争という側面に焦点を当てているのかで、その意味するところはかなり違ってくるのではないかという気がします。

中北 55年体制について、私は自民党の一党優位という点で成立から終焉まで特徴づけるのが適切だと考えています。

 いま言及していただいた『自民党政治の変容』は、政党政治を支える知的なヘゲモニー(覇権)構造に関心を寄せて書きました。戦後まもなくは左派勢力が知的ヘゲモニーを握っていて、欧米モデルの近代化が日本には必要であるという考えが、保守も含めて浸透していました。近代化という物差しから言えば、保守政党よりも社会主義政党のほうが先を進んでいるという認識が共有されていて、自民党もそれに従って議論を組み立てざるを得なかった。保守合同によって成立した自民党は、議席の上では社会党に対して圧倒的な優位を確保していましたが、知的ヘゲモニーまでは持っていませんでした。

 しかし、1970年代半ば以降、元左翼の保守系知識人の間から日本型多元主義という考えが広がりを見せます。経済大国としての自負心を背景に、近代化論では後進的とみなされてきた日本の集団主義を称揚する主張で、80年代には保守の側が知的ヘゲモニーを獲得します。その文脈で、自民党の派閥も肯定されました。55年体制はその名の通り1955年に始まりますが、自民党の本当に強固な支配は80年代に存在したといえます。

 その後、1990年代になると、日本型多元主義は新自由主義のような市場モデルに取って代わられます。しかし、それは安定的なものではなく、小泉政権後には急速に転換が進みます。民主党政権を経て、2012年に自民党が政権に復帰しますが、自民党自体の支持基盤の厚さ、公明党との協力、野党の分裂という状況を背景に「一強」であり続けているとはいえ、80年代のような知的ヘゲモニーまでは確保できていません。

河野 教科書ではしばしば「戦後の55年体制で自民党の一党優位支配が続いた」と説明を1行で済ませてしまいますが、55年体制と一言で言っても、また自民党にその視野を限ってみても、やはりその内実はかなり複雑だったということですね。

 確かに、結果的には38年間自民党の一党支配が続いたわけですが、それを自民党があらかじめわかっていたわけではありません。自民党の自己認識、将来予測が必ずしも明るいものではなかった点は、中北先生もご著書で強調されていました。

 また実際に、70年代になるといわゆる「与野党伯仲」時代が到来し、認識の上だけでなく、現実的にも自民党の政権運営は相当苦しい時期が続くわけです。そしてこの時期に、例えば松下圭一のような政治学者はしばしば「55年体制の終わり」に言及しています。要するに多党化ですね。確かに「一か二分の一大政党制」の終わりというのは、その通りだという側面があるのです。つまり、自民党と社会党が主役で演じられる「55年体制」は終わったわけです。ただ、社会党が凋落した分を他の野党が吸収し、全体としては自民党と野党ブロックという形での「55年体制」はその後も続いていきます。

 最近になって「ネオ55年体制」という言葉が使われることが増えましたが、その際には自民党一党支配の持続という側面が強調されているような気がします。確かに今は政権交代の可能性は低いとは思いますが、議席だけで見ると、野党を合わせれば与党の数に迫る規模になっています。この状況は、むしろ70年代後半の体制と似ているところがあるのではないか。今改めて、当時の状況を思い出してみる価値があるのではないかと思っています。

中北 そこに共産党を含むか含まないかという問題はありますが。

河野 また野党連合政権のような構想が出てくるのではないでしょうか。

中北 そういう意味でも、70年代と似たような状況と言えますね。

河野 70年代は低成長時代でもありますよね。エネルギー危機もあって、割と全体的に将来像が暗い時代です。そういう状況下で、政治もあまり決まらないというか、権力核がどこにあるかよくわからないという意味でも、70年代と近い状況が生まれつつあるのかなと。

中北 70年代に社会党と民社党が分かれていたのと同じく、現在、立憲民主党と国民民主党が分裂しています。しかも、最大の争点は共産党と組むのか否か。そうした中で、どのように非自民連立政権をつくるのかという点では、70年代に近いと思います。ただ、その間、衆議院の中選挙区制を小選挙区比例代表並立制に変える政治改革が実施されましたし、政権の枠組みも自民党単独ではなく自公連立です。たとえ同じメロディーでも、違った聞こえ方をするかもしれないですよね。

 70年代も無党派層が増加した時期ではありましたが、現在、その厚みは全く違う水準になっています。それゆえ、野党連合政権の樹立という筋書き以上に、無党派層をポピュリスト的に動員する戦略が有効になっていて、アウトサイダーが一気に風を吹かせて政権をとりにいく可能性のほうが高いのかもしれません。

河野 そうですね。表面的には当時の状況と似ていたとしても、政党政治をめぐる「ゲームのルール」は根本的に変わってしまっています。

 

優秀なリーダーをいかに育てるか

河野 さらには、それぞれの政党内部の活力もかつてとは全然違っていて、例えば自民党であれば、その活力を担保していた派閥の権力も明らかに当時ほどはないという点もありますね。もちろん、活力というのはお金の話も含めてです。現在はキックバックが問題になっているわけですが、70年代のほうが額についてもやり方についても、今とは桁違いだったのではないでしょうか。

中北 当時は派閥が莫大な資金を集めていて、自民党の国会議員の忠誠心は党よりも派閥のほうに向いていました。派閥は、まさに江戸時代の藩みたいなものです。その派閥同士が戦国時代さながらに戦っていましたから、いざ改革となったときのエネルギーはすごかった。今の自民党にそこまでの活力があるかというと、疑問です。

 しかし、それでも現状では野党よりは自民党のほうがまだエネルギーを持っている気がします。先の臨時国会の会期末も、立憲民主党は内閣不信任決議案を出すかどうかで迷っていました。

河野 あそこで迷うこと自体がね。

中北 情けないですよね。岸田首相に衆議院を解散されたら検察の捜査が止まって不利になるのではないかとか、小さな計算をするのです。現在の野党は大きな政治的構図を描くことができていません。2009年に民主党が政権をとったのも、小沢一郎さんという自民党の派閥政治の中心で戦ってきたパワーのある人が主導権を握っていたことが大きい。今の状況で野党が政権交代を成し遂げられるかというと、楽観視できません。

河野 野党の若い世代でパワーのある人がいるのかどうかも、ちょっとわからないですよね。

中北 そう考えると、やはり権力闘争のメカニズムがどこかにあって修羅場をくぐる経験がないと、政治家は育たない。そういうことは政治学者ではなく、政治評論家が言うべきことだと批判されそうだけど(笑)。

河野 でもそれは政治学としてもやはり大事な話ではないでしょうか。派閥のリーダーが総理総裁になった場合、派閥は政策集団というか、ある種のブレーンになる人材をプールする機能を持ち得るでしょうし、また当然心理的な本拠地としての機能も持つでしょう。これがリーダーを支える側面とすれば、派閥には優秀なリーダーを選抜し、つくり上げる機能もあると思うのです。派閥は言うなれば予選の場であって、そこを勝ち上がったリーダーが総裁選に挑み、首相になっていく。派閥のそういう機能が今までの自民党のダイナミズムを支えていた部分が確実にあったと思いますが、今の派閥からは全くそういう感じがしません。だから我々政治学者も、ついつい昔の派閥はこんなもんじゃなかったと言いたくなる。さらに今回の事件で派閥解消論という方向に舵を切っていくとすると、これからの自民党のリーダーはどうやってつくっていくのかという問題が出てきますよね。

中北 派閥には問題が多々あったけれども、それなりに果たしていた機能があったということも同時に認めないといけないですよね。

 派閥に代わってリーダーをどう育成していくかという問題ですが、いくつか可能性はあると思うのです。例えば、地方議会には今でも切磋琢磨しながらのし上がっていく構図があるので、地方議員出身者をもっと登用していくとか。地方の首長は、その地域を自らの責任で運営してきた経験があるので、国政の場でも有望です。アメリカの大統領もそうですよね。

河野 アメリカ大統領選の候補者は、州知事経験者も多いですよね。確かに日本でも近年、地方知事の国政への影響力も高まっていますし、逆に国会議員が地方の知事に転出する事例も割と見られますよね。地方自治と国政の互換性が高まりつつあるのかもしれません。

中北 単にリーダーシップを発揮するだけでなく、創造的なリーダーシップを発揮できる人をどう育成するかが課題ですよね。しかし、こればかりは、教育やキャリアパスの枠組みをつくれば必ず育つかというと、そうではありません。最近の自民党で言うと、様々な批判がありましたが、やはり安倍晋三氏は優れたリーダーだったと思います。小泉純一郎氏もそうですが、ある種の理念を持ちつつ、それを現実の中でどう実現していくかを粘り強く追求する、そういう政治家らしいリーダーでした。ただ、自民党が常にそのようなリーダーを生み出せるかというと、そうではありません。

河野 これは御厨貴先生も強調していたことですが、小泉さんも安倍さんも、後継者を育てる気が全くなかったのではないかと思います。かつての吉田茂も、佐藤栄作も、これと見込んだ政治家を何人か競わせて、それに勝った人を次の総理にするというような感覚が、ある時期までの自民党の総理には確かにあった気がするのですが。

中北 そうかもしれないですね。安倍派の5人衆(高木毅氏、松野博一氏、西村康稔氏、世耕弘成氏、萩生田光一氏)の多くとお会いしたことがありますが、ひとかどの人物ばかりです。ただ、集団指導体制に落ち着き、戦い抜くという雰囲気ではないですよね。少なくとも存命中の安倍氏を乗り越えるパワーはなかった。例えば田中角栄は、佐藤栄作の派閥を乗っ取って権力をつかんだわけでしょう。

 政治学者には制度などの仕組みを重視するバイアスがあります。しかし、いかに性能の良い車でも、レースで勝つにはドライバーの力量も大切です。優秀なリーダーをどう育てるかは、自民党にとっても、日本政治にとっても、今後の大きな課題です。「政治とカネ」の問題は重要ですが、そればかりに囚われていてはならないと思います。

 

日本ではポピュリスティックな熱狂を生み出す争点が弱い

──今後、日本でアルゼンチンのようなポピュリスト政権が台頭する可能性はどのように見ていますか。

中北 アルゼンチンは唯一、先進国が発展途上国に転落した例とされてきました。最近、日本のアルゼンチン化がよく話題に上りますね。

河野 何か具体的なコミュニティに根付いていない個が前景化していることで、抽象的な熱狂というか、ポピュリズム的熱狂が生み出されることは、可能性としては考えられると思います。でも不思議なことに、ここ20年ぐらいの日本政治を見る限りポピュリストは台頭してきていません。何か妙にポピュリズム耐性があるというか。

中北 その要因の一つには、争点構造があるでしょう。日本では、移民の問題などポピュリストが動員できる争点が相対的に弱いということが大きいと思います。また、ヨーロッパでは反EUがポピュリストのスローガンですが、日本にはEUに当たる存在がありません。ガスは溜まっているものの、なかなか火が点かない状況なのではないでしょうか。火を点けようとしている人はいますけどね。

河野 確かに、移民や人権問題など、アイデンティティに関わる論点が日本ではそこまで強くないのでしょうね。ジェンダー問題に関しても、もちろん局地的な盛り上がりはありますが、ポピュリスティックな熱狂を生み出すほどのトリガーにはなり得ないように思います。

中北 おっしゃるように、LGBTの差別解消やジェンダー平等の問題は、基本的には多くの人が賛成しているけれども、関心のウェイトが相対的に低いのです。何を争点にして選挙で投票したのかを問う世論調査でも、ジェンダー問題はかなり下位にあります。

 世論の関心がもう少し高い争点で火を点けることができれば、また違った展開になるのでしょうが、現在のところ有権者の関心が高い経済や外交・安全保障などの争点は、自民党がおおむね優位を占めていて、それを乗り越える政党がないという状況が続いているのだと思います。

(終)

中北浩爾/中央大学法学部教授

なかきた こうじ:1968年三重県生まれ、大分県育ち。91年東京大学法学部卒業。95年同大大学院法学政治学研究科博士課程中途退学。博士(法学)。立教大学教授、一橋大学教授などを経て、2023年より現職。著書に『一九五五年体制の成立』『現代日本の政党デモクラシー』『自民党政治の変容』『自民党─「一強」の実像』『自公政権とは何か─「連立」にみる強さの正体』『日本共産党─「革命」を夢見た100年』など。

河野有理/法政大学法学部政治学科教授

こうの ゆうり:1979年東京都生まれ。2003年東京大学法学部卒業。08年同大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。首都大学東京教授、東京都立大学教授などを経て、21年より現職。著書に『明六雑誌の政治思想─阪谷素と「道理」の挑戦』『田口卯吉の夢』『偽史の政治学─新日本政治思想史』、編著に『近代日本政治思想史─荻生徂徠から網野善彦まで』、共著に『スナック研究序説─日本の夜の公共圏』など。

最新の記事はこちらから