京都で過ごした氷河期世代【森見登美彦】【中井治郎】

B!

『公研』2023年11月号「対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

とかくネガティブに語られがちな就職氷河期世代。

この世代を境に日本はどのように変わったのだろうか。

同時代の京都で暮らしたお二人に語っていただいた。

 

 

作家 森見登美彦

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文教大学国際学部国際観光学科専任講師 中井治郎

 

京都モラトリアム

中井 今回の「対話」は、編集部からの「ロスジェネ世代(就職氷河期世代)について語ってほしい」というリクエストを受けて実現した経緯があります。以前に『公研』でインタビューを受けたことがありました(『公研』2020年10月号)。僕が研究対象にしている京都のオーバーツーリズムなどの観光の話が主なテーマでしたが、インタビューは僕自身の長すぎる「京都モラトリアム」時代の話になっていったんですね。僕は就職せずに、大学に残って何となくダラダラと過ごしていた期間が長かったんです。その時期のエピソードが編集部の印象に残っていたようで、今回の依頼に繋がったわけです。

 そのときに生きていた心地を考えると、やはり京都という街とは切り離せないところがあります。森見さんは、京都を舞台にした小説を数多く書かれているし、同世代でもある。長く森見さんの作品を読んでいたファンとして、「対話」のお相手に希望させていただきました。

 今日は森見さん作品についてあれこれお伺いしながら、京都論、ロスジェネ論などについてもお話しできればと思っています。

森見 今回のお話をお引き受けしてからずっと考えていたのは、氷河期世代を代表してしゃべることはできないなということです。僕の場合は、何か非常に特殊な抜け道をたまたま運よく抜けて今に至った感じだから、あまり「氷河期世代です」という顔ができない。

中井 わかります。まさに僕もそうだったので。

森見 当時の東京の大学生は、社会の冷たい風が大学のなかにまで吹き込んでいて、もっとヒリヒリしていたのだと思う。だけど僕が人一倍鈍感だったんでしょうが、そういう社会の変化にはあまり実感がなかった。大学生の頃はいつも寄る辺なさを感じていたけど、それは自分の責任で起こっているものだと考えていました。これからどうしていけばいいのかわからないから不安なのであって、社会の状況とは無関係だと思っていたんです。

中井 僕は就職活動に関しては、始める前に断念したところがありました。大学で就職セミナーが開かれたことがあったのですが、面接でのお辞儀の角度まで厳しく指導されていたんですね。それを見てすぐに、「自分はここでは生き残っていけない」と尻込みしてしまったんです。就職氷河期の就活は体育会系でしたからね。一方で、当時、大学院生の定員を増やす政策が進められていたこともあって、「ここにいてもいい」と言ってくれたのが、大学の世界だけだったんです。

森見 わかります。僕も他に居場所もなかったから。

中井 だから、研究者をめざして大学院に進んだわけじゃなかった。僕が森見さんのデビュー作『太陽の塔』(2003年)を読んだのも大学院の頃でした。でも、まさかそのあと自分のモラトリアムが20年ぐらい続くことになるとは思ってもみませんでしたが……。

 僕は大学院生になると、大津のキャンパスにあった学生や院生が中心となって発行する大学の機関誌の編集部に出入りするようになりました。そして、気づいたらそのあと10年ぐらいずっとその編集室のソファに寝転んでいる人になってしまいました。森見さんの小説『四畳半神話大系』(2005年)や『夜は短し歩けよ乙女』(2006年)に出てくる、大学8回生の「樋口先輩」のような存在ですね。後輩から「本当に樋口先輩みたいな人がいるんですね……」なんて言われたこともありました(笑)。

森見 実際に目の前にいるわけですもんね。

 

京都にはまだ理想の大学生活があった?

中井 よく「中井さんって、一体いつからここにいるんですか?」と聞かれたりしました(笑)。ある時期以降になると、森見さんの作品を読んで大学生活に憧れを持って進学してくる学生が出てくるようになるんですよ。

 今回もこの対話の企画があるというので、知り合いの森見ファンの若い人たちに声をかけてみたのですが、なかには思いの丈がびっしりと綴られたPDFデータを送ってくれた学生もいました。その人自身は東京の大学生なので、京都で暮らすことはなかったのですが、だからこそ自分が送りたかった大学生活を森見さんの作品に見出しているようでした。東京で自分が送る大学生活とはちがう大学生活が京都にはあるのかもしれないというような。

森見 大学生活の理想として受け取ったわけですね。

中井 『四畳半神話大系』や『夜は短し歩けよ乙女』が出た頃は、ちょうど就職氷河期に重なっている時期でもあり、入学した途端に就職活動の話が始まるようになったり、大学生活が様変わりしていった頃でした。だからこそ、学生生活には本当はこうあってほしかったという理想を投影する人が多かったのだと思います。

 京都という街のイメージを形成した文学作品としては、川端康成の『古都』などを代表例として挙げることができますが、その後はめぼしい小説はあまり見当たりませんよね。だから僕は、森見さんの作品を読んだときには、京都という街をまったく違う角度から定義し直した作家が出てきたという印象を持ちました。

森見 確かに京都を舞台にしたフィクションは、数がそんなにないですよね。近代文学も少ない。『火曜サスペンス劇場』みたいに華道の家元が出てくるようなイメージが強くて、自分が学生生活を送っている日常としての京都は読んだことがなかった。だから大学生のゆるい感じの目線で見た京都というコンセプトはおもしろいのかな、とは考えていました。

 だけど、それを理想の学生生活と受け止められるのは個人的には複雑ですね。こうあるべきという学生像じゃない。お話としておもしろがってもらえるのはいいけど、憧れてもらっても困るなという気持ちはずっとありました。

 最初に書いた『太陽の塔』は、自分の暮らしている範囲を舞台にしてファンタジーを書いてみたいと思っただけで、特に「京都の大学生活」というものを意識していたわけではなかったんです。ただ、自分の過ごしたリアルな大学時代の経験も混じっていますし、自分の純粋な妄想、こうあってほしかったという願望なども全部混じっている。それを理想として受け止められたり、森見さんはああいう大学生活を送っていたのだと思われたりすると非常につらい(笑)。

 小説を書くような人間は、読者との関係ではそういうジレンマをずっと抱えると思うんです。実際は、僕の大学生活に近いものは『太陽の塔』だけですね。けれども、それがある程度評価されたので「こんなに喜んでくれるんだ」と思って、京都の大学生ものをだいぶ書きました。柳の下にドジョウがいっぱいいたわけです。

中井 『太陽の塔』はライフル部のノートがもとになっているそうですね。

森見 ライフル部のノートに、友だちを笑かすようなふざけた文章を書いていました。同じような文章で小説を書いてみようと思って、ああいう主人公をつくったんです。だから『太陽の塔』には当時、自分の体験したことや妄想していたことが盛り込まれています。当時僕が過ごしていた、何となく寄る辺ない、そんなに楽しいことばかりではない学生生活が書かれている。『太陽の塔』の京都は、何か寒そうなんですよね。

中井 確かにそういう印象があります。

森見 正直言って『太陽の塔』を書き終えてしまうと、もうネタがなかった。普通の大学生には別に事件もそんなにないし、活動的な大学生でもなかったから。だけど編集者は、「これは受ける。この戦略を続けていこう」と言ってくる。それで妄想をどんどん膨らませて、ファンタジー度を上げていったのが『四畳半神話大系』以降の過程でした。自分のリアルな私小説的な大学生小説からファンタジー度が上がっていくにつれて、売れ行きも上がっていったんです。

 『夜は短し歩けよ乙女』に至っては、完全に想像力でつくり上げた極彩色のテーマパークのような京都になっている。だから、本当にファンタジーなんですよ。

中井 確かにファンタジー度は上がっていきました。

森見 そう。そうしないと書き続けられなかった。でも実際に続けていると、何か新しい領域に入っていく感覚がありました。リアルじゃないといけないと考えていたのが、だんだん自由になっていく。次第に大学生の枠からも外れていって、『有頂天家族』シリーズなどの別の書き方にも発展していくことができた。

 でも、僕の妄想が激しくなったことで出てきた極彩色の部分を、読者の人たちが理想の大学生活と思ってしまうことにはやはり違和感がありました。

中井 でも学生たちが理想としたのは、極彩色の部分だけではなかったような気がします。世間の荒波や競争にさらされずに済む、アジールとしての京都ですね。京都の大学生活には、緩やかなコミュニティがあるように感じられたのかもしれません。モラトリアムではあるのだけど、孤独な登場人物があまり出てこない。常にコミュニティがあって、そこに自分がいることが許されている感覚がある。おそらく今の若い人たちからすると、そういう印象で森見さんの作品を受け止めているのではないかと思っています。

 京都の特色はお坊さんと学生と観光の街であるということです。学生もお坊さんも観光客も、何かを生産するためではなく何かを学ぶためにここにいるわけです。

 だから、自分がまだ何者でもない状態でいても許される。おそらく、他の街には学生がゆるくやっていても許される空気感がどんどんなくなってきているという感覚があるのではないかと思うんです。たとえば東京にもかつてはたくさん学生街があったはずですが、今はもう学生街という空気の場所はどんどん減っていますよね。

 

役に立たないことを一生懸命やっているやつは偉い

森見 そうですね。京都で大学生やっていると、大学の外と大学のなかと街とが連続している感じがありますね。京大の敷地の外に出たら都会があるのではなくて、吉田神社のほうや百万遍から鴨川ぐらいまでが何となく京大の範囲という感じで生活していました。

中井 街自体に「学生さんのやることやから大目に見てあげよう」という空気がありますよね。それに、自分が何者でなくても許されるという感覚もある気がしています。住んでいる人間からすれば、「学生やねんから、フラフラして当たり前やん」ぐらいしか考えていなかったりします。けれども、他の街ではそれは許されない感じになっているのかもしれない。東京の人たちから「京都はそういう空気があっていいですよね」と言われたりすることで、逆にそういう京都という街の本質に気づいたりすることもありました。

森見 でも、逆に社会に出るときにびっくりすることもありますよね。ハードルがすごく上がると言うか、何か落差が激しすぎるんです。大学から出るときに「えっ?」と思うのは、それまで重視されていた価値観がまったく役には立たないと知ることですよね。これは我々の周りだけかもしれないけど、役に立たないことを一生懸命やっているやつは偉いという感覚が何となくあったんです。「先輩、今年1年で4単位しか取らないんですか」みたいな事態になっていても、一生懸命に何かをやっているのであれば偉いと見なされた。

 もちろん、きちんと単位を取って就職の準備をして、いい会社に入ることをめざしている人もたくさんいます。けれども、ちょっとヘンな方向に迷い込んでいて、役に立たないことを頑張っている人たちのことも、それはそれで一目置かれるところがあった。

中井 なんか仙人みたいな。

森見 そうそう。そこには何か別の評価軸があったわけじゃないですか。でも大学の外に出ると、それは何の役にも立たない。僕はそういう人たちを小説のおもしろいキャラクターとして書けたから役に立ったけど、実際は大学の外に出るとその価値観はいきなりひっくり返ることになる。だから、あまり逆転した価値観の場所に適応しすぎて、後輩から尊敬の念を一身に集めたりしていると、いざ社会に出るときにびっくりすることになってしまう。

 

この国にはもはや仙人の居場所がなくなっている

中井 この国にはもはや仙人の居場所がないのかもしれません。しかし、人々はどこかに仙人がいてほしいと期待している。そこで、そういう仙人の幻想をどこに配置しようかとなったときに、京都が選ばれているような気がします。僕自身は大阪出身ですが、何かと京都に対してライバル心を持つ大阪の人間でもそう思っているところがありますね。この街にはもういなくなってしまったが、きっと京都になら……。そういう希望を、東京をはじめ日本社会が持っている気がします。

森見 東京は本当に息苦しくなっていますよね。僕がよくお会いする劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠さんも東京には仕事するために行って、劇団の拠点は京都に置いています。上田さんは「東京という街はテンションが高いから、たまに行って仕事してこちらに戻ってくると気持ちの切り替えができていい。京都に拠点があって、たまにテレビや舞台の仕事に東京に行くほうがいいんだ」という話をしていたことがありました。

 本人の資質にもよるのでしょうが、僕もそう思いますね。僕も一時期東京にいましたが、やはりこっちにいるほうがいいですね。今はもっとゆるい奈良に住んでいます。

中井 東京の人たちは本当に「東京は息苦しい」と言いますね。僕は観光を通して京都を考える仕事をするようになってひしひしと感じるのが、東京の人たちの期待なんです。京都にはこうあってほしいみたいな。

森見 それはそれでヤバいですけどね(笑)。

中井 「東京はこうだけど、京都はこうなんでしょう?」みたいに、すがりつくような目で言われたりする。もちろんそれは、観光地としては大きな強みではあるんですが。

 森見さんの作品を読んでいる若い読者にとっては、世のなかにこういう街があると思えるだけでも気持ちが楽になるのだと思います。そういう意味では、京都のことを考えていると、いつのまにか東京のことを考えていたりするし、その逆もあります。多くの人々が東京では失われたものを京都に投影してきたという構図があるんじゃないかなと思っています。

森見 東京は最新の街であり続けるために、どんどん変わらなければならないので、それが何かしんどい。

中井 京都には変わらないものがあるはずだという東京の人たちの期待もありますね。

 

 

奈良を舞台にした小説は書きにくい?

森見 京都だって変わっているのだけど、そのスパンやサイズが東京とは違いますよね。京都だったら、もうちょっと時間軸を長くとっている。僕はいま奈良に住んでいますが、奈良までいっちゃうとのんびりし過ぎるんですけどね。

中井 確かに奈良はそうですよね。

森見 奈良は全盛期が古代にいっちゃうから、時間軸が大きすぎて手に負えない。

中井 奈良の歴史は、観光商品に落とし込むのが難しいとされているんですよ。

森見 難しいでしょうね。それはもしかすると、奈良の小説が書きにくいことと関係しているかもしれないですね。

中井 そうかもしれないですね。よその人にもすぐにわかるような奈良らしさを出すのはすごく難しい。

森見 すぐ鹿になっちゃう。

中井 そうそう。ちょっとズレると、京都のイメージに乗っ取られちゃって、京都との差別化ができない。実際は、奈良のほうが京都より古い都ですからね。だから日本のルーツは奈良にあるのだけど、何かわかりやすい商品としてアピールするときにはすごく難しくなる。

森見 そうなんですよ。僕も京都はもう散々書いたから、奈良の小説を書きたいわけですが、奈良はすごく書きにくいんです。

中井 『ペンギン・ハイウェイ』は奈良の生駒市が舞台になっていますが、あれは歴史という感じではないですもんね。

森見 あれは別に奈良じゃなくてもいいわけです。郊外だったら別にどこでも成り立つ話です。奈良を書くにはどうしたらいいのか未だにわからないですね。

中井 歴史的に正確な奈良を出してみても、なかなか商品にはならないところがありますね。現代の日本人が持っているイメージの断片と連続性をキープしながら、奈良のファンタジーを創るのは難しいのでしょうね。しかも、京都ではなくて奈良だなとみんなに納得させるとなるとたいへんですね。

森見 京都は大きな都市なので、よそからいろいろな人がやってきますよね。それこそ学生もいれば仕事で赴任する人もいて、暮らしながらまた出ていったりする、人の出入りがある都市です。けれども、奈良はそういう人たちの層が薄い。地元の人と観光の人しかいないので、小説もすごく書きにくくなる気がする。

 僕が京都を舞台に小説を書けたのは、学生のように京都で日常を暮らしているが、地元の人間ではない人たちの存在が許されていたからだと思うんです。それは小説を書く人間としては、とても都合のよいことでした。そうじゃなければ、京都生まれの京都育ちの人でなければ、京都を書けないことになる。

中井 それはガチガチの、老舗の伝統の小説になるわけですね。

森見 その世界が本当に好きで、知りたいと思っている人でなければ入っていきづらいですよね。

中井 京都には人の流れがあることも特徴ですね。

森見 よそ者がしばらくいるみたいなね。

中井 観光客にしても学生にしても、いつかはこの場所を離れるという約束のうえで受け入れてもらっているところがありますよね。学生がなにかと大目に見てもらえるのも、「どうせすぐ出て行かはるし」みたいなところがある。

森見 ずっと京都に暮らしている人たちの層、数年間だけ京都にいる学生たちの層などがいろいろ重なっていて、所々でそれが交じったりしながら、ミルフィーユ的なフワッとした膨らみがあるのが京都のすごくいいところですよね。

 だから、僕が書いた小説も学生視点の京都として許されたのだと思います。観光客よりはちょっと深いけど、京都の地元で生まれ育った人よりは浅いという世界ですね。それこそ学生たちがおもしろがってくれたのは、そこまで濃密ではない京都なのだと思う。自分たちの目線や日常と地続きの京都が読みやすかったのかなと、今になってみると思います。

 

日常の延長上に非日常がある

中井 森見さんの作品の舞台は、本当にずっと京都ですね。

森見 他は書けないからですね。

中井 学生の街であることや京都の特性にこだわったというより、たまたま自分の知っている街だったから京都が舞台になっている感じなのですか?

森見 僕は、自分の日常の延長にある世界しか書けないんですね。他の街を舞台にするにしても、自分がよく行った旅先、住んでいたことのある東京、そして奈良ぐらいしかない。奈良は書くのがむずかしいとなると、京都でいいかなと。結局、京都は一番自由度が高いと思うんです。どんな人が現れても、不思議なことを起こしても、京都はリアルに感じられるところがありますよね。何か日常の延長上に非日常があるように感じられるんです。

 奈良で不思議なことを起こすと、古代を連想するのかとても遠くに感じられてしまう。非日常への距離が遠いのかな。奈良はスケールが大きすぎて、小説を書くときにはそれが非常に厄介です。東京だったら、僕の書くようなものは「リアリティがない」と言われてしまうでしょうし。

中井 興味深いですね。作中には京都のディティールが詳細に書かれていますが、あれはよその人が読んでも伝わるように計算されて書かれているのですか?

森見 いやいや、適当ですよ(笑)。単に自分がそのとき書けるものを書いているという感覚です。でも、別にそれでいいわけですよ。たとえば、東京の人が京都の地名がわからなくても、そこには固有名詞としての力があるわけじゃないですか。自分で書くときに実感を持って書けるので、自分にとってそれはすごく大事ですよね。

中井 僕はよそから来た森見さんのファンに何度か「聖地巡礼」の案内をしたことがあるんです。出町柳のラーメン屋さんとか、いろいろありましたからね。そのディティールのおかげで訪れるべき聖地の場所が実際にわかる。

森見 ときどき妄想で書いているのに、「あそこがモデルですよね」と言われることもあります。

中井 すごい(笑)。妄想が現実を追いかけてくる。

森見 自分も大学生のときに司馬遼太郎を読んで、坂本龍馬のゆかりの場所に行ったりしたことがありますから、聖地巡礼をしたくなる気持ちはよくわかるんです。ただ、リアルに書いてあるところもあれば、思いつきで適当に書いているところもありますね。

 

妄想力のスイッチが入るスポット

中井 東京でそれをやろうとすると、難しそうな気がしますね。東京の街を詳しく描写しながら、途中に自分だけの妄想を入れると、東京を知っている読者はそこでひっかかりそう。

森見 東京でもそれができるところはおそらくあるんですよ。有楽町とか、自分が住んでいた千駄木のあたりなんかは結構融通が利くと思っています。東京でも若干レトロなカオス感があるところは、超現実な要素や噓を入れてもまだかろうじてスルーされるのだと思います。そういう領域は、東京にも所々残っているんですよ。それらを見つけて拾って繋いで書くことは、一度やりましたけどね。

中井 なるほど。東京だとそういう場所になるわけですね。まだレトロ感が残っている地域がある。

森見 まだらに残っている感じです。

中井 浅草あたりはどうですか?

森見 浅草はあまり知らないのでわからないですね。僕の個人的な好みでしょうが、有楽町界隈には想像力が刺激されるパワーを感じました。

中井 確かに有楽町界隈はすごく綺麗に開発されていますが、すごく古い建築物がポンと残っていたりする。

森見 ガード下とかね。

中井 確かにレンガ造りのガードが残っていますね。唐突に昔のものがボンと目の前に現れるみたいな感覚が、有楽町にはあるかもしれないですね。

森見 神保町の裏のほうや小石川あたりにも、何か嘘の世界に繋がっていると思わせる場所があります。僕の個人的な妄想のスイッチが入りやすい場所ですね。

中井 それは歴史的な重層性が垣間見える場所だったりするわけですか。

森見 うーん、そうなのかなぁ。

中井 いま生きている時間軸とは違う顔がひょっと見えるときにスイッチが入る感じですか?

森見 それも大事だし、日常の延長上にグッと出てくるのがワクワクします。

中井 そうすると旅先より、普通にコンビニの帰りに突然ヘンなものを見るとか、そういう感じですか?

森見 そうそう。そういう普段よく通過しているところにヘンな切れ目が入るときに、グッと惹きつけられるものを見つけることがあります。

中井 日常のディティールを丁寧に描き込むほど、その裂け目が鮮やかに見えることもありそうですね。

森見 そうそう。だから僕は、観光は苦手なタイプです。観光するにしても、何回も同じところに行きたいですね。馴染んできたときに、ようやく妄想力のスイッチが入る。最初はすべてが新鮮なので、それだけでは取っ掛かりがない感じがするんですが、何回も訪ねて馴染みになってくると、急に「ここにこんなところがあったんだ!」とおもしろくなる。その場所が日常になってきたら、ようやく小説が書けそうな気になりますね。

中井 ファンタジー小説であっても、大事なのは日常のディティールの厚みや親近感なのですね。

森見 結局、僕は保守的なところがあって日常が好きなんです。散歩するにしても、わざわざ遠くまで行って新しい発見をするような好奇心はあまりない。いつもの散歩道を歩いていて、今まで行ったことのない横道を入ってみたら、急に野原が現れたりすると、急に「書きたい」という気持ちになる。

中井 よくわかりますね。僕が観光を研究することになったきっかけは、自分がバックパッカーだったことにあります。時間が許すと、リュックサックを背負ってアジアを旅していて、この9月もネパールに行っていました。バックパッカーたちは、旅先であえて日常生活を続ける人も多いんです。

森見 どういうことでしょうか?

中井 一生懸命あちこち移動して観光地を熱心に観て回るより、安い宿に滞在して、そこでしばらく暮らすことをメインにしたり。そうすると自分のルーティンができてくる。いつものカフェでお茶を飲んで、いつもの売店で買い物をする。それを終えると「今日はもうやることがないから宿でダラダラするか」みたいな。

森見 どうせするなら、そういう旅行がいいですね。

中井 それなら京都にいても一緒じゃないかという話ですが(笑)、オルタナティブな日常を楽しみにわざわざ出かけていくんです。いつもの日常のダラダラを、まったく関係のない異国でやるわけです。よくバックパッカーのあいだでは、「2週間経ってからが本番だ」と言われるんです。同じ街の同じ宿にいて、同じようなご飯を食べていると次第に飽きてきます。それが2週間経つ頃になると、「何かおもしろいところはないか」とか「どう遊ぶか」と工夫し始めるようになる。

 そうするとだんだんと周囲への解像度が上がってきます。近所のお店の人とも知り合いになるし、それまで目につかなかったことが入ってくるようになる。そういうのが楽しい。

森見 それは僕の求める旅行なのかもしれませんね。スーッと行って帰ってくるだけなら思い入れが持てないし、日常にはなってくれないけど、長く滞在すると日常が現れてくることもあり得る。

中井 バックパッカーたちにとっては飽きることが本当の目的なのかもしれませんね。そういう意味では、バックパッカーの旅はプチモラトリアムを味わいに行くと言えるかもしれません。学生時代の何もやることのない無為な日々を数週間だけ味わいに行くような感覚ですね。

森見 それはおもしろいですね。僕は観察眼がないので、実際にそこにいて同じことを繰り返していないと、おもしろいものを見つけられない。気づけないんです。飽きるぐらいにそこにいるのは、よくわかりますね。

 日本でもローカル線に乗ってどこかの駅で降りて、次の電車が来るまでの1時間ぐらい時間をつぶしていたりすると、そういう感じを味わえることがありますよね。駅の裏手に無意味に行ってみたりするのは、楽しかったりします。京都は、学生として日常を暮らすのはいいけど、今日中に清水寺や銀閣寺をまわらなければならないとなると「もういいよ」ってなりますね。

中井 わかります。それはしんどいです。

 

なぜ森見作品にはSNSが出てこないのか?

中井 今回、読み返して気づいたんですが、森見さんの作品にはインターネットやSNSがほとんど出てこないですよね。

 森見さんは、押井守がとても好きだったとお聞きします。彼は、新しいテクノロジーが社会をどう変えるのかというテーマを持っていた人でもあります。サイバーパンク的なアプローチですね。そこは意外な感じもします。

森見 僕は、押井さんのサイバーパンク的な側面はまったくわからないです(笑)。

中井 やはり『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』あたりですか。

森見 そうですね。僕が好きなのは、押井さんの描いていた、日常に入ってくる神秘的なものですよ。『ビューティフル・ドリーマー』は学園祭の準備をしている日常のなかに、同じ一日が繰り返し始めるという神秘が急に起こってくる設定にググッときたんです。『機動警察パトレイバー the Movie』もそうですね。ちょっと神秘的な事件が、東京の日常生活のなかに侵入してくる。

中井 確かにパトレイバーを出動させる特車二課の面々の公務員然とした感じも、まさに日常ですね。

森見 押井さんのそういう側面が好きだったので、あまり社会的な視点や未来予測みたいな部分に惹かれていたわけではないんです。まあおもしろく観てはいましたけどね。

中井 今の日常の生活を描こうとすると、スマホやSNSは当然出てくるのだと思いますが、あえて登場させないのですか?

森見 そうですね。本当は出したくないのだけど、最早出てこないことが不自然ですよね。だから、ないことができるだけ気にならないように書いています。でも何を書いても僕の文章は古臭いところがある。現代のエンタメ系のニュートラルな文章ではないので。もう少しニュートラルな文体だったら、ネットを入れてもすんなり馴染むのでしょうけど。

中井 文体として馴染まない。

森見 当然、自分はLINEもしているし、編集者に原稿を送るときもメールを使っているんですけどね。けれども、作品ではメールやLINEでどうこうみたいな文章を書きたくない。感覚的な話ですが、たぶんそこに尽きると思うんです。

 今は「ヴィクトリア朝京都」という架空の京都を舞台に小説を書いています。ホームズが寺町通に事務所を構え、ホームズがスランプに陥るという話だから、メールやネットはまったく関係のない世界なので(笑)。

中井 舞台は19世紀末の京都ですか?

森見 いや何も考えてないです。単に「ヴィクトリア朝京都」と言ったもん勝ちみたいな(笑)。確かにネットやSNSの存在は日常になっていますから、それらをどう扱うかは悩ましいところです。どう書いても白々しくなっちゃいそうな感じがするなぁ。

中井 今の学生の話を聞いていると、人間関係が本当にSNSありきになっています。そこで友だちができたり、そこでの人間関係の機微みたいなものが、僕らには見えないところでいっぱいあったりする。

森見 完全にそんなの書けない(笑)。『太陽の塔』や『四畳半神話大系』は20年前の作品だし、そもそも書いているときも現代の大学生を書こうとはしていなかった。

中井 だからこそ20年経っても学生が読んでいるのかもしれないですね。僕もその時代の京都を知っていますが、発表当時に読んでも「今」という感じではなかった気がします。

森見 そうそう。僕は父親が京大生だったから、漠然といろいろな話を聞いていました。だからより古臭い京大生のイメージが投影されていると思うし、あえて文章も古めかしくして「今どきこんな大学生いるかよ」といったギャグにもなっている。そこを出発点にしていますから、そこはもう出発点からして古いんです。

中井 同時代的なものではなかったので、逆に古びないところはあったりするでしょうね。

 

 

京都における鴨川の存在感

森見 そこは自分で言うのもなんだけど、得なところでした。京都の大学生であることを言い訳にして、大学生の生活をだいぶ古臭く書いたわけです。そうすると、賞味期限がちょっと長くなる。しかも京都は風景、場所が変わらないですよね。最先端の場所を小説に書くと、20年経ったらそこ自体がなくなっているかもしれない。

 京都は通りの名前もそのままだし、鴨川や神社などもみんなそこにあります。発表してから時間が経っても、小説を読んだときに現時点の京都とそこまで変わらずに読める。それは意識していなかったけど、確かにありがたいことです。

中井 だいたい残っていますもんね。

森見 そうなんです。鴨川がなくなったりしたら、たいへんなことです(笑)。

中井 鴨川の存在感は、森見さんの作品によってグッと上がりましたよね。京都に住んでいる人間からすると、「とりあえず鴨川行って飲み直そうか」という感じの無料の三次会会場みたいなところだし、等間隔にカップルが並ぶことが有名になっているようにカップルが語らう場所でもある。そういう鴨川の魅力を他の街の人からもう一度掘り起こされた感じがします。「鴨川デルタ(鴨川と高野川が合流する地点)を案内してほしい」と言われることが増えました。

森見 僕自身は、学部生の頃は北白川の山のうえに住んでいたから、鴨川まではだいぶ遠かったのであまり行く機会はなかったんです。それが大学院に入ったときに鴨川の西側に引っ越してからは身近になりました。『太陽の塔』でデビューした頃ですね。毎日、自転車で鴨川を渡って大学に通っていて、だんだん鴨川が好きになってきた。それで『四畳半神話大系』では鴨川を出したんです。

中井 京都で暮らすときに、鴨川の存在は大きいですよね。東京をはじめ他の都市ではなかなか鴨川に相応する川は見当たりません。京都にしかあり得ないものは神社仏閣などだけではなく、鴨川かもしれないとも思います。都市の繁華なエリアに流れているし、生活との距離も近い。それにタダで飲んでいても誰も文句を言わない(笑)。

 ただ、僕は鴨川の掃除をしている団体の方と話をしたことがありますが、「鴨川の掃除だけでいくらかかっていると思ってますの」と釘を刺されました(笑)。みんながのんびり遊べる空間を維持するために実はたいへんな労力とお金がかかっていて、「そういう努力もちゃんと汲み上げてください」と言われました。そんなふうに身銭を切ってでも鴨川を綺麗に保つのは、京都の人たちの心意気なのでしょう。

 京都がモラトリアムが許される場所なのだとすると、鴨川は象徴的な場所だなとも思います。川は昔から統治権力の及ばない無縁の地とすることが伝統としてあるといいますしね。

 鴨川の流れは変わりませんが、最近の京都の変化について森見さんから見て何か思うところはありますか。

 

カラフルになった錦市場をどう考える?

森見 自分が変わったのかもしれないから、その変化はいまいちよくわからないなと思っているんです。

中井 自分の感じるところや目をつけるところも変わってきますよね。

森見 よく思うけど、いま大学の周りに久しぶりに行ってみたとしても、やはり学生の頃に感じていた奥行きとは違うんですよね。狭い範囲にいたのに、学生の頃はすごく広く感じられていました。それが今はそこまでの広さを感じられない。

 それは自分の妄想力が衰えたからかもしれないし、逆に学生の頃は何も知らないから、いろいろ妄想できたのかもしれない。だから街が変わったのか、自分の感じ方が変わったのかを区別して考えるのは難しいなと思います。

中井 なるほど。

森見 さすがに20年も経っているから、街自体も変わっていますよね。僕らが学生になったばかりの頃は、錦市場はもっと「市場」っていう感じがした。ちなみに、うちの父親は学生の頃にあそこの八百屋でバイトしていたそうです。

中井 確かに錦市場は近所のおばちゃんたちが買い物に来るところでしたよね。

森見 地元の京都の人が買いに来ていて、観光客相手のお店の割合が明らかに少なかった。もっと古い市場の感じ、昭和の感じというかね。

中井 売っているものがもっと茶色っぽかった。

森見 そうそうそう(笑)。そんなにカラフルなものは売っていなかった。年末になったら棒鱈なんかを売っているところで、観光資源という感じではなかった。でも同じように、京都の街全体が綺麗になっていて、何か怪しいものが少なくなってきた気はします。

中井 立ち止まって、これは何だろうと考えるポイントは減っているのかもしれない。

森見 まぁ僕などは部外者なわけなので、街にいつまでも怪しい場所があってほしいと願うのは、勝手な話じゃないですか。住んでいる人たちは、新しくしていきたいと考えているかもしれないし、そこは軽々しく言えることではない。

中井 そうした京都の変化は作品に反映されていると感じますか?

森見 結局、日常が大事なので、何を日常とするかによって変わるのだと思います。今の錦市場を日常と思えるのかと言えば、それはちょっと違うかなと感じています。別にしょっちゅう買い物をしていたわけではないんです。たまにウナギの肝なんかを買って食っていただけで、そんなに錦を活用していたわけではない。けれども、錦市場は自分の日常の外側に京都の人たちの日常の生活があることを実感できる場所でした。それが観光地的なものに置き換えられていった気がします。自分の妄想が湧き出してくる場所ではなくなってきている。

 観光客向けの今の錦と、棒鱈が売られていた昔の錦だったら、いきなり天狗が出てきたときのおもしろさや説得力はまったく違う気がします。観光という非日常のなかに非日常が出てきても、それを支えきれないと思うんです。ただ、錦市場の変化はお客さんがあってのことだから仕方がない。

中井 それはそうですね。商売ですからね。

 

作家の妄想筋は日常が鍛える

森見 だから僕が言える立場ではないんですが、京都のお寺にしても街なみにしても、そこで暮らしている人たちの日常が支えているわけじゃないですか。そこが弱っていくと、京都の魅力も損なわれていく本末転倒なことになりかねないですよね。日常が別のものに少しずつ置き換わってくる怖さや不安はある。

中井 いま京都は人口流出数が全国の市区町村でもワースト1位なんですよね。観光という花にばかり栄養を与え過ぎて、それを支えている根っ子とも言える日常が弱っていると言えるのかもしれません。

森見 自分が小説を書いていても、妄想力が衰退するのは日常感が衰退することと裏腹だと実感するんです。

中井 妄想筋の足腰が弱ってきている。

森見 そうそう。妄想が受けていると思って妄想ばかりしていたら、日常の部分がなくなっていって、妄想そのものが枯れていく。

中井 今の森見さんは、妄想の下支えをする日常感をどうやって満たしているのでしょうか。創作や執筆が日常になってしまわれていると思うのですが……。

森見 だからすごくヤバいです。もう数年そう思っていますが、何もしていないです(笑)。正直だいぶ行き詰まっている。

中井 過去のインタビューを読んでいると、毎回「行き詰まっています」と言っていますよね(笑)。

 作家として独立される前は国立国会図書館に勤務されていましたが、日常は変化されましたか? 「作家の日常」は普通の社会人とはずいぶん違うように思えますが。

森見 最初はすごく不安でした。図書館を辞めるときは怖かったですね。退職する前に小石川に仕事場を借りておいて、図書館を退職した次の日からその仕事場に出勤して執筆していました。だから、空白期間がないんですよ。

中井 休憩しようとは考えなかった?

森見 あいだが空くのは不安でしたね。それにあのときは忙しすぎて、とても休憩できなかった。でも、その後に仕事を抱え過ぎてパンクして、連載をいったんすべて止めることになりました。巨大な非日常がバカンスみたいな感じでボーンときたんです。けれども何もできないバカンスでした。

 確かに小説家という職業は日常感が持ちにくいですよね。他の人との関わりが減ることは、他の人の日常との繋がりが減ることですから、良くないなと思います。

中井 作家は人と会わなくなるんですね。

森見 たくさん会う人もいるでしょうが、僕は奈良に住んでいるし、関西に知り合いがあまりいないんです。図書館勤務時代の同僚や編集者も東京にいますからね。毎月一回、京都の仕事場で大学の先輩と飲むのが一番長く人としゃべるときです。あとはほとんど妻としかしゃべらない。日常感という意味では物足りないかもしれません。

中井 社交というか社会生活が足りていない。

森見 そういう意味では、図書館に勤めていたときのほうが、日常感がありました。ただ、しんどかったからあの頃に戻りたいとは思わないんだけど(笑)。

中井 みんなでレンタルオフィスを借りて、机を並べて毎日出勤して執筆するシステムにしたらいいのではないか、という話をある作家から聞いたこともあります。

森見 なるほどね。だんだん会社みたいになってくる。

中井 9時に来て、小説を書いて5時に帰るみたいな(笑)。

森見 小説は勢いでは書けないから、本当にコツコツやらなければ仕上がらないんです。気が合う人同士だったらいいかもしれない。でも作家ばかりが集まっているのは、日常感としてはまだ物足りないな。一人でやるよりはマシかもしれないけど。

中井 森見さんにとって日常感はそれだけ重要なのですね。

 

団塊世代と団塊ジュニアの関係性

中井 最後に団塊世代と団塊ジュニアの関係性について少し考えてみたいと思います。お伺いしにくいところもありますが、森見さんのご両親は作家として生計を立てることを応援されていましたか?

森見 母親には励まされて、父親からは「そんなものを書いていたって食べていけないぞ」と反対されていましたね。典型的なサラリーマン家庭で、母親が専業主婦という感じだったから。

中井 うちも僕が「大学院に行く」と言ったら、父は困惑して、母は「次男やから好きなことしたらええ」みたいな感じでした。団塊世代と団塊ジュニアの話が食い違うポイントは、家族のあり方や仕事観など、ライフステージをめぐる話ですよね。「男は卒業したら就職するもんや。それで一家の大黒柱になるんや」みたいな昭和的な価値観が、僕たちの育った時代にはまだ色濃く残っていたわけです。

 ところが就職氷河期が到来して、それが難しい社会になった。別に僕たちの意識が変わったからそのような選択をしたというわけではなくて、否応なく就職できなかったり、結婚できなかったりした。それを期待していた親たちの願いを叶えられなかったという経験をしたのが、団塊ジュニアの世代だと言えるかもしれません。

森見 大人に辿り着いたときには、小さい頃にはあった明るい未来のイメージが蒸発して、風景がまったく変わっていて「あれれ?」みたいな感じはありました。

中井 確かにそうですね。一家の大黒柱ではない大人の自分を子どもの頃には想像していなかった。

森見 世代について考えるとよく思うのですが、どうしても自分、両親、祖父母の世代で日本を見てしまうところがあって、他が見えにくいとは感じています。祖父などは戦争で満州に行って負けて帰ってきた世代で、父親は大学闘争があった団塊の世代ですが、日本という国を何となくそのポイントで捉えてしまうところがある。

中井 飛び石的に見てしまうわけですね。

森見 そのあいだにもいろいろな人たちがいるのに、どうしても自分の身内を通して歴史を見てしまう。父の世代の「こうあらねばならぬ」という価値観に「いや、そうじゃない」と思いながらも完全には否定できない。

中井 就職氷河期と言われている世代の上は、新人類やバブル世代ですよね。でも、彼らから何か影響を受けたかと言えば、じつは団塊世代からの影響のほうが大きいかもしれません。やはり、親の影響は大きい。

森見 確かに少し上の世代のことは想像しにくいですね。彼らからバブルのときの断片的な話を聞いたとしても、その人たちがどう感じていたのかを理解するのはなかなか難しい。

中井 小さい頃からの刷り込みがあるから、世代としては離れていても父の世代のほうがよくわかる。

森見 そうですね。小説家はまともな仕事ではないのではないか、といったモヤモヤした気持ちがどこかにある。それは父親が反対していたからで、僕のなかでは未だに決着がつかないところがあります。

 

氷河期世代は団塊世代のいい息子やいい娘たち

中井 二葉亭四迷の時代は、小説家は不良の仕事だとされていましたが、それと似ていますね。

森見 父のなかでは小説というのは、夏目漱石とかトルストイのような大文学みたいな感じになっているんです。今では父も応援してくれていますが、自分のなかでは「父のそのイメージ」が強過ぎて……。

中井 なるほど。現実の父親とはもう和解できているんだけども、イメージとして自分の中に内面化された父親との和解が難しいわけですね。

森見 自分の仕事に対して何か父から言われたときにカチンとくる感じが、もはやその現実の父に腹を立てているのではなくて、その向こう側にいる幻想の父親と闘っている感じ。本来、自分は父のようにならなければならなかったのに、その期待をすべてよけて小説家になったという意識が抜けない。

 うちは、祖父も科学者で、父も工学部を出ていたから、「お前も理系に行け」と言われて育ちました。それで農学部に行って大学院にも進みました。「博士課程まで行くべきだ」と言われていたけど、まあ研究には向いていないと思って、国立国会図書館に就職したんです。そして今度はそれも辞めて、小説家専業になった。だから、父が言っていた方向とは、どんどん真逆へ行ったわけです。小説家として評価されるようになってからも、そのことにまだモヤモヤしている。

中井 我々と次の世代との違いを考えると、ジェンダー観が急速に変わっていることを実感します。下の世代と話しているともうすごくフラットに男女関係を考えていたりします。おそらく我々は、昭和の男女観の薫陶を受けた最後の世代になるかと思います。人生観にしても、一家の大黒柱たるべきといった価値観にまだ影響されている。

 僕自身も比較的リベラルな立場でジェンダーの本を書いている一方で、自分が結婚することになったときに一番何が気になったかと言えば、ずっとフラフラしていた僕よりも妻のほうがきちんと稼いでいた人だったということでした。もっと下の世代であれば、二人合わせて食っていけるならいいじゃん、とすんなり言えているかもしれません。自分にもこんな古風なところがあるのだと気づかされました。

森見 そういうところがありますね。

中井 普段はちゃらんぽらんに生きているつもりなのに、人生の節目になると幻想の父親が立ち上がってくる。

森見 自分はそこから逃げたはずなのに、ひどくこだわっている。

中井 だからそう考えると、氷河期世代は、割と団塊世代のいい息子やいい娘たちだったんじゃないかなと思うんです。親の言うことを割ときちんと聞いてきた。

森見 そうそう。

中井 だからこそ、不本意ながらも親から受け継いでしまった理想を実現することが難しい社会になったことで、我々の世代は息苦しくなっているところがありますね。

森見 僕たちの親世代が育った時代は、もっと社会がぐちゃぐちゃしていたから、いろいろな隙間があった。そこまで「家庭」というものが閉じていなかった。でも我々の世代になると、個々の家庭空間は何かすごくきつくて、親から植え付けられた理想像を振り払うのにかなり労力が要るように思う。

中井 我々の世代は、核家族のなかで囲い込まれるようにして育った人が多いですよね。そういう意味では、親とは違う生き方をしていても実は親の影響を強く受けている。

森見 僕も最初はそういうことをまったく思わなかったけど、結婚して妻の側の育ってきた家庭を知ると、うちとは違うのだなと実感します。そして、その違いが妻に影響を与えたこともよく見えてくる。翻って見ると、自分の家は自分の家でいびつなわけ。当然だと思っていたことが、そうでもないとわかってくる。父親と母親がよかれと思ってやっていても、どうしたってそれは偏りますよね。それは人間なのだから仕方がない。

 おそらくどこの家もそういうことが大きく子どもに影響している。だから、親の世代よりもずっと強く、我々はおそらく父親、母親の理想像を内面化しているのだと思います。

中井 これまで氷河期世代は不遇の世代として自分が生き残るだけで手一杯でした。しかし、そのように古い価値観を内面化したまま新しい時代を生きてきたという意味では、本当は日本社会のあり方が大きく変わるときに生まれた断絶を繋ぎとめる橋渡し役となるべき世代だったのかもしれませんね。それが私たちの最後の宿題かもしれません。

(終)

 

 

森見登美彦/

作家

もりみ とみひこ:1979年奈良県出身。京都大学大学院修士課程修了。在学中の2003年に『太陽の塔』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビュー。大学院修了後は国立国会図書館に勤務し、作家業を兼務する。10年から作家として独立。『夜は短し歩けよ乙女』で山本周五郎賞を受賞。『ペンギン・ハイウェイ』で日本SF大賞を受賞。ほかの著書に『四畳半神話大系』『有頂天家族』『美女と竹林』『太陽と乙女』『熱帯』など多数。

中井治郎/

文教大学国際学部国際観光学科専任講師

なかい じろう:1977年大阪府出身。龍谷大学大学院博士課程修了。龍谷大学非常勤講師等を経て、2023年4月より現職。専攻は観光社会学。宗教と観光、伝統の創造とナショナリズム・グローバル化等の研究を踏まえ、京都を中心に観光公害やオーバーツーリズム問題などを通して観光と地域社会の共生、地域文化や文化遺産の観光資源化などを研究。著書に『パンクする京都──オーバーツーリズムと戦う観光都市』『日本のふしぎな夫婦同姓−−社会学者、妻の姓を選ぶ』『観光は滅びない──99・9%減からの復活が京都からはじまる』など。

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