繰り返されるハマス・イスラエル衝突
報復の連鎖に潜むパレスチナ問題【池田明史】【阿部俊哉】【鈴木啓之】

B!

『公研』2023年11月号「緊急対話」 ※肩書き等は掲載時のものです。

 

10月7日、ハマスのイスラエル攻撃により始まった衝突は、

いまだ収束する気配を見せていない。

なぜハマスは大規模攻撃という決断に至ったのか。

報復の連鎖を断ち切ることはできないのだろうか。

 

池田氏×阿部氏×鈴木氏

 

東洋英和女学院大学学事顧問 池田明史

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東京大学先端科学技術研究センター客員研究員 阿部俊哉

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東京大学中東地域研究センター特任准教授 鈴木啓之

 

 

 

かつてない人道危機

阿部 10月7日、パレスチナのガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスが、イスラエルへの大規模攻撃を仕掛けたことで始まった戦いは、2週間以上が経った10月25日現在も収束する気配を見せていません。本日は「繰り返されるハマス・イスラエル衝突──報復の連鎖に潜むパレスチナ問題」というテーマについて、長年パレスチナに関わってきた一個人として考えを述べたいと思います。

 まず現状の確認ですが、今回の衝突はかつてないレベルに達していて、過去に起きた衝突の規模を完全に超えていることは間違いありません。現時点で、イスラエルの犠牲者が約1400人、人質が220人以上、そしてパレスチナでは5000人以上の方が亡くなり、前例のない規模の深刻な人道危機がすでに起きてしまっている状況です。

 ガザ地区北部の住民がイスラエルの退避勧告に従って一斉に南部へ移動することは、現実的に困難です。ガザ地区は非常に人口密度が高く約220万人の市民が住んでいますが、すでに彼らが住んでいたビルや民家の多くは破壊されています。避難先となる南部には彼らを収容できる住環境が整っていません。南部には2005年までイスラエルが入植していた場所がありますが、その入植地の跡地でも住環境は整っていないのです。

 すでに多くのインフラが破壊されている中で、特に深刻なのが、電力・食糧・水の不足、そして医療への影響です。医療施設はすでに処理能力を超えていて、薬品も不足しています。さらに住居の問題も深刻です。中東といえば乾燥して温暖なイメージがあるかもしれませんが、ガザは11月後半からは雨期に入り、雨天や、ひどいときには嵐が続くこともあります。また気温も一気に下がります。電気がないと普通の生活を送ることはできません。その一番厳しい季節に軍事侵攻が本格化した場合は、今後ますます深刻化するインフラの破壊や資材不足が影響して、人々の状況はさらに困窮すると思います。これが今のガザ地区の状況です。

鈴木 「過去に起きた衝突の規模を完全に超えている」という言葉に同意します。実際のところ、過去の事例から今後の展開を推測することがますます難しくなっていると感じます。

 かつて、2008年から09年、そして14年のガザ侵攻では、犠牲になったイスラエルの民間人は10人に満たない規模でした。ところが今回は、現時点で約1400人の方が亡くなっている。前代未聞の被害です。それに、イスラエル国内では、被害が一気に判明するのではなく徐々に明らかになったという点で、その衝撃はより大きかったのだと思います。最初の速報では犠牲者は40人ほどではないかと報道されていましたが、日を追うごとに徐々に被害が明らかになり、犠牲者の数は増え続け、現時点で約1400人に達してしまったというのがここ数週間の出来事でした。

 また、イスラエルからガザ地区に取られた人質の数も現時点で200人から250人といわれていて、これもかつて例にない規模です。2006年にギルアド・シャリートという若いイスラエル兵士が人質に取られたことがありますが、2011年、イスラエルはこの一人の人質を解放するために、イスラエルが拘束していたパレスチナの囚人を1000人規模で釈放しました。今回の場合、同じ規模での交渉はまず不可能なので、イスラエル側としては何を交換条件にすれば人質が解放されるのか、前例からの判断ができない状況です。人質の中には外国籍の人、薬が必要な高齢者、治療が必要な怪我人も含まれるといわれていて、時間が経てば経つほど命に危険が及ぶ方もいます。今までにない事態という意味で、この人質の存在も、今後の見通しを難しくしている要因の一つです。

 イスラエルは、2007年ごろからガザ地区に対して完全封鎖を行っていますが、完全封鎖下ではガザ地区から人が侵入してくることは想定しておらず、高度な迎撃システムで迫撃砲やロケット弾といった飛翔物に対してさえ対処していれば、ガザ地区は抑え込めるものだと考えていたはずです。

 また、2020年ごろから、アラブ諸国とイスラエルとの間でアブラハム合意をはじめとする関係正常化の動きが出てきましたが、そこにはガザ地区だけでなくパレスチナ問題そのものを取り扱わないという、ある意味問題に蓋をしてきた状況がありました。そのように何年にもわたり触れずにきた問題の蓋が、非常に暴力的なかたちで開いてしまったのが今回起きたことだと考えています。

 パレスチナに対するイスラエルの今後の対応について、イスラエルのガラント国防大臣は「ガザ地区に対するイスラエルの責任を果たさないかたちにしたい」と発言しています。この発言の意図はまだ不明なところはありますが、ガザ地区に対して封鎖ではない新たなかたちでの対応がなされる可能性があると推測され、先行きに非常に不安を与えるものだと指摘されています。

 私は今まで、ガザ地区に対するイスラエルの包囲・空爆について、2008年から09年、14年の出来事と比較していましたが、今の状況は1982年のベイルート(レバノンの首都)侵攻と、ベイルートに対する包囲戦に近いのではないかと考え始め、将来の見通しを見直さなければと考えているところです。このときイスラエルは、ベイルートとレバノン南部を拠点としていたPLO(パレスチナ解放機構)に対し、地上部隊を含む実力行使に出てベイルートを包囲した上で、PLOの主力部隊を国外に追放しました。その後、イスラエルは南レバノンに、レバノン人から構成される南レバノン軍という傀儡組織を展開させ、緩衝地帯をつくりました。もしかすると、その規模での変化がガザ地区を舞台にして起きるかもしれないと危惧し始めているところです。

 いずれにしても、今のイスラエルは、地上侵攻の準備が整っている状態だと言えます。部隊の展開状況、兵器の配備状況に加え、戦時内閣の形成という意思決定の枠組み、さらに国際社会に対しては、ガザ地区北部の住民に対して避難勧告を何度も行っていること。また、レバノンとの国境地帯であるイスラエル北部の住民に対して退去を通告することで、レバノンからの飛翔物による被害を最小限にとどめる準備もすでに整っています。

 それにもかかわらず現時点でまだ地上侵攻を行っていないのは、おそらく人質交渉が若干の動きを見せていること、また外国籍の人質がいるために、外国政府、特に欧米諸国からの働きかけがあることで、政策的な判断が滞っているのではないかと考えています。ただ、イスラエルは約1400人の犠牲者に釣り合うだけの成果が得られていない状況の中、国内世論を考えると地上侵攻をやめるという判断は考えにくく、この先もガザ地区に対しての厳しい軍事行動は続くのだろうと見ています。

 

なぜ攻撃の兆候をつかめなかったのか

池田 私もお二人同様、今回の事態はこれまでの衝突とはスケール感が全く違うと思います。イスラエルはこれまでに何度もハマスからのロケット弾、ミサイル攻撃を受けていて、そのたびに報復をしてきましたが、ハマスの攻撃の数はせいぜい数十発~百発程度でした。イスラエルにとってのハマス対応は、数年に一度草刈りをするような、その程度の認識だったと思います。

 では、以前から諜報能力に長けているといわれていたイスラエルが、なぜこのような大規模攻撃の兆候をつかめなかったのか。情報というのは、収集・分析・評価の三つがきちんと実行されることで初めて意味を持ちます。今回のイスラエルは、おそらくハマスの攻撃を示唆するような状況証拠は収集できていたのだとは思いますが、それを正しく分析・評価することができなかった。それはイスラエルが、次に起こり得る大きな衝突は、レバノンのヒズボラやシリアに展開しているイラン系の革命防衛隊などとの間で、北方で起こると考えて、警戒を北に向けていたからです。その分ハマスに対しての注意がおろそかになり、今回のような事態に陥ったということだと思います。

 イスラエルにはこれまでに経験したことのない被害が出ていて、国際世論が何と言おうと今ハマスを壊滅・排除するのだという強い言葉遣いで、徹底的にハマスを攻撃する姿勢を見せています。しかし、ハマスというのは組織であると同時にイデオロギーでもあります。イデオロギーを壊滅させることは不可能ですから、ハマスを壊滅させるという言葉の意味は、実質的にはハマスの軍事的なインフラを壊滅させるという意味になります。

 鈴木先生と同じく、私も過去に類例を求めようとすれば1982年のレバノン戦争(当時のイスラエル側呼称では「ガリリー平和作戦」)に行き当たるのではないかと思います。動員の規模や投入戦力の大きさは、過去のガザ地区での戦闘の比ではありません。レバノン戦争ではやはり激しい空爆が行われ、ベイルートを包囲した後に突入して、PLOを相手に白兵戦を展開しました。このときには、作戦期間が6月から8月まで丸々3カ月続きました。

 イスラエル国防軍は、比較的少数の徴兵からなる常備軍に比して、数倍の兵力を擁する予備役が主力を構成しています。一旦緩急あれば、急速かつ大量に動員されるこれら予備役が戦場に投入されるまでの、いわば時間稼ぎが常備軍の役割です。同時に、男子だと21歳から50歳ないし兵種によっては55歳まで、女子でも21歳から結婚除隊までの間、予備役に編入されているわけですから、彼ら彼女らはイスラエルの生産年齢人口そのものです。これを長期にわたって戦場に張り付けておくことは、イスラエルの経済や社会が機能不全に陥ることを意味します。

 したがって、イスラエルの軍事ドクトリン(戦闘教義)の第一は「短期決戦主義」ということになります。大兵力を投入しての初動打撃の局面は、レバノン戦争と同様の3カ月ぐらいが限界ではないかと考えられます。その後は、予備役のかなりの部分が動員解除・復員となって、残りの戦力でガザ地区に残るハマスの抵抗スポットを潰していくという展開になるでしょう。

 もっとも、レバノン戦争と類比できるといっても、同じではありません。レバノン戦争当時は、イスラエルにはベイルート内外にキリスト教マロン派民兵(「ファランジスト」)という「友軍」が存在しており、これと共同してPLOを追い詰めたという経緯がありました。今回のガザ地区にはそのようなイスラエルと親和的な勢力はありません。また、PLOは国外からレバノンに入り込んだ武装集団でしたが、ハマスはガザ地区で生まれ育った運動体で、地付きの勢力という強みがあります。彼らを排除するといっても、PLOを退去させたようにはいかないでしょう。レバノン戦争の後は南レバノン軍という傀儡部隊を創出すると同時に、イスラエルは1985年から2000年まで自分たちの軍隊をレバノン南部に展開させて、イスラエル領との間に緩衝帯を構築していました。ガザ地区でそのような方策を採るとは思えません。

 さらに、問題を複雑にしているのが人質の存在です。ハマスの軍事的なインフラの中で最も根幹的なものは地下トンネルのネットワークですが、人質もここに引っ張り込まれているだろうと推測されます。しかし、今回の攻撃に使用されたたくさんのロケット弾やミサイルもトンネルに備蓄されていたものなので、ハマスの軍事的なインフラを壊滅させるというのは、基本的にはこのトンネルのネットワークを潰すという意味になります。

 そのための作戦はこれから展開されると思いますが、トンネルのような環境で戦をすると、より有利なのは迎撃するハマス側となります。自分たちがつくったネットワークですし、侵入してきたイスラエル兵を個別に狙い撃ちすることができるので、イスラエルがどのような作戦で臨むのかが今の大きな焦点になっていると思います。

 

 

ハマスが今回の決断に至った背景は?

阿部 そもそも、なぜハマスは今回の決断に至ったのか。その背景には外的な要因と内的な要因の二つがあると思います。外的な要因としては、先ほど鈴木先生の発言にもありましたが、近年はこの一件が始まる前まで、パレスチナ問題に対する国際的な関心が低下して、すでに忘れ去られた問題と化しているような状況だったことが挙げられます。

 この問題を複雑にしたのが、トランプ政権が主導した2020年のアブラハム合意です。その際にパレスチナ問題は手付かずのまま、アラブ諸国とイスラエルとの国交正常化だけが進められたため、今まで前提とされてきた「パレスチナ問題を解決した上でアラブ諸国がイスラエルとの国交を正常化する」という順序が逆転してしまいました。

 中東で大きな影響力を持つサウジアラビアは、2002年に「イスラエルとの国交正常化にはパレスチナ問題の解決が前提」という提案をしています。これは「アラブイニシアティヴ」と呼ばれます。しかしバイデン政権主導のもとで、そのサウジアラビア自身が、パレスチナ問題の解決を待たずにイスラエルと国交正常化する動きを今年に入ってから本格的に見せ始めました。そのサウジアラビアの動きに対しては、ハマスだけでなくパレスチナ自治政府も不満を高めていたというのが最近の状況でした。バイデン大統領としては、来年の大統領選に向けて新たな成果を残したいという思惑があったと思いますが、結果としてそれがハマスによる攻撃の口実になってしまいました。

 今年は、オスロ合意をきっかけにクリントン政権が和平交渉を仲介し始めてから30年になりますが、特にトランプ政権の発足以降、アメリカのイスラエル寄りの姿勢は鮮明です。

 一方で内的な要因としては、ガザ地区を実効支配するハマスへの支持に低下が見られたことです。7月下旬には、ハマスに対する大規模抗議デモがガザ地区で起きています。これは今まではなかったことです。パレスチナの世論調査では、ハマスの最高指導者のイスマイル・ハニヤ氏への支持は、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバース大統領よりも高いという見方もありますが、ガザ地区の中でデモが起きる程度にハマスの支持が低下していたことが内的な要因です。

 また、今回の攻撃の直接的なきっかけではありませんが、この問題の真相を把握する上で理解しておくべき背景が二つあると思います。一つ目は、ガザ地区の経済状況です。失業率は45%を超え、就労人口の約半分に職がないという深刻な状況です。特に15歳から29歳までの若者に限ると、失業率は60%以上にもなります。また、必要最低限の生活水準が満たされていない絶対的貧困下にある人も、33%に上るといわれています。彼らはひと月当たりの収入が500ドル以下で、ガザ地区は経済的にも非常に圧迫された状況にあったと言えます。

 二つ目は、ヨルダン川西岸のパレスチナ自治区の状況です。昨年12月に発足した極右のネタニヤフ政権は入植地の建設を進めていました。数年前に進められた西岸の併合政策はアブラハム合意でいったんは中断されましたが、現在のネタニヤフ政権が実質的に当時の青写真を焼き直すような政策を水面下で進めていたのが現状で、パレスチナ人の中でイスラエルに対する不満が高まっていたことが推測されます。

池田 おっしゃる通り、ガザ地区の失業率の高さは大きな問題ですが、平時にはガザ地区からイスラエルに出稼ぎに出るパレスチナ人もいて、多いときには1日2万人を超えるといわれています。その経済的な報酬を危険にさらしてまで攻撃することはないだろうという思い込みも、イスラエル側にはあったのだと思います。

 また、アラブ諸国とイスラエルの接近がハマスの攻撃の大きな要因だというのはもちろんですが、併せてイランの存在も考える必要があります。敵の敵は味方なので基本的にハマスとイランは近い存在ですが、ハマスはスンニ派、イランはシーア派という決定的な違いもあり、今回の攻撃もイランが事前に情報を渡されていたかどうかは疑問です。

 一方、ヒズボラやシリアに展開する武装勢力はイランの直系なので、イランが完全に手綱を握っている状態と言えます。ヒズボラの軍事力は、ハマスの比ではありません。ロケット弾やミサイルもハマスの十倍以上の備蓄があり、しかも大部分が精密誘導化されています。そのヒズボラが本気で動き出したら大変な事態に陥るので、アメリカが空母打撃群2隻を東地中海に派遣したのは、イランに対する牽制という意味合いが強いと思います。もしイランがヒズボラの手綱を手放し、ヒズボラの本格的な攻撃が始まれば、イスラエルがイランを直接攻撃する可能性も出てきます。その意味でも、今後イランがどういう戦略で動くのか、注視しておく必要があると思います。

鈴木 今回の攻撃について、ハマスの軍事部門の報道官は「作戦の立案は2022年初頭から行っている」とし、タイミングに関してはたった一言、「気候と地理的な条件を考慮した結果」だと発表しています。つまり、何かの記念日や、直近の出来事に対する反撃というタイプの攻撃ではありません。そう考えると、お二人のご指摘にもあったように、攻撃の背景には中長期的な事情があると考えるのが妥当だと思います。

 今回の攻撃で、ハマスやイスラム聖戦などの武装勢力はかなり計画的な行動を取っています。少なくとも1000人を超える戦闘員を投入し、越境に際しては3000発ともいわれるロケット弾の発射でイスラエルの防空システムをかく乱し、国境に設置されたスマートウォールともいわれる機械化された監視システムを効率的に破壊しています。この大がかりな計画が実行されるまでに、組織内でどんな決定がなされたのかは、まだ明らかになっていません。

 また、私自身、攻撃が行われた際のハマスなど武装戦闘員の行動から、非常に強い敵意や憎しみを感じました。その攻撃は、民間人や、アジア系労働者を含む明らかに外国人だとわかる人々にも及んでいます。これだけの動機が一体どこにあったのか。これは慎重に考えていくべき問題だと思います。

 

中東地域の受け止め方

池田 今回のハマスの攻撃を中東地域はどう受け止めているかというと、政府レベルでは、極めて残忍な方法でイスラエルの一般人を攻撃したことを強く非難しています。しかし、大衆レベルでは、イスラエルはそのような攻撃をされて当たり前だという感情が伏在していたと考えるべきです。

 ガザ地区北部の病院で爆発が起こりましたが、状況から見れば、ハマスやイスラム聖戦側の誤爆だと考えるのが一番合理的だと思います。しかし、中東地域にとってはもはや真実はどちらでも良いのです。「イスラエルは病院を空爆するぐらいのことをやりかねない」という意識が、イスラム世界に蔓延していることが問題です。アブラハム合意でイスラエルと国交正常化している国々の政府も、国民感情を考えると簡単にイスラエル側に立つわけにはいかず、国民の反応を考慮した上で態度を表明しなければならないという状況だと思います。

阿部 すでにパレスチナを支持するデモが世界各地で発生しています。池田先生もおっしゃったように、今後ガザ地区の犠牲者が増えることで、中東地域の市民感情はますます悪化していく可能性があります。

 今回の事態で影響を被るのはエジプトです。イスラエルの軍事作戦が最終目標を何に置いているかは定かではないのですが、仮にパレスチナ人がガザ地区南端のラファ検問所を越えてエジプトに避難するような、いわゆる強制移住を招く事態が発生すれば、エジプトに多大な影響が及ぶのは間違いありません。エジプト政府は「唯一の解決策はパレスチナ人の独立国家の建設」との立場を取っていますが、それは避難民の問題に対する危機感の表れでもあります。これまでのガザ紛争では、エジプトとアメリカが協力して停戦交渉の仲介を行ってきました。今回も重要な役割を果たすだろうとは思いますが、再三議論されている通り衝突の規模が桁違いなので、難しい状況が続くと思われます。

 また、ハマスの幹部であるイスマイル・ハニヤ氏やハレド・メシャール氏が拠点にしているカタールも、ガザ地区では大きな存在感を持っていて、ガザ地区の海岸通りの最も目立つ場所に大使館を構えています。今回の人質解放交渉でも仲介役を担っているので、カタールは引き続き影響力を持っていくと思われます。

 一方、パレスチナ自治政府のアッバース大統領は「ハマスの行動はパレスチナ人を代表できない」という声明は出しましたが、それ以外には目立った動きを見せていません。自治政府の支持基盤であるヨルダン川西岸のパレスチナ人は、ガザ地区の人々に同情的です。ハマスへの非難は自治政府への支持を左右するので、慎重に沈黙を保っていると思われます。いずれにせよアッバース大統領の動向が注目されます。

鈴木 今回の事態は中東地域全体に動揺を広げていますが、特に、10月18日に起きたガザ地区のアハリ病院の爆発は、今も大きな余波を与えていると思います。国際的な機関やジャーナリストなどによる調査が現時点では難しい中で、ガザ地区内の武装勢力の兵器がさく裂したのだというイスラエルの主張と、イスラエルによる爆撃であるというガザ地区の住民やハマスによる主張は、平行線をたどっています。事実が明らかになるかどうかにかかわらず、現在この出来事が大きな余波を広げているということが重要です。

 

米大統領のイスラエル外交

鈴木 そして、まさに爆発が起きている最中には、イスラエルを訪問しようとするバイデン大統領が機中にあった状況でした。周辺のアラブ諸国は、病院の爆発はイスラエルによる非人道的な攻撃だという受け止めのもと、飛行機から降り立つバイデン大統領の出迎えを拒否しました。また、ヨルダンのアブドゥッラー二世国王の主催で予定されていた、エジプトのシシ大統領とパレスチナ自治政府のアッバース大統領との首脳会談もキャンセルとなり、その結果、バイデン大統領が中東地域に訪問したことのメッセージ性も大きく変わってしまいました。いわば、バイデン大統領の思惑が外れた状況です。

 当初、イスラエル訪問におけるバイデン大統領の目的としては、イスラエルへの支持の表明はもちろん、実際の機能としては二つあったと考えています。一つは、現在衝突している各主体に対して自制を求めること。もう一つは、この問題に関与しようと動き始めていたイランやロシアなどの大国に対して牽制を示すことです。ただ、ガザ地区の病院の爆発という想定外の事態が起き、アラブ諸国がアメリカの外交に対して拒否感を示したことによって、バイデン大統領はイスラエルへの支持の表明と、大国に対する牽制のみを残して帰国することになりました。

 結果的に中東地域における反米感情を高めることとなり、実際にレバノンの首都ベイルートでは、アメリカ大使館周辺での暴力的なデモが報告されています。また、イスラエルの自衛権に対して明確に支持を表明しているG6(G7から日本を除いた6カ国)に対しても、中東地域の批判の声は高まっています。

 イスラエルが中東地域でどのように自国を位置付けていくかという点も、これから重要な課題になっていくと思います。イスラエルは2020年のアブラハム合意以降、UAE、バーレーン、モロッコ、スーダンと国交正常化を宣言し、今年に入ってからはサウジアラビアとの国交正常化を期待されていました。バイデン大統領は「イスラエルを中東地域に統合する」とも発言していますが、中東の中にイスラエルが立場を見出し、イスラエルを通して中東地域の安定を実現していくというのがアメリカの中東に対してのアプローチであり、イスラエルもその方向で動いていました。

 しかし、今回の事態で中東地域におけるイスラエルの立ち位置は、大きく転換を迫られることになると予想されます。今後、イスラエルが中東地域でどのような立ち位置になっていくのかは、議論すべき重要なポイントだと思います。

阿部 また、ヨルダンのラーニア王妃は、西側諸国の対応をダブルスタンダード(二重基準)だと非難しました。イスラエルに対するハマスの奇襲を非難しながらも、イスラエルのパレスチナ自治区への空爆を非難しないこと、また停戦を求めていない姿勢が国際社会のダブルスタンダードだということです。こういう批判は今回のような国際問題が起きたときに必ず出てくる議論です。

 池田 要するに、アラブ諸国やイスラエルも含め、人間というものは自分が見たいことしか見ないし、聞きたいことしか聞かないのだと思います。各国のいろいろな反応を見ていると、そういった人間の愚かさというものを今回改めて感じますね。

 

 

報復の連鎖を断ち切ることはできるか

阿部 最後に、今回の衝突やパレスチナ問題の今後についてですが、短期的には、イスラエルによる地上侵攻を回避するための自制や国際社会との対話が最後まで続けられることに希望を持ちたいと思います。ただし、本日10月25日からこの鼎談が公表されるまでの間にも、何が起きるかは予断を許しませんし、仮に地上侵攻が始まってそれが長期化した場合には、ガザ地区は想像も付かない深刻な事態に陥ることは明らかです。

 パレスチナの人たちは、今回の事態を「ジェノサイド」や「第二のナクバ」という言葉で表現しています。ナクバというのは「大惨事」を意味するアラビア語で、パレスチナでは、1948年にイスラエルが建国されたときに70万人ものパレスチナ難民が発生したことを指します。「ナクバ」はパレスチナ人にとっては非常に大きな意味を持ちます。今回も、第二のナクバを引き起こすほどの大惨事になることに彼らは危機感を持っていて、その心理的な恐れは非常に大きいと思います。

 一方イスラエルの人たちにとっても、これだけ多くの犠牲者や人質を出した今回の一件は、今後も人々の記憶に残り続けると思います。イスラエル人たちの心理にも大きな恐怖を植え付けたという点でも重大な出来事だと言えます。

 中長期的に考えると、パレスチナ問題解決のために長年取り組んできた2国家解決のための和平交渉は、残念ながら今回の一件でさらに遠のいたと言わざるを得ません。平和的解決のためには、仮に少数であっても和平を望む人がパレスチナとイスラエルの双方にいることが必要ですが、今回の衝突で双方に多くの犠牲者を出してしまったことで、その可能性を遠ざけたと言えます。

 和平交渉には中立的な立場の仲介者が必要ですが、これまでの和平交渉で大きな役割を担ってきたアメリカの中立性は弱まりました。また、国連による紛争調停も機能していません。国連安保理の議論でも意見が一致しない状況が続いています。アメリカがイスラエルの立場を擁護するのはこれまでの慣例で、今回もその通りですが、ウクライナ紛争の影響で常任理事国の意見が対立し、それが今回の件にも波及しています。

池田 「脅威」という概念は、「意図」と「能力」の関数です。ハマスがイデオロギーである限り意図というのはなくならないので、イスラエルは軍事インフラを壊滅させてハマスの能力を剝奪しようとしていますが、これは数万単位でガザ地区に犠牲が出ることを意味します。ただ、意図がなくならない限り今後もハマスは軍事インフラを再建していくと思うので、再建されるたびにイスラエルは攻撃を繰り返すことになる。この報復の連鎖を断ち切るということは、残念ながら現時点では極めて難しいと言わざるを得ません。

 オスロ合意以降、イスラエルとパレスチナ自治政府の間で和平交渉が進められてきましたが、それにNOを突き付けたのがハマスです。ハマスは、イスラエルという国家の存在を認めないことを憲章で掲げています。これをイスラエルが受け入れられるはずもないので、両者の和平には悲観的にならざるを得ないと思います。

鈴木 双方が、相手から受けた被害を理由にして戦っている点で、現状は暴力を断ち切ることのできない絶望的な状況だと思います。ただ、現在戦っている両者が対等でないという点は、公平な立場から考えなければいけません。イスラエルという国家に対して、パレスチナという非国家が対峙している。これが第四次中東戦争以降、アラブ諸国がイスラエルと戦争をしなくなって以降のパレスチナ問題の構図です。10月7日に行われた攻撃に対して非難するのはもちろん重要ですが、パレスチナの社会について、国際的に改めて目を向けていく必要があると思います。

 いま日本の世論では、イスラエルの地上侵攻が行われるかどうかに非常に関心が集まっていますが、たとえ地上侵攻がなかったとしても、それは停戦状態を意味しません。今の状況が続けば、ガザ地区では1日当たり200人から400人の死者が出続けることになります。今現在も人道上の危機が起きているガザ地区のことを考えると、一刻も早く事態が収拾することを願うばかりですが、長年イスラエル政治を研究されてきた池田先生から見て、今後イスラエルはどのような作戦に出ると思われますか?

池田 政治的な戦略は予測できませんが、軍事的には、現時点でイスラエルは36万の予備役を招集しています。もちろん北方や西岸にも警戒が必要ですから、予備役全員ではないにしても、最大で半数程度のかなり大きな兵力をガザ地区に投入することになります。

 ただ、先ほど申し上げたように、予備役を長期間戦場に張り付けることはできません。これまでは最長でも50日程度の作戦でした(2014年のガザ侵攻)。おそらく今回の作戦はそれよりは長くなると思いますが、1年も続くような長期戦にはならないと考えます。そして最初の2、3カ月で、ガザ地区の軍事インフラの要である地下トンネルのネットワークの破壊に兵力を集中させることになるのだと思います。

 

日本や国際社会に求められる対応

阿部 現在直面している大きな問題は、正式な国家が存在しないパレスチナで大規模な人道危機が発生しているということです。鈴木先生もおっしゃったように、今約220万人のガザ地区の市民が人道危機に直面しています。本来は国家が果たすべき、人々を保護する責任を誰が果たすのかという問題が今問われています。それがパレスチナ自治政府なのか、あるいはガザ地区を実効統治する機関なのか、それとも国際社会なのか。この点はきちんと議論していくべきだと思います。

池田 ガザ地区は今、非常に変則的なかたちでハマスの実効支配下にありますが、国際法的に考えればイスラエルの占領地であることに変わりありません。占領支配を行っている国は、占領地の住民に対して一定程度の民生上その他の保護を与えなければならないというのが通常の理解です。そういう意味では、先ほど鈴木先生もおっしゃっていた「ガザ地区に対するイスラエルの責任を果たさないかたちにしたい」といったイスラエルのガラント国防大臣の発言は、国際社会から厳しく問われるべきだと思います。

 ただ、軍事的な局面が一段落して人道復興支援という段階に入った際には、現実的に考えると、国連その他の国際社会が第一に関わっていかざるを得ないと思いますし、そこでは日本も当然応分の負担をすることを求められると思います。

鈴木 日本は1993年のオスロ合意以降、イスラエル・パレスチナ双方と公のかたちで関係を取り持ってきましたが、今回改めて両国との今後の関わり方を考え直さなければなりません。

 日本の歴代首相は、オスロ合意以前にはイスラエルを訪問しておらず、1995年に村山富市首相が訪問したのが初めてです。当時、重要閣僚のイスラエル訪問はほとんど例がありませんでした。しかしその後は、積極的にイスラエル・パレスチナ両社会を訪問し関係を深めていて、特に2010年代に入ってからは、第二次安倍政権下でイスラエルとの経済的な連携を強めました。両社会に、もう第三者ではないかたちで関わり始めている日本は、オスロ合意以降この30年の間で最悪の出来事が起きている現状を、深刻に捉えなければなりません。

 オスロ合意以降の暴力的な衝突としては、2000年代から始まった第二次インティファーダ(アルアクサ・インティファーダ)があります。イスラエルの都市部でパレスチナ人による自爆攻撃(自爆テロ)が頻発し、イスラエルの民間人を含めた犠牲者は1000人に到達。また、イスラエル軍の攻撃により、パレスチナ人の犠牲者はヨルダン川西岸地区、ガザ地区合わせて4000人に上りました。ただし、これは3年から4年かけて起きた出来事です。今回は、この2週間ほどの間に当時の死者数を超えていて、これまでの中東和平の枠組みや日本の対中東和平外交に大きな課題を突き付ける事態となっています。

 今回の日本の立場としては、全当事者に対して自制を求めるということにとどまっていて、姿勢が曖昧だという批判も出ています。ただ、中東地域の日本の在外公館や、駐在・留学をしている日本人の安全を考えると、 他の欧米諸国と同じようにイスラエルの自衛権を支持する姿勢を取った際のリスクも指摘されていて、日本の外交としてはなかなか難しい判断を迫られていると思います。

 中東和平外交において、日本は「関係者との政治対話」「当事者間の信頼醸成」「パレスチナ人への経済的支援」という三原則を掲げていますが、特に「パレスチナ人への経済的支援」という原則について、日本は今後どう考えていくべきか。長らく現地で支援活動をされている阿部先生は、どのようにお考えでしょうか?

阿部 オスロ合意とともに和平交渉が始まった当時は、イスラエルとパレスチナの対話や信頼醸成を進めながら、国際社会がパレスチナの経済開発を支援するという理念がありました。しかし和平交渉が停滞してからは、経済開発を対話や信頼醸成に優先せざるを得ない状況が続いています。

 今回の事態で改めて浮き彫りになったのは、ガザ地区の経済や社会がイスラエルに依存していて、イスラエルとの関係なしには成り立たないということではないでしょうか。ガザ地区は2005年以来、イスラエルから一方的に分離されてきたという現実がありますが、今後現在の衝突が収束した後は、どのようにしてパレスチナ自治区を発展させていくかを真剣に考えなくてはならないと思います。まずは、今直面している人道危機からの脱却に向けた今後の支援のあり方を、日本を含めた国際社会は考える必要があるのではないでしょうか。

(終)

池田明史/東洋英和女学院大学

学事顧問

 

いけだ あきふみ:1955年生まれ。東北大学法学部卒。アジア経済研究所、イスラエル・ヘブライ大学トルーマン記念平和研究所客員研究員、東洋英和女学院大学教授、同学長などを経て、2023年より現職。著書に『中東』(共著)、『イスラエルを知るための62章』(共著)など。

阿部俊哉/

東京大学先端科学技術研究

センター客員研究員

 

あべ としや:1968年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究学科国際政治学専攻修了。国際協力事業団(現・国際協力機構)入構。国連難民高等弁務官事務所上級開発担当官、パレスチナ事務所長などを経て、評価部長。2023年より現職。著書に『パレスチナ─紛争と最終的地位問題の歴史─』がある。

鈴木啓之/東京大学中東地域研究センター特任准教授

 

すずき ひろゆき:1987年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員PD、同海外特別研究員などを経て、2019年より現職。著書に『蜂起〈インティファーダ〉:占領下のパレスチナ1967-1993』など。

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