『公研』2021年1月号「issues of the day」
米ハドソン研究所研究員・村野 将
2021年は、再び核軍縮や軍備管理に焦点が当たる年になりそうだ。1月22日には核兵器の開発・保有・配備・使用(威嚇を含む)を禁止した「核兵器禁止条約」が発効する。またバイデン新政権は、2月5日に期限が迫るロシアとの「新戦略兵器削減条約(新START)」の延長交渉に取り組むことになる。トランプ政権はロシアが1千─6千発保有しているとされる非戦略核兵器とその運搬手段が同条約の対象外になっていることや、中国が主要な軍備管理枠組みに縛られていないことなどを理由に、単純延長するのではなく、対象カテゴリーの拡大や3カ国での新たな軍備管理枠組みを再構築することなどを模索したが、11月の大統領選までにロシア側との落とし所は見つからなかった。バイデン政権は、新STARTを数年間延長した上で、その間に後継枠組みのあり方を検討していくことになろう。
バイデン氏の道義的信念
バイデン政権の核政策は、オバマ政権と似た方向に回帰していくと見られているが、民主党内の力学が変化していることもあり、より大胆な政策に踏み込んでいく可能性も否定できない。元々核政策は、民主党内でも穏健(中道)派と進歩(左)派で立場が分かれるアジェンダだ。穏健派は抑止や同盟国へのコミットメントを重視し、核戦力の近代化などにも理解を示す一方、進歩派は核を含む国防予算の削減を通じて軍縮を進め、それらを社会福祉に還元すべきという方針で一貫しており、予備選の段階から準備を進めてきた経緯がある。加えて、コロナ不況とそれに伴う経済・社会支援策が、米国の財政赤字を過去最大(3・1兆ドル)にまで膨張させており、国防予算は当面横ばいか削減を余儀なくされると見られている。
つまり厳しい安全保障環境に直面しつつも、バイデン政権下の国防省は投資分野の優先順位付けをよりシビアに行っていく必要があり、それが進歩派の主張と(不本意ながらも)共鳴する形で、一部の核近代化計画が大幅な予算削減の対象となる可能性がある。(なお、老朽化した核の近代化を予算面で保証することが、2010年に米議会が新STARTを批准する際の交換条件であった)。
さらに下院軍事委員会のアダム・スミス委員長は、エリザベス・ウォーレン上院議員とともに、核の「先行不使用(No First Use:NFU)」政策を採用すべきとする法案を提出してきた他、軍縮コミュニティは、核の役割を核抑止に限定する「唯一目的化」を宣言すべきと主張している。これらの政策はいずれもオバマ政権末期に検討されたものの、相手が生物・化学兵器攻撃を仕掛ける心理的ハードルを下げてしまうことや同盟国の懸念を理由に、当時の国防長官・国務長官・エネルギー省長官らが総出で反対し、政権としては採用を見送った経緯がある。
だが当時バイデン副大統領は、退任直前の演説で「核攻撃を抑止し、必要ならば報復することが米国の核兵器の唯一の目的であるべきだと、(オバマ)大統領も私も強く信じている」と述べ、未練があることを滲ませていた。しかも2020年の民主党政策綱領には、「唯一目的化」を追求するとの文言が明記されている。
オバマ・バイデン両氏には、米国が率先して核の役割低減を進めていけば、他国もそれに追随して世界の安全に繋がるはずだという、ある種の道義的信念がある。だがロシア・中国・北朝鮮がそうした期待をことごとく裏切り、核・ミサイル能力の質的・量的増強を進めてきた現実は否定し難い。トランプ政権が低出力核SLBMの配備に踏み切ったのは、こうした安全保障環境の悪化に適応するためであり、その情勢認識と対応策は正しかった。
今日の核をめぐる安全保障環境を特徴づけているのは、「核保有国(P5)vs非核保有国」というよりも、「現状変更を試みる核武装国vs現状維持国」という地域秩序をめぐる動的な対立だ。これらの現状変更国は、米国に核を使わせない範囲で自らの核をちらつかせた脅しや強制を行い、米国が介入意思を固める前に既成事実化を達成するという概ね共通した戦略を持っている。こうした状況で、米国が核の先行不使用や唯一目的化を宣言することは、彼らがリスクを省みることなく、そうした脅しが有効だとの誤解を与える恐れがある。加えて、宇宙・サイバー・電磁波・AIなどの新領域・先端技術をめぐる競争の激化は、核とそれ以外の要素を切り分けて議論することを困難にしている。
こうした複合的な安全保障環境においてリスクを低減するには、①核兵器の物質的側面のみならず、相手の運用ドクトリンと戦力態勢との整合性を検証する総合的な分析評価、②グレーゾーンでの抑止から核エスカレーションの管理までを一体として捉える、通常戦力と核戦力を統合させた抑止戦略、③これらを総合的に考慮した透明性向上のための軍備管理対話などが必要となる。日本は唯一の戦争被爆国であるからこそ、地に足のついた冷静な安全保障論議を主導するべきであろう。