『公研』2026年8月号「めいん・すとりいと」
縁あってインドをよく訪れる。よほどのインド好きと思われるとすれば、さにあらず。ヨガを嗜むでもなし、インド料理の香辛料が好物なわけでもなし、歴史や文化の教養もなし。はたして何が私をインドに誘うのだろうか。
初めてインドを訪れたのは、20年以上前のこと。研究会参加のためハリドワールというヒンドゥー教の聖地に滞在した。外国人観光客はほぼ皆無の中、道端の露店でチャイを頼むだけで、物見高い人々に遠巻きにされるような時節に土地柄。そんな当時、インド航空の帰国便フライトは事前のリコンファーム電話が必須で、首都デリーへの長距離電話をかけるのも一苦労した。ようやくつながった電話で、担当者のお兄さんは、フライトの詳細の確認もそこそこに「日本人ならゴマキは知っているか?」と質問してくる。一世風靡したアイドルの「ゴマキ」だろうか。それともインド人のいう「ゴマキ」には何か別の意味があるのだろうか。
たぶん前者だと踏んで「知っている」と答えれば、「あなたはゴマキの友達か?」と重ねて尋ねてくる。「いいえ、友達ではありません」「ゴマキは知っているか?」「はい」「それなら、ゴマキの友達か?」という会話のループを延々と繰り返した末に、私がゴマキの友達であると答えない限り、この手続きは完了しないと思い至る。「友達だ」と答えれば、大層よろこび「ゴマキの友達には、一番前のいい席を確保してあげよう」とのこと。話半分で聞いていたのに、帰国便の席は最前列という結末。彼はきっとあの後、「電話してきたのはゴマキの友達でさ」と、吹聴したに違いない。このようなしたたかさ、無邪気さ純真さ、はた迷惑なほどの押し付けがましさに、日本で出会うことはまずない。
その初めてのハリドワール滞在の時期は、11月。インドの結婚式シーズンにあたる。研究会会場から宿泊先に歩いて帰ろうとすると、毎晩のように結婚式のパレードに遭遇した。それはひたすら賑々しく派手な行列で、新郎が馬や車に乗り、時にはゾウも一団にまじり、ネオン満艦飾の山車で耳をつんざく大音量の音楽をかけ、参加者が踊りつつ進む。日本の祭りをボリウッド風にした、とでもいうような。出会えば必ず乞うように誘われ、つい一緒に踊ることになることになったりもした。
ハリドワールにはガンジス河が流れ、巨大でけばけばしいシヴァ神像が立っている。ガンジス河はそ
のシヴァ像を起点とするとされ、当時、インド各地から沐浴に訪れたおびただしい数の巡礼者が河原で野宿していた。聖なる河で沐浴し、穢れを洗い流すという。忘れられないのは、身なりの整った裕福そうな夫婦が、美しく着飾らせた足の不自由な娘をささえ、沐浴へとおもむく光景に出会ったこと。静謐な夕暮れの中、ふっと涙ぐみそうになった。私からみれば、あまりに俗な風情のシヴァ神像も、浴びるのが躊躇われる泥色のガンジス河も、彼らにとっては聖なる存在である、と。あるいは、そう信じたいのだ、と。
同じアジアであるのに異なる私たち。彼の地を旅するのは、容易なことではない。道に迷い騙され、一歩間違えればお腹を壊す。帰ってくると、なんとか全てを切り抜け生き延びられたことに安堵する。けれども、周りに配慮し、規範を重んじ、毎日あくせくと些事に心を悩ませていると、またインドにいこうか、という思いが頭をもたげる。その時に思い出すのは、あの聖と俗のはざまにいる人たちに他ならない。北海道大学教授