中選挙区制という亡霊【待鳥聡史】

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 昨年あたりから、中選挙区制復活論が勢いを増している。衆議院で最後に中選挙区制による選挙が行われたのは1993年のことだから、すでに30年以上前のことである。これほど遠い過去になったのに、中選挙区制を復活させようとする声は消え去ることがない。あたかも亡霊のようだが、いったいなぜなのだろうか。

 中選挙区制は、一つの選挙区から2〜6人の当選者を出し、有権者は候補者個人に対して投票する仕組みである。かつての衆議院の場合、有権者が投票できる候補者は1人だけで、他の候補者の得票には全く影響を与えない。このような方式をとくに「中選挙区単記非移譲制」と呼ぶ。

 一つの選挙区から平均して4人程度の当選者が出るため、中選挙区単記非移譲制は当選に必要な得票率が下がるという特徴を持つ。候補者側から見れば、選挙区内の特定の地域や業界からの支持を確保すれば有利になる。

 各政党の獲得議席数など、選挙制度全体の挙動としては、中選挙区単記非移譲制は比例代表制に近似することが知られている。総じて、比較的狭小な利害関心を代表する多くの政党が出現し、どの政党も過半数を獲得せずに多党連立政権になる、というのが自然な姿だと考えられる。

 しかし、55年体制期の日本政治においては、長く自民党が過半数の議席を維持し、単独政権を継続した。中選挙区単記非移譲制の本来的挙動とは異なる政党間の勢力関係になっていたのは、保守合同によって自由党と民主党が選挙によらず合併したからである。

 さらに、自民党と社会党の間に2対1の勢力比が形成されると、比例代表制に似た性質が勢力差を固定する効果につながり、長らく政権交代が生じなかった。もちろん、両党には冷戦や高度経済成長といった環境変化への適応能力に差があったことは間違いないが、選挙制度の影響は極めて大きかったのである。

 その反面で、単独過半数を維持するためには、自民党は一つの選挙区から複数の当選者を出す必要があった。有権者は候補者1人にしか投票できないので、同じ選挙区内で自民党候補者同士の競争が生じる。政策的な違いは小さいわけだから、支持してくれる地域や団体への利益誘導合戦、多くの政治資金を投入しての後援会などの維持、支援する派閥の影響力拡大につながった。

 1990年代の選挙制度改革の根本には、このような不自然な単独過半数政党と、それを支えるための「カネのかかる政治」を改め、政策の違いによって政党が競争し、政権を争う政治に変えようとする意図があった。

 中選挙区制復活論者も、過去の弊害は認識している。そこで提唱されているのが、単記非移譲制ではなく連記制である。同じ中選挙区制でも、有権者が2人以上の候補者に投票できるという仕組みで、当選者数と同じだけ投票できる場合に完全連記、2人以上だが当選者数より少ない人数に投票できる場合に制限連記という。

 連記制が何をもたらすのかは、それほど確立された知見があるわけではない。複数の候補者に投票できる場合、有権者が自分の支持政党の候補者にのみ投票すれば、複数の候補者を擁立できる大政党が圧倒的に有利になり、強大な単独過半数政党が登場するだろう。

 有権者が投票先の候補者の所属政党を分散させれば比例代表のような結果に近づくはずだが、情報処理の負荷すなわち考える手間暇は大きく、そのような行動を勝手に期待することはできない。多党制にしたければ、比例代表制を採用することが王道である。

 その一方で、当選に必要な得票率が低く、狭い範囲でも固定的な支持層を持つ候補者が有利という中選挙区制の性質は変わらないので、支持層の維持に利益誘導などが図られる傾向が生じ、二世政治家など安定した地盤を持つ候補が現在よりも有利になるだろう。

 単記非移譲制にせよ連記制にせよ、現職政治家が落選・失職のリスクから逃れやすくなることを除いて、中選挙区制にはほぼ何のメリットもないように思われる。そう考えると、この亡霊がどこから出てくるのか、推測するのは難しいことではない。

京都大学教授

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