移民・難民問題を 一から議論するために【福山宏】【三好範英】

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2025年5月号「対話」

 

日本でも外国人の労働者や居住者を日常的に見掛けるようになった。彼らはなぜ本国を離れ、どのような在留資格で日本で働いているのだろうか? また、入管の現場では何が起きているのか。移民・難民問題を議論する上で、前提とすべきことを確認する。

         ジャーナリスト        元東京出入国在留管理局長      

 三好範英               福山 宏

 


ふくやまひろし:1960年長崎生まれ。東京大学法学部卒。84年法務省入省。91年独シュパイヤー行政大学院修士取得。95年在ニューヨーク日本国総領事館領事、外務省旅券課長、成田空港支局長、東日本入国管理センター所長、広島、福岡及び大阪入国管理局長などを歴任。2015年東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程単位取得満期退学。18年東京入国管理局長・東京出入国在留管理局長。2021年法務省退官。


みよしのりひで:1959年東京生まれ。東京大学教養学部卒。82年読売新聞社に入社。バンコク、プノンペン、ベルリン特派員、編集委員などを経て2022年からフリーランスのジャーナリスト。著書に『ウクライナ・ショック 覚醒したヨーロッパの行方』『特派員報告カンボジアPKO 地域紛争解決と国連』『戦後の「タブー」を清算するドイツ』『ドイツリスク「夢見る政治」が引き起こす混乱』(山本七平賞特別賞)『移民リスク』など。


 

街で見かける外国人労働者たち

 三好 今日は東京出入国在留管理局長を務めた福山宏さんと、移民・難民問題について一から考えていきます。私はドイツの特派員をしていたことから、この問題に関心を持ち、帰国してからも日本の状況にも意を注いできました。今年2月に『移民リスク』(新潮新書)という本を出版し、今まさに問題になっている埼玉県川口市や蕨市のクルド系トルコ人や、移民先進国とも言えるドイツの現状を報告しました。今回の「対話」では私の経験も取り入れながら議論を進めていければと思います。

 まずは議論を始めるきっかけとして、日常的に見かけるようになった外国人について整理したい。いくつかの例を挙げれば、都市部のコンビニでは外国人従業員を日常的に見かけるようになって久しいです。また、自分のお店を経営している人もいます。インド人やネパール人がカレー屋を出すのはわかりますが、居酒屋をやっている例も見かけます。東京の新宿区歌舞伎町では飲食店の呼び込みをする黒人たちが目につきます。こうした外国人はどのような経緯で日本に来ているのか。何の在留資格を持っているのでしょうか。

 福山 御著、刊行直後に拝読いたしました。国内の法制度と運用が正確に記述され、さらに、内外、特に川口市および蕨市とトルコにおける現実の姿が実際の取材に基づいて非常にわかりやすく描かれていて、正に「論より証拠」、数少ない貴重な資料だと感じます。

 それでは、ご質問に関してです。コンビニで見かける外国人の従業員は、留学生が入管から資格外活動許可を得たうえでアルバイトとして勤務している事案ですね。居酒屋の「経営」でも、純粋な経営であれば「経営・管理」の在留資格の可能性がありますが、店頭での稼働はこれに該当しないので、在留資格「永住者」「日本人の配偶者等」「永住者の配偶者等」「定住者」(以上四つで「居住資格」)の人たちでしょう。居酒屋店舗での稼働という在留資格がない反面、居住資格には行動の制約がないためです。それ以外は不法就労です。

 インドカレー店の経営も同じですが、調理人であれば「技能」という在留資格です。外国独特の料理を提供できる「技能」という在留資格は、本国で調理人として10年以上の実務経験があるなどの条件を満たしている人に限って認められます。しかし、外国独特の料理を提供しない居酒屋の調理人は「技能」に該当しないので、「永住者」以下の居住資格又は資格外活動許可を得ている人たちで、それ以外は不法就労者の可能性があります。夜の新宿の街での客の呼び込みも、客の呼び込みという在留資格は存在しないので、居住資格か資格外活動許可が考えられますが、それ以外は不法就労者の可能性があります。

 三好 出入国在留管理庁(入管庁)によると、昨年一年間の、ほとんどが観光客ですが、外国人入国者数は3600万人余りと過去最高。昨年末の在留外国人数は約377万人でこれも過去最高となりました。不法残留者は7万4863人となっています。審査の上、退去強制(送還)令書が発付されて、すぐに出国、送還しなければならないのに出国しない人、いわゆる送還忌避者が、ちょっと古いですが22年末現在4200人余りいます。川口市、蕨市にも、難民申請や訴訟を繰り返すことで長期間、日本に留まっているクルド人送還忌避者がかなりの数います。その現状に対して「入管庁はもっとしっかりしろ。なぜ送還できないんだ」という声もXの投稿に目立ちます。何が送還を難しくしているのでしょうか。

 

送還を難しくしている要因

 福山 皆様のご指摘はごもっともです。送還が進まなかったのは担当者であった私の責任です。しかし、このように送還を難しくしている原因には、様々な要因が関係しています。言い訳になりますが、2010年の政権交代直後に交わされた法務省と日本弁護士連合会の協定がその最大の契機となったと考えています。

 2004年の法改正により、難民認定手続き中は、送還・退去強制が一律に停止されることになりました。この改正自体に問題はなかったのですが、その濫用が違法状態のまま長期残留する外国人の増加につながりました。

 濫用の契機となったのが前記法務省と日本弁護士会の協定です。この弁護士優遇の協定では、「入管法違反で入管の収容施設に収容されている外国人の仮放免許可申請の保証人が弁護士の場合、保証金を通常よりも下げて柔軟に審査すべし(許可せよとの意味)」ということになりました。次に、「難民認定申請中の人や、入管に対して訴訟を起こしている人には、適正手続き保障の観点からなるべく仮放免を許可すべし」という内容です。

 被収容者からすれば拘束を解かれることが最大の関心事です。その状態の中で弁護士はこの協定を利用する、その結果実際に許可が増加する、それを見た他の被収容者が仮放免許可を求めるというのは自然の流れです。これが改正法の濫用を助長した原因でした。

 さらに問題なのが、「弁護士が代理人となっている外国人を強制送還する場合には、おおむね2カ月前にその弁護士にその計画を伝えること」という内容です。それまで十分な時間的余裕がありながら何もしてこなかったのに、送還計画の通知を受けた途端、訴訟や難民認定申請を提起して送還を阻止する人たちが半数を占めていました。さらには、最高裁で敗訴が確定し、送還されるはずの人までが蒸し返し訴訟により送還を阻止しています。この弁護士優遇協定が制度濫用に途を開き、助長する契機となりました。

 以上、司法試験の合格者の増加に伴って弁護士数が増えた2000年頃から弁護士の過剰とその仕事不足・職不足問題の深刻化が繰り返し報道されていた時代の出来事です。

 さらに、同じ2010年には難民認定申請6カ月後には申請人に機械的に就労許可付きの在留許可が付与されることになりました。しかし、この制度は、同申請濫用の深刻化のため、2018年1月に大幅な制限が加えられた結果、2017年の難民認定申請者19629人が2018年には10493人と半減しました。申請目的が稼働であったことを示す好例です。

 それから実際送還の現場でも様々な物理的抵抗をする人がいます。例えば、空港で大騒ぎして送還を中止せざるを得なくするという例があります。航空機に搭乗できたとしても、騒ぎを起こして搭乗機から降ろされ、送還が中止されるということもあります。

 また、現在大半の国は送還対象者である自国民を引き取りますが、引き取らないイランのような国もあります。自国民不引取りは、相手国の主権侵害行為であり、重大な国際法違反です。自国のこのような対応に乗じて送還を逃れている人たちがいます。

 

入管法改正は送還を促進しているのか

 三好 こうした送還忌避者の解消を一つの目的として、一昨年入管法が改正され、昨年から施行されました。送還の促進に効果を発揮しているのでしょうか。

 福山 大きく変わったところは2点です。

 まず一つ目は、難民認定申請をしたら退去強制手続きが停止する規定ですが、その濫用対策として、2回不認定になった人は3回目に難民認定申請をしたとしても特段の事情がない限り退去強制手続きは止まらない、つまり退去強制するということになりました。改正法施行以来17人がこの規定の適用により退去強制されました。

 もう一つは、それと逆の方向で「補完的保護対象者認定制度」により被迫害者保護の対象範囲を広げ、戦争や国内紛争も対象にしました。これまでは自国政府による迫害によって逃げてきた人たちを保護する制度でしたが、2023年の改正後は紛争から逃れてきた人も難民とほぼ同様のかたちで受け入れられることになりました。特にウクライナの人々を含む昨年の認定者数は1661人でした。補完的保護対象者の認定を受けた外国人には、難民認定と同様に原則として在留資格「定住者」が付与され、長期の在留期間が付与されます。なお、昨年の難民認定以下全ての保護対象者の合計は2233人で過去最高でした。

 三好 川口市、蕨市にはクルド系トルコ人が2000~3000人在留していて、そのうち、在留資格を失って本来は入管施設に収容されねばならないが、健康上の理由などで仮放免されている人が700人くらいいるようです。そしてその多くが主に解体業で不法就労している実態があります。すでに改正入管法の施行から1年近くが経過したが、「送還も進まずほとんど事態は変わってない」と地元の人は言っていました。クルド人の場合は家族で在留していることが多く、送還が難しいといった事情もあるようです。

 福山 難民認定手続きは、上位の入国審査官である難民調査官が主宰するいわゆる一次審とその判断に対する不服申立てである審査請求が行われた場合民間から選出された難民審査参与員が主宰する二次審によって非常に慎重に行われるのですから、1回の難民不認定の確定により送還対象としても良いのではないかと考えます。しかし、現在は2回までの手続きが認められていることから、送還対象者は急激には増えないのだと思います。

問われる難民不認定の報道のあり方

 三好 私も新聞記者でしたが、報道のあり方も不法残留者や難民不認定者を速やかに送還に踏み切れなかった一つの背景にあると感じています。「難民申請を何度しても認められないのは人権侵害である」と報道されることが多いですが、不認定になるには理由があります。そもそも難民該当性が認められないケースがほとんどですが、傷害事件や強制わいせつ事件など、犯罪を起こしている例もあります。前科に関する情報は人権上慎重な扱いが必要ですが、報道する記者もおそらく犯罪歴などを知っているはずで、それにもかかわらず、弱者としてのみ報道するあり方には、何かイデオロギー的背景があるのか、あるいは報道はそうあるべきという一種の惰性があるのか、いつも訝しく思っています。

 福山 そうですね。私も入管批判報道には懐疑的です。多くの社には深く掘り下げた良い報道をされる記者も間違いなくおいでになるのですが、国会議員、報道、弁護士、研究者、それから活動家の連携による入管批判の内容は非常に不正確であると感じます。相手を黒く塗っておいてその黒さを批判しても何も変わりません。入管側の説明を特定の方向性を持った人が記録し、同じ方向性を持った人がそれを引用すると、元の説明内容と正反対の内容になることも最近ある入管批判本で初めて知りました。また、あるテレビ局の報道内容に事実誤認が多かったので指摘したところ、直後にさらに「事実誤認」の多い報道がなされました。このような「報復報道」は珍しくないとのことです。その放送局は、最近の報道や情報番組では、出演者の発言をあらかじめ制限していたそうです。

 そもそも入管法上の難民認定要件を欠いていれば、何回申請しようと認定されないのは当然のことで、人権侵害ではありません。その点正確な理解が必要です。

 

出入国管理施設内の現場

 三好 一方で、実際に入管施設内の事件も起きています。2021年3月、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが名古屋出入国在留管理局の施設で亡くなった事件は、入管法改正案がいったん廃案になるなど、大きな影響がありました。私が読んだ元入管職員の証言によれば、1990年代には入管職員が外国人を殴ることもあったとのことです。福山さんが40年務めていた中で、入管施設内での人権侵害の事件を扱ったことはあるでしょうか。

 福山 私自身は死亡事故を経験したことはありません。しかし、21世紀直前私の人事業務の担当し始めの頃、被収容者ではなく偽造旅券により上陸申請してきた人の頭をその場にあった棒状の事務用品で殴打して負傷させた入国審査官を懲戒処分にしたことがありました。収容施設における問題事例は前世紀には何回かあったとの話は耳にしたことがあります。

 被収容者に対する人権侵害との批判に関しては、確かにそのような国会質問、報道、それらだけを元にした研究論文らしき文章や文献、街頭活動はありましたが、いずれも事実確認が不十分です。これらの人たちによる「入管職員が組織的に女性被収容者に性的嫌がらせをしていた」との根も葉もない批判の急先鋒であった国会議員が女性に対する自らの強制わいせつ罪容疑で書類送検され、議員辞職されたのは衝撃的でしたが、その後もこの元議員の国会質問を引用する報道や研究論文の発表は続いています。

 三好 収容者が暴れたからやむを得ず制圧したケースが多いと思いますが、行き過ぎた雑な扱いもあったのでしょうか。

 福山 前記の事例は入国審査官によるもので、本人の供述を得ようと焦った事案であったようです。自白の強要など論外ですし、本来そのような事案においては本人の供述は不要であり、入管法の仕組みをわかった責任ある立場の者が正確に指示を出していれば起こり得なかった事件です。ですから、その後私自身そのようにして再発防止に努めました。

 他方、入管の収容施設では、被収容者が椅子や机を投げる、ロッカーを破壊する、殴りかかる、松葉づえを振り回す。キリスト教徒であることを理由に迫害を受けていたはずなのに新約聖書を投げつけるなど凶器として用い、さらに、他の収容者の肋骨を折る、周囲に熱湯をまき散らして暴れるということがしばしば起こります。これらの場合、放置すれば本人が大怪我をし、他の被収容者や入国警備官が負傷するだけでなく、多大な物損が発生します。制圧する場合も被収容者の動きを完全に止めない限り、同じ結果に至ります。実際に被収容者に殴打されて骨折した入国警備官もいます。これらのことを防ぐためには、経過を見て指揮を執る人、記録をとる人、頭と手足をそれぞれ1人1カ所ずつ担当する人などで合計10人近くは必要になります。

 三好 訴訟係属中は本来は望ましくないのでしょうが、裁判資料として入管庁側が提出した映像を、原告側弁護士が公開することがあります。多数の入国警備官が被収容者を押さえつけている映像で、「こんなひどい人権侵害が横行している」という主張の根拠にしています。

 福山 制圧の映像を初めてご覧になれば、驚きの余り、あたかもかわいそうな被収容者を入国警備官が大勢で虐待しているかのように見えるのも無理もないことです。しかし、制圧は、人権侵害どころか本人及び他の被収容者の利益・人権を守るための必要最小限の措置なのです。自傷他害の危険性があるから制圧するのであって、それがなければ制圧もありません。したがって、そこで人権侵害が起こる余地もありません。

 

日本の難民認定率はなぜ低いのか

 三好 もう1点、しばしば批判の対象となるのが、欧米諸国に比べると難民認定者数も率も低いことです。それはなぜでしょうか。

 福山 私は低いとも問題だとも考えておりません。日本の認定率が他国と比較して一見低いのは、日本が紛争地域から離れていること、真正な難民が到達しにくい地理的条件下にあること、言語・文化の相違のためであると考えています。2015年の例のとおり、シリアから欧州諸国へは多くの移民が徒歩で到着していますが、日本の場合それは不可能で、実際そのような大量流入は生じませんでした。最近のウクライナ避難民の日本と各国の流入数を見てもその差は歴然としています。

 他方、難民認定者に多い旅券不所持者、査証不所持者をその出発地において自国向けの航空機への搭乗拒否をその航空機の機長にさせている国や、多数国間協定によって締約国内での難民認定申請を制限している国もあります。日本には存在しない制度です。

 次に、現在の難民認定率は法律及び条約を適正に執行した結果です。もしそれが低いとして批判されるのであれば、適正と考える認定率、それを欧米並みとするのであればその場合も、根拠と共に提示すべきです。今まで私は日本が積極的に難民を受け入れるべき理由と日本の認定率が低いと評価する根拠、適正な認定率を機会ある毎に繰り返し質問してきましたが、余り説得力は感じられなかったものの回答してくださったお一人を除き、無回答です。

 難民認定率が低いと主張する元難民審査参与員の方でさえも、その認定率は約8%で欧米の認定率以下です。残りの92%の不認定理由をご説明いただければ、日本における難民認定申請者の実相が明らかになりそうです。

 なお、認定率の加盟国間格差の是正を試みている欧州連合諸国でもその原因が分からず、対応に苦慮しているそうで、ドイツの若き研究者もその著書で白旗を揚げています。

難民審査参与員はどう認定判断すべきか

 三好 難民を助ける会の名誉会長だった柳瀬房子さんは2021年、衆院法務委員会で、ご自身の難民審査参与員としての経験に基づき、「難民申請者の中に難民該当者はほとんどいない」と発言しました。2023年、入管法改正が焦点となる中で、難民支援者などからこの2年前の発言が問題視され、名誉会長を退任しました。虚偽の発言をしたわけでもないのに、スポンサーが離れるからという理由で退任させたとのことです。一方で、「難民該当者はいる。難民認定をしないのは制度的な欠陥があるからだ」という意見の参与員もいます。入管庁はそのような主張をする参与員に、難民審査の仕事を回さないようにしている、とこれらの参与員が批判して、記者会見を開いたことがありました。入管庁で特定の参与員を外すことが実際あるのでしょうか。

 福山 柳瀬さんのご指摘はそのとおりです。同じご認識は他の多くの参与員からも異口同音に伺っておりました。ですから、柳瀬さんが他の参与員と比較して厳格であったとの事実はありません。しかし、長年素晴らしい業績を積まれてきたにもかかわらず、2023年の改正法案審議に際して盗聴を含む反倫理的な個人攻撃に曝されて役職継続を断念せざるを得なくなったことについて、その原因を創った者として申し訳なく思っております。

 さて、難民審査参与員の事案の配分の件ですが、法令を無視した極端な判断を回避するためにはやむを得ない場合もあると考えます。次のような理由からです。

 以前元難民審査参与員の方から、難民審査参与員には難民認定審査手続の専門家が一人もいないとの批判がありましたが、筋違いです。私は、多様な専門知が合わさることによって好ましく適正な結果に到達することができると考えていたためです。そのような考え方の下に多くの方々に難民審査参与員をお願いしてきました。快くお引き受けいただいた皆様には心より御礼申し上げます。その中には入管当局に批判的な方もおいでであることもわかっていました。しかし、「日本の難民認定率を引き上げる・下げるべきである」「この申請人は気の毒である・ない」といった、具体的事案とは無関係の個人的信条や感情を判断に差し挟むことは参与員としての逸脱行為です。難民審査参与員は、申請人本人の発言内容、提出資料を基本として自らの知見を活かしながら申請内容を評価してその申請人の認定不認定を判断することが求められています。また、難民認定要件は、1981年に日本が難民条約・議定書に加盟する際に出入国管理令を出入国管理および難民認定法に改正し、同条約・議定書の要件を同法の中に採り入れたものです。難民認定手続も「法律による行政」ですので、それに従っていただけない方に判断を委ねるわけにはいきません。

 

現地のクルド人に迫害の事実を取材

 三好 クルド人でこれまでに難民認定されたケースは、2022年の札幌高裁判決を受けて入管庁が行った1件だけですが、クルド人や支援者は、「クルド人はトルコに帰国すれば迫害される」と主張しています。それが多くのクルド人が日本に残留する根拠となっているわけです。

 これは実際に彼らの故郷に行って、本当に迫害されている現実があるのか取材するしかないな、と思って、昨年5月、川口市、蕨市在留のほとんどのクルド人の出身地であるトルコ・ガズィアンテップ県に行きました。

 具体的には『移民リスク』に書きましたが、出身地の村を歩くと、「こんにちは」と日本語で話しかけてくる男性に何人も会ったし、片言の日本語で、「何年か日本にいた」、「入管施設にも収容されていた」といった話もします。

 川口市にある日本クルド文化協会のワッカス・チカン代表理事の村も訪ねました。伯父のファティさんは、日本に6年くらい在留したが難民申請が認められずに帰ってきたとのことでしたが、今はかなり手広く農業をやっていて、家もなかなか立派でした。定住者の資格を持って川口市で解体業を営んでいる父親のハッサンさんも、ちょうど里帰りをしてファティさんの家にいました。これまでに何回か一時帰国したとのことでした。

 多くのクルド人が日本とトルコを行き来していることがわかりました。ですから、ほとんどのクルド人に関して、トルコに帰ると迫害を受けたり、殺されたりするという主張に根拠はないと見ています。

 私がアンカラでインタビューしたトルコ人の政治学者も、「1980~90年代はクルド人武装組織『クルド労働者党』(PKK)との激しい戦いがあり、クルド人に対する弾圧もあったが、その後紛争は大きく減った。クルド人の権利は拡大していて、クルド語の使用も広く認められている。今でも投獄されているクルド人は、ほとんどが暴力行為を行った人やPKK戦闘員」との見方でした。「今のトルコは、普通のクルド人が難民の地位を得るような問題がある状況ではない。日本から帰国したり、送還されたクルド人が迫害されたケースを聞いたことがない」とも話していました。

 日本クルド文化協会事務局長のワッカス・チョーラクさんも、「日本在留のクルド人で反体制運動を行いトルコで起訴されている人もいるが、政治には関係なく、単に仕事をしたい人もたくさんいる」と言っています。

 ただ、過去には日本の弁護士が、帰国したクルド人が殺害された事例があった、と主張しているのを読んだこともあります。福山さんご自身、難民に該当するような政治的な理由を持ったクルド人を審査したことはありましたか。

 

トルコ国籍者が日本を選ぶ理由

 福山 帰国後、反政府を理由に殺害されたとの話は初めて聞きました。

 過去PKKが過激な反政府勢力としてトルコ政府から認定されていたとの話は聞いておりましたが、実際に日本に来た人たちとは無縁のことと感じておりました。いずれも不認定理由が、難民認定申請人の迫害の恐れの証明がない、説明に信憑性がない、当初から稼働目的の申請であることを自認し、迫害事実の申立てすらないというものだったからです。

 三好 現地では、「貧しく、仕事がないから行く」と多くの村人が話していたし、インタビューした地元市長も、「日本政府は就労許可を与え働けるようにしてほしい」と語っていました。日本に行くのはほとんどの場合、いわば出稼ぎなのではないか。

 もう一つ、日本を選ぶ大きな理由は、トルコ国籍者であれば日本に入国するのにビザが必要ないことです。ヨーロッパ諸国に行くには必要なので、行くまでに数ヶ月かかるが、トルコと日本の間では、査証免除協定を結んでいるので、航空券さえあればすぐに来られるのです。話を聞いた多くのクルド人が、査証免除しているから日本を選んだと認めていました。

 今では川口、蕨市にクルド人コミュニティーができています。クルド人が経営する解体業の会社も多いから、新しく来る人も仕事があるので来やすい。入国してすぐに難民申請すれば、ほとんどの場合は、難民審査期間中は与えられる就労可能な特定活動という在留資格が得られます。

ヘイトスピーチとクルド人擁護報道

 三好 そのような中で、昨今問題になっているのはヘイトスピーチ(増悪表現)です。「クルド人は全員でていけ」といった右の政治活動家からのヘイトスピーチ。反対に主流メディアでは、「クルド人はヘイトの対象となっている弱者」といったクルド人を擁護する報道が主流です。

 しかし、それぞれ極端です。在留資格を持って正規に在留しているクルド人もいます。他方、川口市、蕨市内の地域によってはクルド人がたくさん住んでいて、地域住民が迷惑を受けていることも事実です。殺人未遂やひき逃げ死亡事件もあったし、暴走行為、騒音、ゴミ出しルールを守らない、といった迷惑行為も頻繁に起きています。その実態はきちんと報道して対策を考え、事態を少しでも改善しないと、逆にヘイトを力づけてしまいます。

 取材すれば、難民該当性のあるクルド人はほとんどいないことがわかるはずなのに、難民認定しないのは日本人が閉鎖的で人権意識が低いから、といった報道をする。その多くに偏向性を感じます。難民申請した人はおしなべて弱者、難民認定しない入管はひどい組織。こういった、ステレオタイプの報道は、そろそろ変わるべきです。

 福山 私もいずれの点も本当にそう思います。さらに、ヘイトスピーチには、無内容な反面、単純でわかりやすいだけに、訳のわからないまま暴発的に支持を得てしまうという怖さがあります。

 特にヨーロッパ諸国では、人気取りの手段として排外感情を利用した大衆迎合勢力が、実現の意思も能力もない公約を掲げるのみでおよそ政権担当能力があるとは思われないにもかかわらず、政権を取りかねない状況、または連立政権に参加している状況にあります。

 これまで欧米諸国の様子を見聞きした印象では、「反外国人」「排外国人」の人たちを勢いづかせている責任の一端は「親外国人」および「拝外国人」の国会議員、報道、弁護士、研究者、活動家の人たちにもあるように感じます。相手に対する政治的正当性(political correctness)の押付けです。建前や綺麗事を繰り返し、現実への対応策を示さず、自らの正義を振りかざして相手の主張を差別主義の一言で片付け、時として相手を自分より低く見ようする態度です。本音の議論ができず、貶められていることに嫌気がさし、日常生活の中でも世の中への不満を増幅させてきたところに巧みに付け込んできたのが極右排外主義的大衆迎合勢力のようです。過度なむき出しの本音が多くの支持を集めているのは実に危険な兆候で、そのうち引き返すことすらできなくなるのではないかと危惧します。

 日本がこのような状態に陥らないためには、最後に述べるとおり、現実的かつ理性的な議論が必要です。それを欠いた議論では日本でも社会の分断と政治の混乱を招くだけです。また、不法滞在者減少のために査証免除の停止または査証勧奨措置も考えるべきです。

 

移民受け入れ先進国ドイツから学ぶ

 三好 最後に、移民受け入れ先進国のドイツの現状を例に、移民の受け入れがこれからの日本社会にどのような影響を与えるのか、という問題を考えてみたいと思います。

 現在ドイツは人口8300万人のうち、ほぼ3人に1人が親または本人が移民の移民系住民となっています。中でも大きなグループであるトルコ系は、1960年代からガストアルバイター(契約終了で帰国する外国人労働者)という形で入ってきました。しかし、イスラム教徒が大半のトルコ系は、ドイツ人とは価値、習慣、宗教の隔たりが大きく、文化摩擦、第2、第3世代のドイツ語能力不足や、ドイツ人社会とは交わらない移民の「並行社会」などの問題が指摘され、対策が模索されてきました。

 そうした下地があったところに、問題が先鋭化したのは、2015、16年のメルケル首相による移民受け入れ政策、いわゆる難民危機からです。シリア、イラク、北アフリカからのアラブ系やアフガニスタン人が100万人以上入ってきて、これらの人による犯罪やテロが起こり、ドイツの社会も政治も大きく変わりました。

 私がドイツの特派員をしていた十数年前では、右派ポピュリスト、あるいは右翼、極右と言われる政党がドイツの国会で議席を得るなんてことは想像もできなかった。今でもドイツ政治はナチス・ドイツの歴史が深く刻印されていて、右の政治勢力に対しては非常に拒否反応が強い。そういった芽が兆せば、すぐにメディアや政府機関がこぞって摘む雰囲気がありました。

 しかし、2015年の難民危機以降は、移民排斥を掲げるAfDが支持を伸ばし、世論調査によっては、AfDが、中道保守のキリスト教民主・社会同盟の支持率を上回り、第一党になってしまい、政治が非常に不安定化しています。

 文化的な背景が違う人たちをたくさん入れることが、国や社会にどれだけ大きな影響を与えるかを示していると思います。そういう前例がありますから、日本もそれをよく見た上で移民・難民政策を考えるべきです。

 

「今のドイツは30年後の日本の姿」36年前に感じた危機

 福山 確かに、移民政策は特にドイツの前例などから学ぶべきことは沢山ありますね。

 私が36年前にドイツでその外国人法・政策に関する研究を始めたとき、「今のドイツは30年後の日本の姿」との予感を抱きました。1990年の外国人法全面改正の前年で、改正作業の真最中であった当時も、その約20年前にある憲法学者が指摘したとおり、政治家たちには問題を解決しようという意思も能力もないため、立法府は世論を統合する役割を果たせず、行政府も次の選挙のことばかりで適切な政策を打ち出せず、全てを司法府、特に連邦憲法裁判所に押し付けていたのです。行政府と立法府が機能不全に陥ったため裁判官政治になってしまいました。2004年全面改正法でも同じことが起こりました。

 他方、日本における現状、36年前の予感が当たりつつあるようで、気になります。

 三好 西ドイツの場合、すでに1970年代から死亡者が出生者を上回っていたので、その後も人口が増加しているのは、移民導入によることは否定できません。しかし、減った分が置き換わった結果、3人に1人が移民系という人口構成になったわけです。

 

移民受け入れは少子高齢化対策になるのか

 福山 日本でも少子高齢化対策を移民受け入れの論拠と考える人がいますよね。少子高齢化は本当に解決すべき問題なのか、そうだとしても、移民受入れの問題解決への寄与度をまず検討すべきです。移民を受け入れたことのある国の例を調査して、少子高齢化対策に有効だったのか、その後何が起きたのかを確認した上で議論しなくてはなりません。

 ドイツその他の欧州諸国の現状を見る限り、外国人受け入れが少子高齢化対策として有効であるとは到底思えません。むしろ負の面が大きいように思われます。

 すでに1989年5月13日のNHKスペシャル『外国人労働者・激突討論 開国か鎖国か』で電気通信大学教授(当時)の故西尾幹二さん(ドイツ哲学専攻)が次のように仰せでした。

 「ドイツは、外国人労働者を受け入れる結果、若年層の増加により年齢別人口構成が理想的なピラミッド型に戻ると期待したが、実現しなかった。受け入れられた外国人自体がドイツ人同様少子高齢化したためである」──。

 実際ドイツの統計を見ると当時も今もその通りなのですが、いまだに同じ議論が繰り返されています。

 実は、ドイツの少子高齢化対策は、現状肯定しか選択肢のない中で採られた数少ない論拠の一つでした。同国の憲法には、東ヨーロッパ諸国からのドイツ系移住民を受け入れ、ドイツ人として処遇する義務が規定されています。その結果、1989年の東欧民主化以降これらの国々からドイツ系住民が数十万人単位でドイツにドイツ人として入ってきたのです。実際はドイツ語を話さず、生活習慣も異なる人々の大量流入で住宅難がさらに悪化し、地域住民との軋轢が高まる中で、ドイツ政府はその受け入れを事後的に正当化するしかなく、人口ピラミッド回復という言説を半ば強引に論拠にしていたのです。加えて、社会主義体制を嫌ってドイツに「引き揚げた」これらの住民が保守党の支持基盤で、当時の連邦与党保守党にとって都合が良かったという事情もあったようです。

 なお、類似の事後的正当化の論理は、非ドイツ系の移民・難民にも流用されています。

 さらに、少子高齢化対策であれ、労働力不足の解消策であれ、外国人の受け入れでそれを補うという解決策は短期的なものでしかありません。受け入れた後のことを考えれば、期待どおりの単純計算とは行かないことは他国の実例から明らかなはずです。

 ドイツで私が憲法と外国人法を教わった中のお一人は、当時のドイツの置かれた外国人問題を前にして、ドイツでは1960年代外国人労働者導入には、ドイツ産業界からの労働者不足の声に対応したい保守政党と労働組合員の増加を期待した革新政党が、それぞれの支持基盤への配慮から外国人労働者受け入れという点で奇妙な利害関係の一致をみていたという背景があったところ、日本がドイツの実態を検討した結果外国人労働者導入の代わりにロボットを導入(オートメーション化を推進)したのは、賢い選択であったと、著書及び講義の中で繰り返しておられました。

適正な移民受け入れの規模とは

 三好 私も少子化対策、労働力不足の解消策として、移民をむやみに受け入れることには反対です。ただ、特に地方の企業は労働力が決定的に不足しています。漁業、農業は技能実習生に頼っている現状があります。全く外国人を入れないのも、非現実的だと思います。

 私がドイツにいた1998年に、コール政権から交代したシュレーダー政権は左派政権で、ドイツを移民国家にする政策を進めました。国籍取得の条件について、血統主義に出生地主義の原則を加味する、二重国籍を一部認めるなど、様々な外国人政策を実施に移したのです。

 移民が自分の言語や文化を維持する多文化主義がいいのか、移民はドイツ社会に統合していくべきなのか、という議論が起こりましたが、ドイツ語習得とドイツの基本的価値(人権や多元性)の順守、という2点で、移民をドイツに統合していかねばならないことでは、コンセンサスがつくられていきました。

 当時、「移民の受け入れは、社会の統合能力を超えてはいけない」という議論がありました。つまり、社会への統合を十分にできるように、移民の流入数を一定の範囲内にとどめるべきだという認識がドイツにはあったのです。しかし、2015、16年の受け入れ数は明らかに多すぎたわけです。

 帰国を前提とした外国人労働者としてか、あるいは、永住を前提とした移民として受け入れるかで違いはあると思いますが、受け入れの適正な規模というのがあるのかどうか、あるとすればどのくらいなのか、福山さんはどう考えますか。

 福山 私はその件に関して参考になる数字は持っていませんが、受け入れには慎重であるべきだと思っています。排外主義極右勢力の伸長と外国人襲撃殺害事件が問題となり始めた約30年前のドイツの全人口に占める外国人住民の割合が約9%であったことから判断すれば、遅くともその時点では社会混乱の可能性が存在していたと考えます。ただし、それは、受け入れられた外国人の文化圏とも関係していそうです。

 ドイツの例のとおり、外国人を受け入れるとの選択に関して、人手不足解消を目的とする立場と、それとは本来異質な人道主義を主張する立場が偶然同じ結論に至っただけなのに、いつの間にか外国人受け入れが人道主義的対応であるかのような奇妙な多数意見が形成されました。近年流行している、定義もなく曖昧なままの「多文化共生」や「多様性」もその延長上にありそうです。「多文化共生」「多様性」のために外国人を受け入れるとの議論は、本来の趣旨を取り違えた「多文化共生」「多様性」を自己目的化した議論です。

 昨年、これまであった技能実習制度に代えて育成就労制度を導入する法律が成立しました。これによって企業に課せられる責任、義務が拡大され、明確化されることになりました。そのことによって、外国人を受け入れるとはどういうことなのかを、受け入れる側も自発的に考え、対応せざるを得なくなりますので、その点では非常に良い法律だと思います。しかし、このような内容の法律は本来時限立法とすべきです。このような対応は本質的解決策ではなく、本来の策が功を奏すまでの短期的暫定策に過ぎないからです。法律の趣旨からは、育成就労制度が少子高齢化の暫定的な対策であることを前提としているようもありますが、長期的展望は不可欠であり、当初から明確にしておくべきだと考えます。

 

日本の出入国管理の現在地

 三好 福山さんは長年、出入国管理行政に携わりました。過去には在日韓国・朝鮮人の問題が大きかったし、イラン人や日系南米人の問題が大きく取り上げられた時期もありました。移民・難民を巡る様々な出来事は、常に大きな社会問題だったといえると思います。長期的視点で見た場合、日本の出入国管理行政は今どんな段階にあるとみていますか。

 福山 やはり「ドイツ化」してきたというところですね。立法と行政がいろいろな声、実際よりも大きく聞こえる特定の声に翻弄されやすくなっていると感じます。皆がそれぞれ自分の正義を振りかざすだけの主張をするだけでは立法府と行政府の機能不全と裁判官政治の到来というドイツの二の舞です。行き着く先は、社会の分断と世の中の混乱です。それを止めるためにも、特に世の中のオピニオン・リーダーと言われる方々には賢慮(prudentia)と熟議(deliberation)を求めたいところです。

 もし日本が移民のことを本気で考えるのであれば、そのような議論に参加しようとされる方々それぞれが、議論の前に議論の仕方を学ぶことが近道であるように感じます。

 三好 具体的に、どのような議論の仕方が必要だと思われますか。

 

建設的な移民政策を議論するために

 福山 今後の移民政策を考える際、次の10のことを前提に議論すべきだと思います。

 1.事実確認を怠らず、捏造・歪曲はしないこと。

 2.議論の目的は、相手を打ち負かすことではなく、現状の改善であることを認識すること。

 3.何かを述べるときは、感想ではなく、意見を述べること。

 4.自らの立場を明確にし、その論拠を示すこと。

 5.その時々によって主張内容を変更しないこと。

 6.議論を自己の個人的利益のために利用しないこと。

 7.相手の意見を傾聴すること。

 8.意見の批判はしても人格批判はしないこと。

 9.研究者においては、単に新聞記事や訴訟の際の弁護士の主張を羅列するだけでなく、自らの知見に基づいてそれらの論証に努めること。

 10.他人事ではなく自分事として考えること。

以上を前提として初めて外国人政策についての熟議が可能になるのだと思います。今からでも遅くはありません。

 三好 何を議論するにあたっても重要な心構えだと思います。入管行政、移民難民問題に関する議論はとかく感情的になりますが、福山さんの「10原則」に則って建設的な議論をしたいものです。

 

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