言葉の起源を探るーートリのさえずりとテナガザルのソプラノ【岡ノ谷一夫】【香田啓貴】

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『公研』2019年2月号「対話」

岡ノ谷一夫・東京大学総合文化研究科教授×香田啓貴・京都大学霊長類研究所助教

ヒトはどのように言葉を獲得したのだろうか? トリ、サルの鳴き声によるコミュニケーションからその起源を探る。

動物の鳴き声から言語の進化を探る

岡ノ谷一夫・東京大学教授

岡ノ谷 今日は、ヒトの「言葉の起源」について考えていきたいと思います。いま文部科学省から助成を受けて、「共創的コミュニケーションのための言語進化学」という共同研究(新学術領域研究 evolinguistics.org)を行っています。私たちの領域には、理論言語学から藤田耕司さん(京都大学大学院教授)、複雑系科学から橋本敬さん(北陸先端科学技術大学院大学教授)、発達心理学から小林春美さん(東京電機大学教授)、人類学から井原泰雄さん(東京大学講師)に参画してもらっています。私自身はトリとラットを中心に研究していますから、霊長類の研究者にも参加いただきたいと思って、香田啓貴さんに副代表として入っていただきました。

 言葉の起源と言っても「動物にも言葉がある」と主張する人もいますし、「植物だって会話している」と言う人もいますから、それを言い出すとキリがありません。そこで私たちは、人間が使っている言葉にはどのような特徴があるのか、そこから遡って、人間の言葉はどのように進化したのかを考えることを目的に置くことにしました。我々の言葉には、文字を使った書き言葉や手話などもありますが、もともとは音声です。ですから、動物の鳴き声を研究することで言語の進化を探ることは重要だと考えています。

 香田さんはテナガザルやニホンザルを中心に研究をされていますが、まずは自己紹介も兼ねてご自身の研究についてお話しいただけますか。

香田 今回のプロジェクトではテナガザルを対象にした研究で参加することになりましたが、私のもともとの研究背景はニホンザルを対象にしたものです。特にニホンザルの鳴き声を研究してきました。いま動物の鳴き声を研究している人の多くは、言語を司る脳のメカニズムとの関連性を探索するアプローチが多くなっています。けれども私は、生態学や動物行動学に近い手法をとってきました。屋久島の山奥にこもって、野生のサルを追いかけるフィールドワークの経験が基盤になっています。そこでニホンザルの会話の「ようなもの」を観察することから研究を始めましたが、もともとは大学院に進んで研究者をめざそうという強い信念があったわけでもなかったんです。

 学部生のときには、京都大学理学部の人類進化論研究室に所属しました。ヒトとサルの行動や社会を比較して、人類の進化を考えようという研究室です。当時は西田利貞先生(元日本モンキーセンター所長)が教授としておられ、助教授として山極壽一先生(現・京都大学総長)がいました。私は、人間の会話に関与できるような何らかの研究を卒業論文として修めようという軽い気持ちでいたんです。

 テーマ選定にあたって山極先生に相談に行くと、先生は「嵐山にはカップルが一杯やってくるから、会話を盗み聴きして分析したらどうだ」と提案されました。まぁ冗談なんでしょうが、すぐに「これはダメだな」と却下しました(笑)。

 次に西田先生のところへ行くと、霊長類研究所の正高信男先生(京都大学教授)が学部生向けに集中講義をされるので「行ってこい」と薦められました。この講義で正高先生は、スーザン・ミネカのヘビ恐怖症のサルの実験の話をされて、動物行動学や霊長類研究の面白さを解説されたんです。「これは面白い」と感銘を受けて、講義の後に正高先生のところへ相談に行きました。そうしたらなぜか「じゃあ屋久島に行くか」という話になり、3カ月間、屋久島でサルを追いかけることになったんです。

香田啓貴 いきなりですか。

背中を見ただけでサルを識別できる

香田 そうです。こうして僕は何も知らずに屋久島に放り込まれて、ニホンザルを追いかけることになりました。最初に痛感したのは、野生のサルですから飼育されている動物のようにいつでも簡単に観察できるわけではないことです。まずはおサルさん探しから始まって、その顔を覚える作業から始めます。サルの区別をつけられなければデータになりませんから、研究になるのだろうかという恐ろしさがあります。

岡ノ谷 私は基本的には飼育されているジュウシマツやカナリアなどのトリを対象に研究していますが、アリゾナと沖縄で野鳥を観察するフィールドワークをした経験があります。このときに感じたのがトリというのは、こんなにも見られないものなのかと。フィールドで自由に行動しているトリを見ようとするとなかなか見られなくて、1週間行っても1回も探しているトリが見つからないこともありました。

アジルテナガザル
※テナガザルの写真はすべて香田啓貴氏による撮影。

香田 おサルさんの研究をしていて最初に経験する困難がそれなんです。なかなか見られないときもあります。それでも朝4時から夕方5時くらいまで、一日中双眼鏡を掛けてずっと見ているとサルがいそうな森の目星を付けられるようになるんです。それで大体は把握できるんですが、ひと月経っても初めて見るサルが現れたりするとショックを受けたりします。

岡ノ谷 初めて見るサルということがわかるわけ?

香田 わかるようになるんです。最初は、ここにホクロがあるというような特徴を絵に描いて記録しました。そんなかたちで照合しながら覚えていくんです。それがですね、2週間くらいやり続けると、ある時突然沸き上がるように背中を見ただけでもサルを識別できるようになるんです。

岡ノ谷 あぁ、そういうものなんだ。

香田 この感覚は自転車に乗れるようになることに似ているかもしれません。

岡ノ谷 ある時から突然乗れるようになりますね。

香田 そうなれば、しめたものです。何となくとしか言いようがありませんが、サルを区別できるようになる。

岡ノ谷 クジラの研究者は尻尾のまだら模様で個体識別ができると言いますよね。

香田啓貴・京都大学霊長類研究所助教

おサルさん同士が鳴き交わしていた

香田 そうして追い続けていたらある時、おサルさん同士が鳴き交わしていることに気が付いたんです。あるサルが「フゥッ」と鳴くと、別のサルが「フゥッ」と鳴き返したんです。それがまさしく会話のように聞こえたんですね。サルが相槌を打ったわけですが、それが同じようなタイミングで起きるということを卒業論文としてまとめました。

 僕にとってもっと重要なことは、サルが「フゥッ」と鳴いたときに相手の返事がなかったときに起きたことです。

「岡ノ谷さん!」

岡ノ谷 「ん?」

香田 普通は呼び掛けたら、今のように反応しますよね。今度は僕が呼び掛けても無視してください。

「岡ノ谷さん!」

岡ノ谷 「……」「……

香田 (大きな声で)「岡ノ谷さん!!!」

岡ノ谷 「お?」 無視するわけにはいきませんね。

香田 岡ノ谷先生が呼び掛けに応えなかったので2回目はもっと大きな声を出したわけですが、屋久島のニホンザルの同士でも同じような現象を確認したんです。おサルさんが「フゥッ」って呼び掛けても相手の返事がない場合があって、そういう時はもう1回「フゥッ」って鳴き直すんですが、その声がかなり変化することに気がついたんです。

岡ノ谷 サルでも2回目に問い掛けるときの鳴き声は強めに出ると。

香田 そうです。それがなぜ重要なのかと言うと、サルは声を自由に変えられないことがよく知られていたからです。我々は「あいうえお」と簡単に発音できますが、サルはどんなに訓練されてもできません。

岡ノ谷 トリは逆に自由にいろいろな音をいろいろな順番で出すことができます。それからヒトと同じように親から歌を教わるんです。

香田 状況に応じて声色を変化させたこの観察は「重要なのではないか」といろいろな人に言われて、得意げになって論文にすることにしました。苦労して論文にしましたが、内容に対しては「そんなことはあり得ない」という意見が相次ぎました。日本動物行動学会でも発表しましたが、実はこの時に一番批判的に、教育的にコメントをくださったのが岡ノ谷先生でした。

岡ノ谷 全然覚えていない(笑)。私は「そんなことはあり得ない」って言いました?

香田 「本当に起こるの?」ということを細かく、細かく追及されました。とくに、「きみの研究にはコンセプチュアルフレームワークがない」と鋭く言われました(笑)。かれこれ18年前くらいの話です。

岡ノ谷 40歳ちょっとの頃ですから、私もまだ攻撃的な時でした(笑)。日本では動物行動研究では、京大の霊長類研究所が一番強いですから、研究費を持っていかれているという被害者意識があった。それで、霊長研に生意気なヤツがいると思ったんでしょう。ただし、サルは発声を制御できないにしても、音の大きさならばまぁ変えられるかもしれないなとは考えていたんです。それで、香田さんの発表に強い関心を持ったことを覚えています。

香田 この論文は強く批判されましたが、同時に自分で見つけた現象でもありますから、そこに対して何らかの理由をつけなければならないという気持ちが芽生えることになります。なぜ声が変わらないのか? 脳の神経基盤として、サルの意志で声を変えられないのに、都合よく変わっているのはなぜか?──それを追究するために脳の勉強もしましたし、実験の手技も覚えました。こうして、サルの発声の研究に深く関わるようになっていったんです。

トリとヒトはうんと離れている?

岡ノ谷 私はアメリカでトリの聴覚の研究で学位をとりましたが、日本ではトリだと研究費を獲ろうとしても難しかったんですよね。なぜなら、トリはヒトとはうんと離れているとみんなが思っているからです。だから、いくらトリの研究をしてもヒトのことはわからないだろうという思い込みが一般にはとても強いんです。

 進化の歴史を示した系統の分岐から見れば、確かにヒトとトリはかけ離れています。けれども系統では離れていても、実際に現れている行動では関連している部分がいくらでもあります。例えば、トリは空を飛びますが、ほ乳類でもコウモリなんかは飛びます。トビウオも飛ぶと言えば、飛ぶ。だから飛ぶという機能に関しては、系統とは直接の関係がないですよね。トリの歌とヒトの言葉も同じような関係があると考えて、私は研究してきました。

 ということで、私も香田さんも動物の鳴き声を研究していますが、ヒトの言葉のことを知りたい思いがずっとあるわけです。私も香田さんも動物が好きですから「ヒトが特殊だ」と言うよりも、ヒトの言葉も動物の鳴き声の進化の道筋に位置づけることができると考えているんですよね。このあたりは一緒でいいですか?

シロテテナガザル

香田 その通りです。サルとトリの違いに着目して明らかに違うのは、サルは声を自由には変えられなくて学習が制限されていることです。ヒトは非常に柔軟に学習ができる。発声の学習がヒトにおいてなぜ起きたのかという問題に正面から切りこむのがサルの役割になるのだと思います。それに対してトリは離れた系統ですが、なぜかその能力がしっかりとある。トリにおいてなぜ発声の学習が起きたのかを調べることは、ヒトがその能力を備えることになった背景を考える重要なヒントがあるように思います。

岡ノ谷 香田さんはサルと言っても、霊長類研究の名物でもあるチンパンジーではなくて、ニホンザルとテナガザルを研究対象にされていますね。研究する動物はどのように決めたのでしょうか?

香田 テナガザルは、不思議なおサルさんで歌を歌うんです。それも連続的な歌で「ウハッ、ウハッ、ウハッ」と本当に綺麗に歌います。ここにはあるパターンや規則があるのではないかと思われる歌い方です。断続的に、連ねるように発声することはサルのなかでは珍しいことで、ニホンザルはそういう声はあまり出しません。チンパンジーも目立って、そういう声を出すことはありません。なので、テナガザルの歌を調べることで何か大事なことがわかるのではないかと考えたんです。

 実際には、師匠である正高信男先生が獲得した予算の都合でテナガザルで新しい研究を開始するというきっかけがあったこともあります。そうしたきっかけがあったにしても、テナガザルに出会ったことは僕にとって大きなことでした。岡ノ谷先生は、トリを研究の対象にされるきっかけはあったのですか?

岡ノ谷 私の場合はよく誤解されるんです。トリの鳴き声を研究していると「バードウォッチャーですか?」と聞かれたりしますが、野鳥にはあまり詳しくないんです。「あれは何?」と聞かれてもわからないことが多い。私はトリ自体が好きというよりも、親から鳴き方を学んで歌うといった現象が面白いと思っています。だから、いろいろなトリのことを知るより、むしろある特定のトリを使って、どうやって鳴き声を獲得していくのかということに興味があります。

 学部生の頃に、動物には人間が作った音楽がどのように聞こえているんだろうかという疑問がふと芽生えたんです。果たして人間と同じように反応しているのだろうか。悲しい曲を聞くと動物も悲しく感じるのだろうかと。私はずっとギターを弾いていましたから、動物に音楽がどのように聞こえているのか気になったのでしょう。

 音楽というのは、感情を励起しますよね。短調は悲しい、長調は嬉しいというように。そして、動物は短調と長調を聞き分けることができるのだろうかと考えました。そういうことができそうな動物はやはりトリだろう。しかも、歌が上手なトリということでカナリアを使った研究を始めたんです。まずは、とにかくカナリアに短調の音楽と長調の音楽を聞かせました。そして、それを聞き分けることができるかどうか「オペラント条件付け」という方法で調べてみました。ある音が聞こえてきた時はボタンを嘴でつつき、そうではない時はつつかないという実験のやり方です。その結果、訓練すれば聞き分けできることがわかりました。

 けれども、音階の一部に♭(フラット:半音低い)が付いているのが短調で、付いていないのが長調ですから、カナリアは半音の差がわかれば区別できます。ですから、自分が最初に抱いた「トリは音楽を聞いて感情が動くのか」という疑問を解決することとは本質的に異なる研究を一生懸命やっていたわけです。そのことに気が付いて、逆にトリの聴覚特性のことをもっときちんと勉強したいと考えるようになって、アメリカのメリーランド大学に留学することになりました。その当時、トリの聴覚特性についてほぼ唯一研究されていたドゥーリング先生のところに行って、トリの研究を始めたというわけです。

ハダカデバネズミの音声コミュニケーション

香田 岡ノ谷先生は、ハダカデバネズミというほ乳類も研究対象に選ばれていますね。

シロテナガザル

岡ノ谷 トリの発声を研究しているうちに、トリとヒトとでは脳の構造がずいぶん違うことを痛感しました。脳から見るのであれば、やはりほ乳類を使ったほうがいい。でもサルを使うのであればここ(霊長類研究所)にくるしかありません。それもなんだか悔しい。なので、サル以外のほ乳類で頻繁に音声コミュニケーションする動物を使おうと考えて、ハダカデバネズミという動物を南アフリカから輸入しました。

 ハダカデバネズミはいろいろな声を出すんです。地中に巣をつくって暮らしていますが、トンネルのなかで二つの個体がすれ違うときには、ある個体が「フィ」「フィ」と鳴くと別の個体が「フィ」「フィ」とお互いに鳴き合ってすれ違います。この現象は、先ほど香田さんが紹介されたサルが鳴き返すタイミングと同じような規則に則っていたんです。自分で鳴いて相手がすぐに鳴くと、また鳴き返す。それから、自分が鳴いても相手が鳴かないでいるともう1回鳴くんです。最初はトリから研究を始めましたが、ほ乳類にも対象を広げていって、本家であるサルの研究にも少しずつ寛容になってきたというわけです(笑)。

 香田さんが今まで研究されてきて、こんな発見があったというお話をお聞かせいただけますか?

サルを鳴き返させることはできるのか?

香田 最近の話をします。先ほどお話ししたように、研究の道に進んだきっかけはニホンザルの鳴き声が変化するという現象を見つけたつもりでいたことです。論文にまとめましたが多くの批判をいただきましたから、いつかはそれを払拭したいという気持ちを持って研究を進めてきました。

 この5年間はサルにきちんと発声の訓練をして、この現象を正面から考えようと心に決めて取り組みました。けれども、これは覚悟が要ります。なぜならサルは声を変えたり、覚えたりする発声の学習がとにかく苦手なんです。何らかの手がかりに基づいて、意図的にサルを鳴かせる訓練をすること自体が難しい。なので、多くの研究者が敬遠していました。できないとは言いませんが、あまりに訓練に時間がかかる。じっくりと訓練してもできないおサルさんが出てくることもあって、ここには取り組まないという流れがこの20年間にはあったのだと思います。

岡ノ谷 香田さんがニホンザルに発声の訓練をしているという話を聞いて、確かに私も「香田のアホがまたそんなことを始めたのか。できっこない」と思いました(笑)。

香田 ところが、やってみるとできるようになったんです。

岡ノ谷 諦めないのがすごいところですよね。

香田 次のような訓練をニホンザルに1年間かけて仕込みました。モニターに赤い画面を映し出したときに「フゥ」と鳴くことができれば、ある一定の時間を置いて餌がもらえます。

 「ピッ!(赤い画面が付く)」、サルが「フゥ」と鳴く、餌がもらえる。

 「ピッ!」、「フゥ」、餌。「ピッ!」、「フゥ」、餌。

 これを繰り返すことで、訓練します。これができるようになれば、やるべきことはもうわかっています。

 「ピ!」と赤い画面が出て、「フゥ」と鳴く。この時に餌がもらえなければ、おサルさんはもう1回鳴くのではないかと僕は考えました。そして、その時に最初のときと声が変われば、屋久島で最初に見つけた発見を実証できます。「そんなことはあり得ない」という批判も払拭できる。そう思ったんです。それができたら、僕はもう研究を辞めてもいいとさえ思いました。

岡ノ谷 そうでしたか。

香田 1年間かけてサルを訓練して、ついにその実験に取り組む日が来ました。その日は朝から本当にドキドキしました。

「ピ!」、「フゥ」、餌がもらえない。

さて、何が起きたと思います?

岡ノ谷 もう1回鳴いたのではないですか? 1回目よりも高いテンションで。

香田 違います。答えは、鳴けないんです。

岡ノ谷 「鳴けない」ですか。あぁそうですか。

香田 「ピ!」、「フゥ」、餌がもらえない、サル「…………」。

岡ノ谷 それで終わっちゃうんですか?

香田 ものすごく時間が経ってから、おそらく前の声とは独立した声を押し出すように「フゥ」と鳴くんです。これはきっと僕が見たいものではなかったのだと思うんです。

サルの発声は他の運動とは違う

岡ノ谷 はー。でも、研究を辞めないで済んだとも言えますね。いつくらいの話ですか?

香田 3年前です。何が起きたのかは、まだ理解できていません。この結果には本当に落ち込むことになりました。あまりにもショックだったので、他の研究をしてみました。今度は「ピ!」とモニターに赤い画面が出たときに、ボタンをタッチできたら餌をもらえるという訓練をしました。発声から「触る」という運動に変えたわけです。

岡ノ谷 結果は?

香田 餌がもらえないと間違いなくすぐにもう1回ボタンを触りました。それも最初もよりも強く、叩くように触るんです。計測したわけではありませんが、興奮していますから最初より強いことは明らかだと思います。サルは手先がものすごく器用なんですから、ヒトとよく似た進化が起きたのだと思います。

 この二つの実験を通して、サルの発声は他の運動とは違うことが深く理解ができました。このケースでニホンザルは鳴けないことは、ある種の発見ではありますが、なかなか論文にはできない側面があります。なぜこういうことが起きたのかをまだ理解できていないからです。

岡ノ谷 2回目に時間が経ってから鳴くというのは、どのくらいの時間が経ってからですか?

香田 30秒くらいです。

岡ノ谷 うーん。その間は口をモゴモゴしていたりするんですか?

香田 モゴモゴですか? どうですかね。何とも言い難い感じです。

口をモゴモゴさせてしまうサル

岡ノ谷 実は私も、友だちである入来篤史さん(理化学研究所)と一緒にニホンザルの研究をしたことがあります。サルに熊手を使わせて遠くにある餌を取らせる訓練をしていました。そうしたら、サルが熊手を取る時に鳴くんです。それから、熊手がなくてもそばに餌があればただ餌を取るんですが、そのときも鳴きます。この二つのケースでは、それぞれ鳴き声が何か違うものですから分析したんです。まずは確かに違うことを示して、なぜ違うのかを考えました。

 餌を直接取ることができるときと、熊手を取ってそれを使って餌を取るときとでは「情動」──人間で言えば感情のことです──が違います。気持ちの状態が違うのでしょう。なので、気持ちの状態に応じて鳴き声が変わっているのではないかと考えました。サルは鳴き分けているわけではないが、気持ちの状態が違うから鳴き声も違う。それが出発点になって、「熊手が欲しい」あるいは「餌が欲しい」という鳴き分けがだんだん起きてきたのではないかということを研究しました。

 この実験ではサルはまず1回鳴くと、いきなり餌がもらえるか、あるいは熊手がもらえる。熊手がもらえただけではダメなので、その場合はもう一回鳴きます。そうすると遠くに餌を置いてもらえて、サルは熊手で餌を取ることができる。サルは鳴かないと熊手ももらえないし、結局、餌ももらえない。この時によく観察されたのが、餌を置いてしまえば割とすぐに鳴きますが、熊手が欲しいときはモゴモゴしていてなかなか鳴けないことです。

香田 それですよね。おそらく鳴くという目的自体は、サル自身もわかっている可能性がある。しかし、それを運動には起こせない事態が起きているのではないかと思います。

岡ノ谷 口をモゴモゴして、10秒くらいしてからようやく「ホォウ」という感じで鳴きます。

香田 押し殺したような声ですか。

岡ノ谷 そういう鳴き方です。

香田 僕の研究でも、普段とは違う鳴き方でした。本当に吐息のような鳴き方です。これはまだ研究的な発見にはなっていないのですが、僕のなかでは一番大きかった事実です。

岡ノ谷 もしかしたら脳状態の違いを検出して何らかの解釈が可能かもしれませんね。

香田 そういうことになるのだと思います。

岡ノ谷 逆に1回鳴いてしまった後は、しばらく抑制が働くのですかね?

香田 発声という運動に至る前の準備期間がサルにとってはたいへんなのではないかと思っています。1回発声すると、次の運動の準備に時間がかかる。そんなことが起きている気がします。

無数の思考の循環を実現できるのがヒト

岡ノ谷一夫・東京大学教授

岡ノ谷 先ほど、トリとヒトとでは隔たりがあると多くの方は思っているという話をしました。それに対して、チンパンジーやボノボなどの類人猿はヒトにずいぶん近いのではないかと思われています。だったら鳴き声だってヒトに近いとお考えになるのは自然かもしれません。けれども、発声に関してはヒトとのあいだには大きな隔たりがあります。このことをどのように説明したらよいと香田さんはお考えですか?

香田 発声とは違う角度から話をします。ヒトには自分ができることを相手に伝えられる能力が備わっていて、そこが他の動物とは大きく違っていると僕は思っています。さらには、自分がやった行為をそのまま自分のなかに取り込むことができる。なので、新しいものをつくる出力と入力の循環のような仕組みがあると、新しいことが次々に起きるのではないか。そういうことを最近よく考えます。

岡ノ谷 難しいですね。もうちょっと噛み砕いていただけると助かります。

香田 例えば、道具をつくるという行為があります。道具というものは、二つのものを組み合わせて一つのものをつくることの積み重ねではないですか。その行為は他の人に伝えなくてもよくて、自分のなかで次に新しいものをつくっていくプロセスを経ています。今ここにあるMacbook Proもたくさんの部品が組み合わさってできた構造体です。この構造体によってきっと新しい機能が出てきて、それを取り込むことでまた新しい何かをつくることができる。そういう無数の思考の循環を実現できるのがヒトなのではないかと思うんです。

 自分の出力を利用して、次に伝える。それは別の人物でも個人の内部でもいいのですが、そういう循環の過程がヒトの進化の過程で、あるときに備わったのではないかというのが最近の僕の考え方です。

岡ノ谷 その能力が備わったきっかけは何なのだとお考えですか? 突然変異でしょうか? それとも社会的な要因が影響を与えたのでしょうか?

香田 深くは考えていませんが、まったく違うきっかけでそういう能力を獲得したのではないかと思っています。社会的な要因というよりは、よくある話ですが、二足歩行をするであるとか、別の身体設計の変化で脳が大きくなる変化が生まれたのではないか。そして結果的に、そうした循環的な発想を可能にする脳のメカニズムを獲得したのではないかという筋書きです。

テナガザルのソプラノ

岡ノ谷 直立歩行をするようになったことで脳が大きくなり、ヒトがいろいろな能力を獲得したのは間違いないと思います。それから、やはり社会性というものがヒトに大きな影響を与えたと私は思っています。

 ヒトはサルとしては弱いので、集団で自分たちを守らなければならないところがあって、それが社会を形成することにつながります。社会を維持するためには、誰と誰の仲がよくて、誰と誰が敵対しているといった情報を保持しなければなりません。そして、その社会的な関係をスムーズにするために発話が使われるようになったという道筋ではないかと私は思っています。

香田 岡ノ谷先生のほうが、最近の霊長類学者にやや近い考え方のような気がします。

岡ノ谷 そうなんですか。

香田 僕のほうがむしろ、そうした社会性の影響についてはあまり積極的に言わなくなったところがあります。

岡ノ谷 まだ言う段階ではないということですか?

香田 社会性とはあまり関係のないところで道筋がうまく組み合わさることで、ヒトは言語の能力を獲得するに至ったような気が僕はしています。一つのきっかけがテナガザルの研究にありました。テナガザルは、連続的な声を出します。ヒトでもあそこまで連続的に大きな声を出し続けることはできません。そんな動物は他には見当たりません。

岡ノ谷 「ハンフゥ」「ハンフゥ」「ハンフゥハァ~」

香田 それはチンパンジーですね。テナガザルは「フハハ、フハハ、フハァ、フハァフ~」という感じに鳴きます。これを2、3時間くらい繰り返すんです。ここ霊長類研究所にもテナガザルはいますが、朝によく鳴いています。朝方はここから歩いて20分くらい離れた犬山駅まで鳴き声が聞こえることがあります。それぐらい遠くまで声が飛ぶんです。

岡ノ谷 住民の方は、なんだと思っていらっしゃるんでしょうね。

ボウシテナガザル

香田 チンパンジーと勘違いされているかもしれないですね。テナガザルはそれだけ遠くまで声を飛ばして長時間歌い続けるにも関わらず、身体が小さくて5キロくらいしかありません。ネコと同じくらいで、ヒトで言えば6カ月くらいの子どもと一緒です。喉の構造は、基本的にヒトと一緒です。ヒトの赤ん坊は遠く離れたところまで3時間も声を枯らさずに鳴き続けることはできませんから、とてもヘンなことが起きています。テナガザルは、何らかのかたちで身体の仕組みが変わったと考えるのが妥当だろうと思います。

 テナガザルが実際に発声しているときの身体内部の状況を観察して、数理モデルを立てて、どういう鳴き方の状況に似ているのかという研究をしたことがあります。その解としては、ソプラノ歌手と同じような歌い方をしていることがわかりました。要するにテナガザルは小さくても疲れないような身体のつくりをしていて、歌声を遠くに上手に飛ばせる歌い方を身に付けているわけです。人間がソプラノ歌手のように歌うには相当な訓練を積まなければなりませんが、テナガザルはすべてのテナガザルがそういう歌い方を習得できる。やはり、生まれながらに身体のつくりや動き方がそれを可能にするように変化したのだと思います。

 多くの生態学者は、そこにテナガザルの社会性を結び付けることが多いんです。テナガザルは面白い特徴を持っていて、ペア型なんです。トリと比較的似ているのかもしれませんが、オスとメスがつがいになって群れをつくり、それをずっと維持します。子どもたちは大きくなると、群れから外に出て行って新しいペアをつくります。ヒトの社会で言えば「核家族」と表現される形態です。そうした社会に沿って、オスとメスが仲の良さを維持できるように、歌を歌うというコミュニケーションが特殊に進化したのではないかと説明をする学者が多いと思います。

身体のリズムが発声のリズムに

香田 僕の考え方は少し違います。テナガザルは進化の過程で身体を突然小さくした動物です。チンパンジー、ボノボ、オランウータン、ゴリラなどと比べると身体は小さいですが、同じ類人猿です。なので、そうした仲間たちに近い系統です。テナガザルはヒトにも近いとも言えます。他の類人猿や我々ヒトは身体を大きくしましたが、テナガザルは逆に小さくしていきました。それはなぜなのか? 答えは、彼らが樹上に適応していったからです。「ブラキエーション(腕渡り運動)」と呼びますが、テナガザルは非常に強い腕力を持って樹間を行き来します。このぶら下がり運動はテナガザルのすぐれた特色ですが、身体が小さくなったことがきっかけで、特殊化が進みました。そして、この運動こそが彼らの独特な発声に影響したのだと僕は思っています。

 ぶら下がり運動を続けると、「キュッ!」「キュッ!」「キュッ!」といったタイミングで森の樹々を渡っていくんです。その時に、おそらく身体はオン・オフのようなかたちで樹々に掴まっていくのだと思います。その動作にリズムが生まれて、それが発声のリズムになっていったのではないかというのが僕の仮説です。

 社会の要請で何か特殊な能力がうまいこと辻褄が合うように進化したというより、生息環境や身体のつくりの変化が発声にも影響したという考え方のほうが僕は好きです。

岡ノ谷 「好き」というのは、直感的にそう思うということですか?

香田 現状ではそうですね。今の科学の手法では証明するのが難しいところがあって、まだ「好き」としか言いようがありませんが、いま話した考え方のほうが自分の信念には合っている気がしています。

岡ノ谷 ヒトが獲得した発声の可塑性──いろいろな音が出せること──は、テナガザルの発声のあり方とはまた別ですよね。それについては、何か仮説や好きなアイデアはありますか?

香田 残念ながらありません。二足歩行が重要な意味を持つということくらいしか、現状では思いついていません。二足歩行からヒトの発声の自由な可塑性にいたる経緯はうまくつながっていません。テナガザルが樹々の間を腕渡りすることで歌を得たように、ヒトも同じように身体動作のリズムから発声を獲得する道筋があるのではないかとイメージしています。

岡ノ谷 確かにテナガザルのような腕の動きであれば、胸郭の動きに直結するから呼吸の自己制御につながる可能性はあります。ただ、足だとそんなにはつながらないのではないかと思うんです。

香田 垂直二足歩行は、すべてのヒトができるようになるヒトにしかない重要な特徴です。そして、直立の姿勢を制御するために脳基盤の意外なところも働いています。それは前頭前野なんです。その発達がきっかけとなって他の運動機能に伝播して、発話を生み出すような脳の領域の発達を促したというストーリーは悪くない気はしています。ただし、それでも確かにまだ遠いですね。

産声仮説

岡ノ谷 霊長類は大体220種類いますが、そのなかで発声の可塑性が非常に強いのは、ヒトしかいません。多くのサルは順番すら変わらずに、ある鳴き声をある一定のパターンで出すわけですね。類人猿であるテナガザルはいろいろな音が出せますが、基本的には生得的に決められた音声パターンが多いと言っていいですか?

香田 いいと思います。

岡ノ谷 ただ、順番が変わることはありますよね。

香田 順番は変わります。

岡ノ谷 ヒトはいろいろな組み合わせで発声するだけではなく、いろいろなパターンの音を出すことができます。初めて聞いた音でも突然真似することもできる。なぜヒトだけがこんなに抜きん出ていろいろな音を出せるのか。この疑問に対して、私が考えたのが「産声仮説」です。ヒトの赤ん坊ほどよく泣く生き物はいません。森やサバンナに住んでいるサルの赤ん坊がヒトの赤ん坊並みに鳴いていたら、すぐに見つかって食べられてしまいます。

 それではヒトはなぜ食べられないのか? それは食べられないようなかたちの社会をつくっているからです。その前に、そもそもいつからヒトには毛がなくなったのかという疑問を考えることも重要だろうと思います。毛がなくなったことで、赤ちゃんはお母さんにしがみつくことができなくなりました。だから、赤ちゃんはしばしば地面に置かれることになって、赤ちゃんから母親の保護を求めるときは、泣く(cry)ことになります。

 けれども、泣くことは外敵に自分の存在を知らせてしまうことでもありますから、危険です。ずっと泣かせておくと、むしろ親も食べられる可能性が出てきます。だから、赤ちゃんを泣かせておかないような行動が進化しました。こうしてヒトは男女が共同繁殖をしているうちにお互いに守り合うことができて、それで赤ん坊が少々泣いても危険がない環境が整っていきました。

 それから、泣くという行動で親を制御している点に私は注目しました。赤ちゃんはおっぱいが欲しいときの泣き方、寝たいときの泣き方、それぞれ違います。親はその泣き声を聞いて、文脈のなかで何が要求されているのかがある程度わかります。赤ちゃんもわかってもらえるように泣き分けています。ヒトが言葉を獲得した始まりはここにあるのではないか。この考え方が「産声仮説」です。

 だとしたら、ニホンザルやチンパンジー、マーモセットだって赤ん坊は泣く(cry)ではないかという疑問が出てくることになりますね。

香田 確かにそうですが、ヒトの赤ん坊の泣きは特殊です。まったく別の「心の状態」、だと僕は思いますね。けれども、それについて文献的には意外と報告されていません。ヒトの赤ん坊のcryがサルの系統で特殊だということを断言することは困難で、そういう論文もあまりなかったりします。けれども我々の直感的な印象に基づいてしまいますが、やはり違いますよね。

岡ノ谷 そう、よくわからないけど違う。まったく違いますよ。サルは親から離れざるを得ない状況になった非常事態のときに、喫緊の危険信号としてのみ泣きます。ヒトの赤ちゃんは、基本的にいつでも泣きますから状態は違います。どういうことなのかと言えば、その喫緊の危険信号としての泣きが日常的に使われていて、コミュニケーションの信号に変化していったのではないか。

香田 そういうことなのだろうと思います。

岡ノ谷 現象としてはね。メカニズムとしてはちょっとわからないけど。私はずっとトリをやっていたのですが、赤ちゃんの泣き声の研究もするようになりました。赤ちゃんの泣き声がある程度、親を操作しているというのは直感的にはその通りです。親のほうは、赤ちゃんが何をしてほしいのかをある程度は感じています。親に聞くと皆「推測できる」と言いますが、実際に赤ちゃんの声を録音して2週間以内にそれを親に聞かせて、「赤ちゃんは何をしてほしいのですか?」と訊ねても割とわからないんです。偶然のレベルでしか当たりません。だから、親は泣き声と状況を加味して判断していると考えられるわけです。

 逆に、産まれてすぐの赤ちゃんは同じパターンでしか泣きません。「フギャー、フギャー、フギャー、フギャー、フギャー、……」という感じで、同じパターンで泣きます。これでは親は何をしていいのかわかりません。結果として、生まれてすぐの赤ちゃんにはあらゆる世話をすることになります。そのほうがいいわけですよね。すると段々と親も赤ちゃんも泣き分けを理解するようになります。どういう世話をしてほしいのかを親は理解するようになるというシナリオを考えています。ただし、これを考えたのは10年以上前ですが、依然としてこの仮説をきちんとサポートするデータは取れていません。

トリのヒナとヒトの赤ちゃん

香田 赤ん坊の泣き声が言語に至るという発想の手掛かりには、何があったのでしょうか? トリの鳴き声ですか? 実際の赤ちゃんの泣き声ですか?

岡ノ谷 この仮説を考えたときは、独身だったので、実際にそれほど赤ん坊の泣き声は聞いていません。トリのほうです。

 大まかに言うと、トリはアヒルやニワトリのように卵から孵ってすぐに歩き出す鳥と卵から孵って2週間くらい巣にいるトリとがいます。巣にいるほうは、餌ねだりのために「ウェー、ウェー、ウェー」って鳴くんですね。この場合も鳴かせたままでは天敵に食べられてしまうので、親は一生懸命に餌を運ぶんです。だからトリのヒナは、緊急性の有無に関わらずとにかく餌が欲しいときは鳴き続けます。この点は、ヒトの赤ちゃんの泣き声に近いのではないかと思うんです。ヒナの鳴き声は、警戒音声というよりコミュニケーション音声として親鳥が餌を運ぶ行動を誘発していることは確かです。かつ、捕食者が接近していることを親に伝える危険信号でもあります。もちろん捕食者を呼んでしまう信号としても機能し得るんですが……

香田啓貴・京都大学霊長類研究所助教

香田 僕もヒトの赤ん坊の泣き声を探ることが極めて大事なのではないかという信念を持っています。先ほどニホンザルの発声の訓練の話をしましたが、そのときにヒトの赤ん坊の泣き声が言葉の起源を探るうえでは重要な意味を持つのではないかと考えるようになりました。ニホンザルの発声訓練は何度も言いますが、たいへんです。ただ、こちらも学習するので2カ月くらい経つと、こうしたら上手く行くというコツのようなものを掴みました。ポイントは二つあります。まず一つは、よく鳴くサルを見つけなければ訓練は進みません。普段からよく鳴くサルを訓練することは、比較的容易です。

 もう一つは、ある運動を起こさせるプロセスをいきなり仕込むのではなくて、とにかく特定の状況下で鳴き続けることを覚えてもらうことが大事なんです。そこから、ある特定の条件で鳴けば餌がもらえる。そうではないときはもらえないということを覚えてもらう。つまり、ずっと鳴いている状況から、ある特定の条件以外では鳴くことを抑制してもらうわけです。これが近道なんです。

岡ノ谷 なるほど。

香田 先にたくさん鳴くがありきで、そこから削ぎ落として特定のものと結びつけるが次の段階です。なので、ヒトの赤ん坊の泣き方と似ているのではないか、と思うところがありました。なので、岡ノ谷先生の今の意見には完全に同意です。

それでも残る人間の特異性

岡ノ谷 私はヒトの赤ちゃんがよく泣いている間に、脳のなかの泣き声を制御する仕組みが発達していくのではないかと考えています。霊長類のすべてがわかっているわけではありませんが、少なくともヒトは大脳皮質運動野、延髄、呼吸中枢が直接つながっています。そして、歌を学習するトリもこれが直接つながっています。ところが、ヒトに近いチンパンジーはつながっていません。ニホンザルもつながっていない。トリのなかでもニワトリなどは、つながっていません。

 ヒトではどのような過程でこれらの脳構造がつながったのかと言えば、やはり泣き声で親を制御することが進化の過程で適応的になるような変異があって、その変異が保存されオトナになっても残っていったのではないか。言葉の起源には、まずは発声の制御がうまくなることが準備としてあるのではないか、というのが今のところの私の仮説です。

 私たちはこうして言葉の起源を動物から探ることを続けていますが、それでもやはり人間のことはわからない。そういうところがどうしても残ります。ヒトがコミュニケーションから言語を創造する過程には、どうやらさらに一段階何かがある。そのことをもって、「人間は特別である」と私はできれば言いたくないのですが、それでもやはり人間が特殊な動物であることは認めざるを得ないところがあります。さらに我々は、言語というコミュニケーションをデジタル化して蓄積する文化をつくってしまいました。これを再びゼロからつくり上げることは、とてもできないわけですよね。

香田 できません。まったくその通りです。

岡ノ谷 我々の文化は、言語のコミュニケーションをもとにして信号化されデジタル化され、その組み合わせによっていろいろな表現ができるようになりました。そして、伝達や蓄積が可能になって今に至っています。それはやはり人間の特殊性です。進化というのは連続性ですが、言語ができた時点で新しい時代が始まったと私は考えています。そのことによって、ヒトという種の寿命はむしろ短くなったのかもしれません。将来的には、ヒトの替わりとなるエージェントをつくって銀河系に蔓延することになるので、「それで構わない」などと考える楽観的な方もいますが、それが幸せなことなのかどうかはわかりません。

香田 悲しんでいいのか、喜んでいいのかよくわかりませんね(笑)。

AIでサルと会話ができる?

岡ノ谷 ヒトの言葉の第一歩について、研究をトリから始めた人とサルから始めた人とで議論を続けてきましたが、この辺りで意見が収斂してきたように思います。最後に今日のテーマからは外れますが、我々の動物行動学は、現代の情報科学研究に貢献し得るのかどうかということを少し考えてみたいと思います。

 いまAI(人工知能)やビッグデータなどの情報技術が急激に発展しています。そのことで、人間の暮らしや人生観も変わっていくのではないかという議論が盛んになされています。このような時代において、森の奥に行ってサルを見ていたり実験室でジュウシマツの歌を調べていたりする我々の研究がどのような役割を果たすのだろうかと、このところよく考えるんです。実際に社会は情報技術を中心に変わって行っていますから、この流れは止められないでしょう。もっと言えば、この流行に乗せた研究をしなければ研究費が出ないという事態になることも考えられます。そこで私たちはどういうことをすべきなのか。香田さんはどのようにお考えですか?

ホオジロテナガザル

香田 AIはこの1年間であっと言う間に進んだのだと思います。実は最近、霊長類研究所に「サルと会話できるシステムをつくりたい」といった相談をされる民間の方が結構いらっしゃる。話を聞いていると、データさえあってそれを読み込ませてしまえば、「できる」という強い自信を持っている人がほとんどです。そのデータにどういう特徴があるのかわからなくても、とにかく分類できてしまって、人間が研究してきたことの蓄積やそこから得られる考察を凌駕するようなことはあり得るのでしょう。特に深層学習という手法は一気に発展していますから、おそらくできるのだと思います。

岡ノ谷 でも、それは会話ではないでしょ?

香田 そうです。それが何なのかは、よくわかりません。チューリング・テストと呼ばれるテストがあります。機械でつくられた知性を人間がテストして見分けがつかなければ、その人間の能力は機械的に実装されたと言えるというような考え方です。そのトリ版やサル版ができるか可能性があります。つまり、機械が自動的につくったトリの歌やテナガザルの歌を聞かせて、実際のトリやテナガザルが反応したら、チューリング・テストに合格したようなものですよね。サルと「会話」できる機械は、きっとできるのだと思います。それも近未来と言うよりも、数年以内というようなすぐそこある将来なのだと思います。それらに直面したときに、我々はどうすればいいのか考えなければならないと最近強く思います。それがどういうことなのかは、まだ明確にはわかりません。

NI(自然知能)の重要性

岡ノ谷 我々はそうした研究をしている人たちに何か新しいアイデアを提供することはできるのでしょうか?

香田 あると信じているので、われわれの価値はあるし、楽しさがあるのだと思います。と言うのも、我々の研究は動物たちがなぜ歌を歌うのか、どのようにコミュニケーションをしているのかを考えるものです。そうした動物たちの行動を通じて、進化について考えています。そこの情報を取り込んでいないトリ機械、サル機械はまだまだ魅力のないものではないかと思うんです。なので、実際のサルやトリの生態、暮らし方、生き様、進化の過程を語ることで貢献できることはあるのではないかと思っています。

岡ノ谷 そうですよね。今後の情報技術では、動物たちが長い時間の進化の過程で獲得した行動をよく理解しておくということが大事だと私も考えています。データ主義という点では進んでいますが、動物たちがどういう文脈でどういう行動をするのかという知見こそが大事です。それが入っていない人工知能は、人間にとってはつまらないものではないかと思うんです。最初は珍しいから面白がるでしょうが、それが私たちの暮らしに溶け込むものになるのかと言えば、なかなかそうはならないでしょう。

 人間にとっても面白いものにするためには、やはり動物行動の理解が必要ではないかと考えています。だから、私は人工知能に対抗して、NI(Natural intelligence:自然知能)という概念を打ち出していこうと思っています。AIに対抗してNIだと。NIの特徴を調べていく研究のやり方を提言していこうと思っています。

香田 面白い考え方です。NIは未だにわからないことだらけですからね。そこにこそ我々の研究の意義があるのだと思います。(終)

岡ノ谷 一夫・東京大学総合文化研究科教授
おかのや かずお:1959年栃木県生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、米国メリーランド大学大学院修了、博士号取得。千葉大学助教授、理化学研究所脳科学総合研究センター生物言語研究チーム・チームリーダーなどを経て、2010年より現職。著書に『「つながり」の進化生物学 はじまりは、歌だった』『さえずり言語起源論』『ハダカデバネズミ』など。
香田 啓貴・京都大学霊長類研究所助教
こうだ ひろき:1978年岐阜県生まれ。京都大学理学部卒、同大学院理学研究科生物科学専攻博士課程を就職に伴い中退。京都大学霊長類研究所多様性保全研究分野、同行動神経研究部門のそれぞれ助手、英国セントアンドリューズ大学客員研究員を経て現職。言語の起源やその進化史について、動物との比較を通じて研究を行っている。
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