『公研』2025年10月号 第667回 「私の生き方」
国立遺伝学研究所 所長
近藤 滋
こんどう しげる: 1959年東京都生まれ。82年東京大学理学部卒業、84年大阪大学大学院修士課程修了、88年京都大学大学院医学研究科博士課程修了(医科学博士)。東京大学医学部博士研究員、スイス・バーゼル大学研究員、京都大学助手、徳島大学教授、理化学研究所チームリーダー、名古屋大学教授、大阪大学大学院教授などを歴任。2024年より現職。著書に『波紋と螺旋とフィボナッチ』『いきもののカタチ─多彩なデザインを創り出すシンプルな法則─』『エッシャー完全解読─なぜ不可能が可能に見えるのか─』など。
教科書を飛び越えた生物の授業
──1959年、東京都のお生まれです。子どもの頃は、どんなことに夢中になっていましたか?
近藤 昆虫少年だったとか、今の研究に直結するような生き物への興味があったわけではありませんでした。夢中になっていたのは、漫画やアニメですね。変身ヒーローものや怪獣ものが大好きで、『ウルトラQ』『ウルトラマン』『スーパージェッター』なんかをひたすら観ていました。特に『天才バカボン』は大好きで、赤塚不二夫先生は僕にとって神様みたいな存在です。
ただ、漠然と将来は研究っぽいことをやってみたいな、とは思っていました。勉強の中では数学や理科が好きでしたし、ダーウィンとかメンデルみたいに歴史に名を残す科学者って、やっぱりかっこいいじゃないですか(笑)。
──生き物に興味を持ち始めたのはいつごろでしょうか?
近藤 高校時代でしょうか。私が通っていた東京教育大学附属駒場高等学校(現筑波大学附属駒場高等学校)がとても変わった学校で、生物学の授業で高校のカリキュラムを超えたおもしろい実験をしていたんです。
大腸菌の遺伝子組み換えの実験です。大腸菌にウイルスを感染させると、遺伝子が一部入れ替わるんです。その結果、元の大腸菌と少しずつ違った株ができていく。その違いの大きさを調べると、遺伝子の変化を距離として測れるんですね。この仕組みが高校生の僕はとても面白いと感じました。
それまでは、生物学って「博物学」のようなものだと思っていたんです。たとえば、動物がどういう性質を持っているのかを観察して記録するような学問だと。でも、遺伝子の仕組みがわかると、生物学の中に物理学みたいな面白さがあることに気づいたんですね。遺伝子を通していろんなことが操作できる。そう考えると、「すごい分野だな」とワクワクしました。ちょうど当時は、生物学が分子生物学というかたちで大きく発展し始めた、まさに初期の時代だったんです。
──高校の授業とは驚きです。
近藤 あの高校の雰囲気として、生徒も優秀な人たちが集まっているんです。だから先生たちも必死なんですよ。「こいつらになめられないためにはどうしたらいいか」と、授業でもすごく先端的なことを教える。
数学の先生なんかは、普通の高校の内容をやりながらも、放課後には有志を集めて大学レベルの数学講義をしていました。
──高校卒業後1977年に東京大学理科二類に入学し、後に生物学科を選択されています。
近藤 最初から生物学を専攻するつもりだったわけではなく、数学か生物のどちらを専攻しようかと悩んでいました。自分は数学ができるほうだと思っていたのです。でも入学して蓋を開けてみるとそれは大きな間違いだったと気づきます。とんでもなく頭のいい奴らがゴロゴロいる。それを見てもう数学でやっていくのは無理だと思いました(笑)。だったらまだできそうな生物学に行こうと決めたのが1年生の時です。
何が生き物の形を決めている?
──生物学では、まずどんなことに関心を持たれましたか?
近藤 分子生物学の基本は遺伝子の研究です。でも、遺伝子そのものは多くの研究者が取り組んでいて、日々進展していきます。そんな中で僕が知りたかったのは、生き物の「形」です。
形というのは、無数の細胞が集まってできていますが、どの細胞にも基本的には同じ遺伝子が入っています。にもかかわらず、どうして脳の細胞と筋肉の細胞では全く違う形になるのか。何がその違いを決めているのか。そこが最大の謎でした。
例えるなら、大勢の人で「人文字」をつくったとします。そのための情報はどこから来るのか。人文字をつくるには、それぞれの場所の人に対して、外部から適切な指示を与える必要があります。外部からの指示がない状態で、一人ひとりが「@@という文字をつくろう」と考えても、どうすることもできません。なぜなら、その人文字を「見る」ことができないからです。でも、それと同じことを細胞はやっているわけです。外部からの指示もなく、正確なかたちをつくる。これって本当に不思議だと思いませんか?
──確かにそうですね。そう感じるきっかけが何かあったのでしょうか?
近藤 当時、すごくおもしろい実験がありました。イモリを使った再生実験です。イモリの腕は根元から切られても、再生芽と呼ばれる細胞のかたまりができて、そこから新しい腕をつくることが可能です。でも不思議ですよね。腕を再生するとき、どうして同じ形をつくれるのか。腕の形の情報は誰がもっているのか。
僕が衝撃をうけた実験ではイモリの両腕を切断して、切断後にできた再生芽を左右逆に移植させます。すると、一つの腕だったところに、必ず腕が3本出てくるのです。腕の形をつくるための何か隠されたルールがあるということです。しかし、そのルールがさっぱりわからず、結局その後何年間もこの研究は進みませんでした。私は「これが解けたらすごいな」と感じたのです。
ただ、それを知るにしても遺伝子を解析しないと何もわからないということで、東京大学を卒業後、当時最先端の遺伝子研究をしていた大阪大学の本庶佑先生の研究室に入ることにします。
世界の最先端で戦った本庶研での日々
──日本の遺伝子研究の中心ですね。当時すでに本庶先生はノーベル賞候補でした。研究室はどんな雰囲気でしたか?
近藤 みんな四六時中ラボにいて研究していました。朝の9時から夜の12時までなんて当たり前です。遺伝子のクローニングはやればやるだけ進みますし、何より本庶先生からのプレッシャーも強かった(笑)。
今の基準からするとブラックでハードワークな環境ですが、そんなことは誰も思っていませんでした。「自分は世界の最先端で戦っている」「自分たちの研究は世界中の注目を集める」という確信があったので闘志に燃えている感じですね。
──本庶先生は研究に厳しいイメージがあります。
近藤 本当に厳しかったです。本庶先生は研究を進めることに対する欲求がすごく強かったので。
本庶研では免疫の遺伝子組換えを研究していました。普通は「一つの遺伝子から一つのタンパク質」がつくられるのですが、免疫系は違います。体に入ってくる無数の異物に対して、その都度ぴったり合う抗体をつくることができるんです。2万程度の遺伝子(動物の遺伝子数はだいたい2万種類あることが解っている)ではとても説明できない、当時は大きな謎でした。
その仕組みは、遺伝子がパーツに分かれていて、組み合わせによって無数のバリエーションが生まれるというものでした。まるでブロックを組み替えるように、一つひとつは同じでも、組み合わせ方で新しい形ができる。利根川進先生がその「組み合わせ原理」を解明し、本庶先生はさらに別の遺伝子部分と組み合わさって新しい機能を生むことを突き止めた。残念ながら、この時点でノーベル賞を受賞したのは、利根川先生だけでしたが…。
僕自身は本庶研ではけっこう必死に働いたほうで、そのおかげで先生からの信用もありました。先生が京都大学に移られたときも、一緒に京大へ行き、そこで学位を取ったというわけです。
水族館で出会った最大の疑問
──その後本格的に動物の形の研究に移られたのでしょうか?
近藤 そうですね。本庶先生のもとでの研究がひと段落して、もう免疫は十分やり切ったと感じました。じゃあ次に何をやろうか。やっぱりずっと心に残っていたのは生き物の形でした。だったら、次は遺伝子の仕組みを研究したほうがいいと思ったんです。
例えば、血管の細胞と筋肉の細胞には異なる遺伝子が働いているから、異なる形や働きをしているわけですよね。そこを知るために東京大学医学部の村松正實先生の研究室に入りました。
その研究をしているとき、遊びに行ったサンシャイン水族館で、今後の研究人生を決める大きな出会いをしました。ナポレオンフィッシュの模様です(写真1)。水族館でナポレオンフィッシュを見た時、「こんな複雑な模様、いったいどうやってできるのだろう」と衝撃を受けたのです。もし左右対称なら、遺伝子の中に「模様の地図」があって、こことここに線を引く、というように説明できるかもしれない。でも、ナポレオンフィッシュの模様は全く左右対称ではないのです。
──遺伝子に直接「設計図」があるわけではないのですね。
近藤 そうなんです。そもそも生き物の体の中に、マス目のように番地が振られた「位置情報」があれば、どのマスに何を置くか決めることができます。でも、ただの細胞にどうやってそんな情報が与えられるのか。ここが「生き物の模様づくり」の最大の謎だと思いました。
先ほども少し例に出しましたが、例えば、広場に何百万人も集めて、一人ひとりが色のついたプラカードを掲げて模様をつくる場面を想像してみてください。それができるのは「あなたはこの位置にいるから、この色のプラカードを掲げて」と設計図に基づいて個別の指示があるからです。ただ人を集めて「ストライプをつくれ」と一斉に声をかけても、一人ひとりが全体の設計図を持っているわけでも、自分の位置を知っているわけでもないので模様はできません。でも、生き物の細胞たちは不思議なことに、まるでそれをやってのけているかのように見えるのです。それがなぜ可能なのか、私には不思議でしかたなかった。
この疑問を同じ研究室の人に言って回っていたんですね。そしたら僕より一つ年下の同じ苗字の近藤君が「君の言っていることの答えになるような論文があるよ」と教えてくれたのです。そこにあったのが、チューリング理論に関する記述です。
──あの数学者アラン・チューリング(1912年-54年)でしょうか?
近藤 そうです。暗号解読やコンピュータの基礎で有名な天才数学者です。彼が生涯で唯一、生物について書いた論文があって、そこで提案されたのが「チューリング波」という仕組みでした。”The Chemical Basis of Morphogenesis”(形態形成の化学的基礎)という論文名で1952年に発表しています。
この論文では、体の中で化学反応が干渉し合うことで波が生まれ、その波が細胞に「ここが位置だ」という情報を与える。模様や構造の多くは、この等間隔のパターン、つまり波で説明できると示したんです。
体の中に化学反応の波がある?
──生き物の体に波? 想像がつきません。
近藤 そうですよね。天才しか思いつかない画期的なアイデアです。
チューリングもきっと、動物の体や模様がどうやってできるのか疑問に思ったのでしょう。観察を重ねるうちに、多くの模様や構造には「等間隔の繰り返しのパターン」があると彼は気づいたのです。縞や斑点などが規則的に並んでいる。それを一言で言えば「波」なんですね。
ただ、物理的な波が体の内部にできるというのは、考えにくいです。だから、チューリングは化学反応で波ができる可能性を考えました。体の中で複数の化学反応が互いに干渉し合うと、一定の間隔で波が立ち上がる可能性があることを数学で証明したのです。これを反応拡散原理(チューリング波)と呼びます。その波こそが細胞に「ここが位置だ」という情報を与えて、形や模様をつくる。チューリングはそう考えました。それが数式1です。
──「位置情報をつくる」というのは、細胞のどこに何ができるかを決める仕組み、ということですか?
近藤 そうですね。普通の生物学者では思いつかないような理論でしたが、数学的にきちんと証明されていたのです。
そこで、僕も半信半疑でチューリング理論をプログラムに組んで計算させてみることにしました。すると、位置情報なんて何もないところから、ナポレオンフィッシュそっくりの模様が浮かび上がってきたのです。初めて見たときは、鳥肌が立ちました。
さらに、数式の係数をちょっといじるだけで、今度はキリンの縞やダルメシアンの斑点が出てくる。模様が次々と現れるのを見ながら、「こんなに簡単に説明できちゃうのか」と驚いたのを覚えています。
──つまりナポレオンフィッシュに限らず、多くの模様がチューリング波で説明できる?
近藤 そうなのです。繰り返しの模様ならなんでもつくれるのがチューリング波です。しかも最初に何か情報を与える必要もない。実際に目の前で模様が浮かび上がってくるのを見て、理論のあまりの完璧さにしばらく呆然としてしまいました。ここまで完璧だともう僕がすることは何もないな。答えはすでにここにあると。
でも同時に、「いや、待てよ」とも思った。生き物の模様の原理をここまで完璧にチューリングは説明しているのに、当時は世界で波の存在を信じている人がほぼいなかった。ここが問題です。チューリング波は、彼の死後に、何人かの物理生物学者によって発掘され、一時期盛り上がりましたが、生物学者からすれば「波が体をつくるなんてあり得ない」と一笑に付されるような話だったんです。誰もがこの理論は現実的ではないと考えていました。
でも、僕は「魚の模様はチューリング・パターン以外の何物でもない」と確証していました。そして、その模様の動きを観察するだけで証明になる、と頭の中ではすでに完成していたのです。こうなったら、「東大にいる場合じゃない。生き物の形そのものを研究するべきだ」と考え、スイスのバーゼル大学に移ることにしたんです。
──ご自身の直感に従って行動されたのですね。
近藤 バーゼル大学では、Walter Gehring教授の研究室に入りました。形態形成に関係する遺伝子を研究する研究室で、チューリング波に関する自分の考えがどうなのか確かめたかったという目的もあります。
当時この研究室は、ショウジョウバエで体の設計図を決める「ホメオボックス遺伝子(Hox遺伝子)」を発見したことで、世界的に注目されていた時期でもありました。だからなのか、この研究室でもチューリング波に興味を持つ人は一人もいませんでした。僕のシミュレーションを見せても、「へー」という感じで誰からも相手にされなかったのです。
しかし、僕は自分の説に確信を持っていたので、「この人たちの理解力がないだけだ。むしろ、理解されなければされないほど驚くべき発見であることの証だ」と考えていました(笑)。
魚の模様が動けば世界中を納得させられる
──具体的にどのように生き物の中にある波を実証しようと考えていたのでしょうか?
近藤 チューリング波の重要な性質の一つに、パターンを乱されても周囲の波が動いて、最終的に一定の間隔へ戻ろうとするというものがあります。この性質を生き物に当てはめます。
生き物は成長すると体が大きくなるので、模様の間隔が本来の安定した間隔より広がってしまうんです。しかし、その状態は不安定なので、波が動いて間隔を調整し、また安定な状態に戻ろうとする。これを実際の生き物で観察できれば、チューリング波の存在を証明できると考えました。
問題はどの生き物で試すかです。シミュレーションではナポレオンフィッシュの模様が理想的でしたが、実際に飼育するには大きすぎるし、模様も複雑で変化がわかりにくい。そこで最適なのがタテジマキンチャクダイ(写真2)です。体側に直線的なストライプがあり、そのストライプが枝分かれして動きながらも等間隔を保とうとするなら、まさにチューリング波の実証になる。この構想はスイスにいる時からすでに頭の中ででき上がっていました。
──あとは実験をするのみです。
近藤 そうしたい気持ちは山々でしたが、当時の僕にはこの研究での実績は全くありません。また、チューリング波の存在も誰も信じていなかったので、もちろん研究費なんて出るわけがありませんでした。
ちょうどその頃に本庶先生から「日本に戻ってきて免疫の研究をやらないか」と声をかけてもらっていました。じゃあ昼間は本庶研で仕事をして、夜や休日に自宅でタテジマキンチャクダイを飼って「隠れ実験」をすればいいのだと。本庶先生には絶対にバレちゃいけないから隠れ実験です。本庶研では研究に人生を全部捧げるのが当たり前で、関係ない実験をこそこそやってるなんて絶対許されない世界でしたから。
隠れ実験で科学の常識をひっくり返す
──なんだか緊張感がありますね。
近藤 日本に帰国後、早速実験の準備です。しかし、そもそも素人がタテジマキンチャクダイを大きくなるまで育てるのが難しいという理由で、何十軒もの熱帯魚店から売ることを断られました。海水魚の飼育技術が今より発達していなかったのです。さらに、お店の人でも「魚の縞模様が動くなんて聞いたことがない」と言うのです。
そんな中でも、唯一売ってくれた熱帯魚店がありました。さらに衝撃的だったのが、その店のおばちゃんが「魚の模様は動くよ」と断言したことです。僕がこれから実証しようとしていることを、当たり前のことのように言ってきたのでなんだか拍子抜けした気持ちにもなりました…(笑)。ともかく、ようやくスタートです。
──孤独な闘いです。
近藤 飼育が始まるともうやるべきことはほぼ終わっています。魚を飼育して大きくなるまでは約1年ほどかかりました。でも、観察を始めてみたら、飽きることもなく毎日が楽しかったですよ。
そして、ようやくその時が来ます。実際にタテジマキンチャクダイのストライプがジッパーのように裂けて動いていったのです。最初は目の錯覚かと思いました。1週間、2週間と時間をかけてゆっくりと模様が動いていったのです(写真3)。
──科学の常識がひっくり返った瞬間ですね。どのような気持ちでしたか?
近藤 模様は動くと信じていましたが、目の前に起きていることが奇跡のように感じました。嬉しさを受け止めきれなくて、誇張でも何でもなく毎晩公園で踊っていました(笑)。頭おかしい人がいたと思われてたかもしれません。
自分の説が正しいことはわかった。次はこれをどこかで発表して他の研究者の反応を知りたいという気持ちが芽生えます。でも、本庶先生にはバレてはいけない…。でも気になる…。危険を承知で分子生物学科会のポスター発表に出すことにしました。
しかし、どんな反応をもらえるのかウキウキで発表の準備をしていたある日のことです。本庶先生に呼び出されます。ついに分子生物学会の要旨集で僕の隠れ実験がバレてしまっていたようです。めちゃくちゃ怒られましたよ。「趣味です」と必死に言い訳をして、免疫の研究にも一層尽力することを誓い、なんとかその場をやり過ごしましたが、生きた心地がしなかったですね。本当に怖かったです(笑)。
「いや、面白いからもう無理です」
──発表の反響はいかがでしたか?
近藤 発表は大成功に終わり、ポスターは常に大勢の人に取り囲まれた状態でした。これはいけると思い論文を書き始めます。絶対に失敗ができないので、わずか2ページの論文を書くのに4カ月もかかりました。もちろん不安もありましたよ。論文が出たら本庶先生にバレることは確実なので、この論文一つで決めなくてはいけない。『Nature』のようなトップジャーナルに載らない限り、この研究を続けることは不可能ですから。
完成した論文を郵便局で送ってから、10日目に返信が来ました。予想外に早い結果にダメかと思いましたが、封を開けてみるとすでに査読も終わっている。さらにはアクセプトすると書いてある。自信は無限にありましたが、びっくりしました。念願の『Nature』の掲載です。さらに驚くことに、僕の論文に関連してその号の表紙をタテジマキンチャクダイの写真が飾ったのです。
──その号を代表する論文ですね。さすがに本庶先生にも趣味とは言い訳できない状況です。
近藤 流石に見つかりました(笑)。本庶先生にこう問い詰められることになります。「魚をやめるか、私の研究室をやめるか選べ」と。事実上のクビ宣言ですよね。でも、私は「魚をやる」と1秒も待たず即答したので、流石に本庶先生もびっくりしていましたね。
僕は『Nature』の表紙を飾ったから、どこかでは研究を続けられると考えていたんです。でも、本庶先生は「魚の縞模様で食っていけるわけがない」と言っていました(笑)。医学者であり、免疫学が発展すれば人々の命を救うことにつながるような、そんな研究の道を歩んできたわけですから、生き物の模様は本庶先生にとっては道楽にしか見えなくてしかたないですよね。
そんな状況でも本庶先生は僕の研究者人生を心配してくれたようで、「ここを辞めてどうするんだ?」「君な、うちにおったら京大の医学部の教授になる道はちゃんとつくってやれるんや」と。でも僕としては「いや、面白いからもう無理です」と答えるしかなくて。そんなやりとりをしたこともありました。
しかもそのとき私は、「さきがけ」という若手研究者支援制度に応募していました。3年間の期限付きですが給料も出る制度です。なので、「さきがけが雇ってくれるから大丈夫です」と謎の自信があったのです。でも、実はその時はただ応募した段階で面接にすら進んでなかった。しかも、競争率は19倍ほどです。
──安定した研究人生を蹴って、大きな挑戦です。
近藤 多分大丈夫だろうって思っていたんですよね。こんなに面白いものは他にないと確信していましたから。
その後、さきがけから連絡がきて、本庶先生と話をした約1週間後に、東京の面接に行きます。受かる自信はありましたが無職になったら困るので、「落としやがったら首絞めたるぞ!」という意気込みで向かいましたね(笑)。
審査員も錚々たるメンバーです。その一人が本庶先生の友人でもある中西重忠先生(京都大学名誉教授:分子生物学者)でしたが、中西先生にも「君は本庶のところの講師なんだからこんなことできるわけないだろう」と言うんです。でも私は「先週辞めてきました」と。びっくりしていましたね。
最終的に「さきがけ」でも領域代表をしていた豊島健先生という癌学会の超大物が、京都の本庶先生に会いに行き、「近藤は俺が預かる」といったようなやり取りがなされたそうです(笑)。僕はめでたく、1997年徳島大学総合科学部教授となりました。
──近藤先生の研究人生は、平たんではないですね。
近藤 もし自分の息子が同じことしてたら「バカなことするな」と言うと思います。
──その後の本庶先生とのご関係は?
近藤 本庶先生は立場上、私の研究を認めることはできないにもかかわらず、研究室の廊下に僕のタテジマキンチャクダイの写真が表紙になった『Nature』 の論文をずっと額に入れて飾っておいてくれたんです。「さすが懐が深い」としか言えませんね。
細胞同士が会話をして模様をつくる?
──徳島大学ではどのような研究を?
近藤 タテジマキンチャクダイで「模様はチューリング波で説明できる」ということは示せましたが、「では実際に何がその波をつくっているのか?」という問いが残っていました。そこを突き止めないと、生物学の人たちはなかなか納得してくれないんです。
そこでゼブラフィッシュ(写真4)を使った研究をしました。この魚は黄色と黒のストライプ柄の魚なのですが、黄色い細胞と黒い細胞が互いにやり取りしながら配置を決め、それによって縞模様ができていることを証明しました。
──細胞同士がコミュニケーションをとって自発的に動いているということでしょうか?
近藤 そう考えてもらって問題ありません。
チューリング理論についてもう少し詳しく説明しますね。チューリング理論では、生き物の体に現れる縞や斑点などの空間パターンは、「活性因子」と「抑制因子」という二つの要素のバランスによって生まれると説明されます。簡単に説明すると、活性因子は「自分と同じものを増やそう」と働き、抑制因子は「近すぎると打ち消そう」と働く。そのせめぎ合いが波を生み、パターンが自然に立ち上がるのです。
ゼブラフィッシュを調べてみると、活性因子と抑制因子の関係が、まさに黒い細胞と黄色い細胞の間で起きていることがわかります。ある意味、オセロの石のように、近づきすぎると互いを押し合ってひっくり返す。でも少し離れると、今度は相手を支え合う。まるで細胞同士が「ここにいよう」「もう少し離れよう」とコミュニケーションをとりながら自発的に動いているように見えるのです。
つまり、簡単に言うと近距離では抑制し合い、遠距離では促進し合う。この二つの力のバランスこそが、全体として均一なストライプのパターンをつくり出していた。そしてこれは、チューリング理論が予言した「活性因子と抑制因子の拡散スケールの違い」とぴったり対応していることを、生き物の中で実証できたわけです。
動物の様々な柄は本質的には全て同じ
──では、生き物の模様の多くはチューリング波で説明できるのに、なぜこれほど多様なのでしょうか?
近藤 同じチューリングパターンでも、抑制因子と活性因子の強さのバランス次第で模様の見え方が変わるんです。お互いにやりあって一番安定したバランスが模様として出てきます。
例えば、黒の細胞が強ければ黒の領地が増えて、黒地に黄色の斑点ができるし、逆に黄色が強ければ黄色地に黒の斑点になる。一方で、強さが拮抗してちょうどいいバランスのときにストライプができる。だから、斑点とストライプは別物に見えても、実は同じ波の断面を見ているようなものなんですよ。人間が勝手に「斑点」「ストライプ」と呼び分けているだけで、本質的には同じなんです。
それから「最初の種」がどこにできるかも、模様を決める大きな要素です。ゼブラフィッシュだと体側の側線に色素細胞が最初に並ぶので、そこから波が広がり縞になる。でもナポレオンフィッシュのように最初の種がない場合は、不規則なパターンになります。いろんな魚を観察したら、種がここにあるなってわかると思いますよ。
他にも、キリンやヒョウの斑点模様は、成長の途中で波が一度止まったり再開したりすることでできていると考えられます。
──波が止まることもあるのですか⁉
近藤 そうです。キリンの場合、最初に斑点ができます。でも途中で波が一度止まるんです。そのまま体が大きくなると、斑点と斑点の間がだんだん広がっていく。そして、その状態でもう一度波が走り出すと、あのキリン特有の網目模様になるんですよ。あれは波の跡なのです。なので大人の模様は動きません。
どうして止まるのか、どういうきっかけで再開するのかはまだよくわかっていません。もしキリンを実験に使えるなら解明できるのでしょうが、不可能ですからね。
シマウマの縦じまに絶対的な意味はない
──動物の模様は、例えば「捕食者から見つかりにくくなるため」といった何かしらの意味や役割を期待してしまいます。
近藤 波は物理現象として自然にできてしまうものです。波の存在自体に意味はありません。生物学ではどうしても「この柄は何の役に立つのか」と考えがちですが、それは「どうやってできたか」とは別の話です。僕の研究はまさに「意味ではなく、どうつくられるか」なのです。
たとえばシマウマと馬はよく似た動物でも模様はバラバラです。シマウマの縦じまはサバンナの草むらに隠れるため、と意味づけされることがありますが、他方で似た生き物の馬は模様がなくても生きていける。つまり、模様はあってもなくても生存に致命的な差はない。もし模様に絶対的な意味があるのなら、一種類に収束しているはずです。
だから模様は「役に立つからある」というより、「物理の原理で自然に生まれる」ものなんです。結果的に意味を持つ場合もあるかもしれませんが、模様をつくる仕組みそのものとは関係がない。僕にとって重要なのはなぜその模様ができるのかという点であって、その模様が何の役に立つのかではないのです。
──葉っぱに擬態する昆虫もいます。結果的にたまたまあの姿になったということでしょうか?
近藤 そうです。擬態という言葉が誤解を招きますが、昆虫が葉っぱに似せようとしたわけではありません。たまたま葉っぱに似た形の個体が生まれ、それが環境の中で有利だったから生き残った。進化とはそういう偶然の積み重ねです。最初にランダムにいろんな形が生まれ、その中で環境に適したものが残っていく。だから「どうやって形ができるか」という原理と、「その形にどんな意味があるか」という用途は、必ずしも直接つながってはいないのです。
──チューリング波は、生き物の模様だけでなく、形の形成にも関わっているのでしょうか。
近藤 もちろんです。アラン・チューリング自身も、この波は模様にとどまらず、生き物の形づくりにも効いていると考えていました。
たとえば人の手です。胎児のとき、最初は指のないヒラメみたいな形をしているのですが、そこから指ができていく。その数や配置はチューリング波のパターンで説明できることが、シミュレーションや実験で示されています。波のピークのところが指になるんですね。指紋もチューリングパターンで説明できます。
──チューリング波は、生き物の形をつくる「一要素」と考えればよいのでしょうか。
近藤 そうです。でも、かなり大きな一要素ですね。というか、何もないところから形を生み出すときには、基本的にチューリング波に似た原理が必ず出てきます。だから、生き物の形をつくる一番重要な原理だと言ってよいです。
今はもう、「チューリング波がある」というのはこの分野の研究者にとっては当然の前提になっていて、その上で形態形成をどう説明するか、という研究段階に入っています。だったらもう、私自身がそこに関わり続けなくてもいいなと思いました。
謎解きの舞台は科学からアートへ
──だから先生はチューリング波に限らず幅広い研究テーマを扱っているのですね。
近藤 そうですね。最近まではカブトムシの角や貝殻など、多種多様な対象を研究してきました。
そんな中、昨年4月ごろ定年で研究室を1年後に閉じることが決まります。新しい研究テーマを立ち上げる余裕もなく、頭が少し空白になってしまったんです。そんなとき、昔から気になっていたエッシャーの絵を思い出しました。
──だまし絵のエッシャーですね。階段がどこまでも続くように見える絵などが有名です。これまでの研究とはまったく異なる分野です。
近藤 子どもの頃に、少年誌の表紙でエッシャーの絵を見たことがあって、「なんでこんなふうに見えるんだろう」と、不思議でしかたなかったんです。その感覚がずっと心に残っていたんでしょうね。
じゃあ今なら時間もあるし研究してみようと始めてみたら、これが本当に面白かった。エッシャーはただ奇抜なだまし絵を描いたのでなくて、光の当たり方や影の落ち方、人物の配置まで、ものすごく論理的に考えて描いている。だからこっちも論理的に考えると、ちゃんと答えが出るんです。鑑賞というより、まさに「謎解き」ですね。気づいたときには「やられた!」って、まんまと騙された自分に笑ってしまいます。これが楽しくて、どんどん読み解いていきました。
──それが発展して、昨年12月には『エッシャー完全解読 なぜ不可能が可能に見えるのか』を上梓されています。ご著書を読んでここまで多くのヒントや仕掛けが隠されていることに驚きました。
近藤 びっくりしたでしょ?僕も自分で驚きました。エッシャー自身、「自分は芸術家じゃなくてクラフトマンだ」と言ってますが、ほんとその通りで、すごく理屈で仕掛けを組んでいるんです。適当に描いた絵からは理屈なんて出てきませんからね。
──まさに研究にも通じる「謎解き」ですね。
近藤 そうなのです。謎が解けたときは、本当に爽快でしたね。研究しかり、何か謎を解き続けていたい性分なのかもしれません。
──ありがとうございました。
聞き手 本誌:薮 桃加