『公研』2025年9月号「めいん・すとりいと」
今年の夏はことさら暑かった。学校時代の友達と連れ立って登山やテニスの小旅行にもいくつか出かけたが、エアコンを効かせた自宅の書斎で読み物をしたりする時間がいつもより多かった。物思う秋という言葉はあるが、最近の暑さだと、むしろ部屋に籠っている時間が長い夏のほうが、物を思う時間が長いような気がする。
友人達とも話しているのだが、戦争が終わって10年ぐらいで生まれた私達の世代はラッキーだった。少年時代はまだ日本全体が貧しく、食糧は足りていたが食べ物のチョイスは今より限られ、もちろんエアコンや水洗トイレは普及しておらず、大雨が降ればすぐ道路に水があふれた。それでも、平和で、街には子供たちの声が響き、毎年生活がよくなっていく明るさがあった。
学生時代は、音楽でも車でもスキーでも、若者文化がどんどん花開き、日本という国自体の青春でもあったかもしれない。就職後はバブル時代の熱狂が待っていた。私自身は当時の大蔵省で土地税制改革を担当していて深夜のタクシーがつかまりにくいという苦労のほうが大きかったが、それでもたまに六本木などに飲みに行くと毎日がお祭りのようだった。
バブルがはじけた後の日本は確かに元気を失ったが、それでも日本は全体として見ればよい国だ。ほかにもっとよい国があると思っている人が多いが、日本は、治安のよさと清潔さ、人々のマナー、食や自然の豊かさ、バブル崩壊後も整備されてきた大都市中心部の街並みなど、誇るべき美点が多く、外国人が観光や教育、居住のために日本を選ぶのもよくわかる。
問題は、日本が今のような生活水準を今後とも維持できるかということだ。外国との競争はますます激しく、少子高齢化は国力を弱める。現に日本のGDPはドル建てで1990年とほとんど変わっていないのに対し、米国は5倍になっているし、中国にいたっては50倍だ。一時は米国の1・3倍だった1人当たりGDPも今は2分の1で、韓国にも台湾にも抜かれている。
まずはなぜこうなっているかを考えなければならない。バブル崩壊後のバランスシート調整と負の資産効果は、企業の投資と家計の消費を思った以上に長く抑制した。米国からの圧力で半導体協定が結ばれたことなどにより、企業家精神が弱まった。少子高齢化の影響も生産面、需要面でマイナスの影響を与えている。米国がデジタル産業で先に行った一方、新興国の追い上げは早かった。
長すぎる金融緩和は行き過ぎた円安を生んで、日本の賃金、不動産、GDPなどすべてを安くしているし、最近は消費者物価や資産価格の上昇も心配だ。累積する財政赤字によって国債は積み上がり、経済政策の持続可能性への不安が消費や投資を下押ししている。経済的資源が医療や介護に多く使われ、研究開発や高等教育への投資が遅れがちだ。国も企業も、弱い分野を強い分野の余剰を使って支援してきたと言える。それは社会の分断を減らすことに役立ったが、成長の力を弱めている。
さまざまな改革努力も効果の検証が必要だ。企業統治改革は、企業の成長分野への転換を促す意味はあるが、企業の生む価値全体を大きくすることよりも人材や新規事業への投資を抑えて当面の利益を増やし、株主への還元で株価を上げることに偏ってはいないか。大学改革によって、経常的な経費を賄うためにも競争的資金を獲得せねばならなくなり、学者たちのエネルギーが申請書を書くことに使われすぎていないか。働き方改革が行き過ぎて、もっと働きたいという若者のやる気と価値創造の現場の熱を削いではいないか。少子化対策は、経済的な事情などで結婚しない、あるいはできない人にフォーカスできているだろうか。社会保障や地方創生も、現実的な前提に立って見直す必要があるだろう。
多分私達の世代の人間は逃げ切れるかもしれず、だからこそラッキーだと思っている。しかし、その後の世代は安心して楽しい人生を送っていくとことができるのか。日本はこれからも世界で一定の存在感を示し続けることができるのか。国のあり方について物思うことは尽きない。
住友商事顧問・国際経済戦略センター理事長