尹前大統領死刑求刑が問う韓国民主主義【西野純也】

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 尹錫悦・韓国前大統領に対する内乱首謀罪での死刑求刑と無期懲役判決は、一人の政治指導者の刑事責任にとどまらず、韓国の憲法秩序と民主主義のあり方を今一度考える重要な契機となっている。

 民主化後37年経った2024年12月の韓国において、大統領が突如として非常戒厳を宣布したことは、韓国内外で大きな衝撃を与えた。今年1月の裁判で求刑した検察側は、尹前大統領による非常戒厳宣布は、1987年の民主化後に苦労して築き上げてきた「韓国は安定した民主国家である」という韓国民の誇りと国際社会の信頼を深刻に傷つけたことを指摘した。

 今日の韓国において、国内政治的な対立を理由に大統領が非常戒厳を宣布することは全く想定されておらず、現行憲法にある非常戒厳に関する条項は、朝鮮半島の南北分断と停戦状態というに現実によってやむを得ず正当化される措置であると多くの韓国民は考えてきたはずである。しかし、尹前大統領は、2024年4月の総選挙で大勝した野党が多数を占める国会に軍を投入し、与野党代表などを逮捕することなどを試みた。今年2月の一審判決は、非常戒厳の宣布によっても国会の権限や機能を侵害することは許されておらず、軍による国会封鎖や選挙管理委員会への侵入は憲法秩序を壊す暴動にあたるとして、尹前大統領に内乱首謀罪を適用した。

 韓国では1997年末以降に死刑は執行されていないが、それでも検察は尹前大統領が反省しておらず、内乱罪という重罪への対応意思を示すためにも死刑にすべきだと主張していた。一方で判決は、尹前大統領に周到な計画があったとは言い難く、物理力行使の自制もあったとして無期懲役を宣告した。尹前大統領側と検察側の双方とも判決を不服として控訴したため、今後も裁判は続くことになる。

 非常戒厳の宣布はどこまでも尹前大統領の個人的な過ちであると考えるが、権威主義的な制度や慣行の残滓と分極化した政治社会の現状が、尹前大統領の誤った判断を促す要因になったことにも目を向ける必要がある。

大きすぎる大統領の権限

 まず、停戦状態が続く中での北朝鮮との軍事的対峙という状況が、民主化後も大統領に強い権限を与えることを許してきたと言える。非常戒厳の宣布もその一つである。そのため、「帝王的大統領制」という言葉がある通り、韓国では依然として大統領の権限は大き過ぎると認識されることが多い。

 その一方で、現行憲法は、民主化前には7年であった大統領任期を5年単任制へと短縮したり、国会の権限を強化(例えば国政監査権の復活)するなど、大統領の権限を制限した。この権力分立をより意識した現行憲法の下、尹前大統領は、野党が多数を占める国会によって大統領の権限が悉く封じられることに強い不満を抱き、これを「反国家勢力」による企てと見て非常戒厳に訴えたのである。結果的に、国会の議決により非常戒厳は迅速に解除されたが、もし軍による国会封鎖や有力政治家らの逮捕が実現していたらと考えると、やはり尹前大統領の過ちはあまりにも大きいと言わざるを得ない。1980年5月の光州事件のような非常戒厳に伴う悲劇を経験してきた韓国の歴史に鑑みれば、国内政治対立から非常戒厳を宣布することは決して許されまい。

非常戒厳が加速させた分断

 にもかかわらず、分極化が進んだ現在の韓国において、判決に対する評価は分かれている。韓国ギャラップの世論調査によれば、無期懲役判決が「適切」との回答は29%であるのに対し、「不十分」が39%、「過度」が29%であった。党派別に見れば、現在の与党「共に民主党」支持者の65%は不十分、野党「国民の力」支持者の65%が過度であると回答している。

 そもそも、尹前大統領が非常戒厳を宣布した背景には、保守と進歩(革新)の両陣営が激しく対立する中で行政府と立法府が異なる陣営によって占められ、両者が全く妥協しない政治的状況があったが、非常戒厳後に状況はさらに悪化した。検察側は、非常戒厳宣布が社会全般にわたる対立と国論分裂を引き起こし、尹前大統領の煽動により拡散し持続していることを求刑の際に述べたし、判決もまた社会が政治的に二分されるなど非常戒厳による社会的費用が算定不能な規模に達したことを指摘した。

 李在明大統領は昨年6月の就任演説で「国民統合」や「譲歩して妥協する政治」を訴えたが、同時に「内乱克服と民主主義の回復」を最優先の公約として掲げ、現在も与党は野党を内乱勢力であると糾弾し続けている。一方の野党は、「ユン・アゲイン」を掲げる尹前大統領の支持勢力と完全に袂を分かつことができていない。また、政治的対立を緩和するための処方箋の一つとして権力分立のあり方や大統領任期、選挙周期を調整する憲法改正の必要性が認識されるようになっており、李大統領も改憲を公約としたが、そのための具体的な動きはまだない。尹前大統領の過ちを弾劾・罷免によって正すことで「復元力」を示した韓国民主主義ではあるが、今後の方向性についてはまだ十分見通せない。

慶應義塾大学 法学部政治学科 教授

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