アメリカでの第二次トランプ政権の誕生以来、あるいは2023年のガザ戦争の開始以来、これまで常識とされてきたことが次々に覆されている。ハマースによるイスラエル越境攻撃を契機に、ガザへの圧倒的な武力によるジェノサイドが進行するだけでなく、レバノンやイラン、カタールまで戦火が拡大した。ウクライナに軍事侵攻したロシアのような現状変更志向の国や、北朝鮮のような「ならず者国家」ならいざ知らず、「中東随一の民主国家」を標榜してきたイスラエルの暴挙に、国際社会は唖然とした。
それにトランプ政権のアメリカが加わり、誰が「現状変更」しようとしているのか、判然としなくなってきた。年明け早々のベネズエラに対する軍事急襲と大統領捕縛、そしてあからさまなグリーンランドへの領土的野心とイランへの軍事的圧力は、「征服は不可」という近代国際法の原則に、真向から反する。有無を言わせず移民系自国民を実力で追放する姿からは、基本的人権なるものへの尊重は露もみられない。
これは、リベラルな国際秩序が終わった、などという生易しいものではない。これまで国際社会が培い、常識としてきた国家主権概念、領土不可侵、内政不干渉といった大原則自体が、頭から否定されている。国際協調路線が破綻しつつあるという意味では、第二次大戦前夜に酷似しているとも見えるし、大国が近隣国に侵略して憚らず世界分割を進めるという意味では、帝国主義時代、グレートゲームの時代にも近い。ベネズエラ攻撃後、「ベネズエラを運営(run)する」と表現したのは、植民地統治期の思考を想起させる。「アメリカが開発した石油施設を、ベネズエラの社会主義政権が盗んだ」というトランプの発言は、グローバル・サウスが達成した植民地支配からの脱却、資源の国有化という半世紀前の成果を、ひっくり返そうとするものだ。
さらに複雑なのは、これらの「現状変更」が、目先の経済的利益優先で進められていることだ。国家利益としていかに他国を支配するか、というより、他国の領土や資源を利用していかに儲けるか、に力点が置かれている。イスラエル攻撃後瓦礫となったガザにリゾート地を建設する、などという計画は、アメリカの国益というより不動産王らしい発想だ。
これは、19世紀の帝国主義ですらないかもしれない。それ以前の、重商主義の時代に近いとする識者もいる。ギリシャの経済学者ヤニス・バルファキスは、巨大テック産業による支配という観点から、現代を「テクノ封建制」と名付けている。
アメリカやイスラエルの行動を見ていると、白人植民者がアジアやアメリカ大陸に入植し、土地や現地住民を収奪した時代が蘇ったかのようだ。つい数年前まで、BLM運動への支持や先住民や難民の権利擁護が広く国際社会で謳われていたことを考えると、今起きていることは、そうした多様性を前提とした現代社会の在り方に対する反動なのだろう。
反動ならいずれ元に戻るかもしれない。だが、20世紀後半の半世紀のリベラルな秩序こそが歴史の例外なのだとすると、我々は一体いつの時代まで、戻るのだろうか。
千葉大学特任教授